
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
仏教の歴史を簡単におさらいしないと分からないので、簡単に説明します。
仏教は釈迦が修業して解脱し悟りを開いたことに始まります。初期の仏教は宗教と言うより哲学で「人間とはなにか」ということを釈迦や周辺の人が議論するものでした。しかし、悟りを開いた釈迦の言葉は説得力があったので、釈迦の入滅後、弟子たちがそれを伝えていきました。
で、最初は口伝だったのですが、文字が到来して経典を作るようになります。そして同じころ、釈迦の言葉の解釈を巡って対立があり、上座部仏教と大衆部仏教に分かれます。日本に来たのは大衆部の経典の一部で、大衆部というのは「人々が悟りを開くのは難しいので、悟りを開き仏となった人物が多くの大衆を救うことを教義とするもの」ということです。
大衆部に分かれてからも仏教は分裂し続け、いろいろな経典が生まれていきます。中国に仏教が伝わったころには収集がつかないぐらい多種多量の経典があったのです。
日本は国をまとめるための宗教として仏教を輸入していましたが、仏教が浸透するにつれ「仏となった人物が多くの大衆を救う」方法について様々な研究がなされるようになりました。平安末期から鎌倉初期までの庶民の暮らしはかなり苦しかったからですが、同時に当時の仏教は国教で人々を救うというものではなかったからです。
この時代に代表される仏教の最高学府は高野山ができるまでは比叡山でした。南無阿弥陀仏の浄土宗を開く法然も、南無妙法蓮華経の日蓮も比叡山で学んでおり、どちらも「仏となった人物が多くの大衆を救う」ことを念頭によい教え(経典)を探していました。
法然は「阿弥陀如来」を「人々を救ってくれる仏」と考え、主に阿弥陀如来に帰依するように人々に説きました。「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に南無(帰依)します」という宣言なのです。
浄土真宗の開祖として知られている親鸞は法然の弟子の一人で、法然が入滅して以後、浄土宗の主流になった弟子たちと袂を分かち、阿弥陀仏を信仰する法然の教えを整理して広めています。
浄土宗はそれまで修業などができず悟りを開くことなどできなかった庶民に「ただ南無阿弥陀仏と念じれば阿弥陀仏が救ってくださる」と教えたため、農村部などに一気に広まっていきました。
日蓮は法然の100年ほど後に生まれた人物で「浄土宗では人々を救済できない」と考えて、比叡山にある経典の中から法華経を見つけて、それを協議の中心とした宗教になります。法華経はかなり古い経典で、釈迦が残した言葉が含まれていると日蓮は解釈しました(実際には大衆部に分かれた後に成立したもの)
また、仏教の基本は釈迦であり、釈迦を貴ばず阿弥陀仏などに帰依することを教える浄土宗などは「邪道である」と厳しく非難したため、鎌倉幕府からも迫害をうけ、いまでも浄土宗などとは折り合いが悪いとされています。
日蓮は釈迦の教えである法華経をひたすら唱えることで庶民であっても救われる、と説きました。「南無妙法蓮華経」は「法華経に帰依する」という意味になるわけです。
ということで、どちらも「念仏を唱えれば救われる」という教えは同じなのですが、仏教が初期の頃に様々な経典を作ったために依存する経典が異なり、それによって信奉する仏も違いがあるのです。
No.1
- 回答日時:
簡単に言うと、
南無阿弥陀仏は「私は阿弥陀如来(という仏)に帰依します」という意味で、主に浄土宗・浄土真宗系で唱えられる言葉。いわゆる「念仏」です。
南無妙法蓮華経は「私は法華経(という教え)に帰依します」という意味で、主に日蓮宗系で唱えられます。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
関連するカテゴリからQ&Aを探す
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
「如是我聞」の意味は?
-
仏教経典の数はいくつあるので...
-
義母の13回忌での御仏前(御供...
-
仏袋
-
神社の宮司さんの住まいは?
-
道端に立っているお坊さん?は...
-
浄土宗の通夜や葬式で歌われる...
-
日本の仏教の宗派の分布図を教...
-
日蓮宗の一番偉い僧侶は久遠寺...
-
家の前でお坊さんが叫んでいま...
-
出納は熟字訓かどうか
-
浄土真宗の方に答えて頂きたい...
-
行年と享年について
-
仏教の宗派、特に浄土真宗について
-
正信偈について教えて下さい(...
-
自分の決断が正しかったのか、...
-
寺の坊主とか神社の神主って金...
-
昔から宗教テロ組織と言えば「...
-
京都の高級住宅地?
-
住職の息子が僧侶の資格を持っ...
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報