
先祖調査をしています。
明治初期で、県跨ぎで養子に渡す例というのが、考え得るものなのか質問です。
調べているのは、明治18年に佐藤家から養子に渡された安東家です。
→佐藤家についてはすでに判明しています。安東家がわからず、探しています。
私は安東といいます。なので安東家の戸籍は全て取りました。
そこで唯一頼りになるのは、一番最古の除籍簿の前戸主欄に記載の『安東直治』の名前のみです。
最古の除籍簿の本籍地から佐藤家の本籍地になっているため、安東家がどこの家なのか一切分からずです。
→安東家、佐藤家がいます。
明治18年に佐藤家から安東家に養子に渡しました。
佐藤家は、秋田市内の村で、江戸時代中は寺子屋をやっていた郷士格の家柄です。
明治12年には当主の方が秋田県会議員に当選しています。
養子に入った側の安東家が今まで不明でした。
最近、岩手県奥州市内の村にて、戸籍の前戸主欄にあった『安東直治』の名前を発見。
安東直治の弟、安東黙斎は、教育家で、塾を開いた儒学者です。
明治11年に岩手県会議員に当選しています。
安東家は、伊達藩の一門格に代々仕えた武士(陪臣)の家系です。
安東直治、安東黙斎、共に、武士の分限帳にて、名前がありました。
よく、養子のやり取りをする際には、お互いの家の格が大体同じ、似たもの同士という認識があります。
郷士と陪臣、どちらも教育家、校長先生にも同じ明治の初期に両家から輩出されています。
また、安東直治の三男=阿部四郎の情報が確認できていて、彼は明治16年12月に亡くなっています。
佐藤家から安東家に養子入りしたのは明治18年5月です。
安東直治の後継であった四郎がなくなり、明治18年に佐藤家から養子が渡されたか!?なんて考えていました。
色々と書きましたが、場所以外は全て辻褄が合うような気がしています。
唯一引っかかるのは、岩手県と秋田県で、両者は高速を使い2時間という距離感。
また、安東直治の後継に、安東黙斎の子供(黙斎には男子2名がいます。片方は黙斎の家を継ぎ、もう片方は別家に婿養子入りしています。)などがなればよかったんじゃ?とも思い、同姓同名の阿部直治であり、うちとは関係ないのかなとも思っていました。
ここまで長く書いたのですが、こういう県跨ぎでの養子のやり取りというのが妥当なのか、もし何かこのことでなくても、
読んでいてコメントいただける方いましたら、ご教示願いたいです。

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A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
江戸時代でさえ藩跨ぎや遠方からの養子なんてありましたから、明治初期に「無い」と断言するのは無籍にです。
全然あり得ることです。江戸時代にも、意外と遠方の下々の者同士で、学問や趣味の子弟同門関係で繋がりを持っています。そういう伝手を辿って養子を迎えることは普通にありました。
No.4
- 回答日時:
明治に戸籍制度ができる前は、お寺がそれと似た様な役割をしていました。
過去帳というものがあるのでそれを調べていただくしかありません。ただし表や図のように系統的に書いてあるわけでは無いので、大変面倒な作業になります。>岩手県と秋田県で、両者は高速を使い2時間という距離感
とのことですが、岩手と秋田の間には標高900m近くもある高い峠を越す必要がありました。当時は馬車か徒歩で、当然鉄道や高速道はありません。国道のトンネルができたのは1970年代の半ばです。
No.3
- 回答日時:
直接の回答ではないのですが、地元のなるべく大きい図書館で質問してみてはどうでしょう。
図書館には「レファレンス」という業務があり、利用者の疑問を解決するための本を紹介してくれます。
自館の資料で解決しない場合は、他館に問い合わせたりなどもしてくれます。
下記は国会図書館の記事です。
https://www.ndl.go.jp/jp/use/reference/index.html
全国の図書館のレファレンスデータベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/
No.2
- 回答日時:
> 読んでいてコメントいただける方いましたら、
先祖調査をなさるお気持ちが分かるような、分からないような、微妙です。
よほどの家系の場合には系図のようなものがあるでしょうが、私の直系ではサッパリわかりません。伯父が調べまくったようですが、ダメだったようです。系図がある場合でも、偽造?や隠蔽?も多くて、事実はハッキリしないことが多いのでしょう。天皇の系図に関してでもいろいろ言われるくらいです。江戸期以降の系図で養子関係が明瞭確実なものは、とても少ないのだろうと思います。 家を継ぐことが重要だったり、家格を得ることが重要だったりで、ずいぶんと養子関係は多かったようですが、記録には直系のように残すのが普通でしょう。 武士の場合には、江戸詰のような制度もあって、藩籍では居住の本拠は判明しません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7 …
医師や学者などの場合でも、家系ではある地方の者となっていても、活躍地は異なることもあるでしょうし、そこで養子縁組をすれば、遠隔地の者と縁組したようになってしまうでしょうが、実際には人物をある程度見ての縁組の申し入れでしょう。
もちろん、大名家であれば一族の間で遠隔地で人物を実際には当たらなくても縁組みしたケースも多いと思います。いわゆる名家で全国的にも知名度がある場合には、姻戚や系図上の関係をとることが重要なので、個別人物の資質などは重要ではないからです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D …
幕末から明治に掛けては戦乱もあったし、有力層が先祖伝来の地域ではない言わば彼らの一族にとっての新天地に活動の場をえることも増えたのです。
明治の東京での活動者の多くは地方出身者です。地方の県でも、その地方の出身者のみで政治行政や経済を盛ったのではなく、移住者も少しは混じっていたでしょう。学制や殖産興業となれば、当然のことです。
それでも、家制度は強く社会にありましたから、継嗣問題は重要で、あちこちで養子、婿養子は大量に起きていたと思います。
元武士、士族というのも、そこそこに養子には関係していたでしょう。学制と徴兵制、学校と軍と企業が勢いを示す重要なものでしたので、こうした関係者であれば、養子が多くなることも多いと思います。
東京に出て活躍の場を得たいというのもあって、拠り所・拠点を得るために縁を頼り、場合によっては養子にもなるということもあったようです。
http://www.nitobe.jp/inazo/index.html
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