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三四郎と美禰子の恋愛は成就せず終わってしまいますが、美禰子が本当に好きだった人とは誰だと考えられるでしょうか??「結婚なさるそうですね」という三四郎に対して美禰子が答えた「われは我がとがを知る。我が罪は常に我が前にあり」とはやっぱり三四郎に対する罪悪感で恋愛感情はなかったということでしょうか。本をよく読め!といわずに私にもわかるように教えてください。できれば本文のこんなところから美禰子の気持ちが読めるよ、とか教えてほしいです。私には美禰子が誰を好きだとか本心が分かりません。お願いします。

A 回答 (1件)

 わたしにはえらそうな解説などできませんし、適切に説明する言葉さえも持ち合わせていませんが。

。。。。

 それでも、美禰子の心情はとてもよく分かる気がするんです。
 三四郎に対してはもちろん好意は感じていたでしょう。でも、とにかくそれは恋愛感情というにはやや希薄なもののように思うのです。
 むしろ、美禰子のような女性はとかく純情な若者がこの自分に好意を寄せていることは本能的に読み取ってしまうもの。そして、あえて思わせぶりな態度を示すことによって若者の心をかき乱し、それによって一種の快感や優越感を味わう。だがそれでいて、ある一面ではそんな自分の行為に偽りのものを感じ取り、自身の心を自己矛盾と隘路に追い込んでしまう。こうした心情は今日の女性にだって誰にでもあるもの、それは、広い意味でなら、そして、突き詰めて言えば、やはりある種の恋愛感情なのかもしれない、ても恋じゃない。。。。

 それでは、美禰子が好きだったのは誰か。わたしは、結局、美禰子が芯から好きで愛した人は誰一人居なかったのではないかと思うのです。まして当時は、よほど進歩的な女性は別として、恋愛感情と結婚とはまったく別の次元のことと諦めていた時代。彼女の兄の友人である許婚者にさえ、美禰子が恋愛感情を示す記述の部分はなく、ただ淡々と結婚に向ってしまっていますしね。

 そんな女の心情をあの世慣れた興次郎がいみじくも言っていますね。「何故と云うに、二十歳前後の同じ年の男女を二人比べて見ろ。女の方が万事上手だあね。男は馬鹿にされるだけだ。女だって、自分が軽蔑する男の所へ嫁に行く気は出ないやね。尤も自分が世界で一番偉いと思っている女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らすより方法はないんだ.....」って。

 つまるところ美禰子とて、純粋な恋愛感情がどのようなものか、そしてその対象が誰であったのか、それは分からず仕舞い。それでいて、恋愛感情が自身の中に存在するということ自体は認識していて、心の何処かで自身を偽っていることも知っている。そして自身を偽ったまま結婚に踏み切ってしまう.....。美禰子もまたひとりのストレイシープだったのでは、それとも「森の女」?だったのでしょうか。。。。。。
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