中村光夫著「日本の近代小説」で、
森鴎外の「舞姫」という作品が本当に提出した問題は、二葉亭四迷の「浮雲」が提出した問題の裏面をなす、とあるのですが、共にどういう問題を指しているのでしょうか。意見を聞かせてください。

A 回答 (2件)

『日本の近代小説』が見つからず、


中村光夫の土俵にそのままのっかるのも癪に障るので

太田豊太郎は内海文三と同じく、結論がなかなかでないウダウダ思考タイプである。しかし、結末は、太田豊太郎の方がずっと重症にもかかわらず、対照的な本田昇のようにちゃっかり出世してしまう。
一方、文三は破滅の道。主人公の行く末は違えども、流れているのは、目覚めたての近代、つまり「倫理と現実」という苦悩。ちゃっかり調和が表、破滅が裏。この流れは、現代へ続き、どっかの知事さんや市谷での自殺者へ子孫を残す。
--
共に、頭のちと軽い女と遊んで、使い捨て、出世したり破滅したり。そんなんで倫理と苦悩?(^ー^)
最後は斉藤美奈子になってしまいましたが、『~近代小説』を私なりのに翻訳してみました。
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この回答へのお礼

早速のお答えありがとうございます。倫理と現実の間で揺れる苦悩、ですか。そういえば、どちらも似たタイプであるのに結末は正反対ですものね。現代への系譜という話にもなるほどと唸りました。参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/09 02:39

文語体を貫き通そうとした鴎外(後に口語体に移行)の代表作である「舞姫」、そこから新しい可能性として見出されたのが言文一致の運動であり、その旗手の一人として二葉亭四迷(ほかに坪内逍遥、山田美妙などがいた)が「浮雲」を著した。


つまり、文語体というこれまでの文学表現方法を維持しつづけようとした鴎外の「舞姫」に内在した既存の表現方法の限界という問題は、新しい二葉亭四迷の「浮雲」によって口語体として展開されうるように見えたが、口語体自体が理念としての長物であって、四迷らが考えるような革命的な刷新を得られなかったという問題に繋がっていく、そういうことだと思います。
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この回答へのお礼

文語体と口語体という表現方法の見地からのご意見ですね。確かに、文語体に拘った「舞姫」と、口語体という新しい表現を取り入れようとした「浮雲」という対比関係はあって然るべきですね。こちらも参考にさせて頂きます。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/11 18:06

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Q二葉亭四迷『浮雲』について

二葉亭四迷の『浮雲』の「はしがき」でわからないところがいくつかあります。簡単に意味を教えてください。

「薔薇の花は頭に咲いて活人は絵となる世の中」
「三宝荒神さま」
「始末にゆかぬ浮雲めが」
「黒白も分かぬ烏夜玉(うばたま)のやみらみっちゃな小説・・・」
などです。

あと、この小説で、わかりやすく注や解説が載ってるものがあれば教えてください。
わたしの持ってるのは昭和40年の岩波文庫で注釈はありません。普通小説は注釈なんてないんでしょうけど、勉強不足なんで・・・。

よろしくお願いします。

http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/futabatei/ukigumo.htm

Aベストアンサー

二葉亭四迷にはちょっと興味があるのですが、あまりきちんと調べていないので、以下は推測の域を出ません。ご質問の趣旨を外していたら、申し訳ありません。

「薔薇の花は頭に咲いて活人は絵となる世の中」
『浮雲』発表は、明治20年ですね。19年から「活人画」という催しが行われて、評判を呼んだそうです。「活人画」とは生きている人間が衣装を着けて、静止画の場面を構成するもののようです。このとき薔薇の花を頭に挿していた女性がいたのではないかと思われます。

http://med.main.teikyo-u.ac.jp/lab/kasahara/baelz19.htm

「三宝荒神さま」
坪内逍遥と三宝荒神に何かかかわりがあるかと思ったのですが、わかりませんでした。単に「神様仏様」みたいな、何かにすがる表現にすぎないのかもしれません。

「始末にゆかぬ浮雲めが」
「黒白も分かぬ烏夜玉(うばたま)のやみらみっちゃな小説・・・」
自分の小説がなかなか思うように行かず、何がなにやらわからぬものになった、と謙遜しているだけでは? 「浮雲」は実際の雲と小説のタイトルをかけているのでしょうし、「烏夜玉の闇」と「やみらみっちゃ」(これは今だと問題になりそうな表現ですね)をかけていると思われます。

『浮雲』はかなり昔に読んだのですが、わりとすらすらと何も考えずに読んでしまいました。本文は、それほど難しくなかったような印象があります。

二葉亭四迷にはちょっと興味があるのですが、あまりきちんと調べていないので、以下は推測の域を出ません。ご質問の趣旨を外していたら、申し訳ありません。

「薔薇の花は頭に咲いて活人は絵となる世の中」
『浮雲』発表は、明治20年ですね。19年から「活人画」という催しが行われて、評判を呼んだそうです。「活人画」とは生きている人間が衣装を着けて、静止画の場面を構成するもののようです。このとき薔薇の花を頭に挿していた女性がいたのではないかと思われます。

http://med.main.teikyo-u.ac.j...続きを読む

Q森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よ

森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供が宿っている。豊太郎としては傍にいたかったであろう事は想像に難くありません。まさに『究極の選択』を描いた問題作とも言えるでしょう。また、作家でもあり医者でもあった鴎外だからこそ、このエリスの救い様の無い悲劇を表現できたとも思えます。この作品は、豊太郎は、結果、愛するエリスよりも仕事をとり、相沢は二人の仲を引き裂き、エリスには悲劇しか残らなかった、という三人の環境を取り巻く要素を心理的に複雑に絡め、豊太郎の「この世に相沢よりも友人と呼べる人間はいない。しかし、彼に対し憎悪の感情がある事もまた事実だ」という人間が誰でも持ち得ている「煩悶」を見事に導き出す鴎外の複雑な思いを描いたものと言えるでしょう。時代背景を考えても、敢えて国際恋愛の難しさを描写した鴎外。エリスは、その現実に対し何を感じたのでしょうか。

(594文字、句読点を含む)

下手な文章ですが、こんな感じで如何です?

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供...続きを読む

Q浮雲について

傑作であるとの評価のある「浮雲」ですが、その理由は敗戦後にさまざまな恋愛遍歴をし、その描写、男に振り回されながらも一途に愛を貫いた高峰さんの演技なのでしょうか?それともその時代としては内容が斬新だったのでしょうか?冷静にそれらを排除して観ると、ただの浮気男の物語としか思えないのですが、傑作と言われる理由を教えていただけないでしょうか?
それであれば私としては「肉体の門」のほうが傑作と思うのですが・・

Aベストアンサー

ANo.1です。
luune21さん、訂正ありがとうございます。「放浪記」と間違えてしまいました。

ついでに回答も補足。

たとえば「やっぱり世界のクロサワが最高」と言われても私は一貫して小品を手掛けた小津安二郎の方が好きです。でも同じ「偉大なるマンネリズム」と言われた寅さんシリーズはなぜか名作に挙がらないのはなんで?と思いますね、個人的には。

ひとたび名作となると、名作と思わないまでも一応抑えておく、つもりで観たり、自分的には疑問でも、「世界がそういうならきっと名作なのだろう」というステレオタイプに陥ることもありえるかなと思います。その心理がさらに名作を評価し続けていくのかもしれません。
たとえば「アカデミー賞」。この「箔」は俳優生命に影響するほどのものですが、作品にとってはその質を「壊す」基準にもなりかねません。

つまりどういうタイプの話を作れば売れるか。
例えばお涙頂戴映画を作るのなら涙腺を刺激するためのパターンが簡単に用意されやすいように、打算で作られたものは何となく読めてしまいます。
たとえばある高名な評論家がおっしゃってたのですが、「自分は障害者をテーマにした映画は好きではない」と。いわゆる弱者と呼ばれている人を「模倣」すれば、アカデミー賞候補的演技として成立しやすい。例えば「レインマン」のダスティン・ホフマンは主演男優賞をとったけれど、予定調和的で好ましくないですね。私は無意識的に隠された差別であると考えます。

逆に観客に考えさせるような映画も名作とは思えません(私的には)。例えばタルコフスキーとか(考えさせる前に眠ってしまう)。「2001年宇宙の旅」も「傑作、いや難解」という評価が分かれましたし。
でも両監督の監督としての特質を考えると下個心としてはやっていないような気がします。むしろキューブリックの強迫観念を考えると、映画はいつも自分のためで、賞という不純は最初から排除されていたのではないかなとも思いますね。スピルバーグもこういうタイプなのでは。
つまり、評価という結果があとからついてきた⇒論争が生じた=単純に名作としたくないため⇒結果として名作となった。という流れで「名作」が作られる過程もあると思います。

でも最近の資源の無駄にしかならないようなハリウッド映画のあまりにもの商業主義的映画は、3月(アカデミー賞授賞式)にあわせて製作、公開している「狙った」映画もあります。そういう裏を知ると多少がっかりしますね。またアカデミー賞の対象を西欧圏だけで集めて、アジアの名作や傑作を「外国語映画賞」として括るシステムも、名作を自ら遠ざけているとも思います。

また原作の方が名作なのにと思える「名作」もあります。
そのひとつが「風と共に去りぬ」だと思うのです。長編になればなるほど端折る必要もでてきます。それが原作ファンを怒らせる原因にもなって・・・。でも「風」も「ハリウッドの金字塔」と言われていますよね。原作のファンである私はちょっと納得いかないのですけれど。でも原作の登場人物のイメージがまんま、絵的に動的に登場していたわけです。そんなエピソードも名作と言われる要素なのでしょうか。

いわゆるB級やカルトといわれているものにも名作はありますし、いや、そういうカテゴリ分けされているからこそB級の意義があるのかもしれません。多くの人の目に触れられてない存在の限りで自分の世界が守られる。それはたとえば売れないアイドルを応援していたのに、ある日誰もが知るスターになってしまったファンの寂しさ、というイメージでしょうか。「名作・傑作」がメジャーになるがゆえに「B級」に陥るという皮肉もその条件のひとつかもしれません。

あくまでも「名作」は主観だと思います。私の場合「浮雲」については辛口ですがそれも主観ということで(笑)。

ANo.1です。
luune21さん、訂正ありがとうございます。「放浪記」と間違えてしまいました。

ついでに回答も補足。

たとえば「やっぱり世界のクロサワが最高」と言われても私は一貫して小品を手掛けた小津安二郎の方が好きです。でも同じ「偉大なるマンネリズム」と言われた寅さんシリーズはなぜか名作に挙がらないのはなんで?と思いますね、個人的には。

ひとたび名作となると、名作と思わないまでも一応抑えておく、つもりで観たり、自分的には疑問でも、「世界がそういうならきっと名作なのだろう」...続きを読む

Q森鴎外の舞姫について質問です。

森鴎外の舞姫について質問です。
「朝に戸を開けば飢ゑ凍えし雀の落ちて死にたるも哀れなり」という部分があります。
ここで一体何を表現しようとしているのか理解できません。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000102/files/538_20593.html ここには
本篇一○頁上段に「表てのみは一面に氷りて朝に戸を開けば飢ゑ凍(こゞ)えし雀の落ちて死にたるも哀れなり云々」の語あるを以ツて人或は独乙は温かき生血を有する動物が凍死する程寒威(かんゐ)凛烈(りんれつ)の国なるやと疑ふものあり。然れども独乙には実際寒威其者よりも寧(むし)ろ氷雪の為めに飼料を求むる能はざるが為めに飢死する小動物ありと聞く。著者の冬期を景状せしは増飾の虚言にあらずして実際なり。故(ゆゑ)に一言以つて著者の為めに弁護するものなり。 
とありますが、当時のドイツ、豊太郎、エリス、雀を関連づけて説明いただけないでしょうか?

Aベストアンサー

 一応精読してみましたが、そこは単にとても寒いということを表現しているだけで、それ以上の意味はありません。
 石橋忍月の指摘も、ドイツは本当に雀が凍死するほど寒いのかを検証しているに過ぎず、重要な箇所だと認識しているわけではないですし。

 たとえば、雀がエリスの末路を暗示している、などとしたいのであれば、エリスと雀のイメージが重なるような文章が入っていなければなりませんが、そういう箇所はありません。
 そもそもエリスは死んでいないわけで、飢え死にした雀と関連付けようとすること自体が難しいんですよね。篭の中の鳥と関連するならまだわかりますが。

 鳥関係の描写を探すと、「こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。」というのがありますが、ここはどちらかというと「大臣の信用は屋上の禽の如くなりしが」からの繋がりで鳥と言っているだけで、該当箇所とは関連しそうにありません。禽と雀のイメージでは重なりようがないですし。

 つまりその箇所は、作品にとって特に重要な描写ではない、ということです。にも関わらず、これだけしつこく寒いことを強調しているところを見ると、森鴎外には相当ドイツの冬の寒さが堪えたのだろうなあ、と想像できる程度のことですね。

 一応精読してみましたが、そこは単にとても寒いということを表現しているだけで、それ以上の意味はありません。
 石橋忍月の指摘も、ドイツは本当に雀が凍死するほど寒いのかを検証しているに過ぎず、重要な箇所だと認識しているわけではないですし。

 たとえば、雀がエリスの末路を暗示している、などとしたいのであれば、エリスと雀のイメージが重なるような文章が入っていなければなりませんが、そういう箇所はありません。
 そもそもエリスは死んでいないわけで、飢え死にした雀と関連付けようとするこ...続きを読む

Q東京事変のギター

東京事変の浮雲さんと林檎さんがステージで使っているギターはどこのメーカーのものですか?

ご存知の方お願いします。

Aベストアンサー

浮雲
-「Vox社ファントム」のコピーモデル
-Fender社テレキャスター
など

林檎
-Duesenberg Starplayer TV
-Gibson RD
など

Q森鴎外 舞姫

テレビで舞姫の映画の放送がありました。(郷ひろみ主演)
高校の時授業で習い、なつかしくって見てしまいました。
確か舞姫は森鴎外自身をモデルに書かれたと習いました。
映画では子供は流産したことになってましたが、小説では出産したことになってたとおもいます。
その子供ってどうなったんでしょうか?
なんかすごく気になってしまって‥。
ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

http://homepage3.nifty.com/ne/kk/kk-kaiho/kk-2007/2007-61/p-12.html
いろんな人がいろんなことを言ってますね。

Q近代文学について

二葉亭四迷 浮雲
樋口一葉  十三夜
泉鏡花   高野聖
の簡単な解説を教えて下さい。
また、高野聖は入れ子式構造という語りの視点らしいのですが入れ子式構造とはどういうことなのですか?

Aベストアンサー

浮雲については下記URL

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E9%9B%B2

Q森鴎外「舞姫」の言葉について

僕は日本文学を勉強しています。
「舞姫」の中の分からないことについて、皆さんにお伺いしたいと思います。

#1 豊太郎は寺の前にエリスと出会った時
「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人は、却りて力を借し易きこともあらん。」
この「外人(よそびと)」は、外国人を指しますか、それともエリスと関係のない人を意味しますか。

#2 二人はエリスの家に帰る時
人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯あり。
こちらの「人の見るが厭はしさに」の主語は豊太郎ですか、それともエリスですか。

#3 エリスは家に豊太郎に話す時
「彼(「ヰクトリア」座の座頭)が抱へとなりしより、早や二年なれば、事なく我等を助けんと思ひしに、人の憂に付けこみて、身勝手なるいひ掛けせんとは。」
この「身勝手」は、一体どんなことを指しますか。これをきっかけにエリスを自分のものにしたがることですか、それともただエリスの願いを断ることですか。

読んでいただいて、誠にありがとうございます。
皆さんの回答をお待ちしています。お願いします。

僕は日本文学を勉強しています。
「舞姫」の中の分からないことについて、皆さんにお伺いしたいと思います。

#1 豊太郎は寺の前にエリスと出会った時
「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人は、却りて力を借し易きこともあらん。」
この「外人(よそびと)」は、外国人を指しますか、それともエリスと関係のない人を意味しますか。

#2 二人はエリスの家に帰る時
人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯あり。
こちらの「人の見るが...続きを読む

Aベストアンサー

#1
門外漢・外人すなわち豊太郎のことです。
#2
連文節として全体が次の文にかかるので、エリスのことです。
#3
ヰクトリア」座の座頭であるシャウムベルヒがエリスの窮状に
つけこんで言い寄って来たことです。

Q柴崎コウの・・・

柴崎コウの『浮雲』という曲名は何と読むのでしょうか。
「ふうん」?「うきぐも」?どっちでしょうか。
教えてください。

Aベストアンサー

「浮雲」はそのまま読めば「うきぐも」です。「ふうん」と入力しても「浮雲」と変換されますが、あまり「ふうん」とは言わないのでは?

因みに”柴崎”は”柴咲”です。

↓のサイトで試聴出来ます。

アルバム持っていないので、他の読み方(当て字的な読み方)でしたらすみません。昔、”はぐれぐも”と読ませていた作家もいました。

参考URL:http://www.universal-music.co.jp/shibasaki/special/index.html

Q森鴎外の「舞姫」の本文について

自筆された「舞姫」と
本(雑誌)になっている「舞姫」とで
意味が違ってくると聞いたのですが
それはなぜですか?


どなたか詳しい方おしえてください(;_;)
また「舞姫」について詳しく載っているサイトなどありましたらよろしくおねがいします

Aベストアンサー

 自筆の写真がありましたが、不鮮明で読めませんでした。
 確かに出版の本はみな、残れる、となっていますね。
 どういう事情でこの違いが生じたのかわかりませんが、
 残りし、とすると、意志としての意味もが生じますね。
 選択したのだという意味もでてきますね。

 残れる だとそれがないようにも取れますね。つまり結果の状態をいうという側面性ですね。
 私は鴎外の独言的な文章ですので、残りし が自然であり適当でると思います。
 一度活字にしてしまうと、その誤りがそのまま踏襲されてきたのだと存じます。
 鴎外は大目に看過しておいたのでしょう。
 しかし原(げん もと)の筆が大事だと存じます。
 やはり雰囲気と感じが自筆といわれる文章の方がいいと存じます。
 55年前の読書でも、残れる となっているのを読みました。
 誤植だったのですね。


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