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日本も戦争に参加しました。
原子爆弾を落とされ、結果降伏しました。

アメリカや中国、ロシアなどが対戦した冷戦や世界大戦の際、日本はどのような状況だったのでしょうか
今のパレスチナとか、ウクライナのようにインフラも武器も食糧もないという時代だったのでしょうか

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A 回答 (7件)

大戦は、その時代を背景にしたテレビや映画など見て自分なりに想像するしか無いと思います。


冷戦時代の日本は、朝鮮戦争特需もあり、大戦の復興を成し遂げ、再び世界の大国になった時代です。
要するに、G7の仲間入りが大きな事ではないでしょうか?
アメリカ大統領のトランプが若い時代の商売敵は中国ではなく、日本だったと思います。
また、日本国内においても歌番組が毎日あったような気がします。その中でも週間ランキングによる「ザ・トップテン」は人気番組でした。毎週10位内にノミネートされた歌手をスタジオに招き、その場で歌ったり、スタジオに来れないゲストは他の場所で生中継で歌ったり、毎週2〜3曲の演歌がランクインしていた時代(昭和50年から60年頃)でした。80年代アイドル、バンドブーム、アニメブーム、また、外国から様々なジャンルの洋曲、洋画もディスコ曲も大流行でした。
後は、「ジャバゆきさん」と呼ばれた大量のフィリピン女性が日本各地の夜の街を潤ませてました。当時のフィリピンの公用語はフィリピン語ではく、英語でした。日本のスケベ男子は下心満載で目の前のフィリピン女性と英語の練習していたのではないでしょうか?
SONYも「世界のSONY」と呼ばれ、外国人の多くはSONYを日本の企業との認識は少なかったようです。
そのようなに、冷戦時代の一方では、ジャパニーズドリームのような時代だったと思います。
防衛面に関して、ソ連が北海道に上陸するかも知れない等の噂が絶えませんでした。
現在の中国による尖閣問題に似てます。
自衛隊では、特に陸自ですが、北方重視として、北海道に戦力を集中し、陸自の最新装備は必ず北海道から配置されていました。
日本唯一の戦車連隊が北海道にあります。
ソ連軍によるスクランブル発進は、現在の中国軍機によるスクランブル発進と同様に暇無くさせられていました。
また、日本ではないが、外国で「キューバ危機」と呼ばれる事件がありました。
核兵器戦争に突入する一歩前で、事無き終えましたが、その時点から核兵器保持によって、戦争抑止効果が完全に無くなってしまいました。
米ソの代理戦争や紛争などが世界各地で勃発するようになり、
核兵器は使えない兵器と呼ぶようになったのです。
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大戦と冷戦はいまや小中の歴史の授業でやります。

興味があるなら「日本の歴史」的な漫画がいくつもでているので探してみてください
なおパレスチナは「ナチスによるユダヤ人のような扱い(虐殺)」、ウクライナは「日本による中国のような状態(侵略)」みたいな感じです
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>>アメリカや中国、ロシアなどが対戦した冷戦や世界大戦の際、日本はどのような状況だったのでしょうか



大東亜戦争の前後の日本については、いろんな映画やアニメ、ドキュメンタリーニュース等で描かれていますので、それらをごらんになったらいいと思います。
この戦争中の一般庶民の生活なら、アニメ「この世界の片隅に」や、追加シーンを加えた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」がお勧めです。
後者は、追加シーンや物語の深化によって、すずの人間性や成長、周作との関係など、より深く物語を理解することができます。

また、戦後に作られた映画「独立愚連隊」と続編の「独立愚連隊西へ」は、日本版西部劇で、活劇とコメディの要素が加わっているとはいえ、戦争に対するイメージが少し分かるのではないかと思います。
作中に登場する慰安婦と日本軍人の楽しそうな関係は、リアルを反映したものでしょう。

原爆については、広島の「広島平和記念資料館」を訪れるのがいいと思います。原爆の悲惨さが良く分かります。

>>今のパレスチナとか、ウクライナのようにインフラも武器も食糧もないという時代だったのでしょうか

冷戦中は、前の回答にあるように、日本の高度成長期でした。映画でいえば「三丁目の夕日」の世界ですね。貧しさの中からしだいにバブルの繁栄と移行していく時代でした。そして、冷戦ってことで、スパイがらみの作品が大ヒットしていました。英国スパイの007ものとか、「0011ナポレオン・ソロ」とか。そして、作品中に登場する銃のモデルガンが飛ぶように売れた時代でもありました。

そしてベトナム戦争とその反対運動、さらに安保闘争もあって、若い方たちは政治に大きな関心を持っていた時代でした。(私も大学で左翼思想の強い教授の主催する勉強会で共産主義思想を学んでいた記憶があります)
佐藤首相訪米阻止闘争では、中核派・解放派等を中心とした武闘派が、佐藤首相の訪米を実力阻止すべく、東京の蒲田駅に結集し、ゲバルト棒や火炎瓶で武装した行動隊を東京国際空港に送り込んだものです。女性の逮捕者は246人を数えたそうですし、死者も出しました。
この後、連合赤軍の浅間山荘事件、テルアビブ空港乱射事件、三菱重工爆破事件が続くことになります。

余談ですが、浅間山荘事件の影響により、ライフル銃所持規制が厳しくなり、それが影響してハンターが減少して、最近の熊騒動が発生するようになりました。
22口径という小口径ライフルの威力は、機動隊が想定したよりも凄かったということかもしれません。
事件中、機動隊員が寒空の下で食べるカップラーメンの映像で売れるようになったとか。
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両親とも原爆被爆者で、父親の方は、原爆が落ちた当日に、まだ、子どもだったためか、判断力が乏しく、動かなくなった列車を降りて、歩いて兵器工場へ出勤しようとして、原爆落下中心地を歩いているわけで、地獄のような惨状を見ているはずですが、その状況を話すことは、結局亡くなるまで一度もありませんでした。


原爆の爆風でガラスが粉々になって、自分に降り注ぐなか、先に来た閃光のときに、瞬間的に伏せて難を逃れたことは、自慢気に何度も話していましたけど。
おそらく、感受性が強い思春期に、あまりにも地獄のような光景を見たために、自分の精神を守ろうと、とにかく、忘れることに務めて、おそらく、私が聞いた頃には覚えてなかったのではないかと思います。
はっきり言って、戦争体験は、両親の精神状態に、大きな傷をつけることになり、その影響は、息子である私にも影響していることは間違いないと思います。
戦争の悲惨な経験は、一世代では終わらないのです。このことは、アウシュヴィッツを経験した世代が、報道のなかで証言していました。

冷戦の時代は、私は子どもだったこともあって、知識が乏しく、恐怖を感じることはありませんでした。
大阪万博では、アメリカ館とソ連館が、共に当時の最先端技術であった宇宙ロケットを展示して、とくにソ連館は、レプリカではなくて、本物を展示することで、アメリカ館の中心的な展示物の月の石に対抗していて、互いに競い合っていて、その裏に隠された意味など全く知らずに、無邪気に喜んで見ていた世代です。
日本国内は、全くの平和と思われた時代でしたが、これは、私が子どもで知識が乏しかっただけではなく、苦い第二次世界大戦の経験から、反戦、平和主義を貫く者たちが、政権を担う自民党の政治家のなかにも多かった時代で、アメリカに抵抗して、朝鮮戦争やベトナム戦争に参戦することが無かったことが、平和をもたらしていたと思っています。
現代は、その真逆とも言える時代になり、平和を維持するには、どのような姿勢、行動、思想が求められるのか、もう一度、過去に学んで、考え直すことが必要な時代になったと感じています。
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生まれた頃に冷戦が始まって10ねんほど経過していた還暦世代の爺さんですが、


 日本は戦後の貧しい時代から高度成長期に向かう時期で、豊かとは言えないけど、今に比べれば格差の無い、みんながほんの少しづつ平等に貧乏という体感でしょうか。

 ただアメリカやソ連(現在のロシア)、中国などが盛んに核実験を行って軍事力を誇示していて、大規模な戦争が起きるんじゃないかとか、核実験の放射能で地球が汚染されるんじゃないかとか、小学生でもそんな危機感がありましたよ。
 また、冷戦下の東西対立の中で、現在のロシアがウクライナに侵攻したように、おおきな軍事力を有していたソ連が北海道に侵攻するのではないかという危機感も漂っていて、こどもたちにも、テレビや新聞のニュースを通じてなんとなく大人が感じている危機感が伝わってくる感じでした。
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戦後の生まれですが、団塊の世代よりも後の生まれです。

戦後の混乱からは一段落ついた状態でしたが、食べ物や着るものはまだ贅沢できなかったです。肉が食卓に乗るのは月に1~2回で超ごちそうでした。肉と言えばクジラの肉は割と食べました。卵は病気したときとか遠足の時しか食べられませんでした。小学校低学年の頃には周りに鼻たれ小僧がいました。タンパク質不足で成るそうです。幸い私はそうじゃなかったです。小学校も高学年になって鼻たれ小僧は見かけなくなりました。
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世界大戦は生きてないし、生きた人ももうかなり少ないかと。



冷戦は、その頃日本は既に最先端の国で好景気だったし、対岸の火事って感じで人ごとだった。
まぁ日本にとってよその国のことは常にほぼ人ごとですが。
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