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みなさんは、異文化理解とはどういうものだと想いますか?また、どのように異文化理解をとらえるべきだと想いますか?
私は、文化を形成している過程も重視し理解する事が大切だと想っています。また、宗教、人種、地域性からみた異文化理解も紛争が起こらないようにする上で理解するべきだと想っています。
他に、つけくわえたらいいと想う意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (3件)

私の個人的見解ですが、


文化というものは、国籍、人種、宗教のように大別されるものだけでなく、男女、年齢、更には個人で異なるものだと思います。
ですから、異文化理解の為に必要なことは、自分の固定観念や先入観を取っ払って、『各々に違うのだ。それが当たり前だ。』と言うことを受けとめる。(これが結構難しいけど)その上で、自分の意見を、違った文化を持つ個人や社会に対して理解してもらえるよう、表現することが必要だと考えています。そのようにして人は共生していくべきだと。
 ただ、いきなり世界中手を繋いでわかちあおうなんて、正直無理ですよね。ですから、まずは身近な人とから理解すること。特に苦手だと思っている人の考え方に耳を傾け理解しようと努めることっていうのは必要だと考えます。
 
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異文化を理解するには大いなる痛みが伴いますし、説明がそのつどありませんので、忍耐と寛容、想像力と理解力などが求められます。



仮にあまり親しいと感じていない人から名前を呼び捨てにされたらどうでしょうか。道を聞こうとしたら追い払われたらいかがでしょうか。しかしある文化では親しい人は呼び捨てにするのが普通であり、追い払うしぐさは実はこちらにいらっしゃいというジェスチャの場合があります。

ご自分の感覚を疑ってみること、自分は間違っているかもしれないという謙虚さと、相手に対する寛容な心が無いと早とちりとなってしまいます。
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異文化理解とは簡単に言えば「互いに違いを認め合う」ことです。

この世にスタンダードはひとつしかないというようなアメリカの言動は異文化理解からほど遠いものだと思います。

異文化理解のために相手の国(国民)の歴史や文化を学ぶことは重要ですが絶対条件ではありません。身近な例をあげれば秋田県の人が鹿児島県のことをほとんど知らなくても、鹿児島県人と素直に問題なく付き合える、これは意識せずにお互いに違いを認め合っているからです。

このように国家が違っても他を認めるのは庶民にとって難しいことではないと思いますが国家レベルになれば歴史、宗教、覇権などがからんで複雑になってきます。国家は教育と関連してくるので庶民に影響を与えます。日本に関して言えば教育が異文化理解を妨げているとは思いませんが、重視しているとも思えません。もっと異文化理解のチャンスを与える教育が必要だと考えます。日本のおかれた地勢的な位置を考えれば欧米以上にそのような教育が必要だと思います。
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