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体罰はどういう理由があってもダメだという理由は分かります
また一切の暴力、また罵声、怒声はダメだということも分かります。

相手が認めてたらいいという例外は今回除きます!
誰しもその場では嫌でしょうから
まずこれが今出されている質問や、過去の質問で探した結果で間違っていないと思います

まず過去や今の質問等からまとめると
・殴ってはいけないので、怒鳴ってもいけない。
・机を叩いたり黒板を叩いてもいけない
・ずっとその場に立たせたり、廊下に立たせたりしてはいけない
・恐怖心を植え付けてはいけない
まとめるとこんな感じのようです

で、これらを元にして

・基本的な人間としての常識、マナーを教えなければならない
・善悪の判断がきちんとつくように指導しなければならない
・授業を受けられるように指導、教育しなければならない
・不真面目な生徒であっても、できるだけ正しい道に進むよう指導しなければならない
・授業妨害を認めるのはもってのほかである
・いじめを容認してはならない
と家庭ではまた少し違うでしょうけど、こういうことのようです

これを時間の区切られた学校生活でできるのでしょうか?
もの凄く疑問なのですが…
だからといって暴力を認めろとか、怒声罵声を認めろって言ってる訳じゃないんです
家庭でもっとしっかりさせて欲しいとか、学校こなければとは思いますが^^;

現実的にこんなこと可能なんですか???
先生がなめられた状態でまともな指導ができるとも思えませんし、
相手を尊重してって確かに分かりますけど時間も限られてるし
なおかつ学校って生徒の数が半端じゃないのに、先生の数って少ないですよね

できれば教師に限りなく近い関係者の方の回答をお待ちしています

A 回答 (2件)

教師に限りなく近い立場ではないのですが、以前、少年野球チームのコーチをしていましたので、多少とも子供との接触が他の人よりは多かったかな、と思っている者です。



ご質問文を拝見しました。  「現実的に可能か?」 というお問い合わせですが、残念ながら 「No」 と言わざるを得ないように思います。

「体罰」 嫌な言葉ですし、 「愛のムチ」 というのも偽善的な印象を受けます。  いずれにしても子供を叩いて言う事をきかせる事に変わりはありません。

つまり恐怖心を利用しているわけです。

従って、体罰 = 非道徳的 = 禁止すべき、という論法が成立するのですが、おっとドッコイ、和やかな雰囲気とか、諭すような言い方とか、そんなノンビリした雰囲気で子供を教育するというのは、私の持論ですが不可能だと思います。

もし今の風潮のように叩くのもいけない、大声で怒鳴るのも悪い、教室の隅で立たせるのも禁止、となれば、あと、教育者のする事はひとつしかありません。

「どんな悪行をしようが、一切叱らないし、強い指導もしない、結果は知らない、自分はしてはいけないという事をしなかっただけ、あとは本人と親の責任 ・・・」 これです。  体罰絶対禁止が社会の風潮になれば、このような教育現場になる事は請け合いです。 

体罰無しで子供が言う事をきいて、すなおな生徒になるのであれば、好きで体罰を与えようとする教育者はいないはずです。

でも考えれば、柔らかい説教だけで 「先生、分かりました。  僕が悪かったです。  もうしません。」 と、すなおに反省できるような子供が本当にいるのであれば、そもそも学校に行く必要などありませんよね。  人間として完成しているのですから、そのまま社会に出ればいいわけです。

でもそんな子供は一体何人いる事やら ・・・

ただ体罰を与える時には絶対必要な事がひとつあります。

教育者側に 「このままではいけない、この子を何とかしてあげたい」 という強い気持ちがなければいけません。  それがなければ単なる暴力になり、叩かれた子供はひねくれるだけです。

それと 「なぜ自分は体罰を与えられたのか」 という理由を自分でハッキリと分からせる事も重要です。

大人の 「腹いせ」 で子供を叩くのは絶対に禁止すべきだと私も思います。
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この回答へのお礼

やっぱり無理ですよねぇ
でもいくら教育者側に何とかしてあげたいという、強い気持ちがあったとしても
叩かれた側が納得しなければ体罰になっちゃうんですよね^^;

ありがとうございました^^

お礼日時:2005/08/28 13:38

引退をして何年にもなる痩せた老齢の相撲の親方が、現役の体力満々の力士を殴る。

そしてその弟子が「うちの親方はこわい」と思う。なぜこんなことが成立するのでしょう。
それは相撲社会全体に「親方は弟子より上の立場にいて、それに従うべきだ」という共通認識があるからです。
同様に教師が「さあ、授業を始めるから静かに席につきなさい」と言ったら、『生徒は従うべきである』という一種のフィクション(共通ルール)が教育には必要なんです。ここで「なぜ先生が座れって言ったからって座らなきゃいけないの?」という類の疑問を全て許容していたら、学校は成り立たないのです。ましてや自ら望んで入学したわけでもなく退学もない、公立の義務教育には不可欠といっていいでしょう。
教師が必ずしも生徒より体力的に優れているわけではないし、ましてや教師をすべて、全生徒から尊敬される人格者で揃えることも不可能でしょう。
とするならば、「学校という場におけるルールには従うべきである」というルールが社会全体において認識されたなら、暴力によらない教育は『成立する可能性がある』と言えると思います。
ではその為に具体的に今どうするべきかは、もう充分長くなっているので別の機会にゆずります。
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この回答へのお礼

相撲の場合は誰も何も言わないですもんね
大人だからって事もあるでしょうけど…

学校ではもう言うことを聞かないことが子供のルールになりつつあるのかもしれないですね
その方がカッコいいとか…

ありがとうございました^^

お礼日時:2005/08/28 13:39

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