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この間、「津軽と南部は何故仲が悪い??」で質問したものです。
一戸~九戸+久慈市が南部藩だったわけですが、廃藩置県で青森県と岩手県に分けたわけです。
当然、風習も言葉も違うわけですが、「イカの水揚げ世界クラス」の南部が「りんご生産日本一」の津軽に馬鹿にされたような扱いを受けるのはどうかと思うのです。

どうやら津軽の人たちは謝る気配もないようで。

「2ちゃんねる」のサイトで、津軽を別の県にしたらどうだとか、南部を岩手に返したらどうかなど意見が出てたのですが、実際のところこういうことは可能なのでしょうか?

A 回答 (3件)

まぁ可能かどうかというだけなら「可能」です。



島崎藤村の故郷として有名だった「長野県の山口村」は越境合併で現在は「岐阜県の中津川市」になってますんで。

※ ただし、人員、産業、用地などあらゆる面で損害をこうむる「青森県が許可する」かどうかが問題ですが・・・・。  (岩手県は大喜びでしょうけど)
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確かに、青森県東部のいわゆる「南部」は歴史的にも心情的にも岩手県にちかいようですね。


古い話ですが、1962(昭和37)年に制定された新産業都市建設促進法に基づき、南部の中心都市の八戸が新産業都市に立候補する際も、当時の八戸市長は青森県庁ではなくかつての宗家である盛岡市の岩手県庁に真っ先に陳情し、盛岡側もこれに応え、同じく立候補を予定していた岩手県の一関市を立候補させず八戸支持に回ったのは有名な話です。

しかし、いまさら南部を岩手に帰属させるというのはちと無理かと思います。No1さんお書きの越境合併で変更するには広すぎます。

むしろ道州制の導入で県を消滅させる方が早いのではないでしょうか。
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そもそも 津軽と南部の問題は 奥州討伐に幕府が動いた際に 今の岩手 南部地方の豪族は幕府に対して戦をするしか選択の余地がなかったわけです。


ところが 幕府は攻めても攻めても一向に南部の民は屈指なかったんです。その時 幕府と戦してる時に 津軽に幕府側につかないことや共に戦う約束をしておきながら 戦で戦況が悪くなったら 津軽衆は 寝返りはしないまでも助けを求めたのに 幕府に恐れをなして 津軽衆は 南部衆を見捨てたのに 端を発しているんです。
私は そう理解してます。だから 今でも南部衆は仲がいいです。
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