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友達から
「価値観の違いは認められるべきよね!?」
と、言われたのですが、どう答えたら良いと思いますか?

価値観の違う人の存在を認めるというのは、わかるのですが、違った価値観そのものを、全て受け入れるというのであれば、そういうことは、所詮無理なことのようにも思います。受け入れられない=心が狭いことなのでしょうか?

A 回答 (8件)

価値観が違うのですから、全てを受け入れるのは無理だと思います。

だからそれがすぐに「心が狭い」ことに繋がるとは思いませんよ!

大事なのは「そういう人もいるんだ」と価値観が違う人がいる事実を「認識」することだと思います。決して自分の価値観を押し付けたり、相手の価値観を否定したりすることはしてはいけないと思います。それこそが「心が狭い」ことに繋がるのでは、と思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「事実の認識」だけでいいなら、私もわかるのですが。

お礼日時:2005/06/12 10:31

価値観の違いを受け入れると言うよりも、自分と違う価値観の人の考え方も「そう言う考え方もあるんだ」と認めるという事が大切では無いでしょうか?お互いにちがいを認め合うということでは無いでしょうか。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
違いを認め合うのはあまりに当然のことのように思うのですが。

お礼日時:2005/06/12 10:29

『受け入れる』ではなく、『受け止める』ということだと思います。


相手の価値観を自分のものにする必要はありませんが、そういう考えもある、と認めることは、相手の人格を尊重する上で必要だと思います。
大変なのは、コンセンサス(意見の一致)を得なければならなくなった時です。
お互い主張したり譲り合ったり、という、“違った価値観同士をすり合わせる”作業が生じた時は大変ですよね。
そこで“人の懐の深さ”が出るということではないでしょうか?
ちなみに、そのお友達の発言は、どういった話の流れで出てきたのでしょうか?
かなり抽象的な疑問ですよね?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうなんです。かなり抽象的です。
私が何か答えようとすると・・・・
「だ~か~らっ!認められるべきでしょ!」
ってな、具合で・・・・

お礼日時:2005/06/12 10:26

 こんにちは。


 難しい問題だと思います。人はそれぞれに価値観が違うものです(逆に、同じだと怖いと思いませんか?)
 例えば、Bさんは車が大好きで、いくらお金をかけてもかまわないと思っている。旅行に行ってお金を使うより、車にお金をかけたいと思っている。Cさんは、車は雨、風がしのげればいいと思っている。旅行に行って、異文化に触れるのが大好きだとします。
 この二人が、お互いが好きなことを一緒にしようとすると、どちらかが妥協しなければできません。
 BさんとCさんのお互いの価値観の違いを受け入れるのは、無理だと思いますが、お互い(どちらか)が妥協してこのような考え方もあるのかと理解すればいいのではないでしょうか。
 価値観の違う人の思想を受け入れようとすることに無理があり、どちらかの歩みよりを「価値観の違いを受け入れる」と理解すれば、いいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
本当ですね!
同じだと怖いです。

お礼日時:2005/06/12 10:24

こんにちわ。

私も#1さんや#2さんと同じ意見です。
主人と話していて「意見の相違」「価値観の違い」でぶつかる事が多少なりともあります。
そうゆう時私の方が若干感情的になってしまう事があり主人にはいつも「自分と同じ考え方の人間ばかりいないのだから相手の意見も受け入れる事だけは出来ないとダメ。自分の意見ばかり押し付けるのは絶対いけない」と。世の中これだけ多くの人で溢れ返っているのですから意見の相違なんて山程ありますよね。
文面の上では貴方と友達との間の雰囲気や言葉の起伏が解らないので難しいですが友達は恐らく「価値観の違う人の存在も認めないとね」と言う意味で言ったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「価値観の違う人の存在も認めないとね」と言う意味で言ったのなら、私もわかるのですが・・・・

お礼日時:2005/06/12 10:23

>価値観の違う人の存在を認めるというのは、わかるのですが、


*おっしゃる通り、この言葉で必要なことは全て満たされていると思います。

「価値観の違いを認める」
というのは、あなたの言っているように、
「価値観の違う人の存在を認める」
ということだと私も思います。

「>違った価値観そのものを、全て受け入れる」
ということは、文面通りの意味で言えば多重人格者でなければ不可能なので、
「違った価値観そのものを、受け入れる」という場合について考えてみると、これは
「今まで自分の持っていた価値観を、その違った価値観と置き換えて自分のものにする」
という事になると思います。自分が新たに出会った、あるいは見出した価値観を自分のものとするのは、個人の自由でしょう。
しかし、やはり元の価値観の方が自分は正しいと思えば、別に置き換える必要もない。これも個人の自由なわけです。結局、新たな価値観を受け入れなければ心が狭いのでもないし、受け入れたからといって心が広いという事にはなりません。どちらにしても、自分がそうしたいからした、というだけの話です。

それを無理やり強制的に置き換えさせようとする事は、「価値観の違う人の存在を認めていない」事になるので、結果として「価値観の違いを認めていない」事になると思います。

蛇足ですが「価値観の違いを認める」という事を平たくまとめてみると、自分(あるいは自分達)とちょっと違った考え方をする人や、ちょっと違う行動をとる人、又はちょっと異質と感じる物を、自分に何の危害が及ぶ心配も無いのに、嫌悪したり、排斥したりしないという事になると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「見出した価値観を自分のものとするのは、個人の自由」ですよね!
 蛇足の部分も、納得です!

お礼日時:2005/06/12 10:21

「価値観の違い」は、


認める・認めない、受け入れる・受け入れない、に関わらず、
厳然と存在するものです。
国や宗教が違えば、それこそ埋められない溝はぱっくり口を広げてる。

とりあえず、その事実は認識しとかないと、あぶないよね。
自分が生きていくうえでさ。

で、その「違い」をどうするかは、
その「違う人」とどうしたいかによって、決まるんじゃないの?

付き合いたいのか、どうでもいいのか。
無視できるのか、できないのか。

で、付き合いが必要だとしても、
「溝」は埋めないまま行くのか、なるべく埋めるように行くのか、
それは、その状況によって違うだろうしね。

そういう問題ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「溝」を埋めるという考え方が嬉しいです。
今後、彼女が同じ台詞を言ったら、(これまで3回も言われた^^;)
 そういう風に話してみます。

お礼日時:2005/06/12 10:16

 この場合、「認める」のは違う考え方が存在するという事実であり、その内容は別問題ではないでしょうか。



 自分の知識の範疇から外れたことに対し、それが目の前に存在するのにかかわらず「ありえねー」と否定してしまう人も最近多いようです。でも、それは逃げているに過ぎないわけで。

 そういうことがあることを認めた上で、どう対応していくかを考える必要があるといういことではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
「認める」のは違う考え方が存在するという事実というのは、私にもわかるのです。対応の必要性もわかります。でも、彼女の言ってるニュアンスとちょっと違うので・・・

お礼日時:2005/06/12 10:12

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