アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 今日(正確には昨日)実家に帰りまして、そこの駅前で
募金活動をやってるのを見ました。
 それは、テレビでも紹介され、結構有名です。心臓移植のため、数千万が必要だということで、ボランティアが募金を募ってました。
 それは、かまわないのですが、大変大声で募金を募り、通行人にチラシを配る姿は、少し不快感をつのらせました。東京都心で、よく通行人に声をかけ、いきなり「募金は3000円から受付けてます」みたいなことを平気で言う
なんか詐欺みたいなやからとダブリました。
 市民団体は、自分達のやっていることは絶対善であるみたいな価値観が強すぎるのではないでしょうか?(全てが
そうだとはいわないけど)
 あと、これは、僕なりの価値観かもしれませんが、心臓移植は数千万かかりますが、正直言ってその金あれば、発展途上国と子供を何人救えるのだろう?
 人一人のため、数千万を先進国ではかけて助けようとする。しかし、発展途上国では、1円もかけられづ飢餓で死んで行く。人の命は平等でないのか?とか強く感じます。
 これは、マスコミでも取り上げたと申しましたが、そのマスコミはアフリカや最近ではアフガンの難民支援とか言ってますよね。いったいどっちが大事なんだとか感じます。
 こう、申しあげると「あなたが、その障害を抱えた人の家族だったら、なんとしてでも助けたいと思うでしょ?」と反論されるかもしれません。その通りです。僕が家族であれば、そうするでしょう。
 しかし、それは、発展途上国でも同じです。先進国のエゴと発展途上国のエゴ、これにしても平等じゃない。
 募金風景を見て、なんか世の中の矛盾や不条理を感じました。
 皆さんは、同じように感じたことないですか?
 また、私の意見も少々偏向的と感じ、私にこそ不快感を感じる方もいると思います。
 広範な意見を御待ちしております。

A 回答 (9件)

こんばんは。


まずこれは、いわゆる「南北問題」といわれる世界的規模での不条理のなせる技ですね。本当にその通りです。一人の命をすくうのに心臓移植は千万円単位のお金がかかり、発展途上国で毎日沢山死んでいる子供を一つ5円に満たないドリンク剤(ポカリスエットのようなもの)で一日一人救えるのに、そちらには物もお金も人でも回らない・・・。本当に悲しい現実です。

ただ、そんな状況を作り出したのは一部に気象などの要因もあるけど、何より戦争です。直接他国と戦争しなくても内戦を先進国があおり、支援し、泥沼の戦争を続けさせた結果が貧困となって現れています。こういう点で先進国のやっている事は犯罪的だと思います。自国の利益の為に、内戦自体を起こさせたり、自国に都合のいい勢力を支援してる訳ですから、内政干渉そのものですね。その点では私たちの日本だって、アメリカのお先棒担ぎで変な経済支援をしてるわけですから、他人事じゃないはずです。

さて、話変わって募金ですが、金額を最低ラインでも指定する募金なんてのは、募金の趣旨を踏み外してます。どんな目的の募金だってそんなの認められません。募金はあくまで自由意志で行われる必要があると思います。私はそういう態度が認められる募金はいかに由緒正しいところがちゃんとやっている募金でも協力しません。

あと、そういう活動がうるさく、うっとおしく感じられるのは、多分にそういう方法でお金を集めるインチキ募金が横行しているからでしょう。

そんなインチキ募金が一切なければ、受ける印象も随分違うと思います。

#ちょっと言いたい放題書きました。m(__)m
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>ただ、そんな状況を作り出したのは一部に気象などの要因もあるけど、何より戦争です。 
 ちょっと、疑問です。もちろん、戦争もそうでしょうが、このような貧困や子供の数の増加は、端的に言えば、
衛生観念と避妊の不備です。
 なぜ、人口が、発展途上国で爆発的に増えているか?
その原因は、先の二つです。
 こんなこと言ってはなんですが、発展途上国は子供を数人は死にます。しかし、先進国が衛生という考えを持ってきて、子供は死ななくなりました。それだけみれば大変結構だけど、今度は、子供が死なないのにこれまでどおり子供は生むから人口は増える。だから、衛生をもたらしたら、避妊も教える必要があったのです。避妊をしないから、人口は増えているのです。
 そういうとこにも、先進国のエゴを感じますね。
医者とかが先進国からやってきて、人を救うはいいが、それがこんな形で影響がでるとは。
 シュバイツアーは、正しいことをしたんでしょうかね?
あと、キリスト教は基本的に避妊は、禁じているでしょ?
これも、キリスト以外に独自の宗教持っている集団には余計な御世話ですよね。

 僕も言いたい放題書きました、回答どうもです。

お礼日時:2001/09/26 01:52

ん~、難しいですね。


「人間の価値は平等である」って理念は、ずっと昔からささやかれていますが、その理念が継続して実現されたことは、少ないんじゃないかと思います。

時々テレビで放映されるような「みんなが平等な」ごく小さな村落もあるにはあるでしょうが、ある程度まとまった数の人間が集まってしまうと、「人の価値」を平等にすることは出来ないんじゃないかと思います。
(一人でも『俺は特別』だって思ってしまうと、平等じゃなくなってしまいますからね。小さな村落では、そういった異端分子を追放することによって村の秩序を維持していけるのかもしれませんが…)


「人の価値とは不平等なものである」という理念に関しては、有史以来様々な国家で実践されてきましたね。
例えばイスラム系の方々は男尊女卑があたりまえの世界に住んでいますし、そうでなくても貧富の差があるのがあたりまえなのが、人の世界です。
「人は不平等なもの」である社会のほうが圧倒的多数なんですよね。

ですが、私たち日本人は、「人間の価値は平等である」ってタイプの教育を受けて育ちます。そして、それを信じて育ってしまった人間が、自分の受けた教育とそれに相反する現実とのギャップに悩んでしまうんです。
私も常々「なんか間違ってる」って感じてしまいますが…
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 僕も「人は、みんな平等」とか「争いはいけない」とか
「人間、だれでも努力すればなんでもできる」とか教育現場で聞いてきた言葉聞くと、「違うぞ」って思います。
 最近は、争いはいけないから、運動会はダンスだけで終わりにするとこあるみたいですね。
  
 わたしも、こういうの「なんか間違ってる」と感じます。
 回答どうもです。 
 

お礼日時:2001/09/26 01:59

akariloveさん、こんばんは。



私も常々募金活動には不快感を持っていました。
子供っぽい考え方かもしれませんが、街を歩く人達に何十人もの人をさいて募金を呼びかけるよりも、その時間どこかでみんなで働いたほうが得る金額は大きいと思います。また、その職場で自分が働いてる目的を同僚に説明し、実際に働く姿を見せて、募金を募ったほうが良いのではないか?と思っています。
極端な話ですが、支援者の中の女性に全て風俗で働いてもらえば、結構な金額になるんじゃないんですかねぇ?

また人の命は平等ですが、価値が違うんだと思っています。男性より女性、女性より子供。または貧乏より金持ち、発展途上国民より先進国民。
社会的地位が高い人(ある程度の期間だけ愛想良く頭を下げ、握手を勝手にしていく一部の職業は高いとは思いませんが)の命はやはり価値があるものなんです。
これは今の世界のあり方なので仕方が無いことだと思います。できればそういう方達が(一部の職業はなおさら)、相対的に見て価値が低いと思われる人達を助けてくれれば良いんですけどね。どうやら自分の価値を下げない事でいっぱいいっぱいのようです・・・(もちろんそうでは無い方もたくさんいらっしゃることを知っていますが)

話がだいぶそれましたが、「募金」というシステムではなくあくまでも、まず支援者を集め、その支援者の方達からの「応援金」で手術なりをしたほうがいい、と思います。

最後に・・・募金を装って、金を騙し取るような連中は刑罰はもちろん、社会的制裁を加えて、二度とお日様を見ながら歩けないようにしなくていけない、と思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 なかなか、過激な回答ありがとうございます。
たしかに、僕の実家はそんなに人口少ないし、あんなとこで募金やるんなら、新宿なり、池袋とかでやったほうが金銭的には効率がいいとおもいます。
 たしかに、そんなことやるなら、風俗やれよって感じました。「ムーランルージュ」とかで働けやとか思います。
あんたのかわいいお口は募金の呼びかけでなく、違うことにつかいなさい、って感じです。女の子も募金呼びかけてましたからねー。
 
 あと、僕も募金で詐欺するやからは僕も、ゴビ砂漠にでも飛ばしちぇばいいと思います。それと、やっぱり募金やっている人ってなんか信用できないです。
 秋葉原とかで、募金よびかけている人いますよね?署名とか。どう考えても風貌が怪しい人とかいるじゃないですか?なんか昔のサヨク団体みたいな。オルグされてるとちゃう?って思います。
 
 あの人達にこそ「救いの手を」って感じますね。
いや手遅れかも・・・

 それでは、回答どうもです。
 

お礼日時:2001/09/26 02:12

募金活動とは文字通りお金を集めることですが、同時にそうした問題があるということを広く世間にアピールするという意味もあります。



まあ、確かにその心臓移植の数千万をアフリカの子どもたちのワクチンに使えば、より多くの人命を救うことができるでしょう。でも、そのアフリカの子の命とひきかえに心臓移植を非難するのでは、結局「命」を区別していることにならないでしょうか。
結局、その論法でいけば、「じゃあなぜあなたはその不条理を感じているのに、PCの前に座って書き込みなんかしているの?そのPCを直ぐに売り払って、途上国の子どもたちを救うべきでしょう」ということになりますね。

ところで、「人の命は平等」というのは間違いなく「真理」です。
ただ、他の方もおっしゃるように、決して「平等」とはいえないですよね。むしろ、私たちの存在、何不自由ない先進国の裕福な人間が、その不平等を作っているとさえ言えるでしょう。

世界の2/3は、一日2ドル以下で生活しているそうです。
世界の圧倒的多数は、「命の平等」など考えるヒマもなく死んでいくのです。

ただ、このような不条理があるということを、一人でも多くが認識するだけでも、世界は変わると思うのですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「じゃあなぜあなたはその不条理を感じているのに、PCの前に座って書き込みなんかしているの?そのPCを直ぐに売り払って、途上国の子どもたちを救うべきでしょう」ということになりますね。
 なんか、蝉問答みたいですが、それいうと「それは、あなたも同じこと」です。
 ぼくも、確かにキーボード打ちながら虚しくなりました。確かに、そうですが、しかし、先進国の人間も今の生活下げようとしない。したら、経済マヒします。現在の世界の体制は、発展途上国を犠牲にし、先進国が豊かさを享受してます。そういうどうしようもない事態になっていることを、多くの人は認識してほしいです。
 青年海外協力隊とかにいますよね。「発展途上国の貧困撲滅」のために海外行くとか。でも、結局先進国のエゴ知って絶望して帰国するやうも多いと聞きます。
 倫理的にはどうあれ、正しい世界認識をして欲しいですね。
 
 それでは、回答どうもです。

お礼日時:2001/09/26 02:22

私も押し売りのような募金行為に頭にきたことがあります。



でも、自分にとって、より大事な人を救いたいと思うのは当然のことだと思います。自分と苦楽を共にする人に対しては、そういう気持ちは大きいでしょうし、そうでなくても、自分自身に余力があれば、自分の価値基準に従って他人に手を差し伸べることはできるでしょう。そして、それは人としては間違っていない不平等なのだろうと思っています。

国家としては、何らかの価値基準を持った上での命の平等を実践するべきだとは思うのですが、それができたとしても、先進国と途上国では医療の格差は大きいでしょう。日本人という言葉に代表されるような仲間意識がある以上、それは仕方のない事ですが、国の境がなくなってしまえば、平等の道が見えてくるかもしれません。宗教にしても言語にしても問題は多いですが、長い時間をかければ不可能ではない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 私も、募金活動全般に疑問を感じています。特に街中でやっているのは怪しく感じます。
 以前、秋葉原で募金をやっている人の近くにいたんですよ。そこが待ち合わせの場所だからしかたなく。当然ぼくも声をかけられてが無視しましたが。
 それで、その募金活動を見てたんですよ。そしたら、いかにも、引っかかりそうなヤツに的を絞って声かけているんですよ。他にも、地方から来た修学旅行生とかに。地方の人ってああゆうのに引っかかっちゃうからどんどんシブシブ募金してたような・・・
 一番腹立ったのは、信号待ちしている人に募金呼びかけるヤツ・・・
 そういう光景って結構他でも見るんですよ。原宿とかでも。なんか、募金の効率的やりかたみたいな研修受けていると違いますかね?
 あれじゃ、キャッチセールスと変わらんと思います。
>人としては間違っていない不平等
 なかなか、含蓄ある言葉です。パラドクスですが、立派な真実です。でも、これって身近な言葉で置きかえると家族愛ですか?今回の募金を例に取るとそうなりますな。
 家族にとっては、「家族を守りたい」この気持ちに尽きると思います。しかし、問題はそれを請けとめる周りです。家族愛は美しいが人間とは、一面でエゴイスティックな存在なのだ。という事実もどこかで伝えるべきだと思います。
 そういうことが「人として間違ってない不平等」をより深く考えるきっかけになると思います。

 回答どうもです。
 

お礼日時:2001/09/26 02:44

募金そのものや、活動内容ではなく、


akariloveさんは、その人たちの「唯一、これが正義なのだ」という態度に
不快感を持ったのでは?
世の中、100人の人間がいれば、100通りの正義が存在すると
私は思っています。
一つの事象を信じきってしまうと、他のことに目が向かなくなります。
挙句には「その正義を信じること」が目的となってしまい、
そもそもの主旨も忘れてしまいがちです。
行為に酔ってしまうのですね。
価値観の同一は美しいかもしれませんが、恐ろしいことでもあります。
歴史を振り返るまでもなく、
現在の世界情勢が、それを証明しています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>100人の人間がいれば、100通りの正義が存在すると私は思っています。
 
 おっしゃる通りです。私は法律を勉強しておりますが、法律もそういう考えは強くあります。例えば、ドイツ語で「レヒト」って言葉がありますが、これは「権利」を意味すると共に「法律」をも意味します。
 つまり、われこそが権利でありそれが法律、それこそが
正義なんだという個人主義からの発想がここに現れてます。しかし、その正義同士をいかにパビリックな視点にするかという思想も西欧社会にはあります。
 社会ってそういう正義のぶつかり合いだと思います。
だから、自分達を絶対善と思うなよと思います。
 小林よしのりの「脱生議論」ではないが、なんかああゆうボランティアやっている人って自分は「純粋まっすぐ君」と勘違いしている感じがする。それで、なお始末に負えないのは、そういう活動にこそ、自分のレゾンデートルを感じていることです。絶対善と自分の存在価値がしっかり結びついている構図ができちゃったのです。
 あれじゃ、精神構造では、テロと変わらないような気が。通行妨害テロです。なんか、寒いテロだ。
 
 某国会議員が自分のホームページで今回のテロについて「ざまーみろ」ということを書いたのを御存知ですか?その方のいる党は、アメリカとは一線を置いているところですが、自分の価値観に酔い周りが見えないとはこういうことですかね?
 
 それでは、回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/26 03:05

お仕着せのボランティアや募金には腹が立ちますが、誰かの為に「何かをしよう」と思う気持ちまでも否定はできないと思います。

実際、何千万かのお金で我が子が救えるなら、私もなりふり構わないと思います。押し付けだろうとなんだろうとやってしまうと思います。それは、否定できません。

骨髄移植のドナーの中には、適合していても「麻酔事故」の説明で、最終的に断念されてしまう方もいると聞いたことがあります。でも、誰にもその人に自分の命をかけてその人を救えということはできないです。ボランティアというのは、あくまでも「自発的に行うもの」(言葉どおりですが)ですから、個人が押し付けに思うなら、それに賛同する必要はないと思います。

命の重さなんて平等じゃないですよ。どうしたって、自分に近しい人から重くなるんです。それは、エゴと言われても仕方ないと思います。私は、どうしたって通りすがりの人と自分の家族では、自分の家族の命のほうが大切です。だけど、自分のできる範疇で助けることのできる人がいるなら、それは、できる限りしたいと思います。別に、それは個人の意思ですればいいことだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ボランティアは自発的ということは知ってますが、あの通行妨害するかのごとく、大声でやるのは、強制的に募金を募っているのではないかとも思います。

>命の重さなんて平等じゃないですよ。
 僕だって、平等とかそんなきれいごと信じてませんよ。ただ、このボランンティア呼びかけたのマスコミでしょ?
その、同じマスコミが「宇宙船地球号」とかやってると無性にはらたつんですよ。
 結局、世の中フィクションだなーって。歴史って英語でhistoryっていうけどストーリーだなーってね。
 特にマスコミなんかスポンサー料の方が募金よりすごいし、そっちの方が高い金動くわけでしょ?24時間テレビで募金呼びかけてたけど、スポンサー料よこせって思います。結局今の世の中は、不幸も消費の対象なのよね。ってことですか。
 そういうことを、どっかで呼びかけて欲しいです。

 特に、マスコミは、なんかきれいごとばっかいっている感じしますし、人間は美しいみたいなことばっかいいますな。人間なんて心に悪魔抱えて生きているんだし、それといかにうまく付き合うかがエゴを調整して、世の中を多少はよくする方向に向かわせるんじゃないかと思います。なんか、そういう悪魔が人間に無い、人間は無邪気な存在って前提で世の中を映しているのに腹立ちます。

 それでは、回答どうもです。

お礼日時:2001/09/26 03:25

「人の命は平等」という問題ではなく、「生き延びる機会は不平等」という問題のような気がします。


 それを自分の人生をかけてまで平等化しようというほどの熱意は、今のところわたしは感じておりません。自分の平安の方を優先してます。
 それから言えば募金活動は、世間のわずかな熱意をかきあつめる行為のようにも思えます。
 募金は、ときどきします。心に響いたぶんだけ、お財布の中身にパーセンテージで響くかんじでしょうか。
 感情をお金に変える……実に、自由経済にふさわしい光景のようにも思えます。

 はっきりした回答というわけでなくて申し訳なく思いますが、こういう見方もあるかと思い、書かせていただきました。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「人の命は平等」という問題ではなく、「生き延びる機会は不平等」という問題のような気がします。
 
 うーむ、なんか新鮮です。なんか、こちらも御礼の返事に窮します。なんか、サバイバルです。(そのまんま)
 僕も、世の中を平等にしたいとかそんな野望もありません。むしろ、不平等の方がおもしろいとか感じます。
 
 差別論かもしれませんが、今の変な平等社会なんとかしてくれよっておもいます。自分が弱者ヅラして全然弱者じゃないヤツいっぱいいますね。女性という弱者を装い権利主張ばかりする某評論家とか。そういうのを冷徹に見ぬく目がほしいです。

>感情をお金に変える……実に、自由経済にふさわしい光景のようにも思えます。

 シュールです。実に。確かに、募金は契約(贈与契約)ですから、契約自由の原則を貫いてます。取引の一環と思うと、強制的募金光景を見ても、心が休まります。

 なんか、面白い視点での回答ですね。
 どうも、ありがとうございました。
 

お礼日時:2001/09/26 03:38

>  差別論かもしれませんが、今の変な平等社会なんとかしてくれよっておもいます。

自分が弱者ヅラして全然弱者じゃないヤツいっぱいいますね。女性という弱者を装い権利主張ばかりする某評論家とか。そういうのを冷徹に見ぬく目がほしいです。

 ちょっと本題から脱線のようですが、コメントつけさせていただきます(笑)
 既にかなりの方面で是正が進んだものと、いまだ未解決の激しい差別問題とは同列には論じかねます。

 どのような価値観も相応の背景で成立していることにはある程度の敬意を払うべきとは感じますが、あまりにも不平等が行き過ぎれば反動が出るのも時代の流れの一部と思います。
 また、平等化が行き過ぎれば当然のようにその反動もあるでしょう。行き過ぎた保護は、本来の成長を妨げたりもします。

 女性の権利の主張については、わたしには「時々ありがたい」というところでしょうか。
 かばわれている側にとって日頃そのありがたみが薄れたり感じられなくなるというのは、それこそ「差別撤廃」を叫んだ方々の闘いがある程度の成果をおさめた結果だと思えば、闘士の皆様に頭が下がる思いです。が。。
 その方々の本来の理想が、ただ「差別」を言い訳にしている些末な事柄などへのハエたたきみたいに使われるとしたら、少し痛々しい気もします。(ちょっと言い過ぎ?)

 あと、わたしが差別問題の闘士の方々を決して「時代の遺物」扱いしたいのではないことも付け加えておきます。
 まだまだ妙なところに奇妙な形で、いわれなき差別は確かに残っているのですから。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>その方々の本来の理想が、ただ「差別」を言い訳にしている些末な事柄などへのハエたたきみたいに使われるとしたら、少し痛々しい気もします。
 竹中大臣が述べてましたが「日本ほど、本当の弱者が差別されている国はない。弱者を装い、利益を得ている方から、既得権を奪うのだ」というようなことおっしゃってました。ほんとうにその通りです。
 日本では、正直言っておおっぴらな差別は無くなったと思います。むしろ、今は差別をわざわざ発掘しているのだ、って言う意見あります。そうしないと、反差別団体の存在意義がないから。
 ちょうど、冷戦が終結して、かつての左翼団体が、やることなくなって従軍慰安婦問題とかとりあげたように・・・
 僕は、大学のころ、元朝鮮人の女性の先生が「差別とか、いろいろあるけど、今ある環境でせーいっぱいやることが大切だ」みたいなこと言ってました。本当にその通りだと思います。
 
 再び、主旨とはずれましたが、再度の回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/09/27 01:00

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!