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もし日本がハルノートの要求を認めてアメリカのいう通りにしていれば

その後の日本は、どうなっていたでしょうか?

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A 回答 (6件)

やっときゃ良かった、日本は余裕で生活できる、樺太半分カニ食い放題、刺し身食い放題、過ぎたるは親ばザルが如し、戦犯裁判をもう一度やるしか無い。

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ハルノートが提示された頃の日本政府は、すでに対米英開戦することを決定して大きく動いている。


それを止める条件のつもりで日本側から提示した甲案乙案のいずれかを米国が飲んだのならともかく、日本側がハルノートの要求を全部認めても動き出した勢いは止められない。
(中央政府がそれを止められるのなら、惰性で戦線を延々広げていった日中戦争をどこかで止めている)
そういう状況で日本政府がハルノートを受け入れたとしても、日本国内で暴動やクーデターが起こって大変なことになる。
実際、日露戦争講和の際にはその条件に抗議して大規模暴動が起こっているし、アホほど酷い目に遭った後の太平洋戦争終戦時にもクーデターを起こして戦争を継続しようとする動きがあった。
真珠湾攻撃艦隊がヒトカップ湾を出撃したのはハルノートが日本側に提示される前日なので、そいつらが中央政府の意向を無視して作戦通りの行動をとる可能性だってある。

そこから先はそれらの混乱がどのように収拾されるかによるので、どうなるかは判らない。
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アメリカとの戦争を回避できた可能性が高くなったでしょう。


それによって対米石油禁輸が解除されていた場合、経済的に持ち直すことができたでしょう。
ソ連との対立や中国との戦線の縮小短縮によって、人的・物的損害が軽減していた可能性があります。

一方、日本の軍部・国粋主義勢力の強硬な反発が起こり、クーデターが起きていた可能性があります。
また、満州や中国での既得権益の放棄により、国内で政権が維持できない可能性があります。
「国体護持」が危ういということになり、昭和天皇の権威や統治体制に不安が生じたかもしれません。

総じていえることはすべてそうなる可能性が生じるだけで、ハル・ノートの要求を日本が全面的に受け入れた場合に、アメリカが本当に制裁を解除し、平和的関係を回復させる意思があったかどうかは、歴史的には確定できません。

歴史は、「もし〜だったら(if history)」という仮定に基づく推論に慎重であるべきとされています。その理由は当時の人物たちは未来が見えなかった中で決断しています。資料には「その時点での予測」しか書かれておらず、結果論で「こうすればよかった」と言うのは公平ではないです。ハル・ノートの真の意図(アメリカが交渉の余地を残していたか、もともと戦争を覚悟していたか)も、今なお論争があります。

「ハル・ノートの要求を受け入れていれば戦争は防げた」という見方は一つの可能性にすぎず、確定的に「こうなったはずだ」とは言えないのが歴史的な見解においてのバランスある立場といえます。
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ハルノート要求に感情的に反発し開戦したのは幼稚の極み。

正解は放置ですね。アメリカは日本が先に武力行使するのを待っていた。それを仕掛けたのがハルノート。
アメリカから先に武力行使はしないでしょう。でも日本近海に艦隊を遊弋させて圧迫。
どちらにしても国力差があります。中国共産党と組んで国民党を潰す。中国で安定的な満洲国を作って長期戦ですね。
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どっちにしても開戦していたと思います。


なにせ、日本よりもアメリカのほうが対日戦争をしたかったからです。日本は嵌められた、という視点は必要です。

ただ、日本が「なんとかして戦争を回避するために、しつこく交渉を続けていた」なら、開戦しても結果が違った可能性はあります。

そもそも山本五十六の考えでは「対米戦争は良く持って2年、できれば1年で決着をつけて講和すべき」だったからです。実際4年も戦争した上で日本は負けてしまうわけです。

敗戦した一番大きな理由は「当時の軍部と日本政府に出口戦略が無かった」からです。開戦前の御前会議でも「いつ、どうやって、どのような条件になれば講和交渉をするのか?」という議論がありません。

また講和のためには仲介してくれる国が必要ですが、胴も日本は「ソ連にお願いする」予定だったようで、当時の日本政府の情報戦の弱さを如実に表していると言えます。

だから「勝ち戦、または引き分けで講和する出口戦略」を持たずに真珠湾攻撃して大敗したのです。

もし「ハルノートの交渉が決裂しても、さらに粘り腰で次の交渉を引き出す胆力」が日本側にあったなら、開戦したとしても終戦の方向性は違っていたでしょう。

とはいえ、もし日本が「少なくとも負けなかった未来線」があるなら、日本は現在でも敗戦しない(または敗戦してもある程度有利な)形で残り、たとえば朝鮮半島と台湾、そして北方四島は失っていないし、満州への権益も残した未来だったかもしれません。

その場合、欧米列強の植民地支配も残ることになるので、今のような「民族自決による自由貿易の社会」はかなり遅れていたと思います。
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要求を呑むなんてありえないので、その仮説は成り立たないと思います。



質問者様は第二次世界大戦の結果を知ったうえでの質問なので、吞まない場合という仮説を考えようとしていますが、「ハルノートの要求を呑む=明治維新以降の日中、日ロ戦争のような近代戦争の結果を全てなかったこととし、得た領土、権益をすべて手放す」という話なので、呑めないですね。

呑んだら内閣総辞職、国賊として殺されるでしょうね。
世論が認めないでしょうし、当時の雰囲気からして、到底受け入れられる内容ではなかったと思います。
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