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十手を持った岡引・目明しって地方の藩にもいたのでしたっけ?

A 回答 (3件)

地方の藩にも目明しは存在していたようです。


どこでもかどうかは判りませんが、「高山彦九郎北行日記」に奥羽地方を旅行した時、目明しの経営する宿を紹介され宿泊した旨記載があり、仙台藩には浅草宇一郎という目明しの侠客(今で言う地方名士)がいて宿屋を経営していたようです。
当時よそ者は警戒する風習で情報を得やすいという便宜もあったのかもしれません。

岡山藩の渋染一揆に関する(1856年)記録にも差別について強訴が起こった際目明しに嘆願状を託して訴えでた旨の記載があります。

萩藩でも牢屋の監視役を目明しから選抜して任用したようです。
  URL参照

江戸の目明し制度を模倣したのかも知れませんが治安対策として有用であったのでしょう。
どのような者を選任したかは各藩で異なるようですが武士以外の身分からの選任という点は共通でした。
犯罪人が他領に逃げ込んだ場合、他領の目明しと連絡を取り合い追求することもありました。
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この回答へのお礼

事例までもありがとうございます。

お礼日時:2005/06/13 20:34

いません。

江戸幕府直轄の領地である天領と
藩の領土とでは司法制度が異なります。
幕府の司法権は藩のなかに及びません。
岡っ引き、目明しは、江戸時代、
放火・盗賊その他の罪人を捕えるため、
与力・同心の配下で働いた者で
多くは以前軽い罪を犯した者から採用されました。
藩内では藩士が治安の維持や警察活動を行い、
強力な自治組織があり、人の行き来を厳しく監視していたので
犯罪はあまり起こりませんでした。
天領のなかは逆に警察力が弱く治安がわるかったので
犯罪はそういったところで集中しています。
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この回答へのお礼

理論的解説ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/13 20:32

岡引を管理・監督する同心が幕臣ですので、地方の藩にはいないような気がします。


ちなみに、同心は江戸の他、遠国奉行の配下にも存在しましたので、岡引もいたようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/13 20:28

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