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コンピュータが進化してあらゆることが可能になったとして、人間はコンピュータに心を持たせうるのでしょうか?
そのとき人間とロボットの区別はなにでできるんですか?
そもそも人間の心って特別なものなんですか?
考えるといろいろとわかりません。一緒に考えてくれませんか?

A 回答 (51件中21~30件)

#25>そんな日は来るんですか?


脳の神経細胞のシミュレートは、なかなか良いところいってると思いますよ。外界との"刺激"との接続(インターフェース)はどうするかは、さておくとしても、細胞に比べて、機械的な"神経細胞"というのは、今のところかさばりすぎるということです。
大量の年々縮小化、大容量化することを思えば、そう遠くない未来には、外付けの脳(ビルの1フロアぐらいの大きさのもの)ぐらいはできそうに思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そんな日が来るんですかね。
驚きです。

お礼日時:2005/07/20 00:07

あらためて考えてみたんですけど、我々にとって存在するものは、所詮「心」だけなんですよね。

「心」以外のものがあるなんていうのは、単なる便宜的なアイデアに過ぎない。

だから、ロボットなんかは、「心」の中の小さな部分事象に過ぎない。ロボットが「心」を持つと言う事は、部分が全体を包含するということになるから論理矛盾ですね。

ということで、結論は、「ロボットは心を持つことは出来ません」です。

なんか議論を変な方向へ持って行ってしまい済みませんです。
平にお許しを..... m(。-_-。)m ゴメンナサイ
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この回答へのお礼

おもしろい考えですね。全ての事象が心であるという考えにいたった経緯をお教え願えますか?

お礼日時:2005/07/20 00:02

心を神や魂などと関連付けて考えるのであれば、心理学ではなく哲学ですね。

カテゴリー違いのような気が…。
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この回答へのお礼

そこをなんとか心理学の範囲で語りたいのです。

お礼日時:2005/07/19 23:56

そういう意味では私は心は特別なものだとは考えません。



ニーチェが神の死亡を確認していますから。
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この回答へのお礼

議論が哲学の方向に完全に流れていますね。
まあそうなんでしょうね。
うーーん。なんか私はまだ考えてしまいますね。

お礼日時:2005/07/19 13:01

No20kaitaradouです。

(認識)主体というものは認識の対象にならないからこそ主体でいられるということです。人間は言葉で主体などと表現しているので主体も認識の対象にできると錯覚してしまいます。主体というものは客体からの情報によって変更されては存在できません。主体を客体として扱おうとすると主体は変更されてしまいますから、主体の客体化は原理的に禁止されているはずです。しかし主体の存在を認識することは可能です。このことが自我意識(=自己同一性の認識)を可能にしています。しかし主体そのものの分析的認識は不可能であることには変わりがありません。別の表現をすれば主体が客体化されてしまえば認識の自覚そのものが存在の根拠を失ってしまいます。これは暗闇とは何かを光を当てて調べるようなものです。コンピュータにわけの分からない回路を作ってそこに心があるとすればよいと言うのはこういう意味です。すなわち心があるコンピュータとは欠陥製品のことだと思います。
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この回答へのお礼

丁寧な説明有り難うございます。私なりに理解したつもりです。

そろそろまとめたいのですが、なんとかなりませんかねこの質問。

お礼日時:2005/07/19 13:04

>心はやっぱり特別ななにかなんでしょうか?



特別な何かとは何でしょう?
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この回答へのお礼

うーーん難しいですね。
あえていえば神のような物理世界では説明のつかない現象を統べてひっくるめて特別なと付けたつもりなんですが、、、
自分でも曖昧で申し訳ないと思う次第です。
があえていえば神ですかね。

お礼日時:2005/07/19 12:07

私は高度なプログラム = 心 だとおもいます。


人間のする行動は一般的に言えば限られていると思います。
それを樹形図のようにプログラミングしていけば可能だと思います。
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この回答へのお礼

行動主義ですね。でもそれって限界がありませんか?

お礼日時:2005/07/19 10:50

もし、人間の心(脳)の働きが完全に解析できて、それを、機械的なものでシミュレートすることができるということになったら、


その時ロボットは心を持っているということになるでしょう。
その場合、人間の心とロボットの心は実質区別がつきません。(組成はちがうにしても)

もし、心というものを人間の心のシミュレートに頼らない方法で実現しようとするなら、言わば別の進化をたどった動物のように(例えば犬にも心があるとするような)、やはり心を持つということになろうかと思いますが、
その場合は、人間の心と同種のものかどうは判別がし難いということになろうかと思います。その場合、そもそもそれを心というのかどうかというところがまず問題になるような気がします。(言ってみれば何らかの反応を示すようなものでも心があるということにもなるかと思います)
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この回答へのお礼

>もし、人間の心(脳)の働きが完全に解析できて、そ>れを、機械的なものでシミュレートすることができる>ということになったら

そんな日は来るんですか?
そこも実は結構知りたいところです。
もしお分かりでしたら教えて下さい。

私の直感では来ない、です。

お礼日時:2005/07/19 11:02

#10です


>自分が自分であるという意識は心の根幹にかかわってくると思うんですが、
>それはロボットには持ちうるのですかね?

 どうでしょう。
 仮にロボットではなくとも、記憶を共有し、体の部品を取り替える事ができる。思い出となる傷でさえ、そのまま受け継がせる事ができる生命体が、自分が自分であると認識するのか。もし「自分達である」と認識するとしたら、ロボットの場合、人型と動物型で服の違いや車の違いといった以上のこだわりを持つのかどうか・・・
 人間は電話で話すのと手紙を交わすのと直接会うのとでは感じが違いますが、根幹は同じです。ネットワークの媒介としてのロボットには自分を自分であると定義する必要性が存在しませんから・・・

 「持ちうるか」というのが現実性ではなく、ただの可能性としてであれば可能であると思います。上記の要件を満たさず、パーツは修理に出しても交換はしない。同型機が見た映像も表現されたものを視覚を通して認識しなければならない。そんな唯一性や孤独を与えれば、自己を定義する必要が得られるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
では仮に可能性がみたされた場合。

クオリアも機械に生じると考えていいのでしょうか?
そこの点が分ると面白いです。

また可能性がみたされる日は来るのですか?
私は来ないのでは無いかと思っています。

お礼日時:2005/07/19 11:05

例えば知覚の換喩作用なんかどうなんでしょう。



非論理を論理的に処理できるのでしょうか?
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この回答へのお礼

すいません。わかりません。もう少しお話していただけませんか?

お礼日時:2005/07/19 11:06

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