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鬼の角は1本だったり、2本だったりするような気がします
どういう違いがあるか、わかる方がいたら教えてください

A 回答 (10件)

こないだ笑っていいともで鬼の由来を言っていたのですが、鬼門の丑寅の方角から「牛の角に虎柄のパンツ」のイメージが鬼となったそうです。



それからいくと本来は2本なのかなと思います。
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この回答へのお礼

そうすると、1本はありえないのかな・・・???

ありがとうございました

お礼日時:2005/09/14 09:16

今まで考えたこともなかった質問でした。

言われてみると角一本の男鬼と角二本の女鬼の間には何本の角を持った子鬼が生まれるのかが気になりました。
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この回答へのお礼

でしょでしょ~~~
それとか、赤鬼と青鬼の間の子供だったら、紫ですかね~

お礼日時:2005/09/14 09:17

中国伝来の節分行事・追儺式で鬼を追い払う主役を方相氏と呼びますが、この姿が赤い顔に4つの黄金の目、一本の角。

一本角の「鬼」は聖なる存在でした。
神社の前にある狛犬の向かって左は頭の上に一本の角を生やしています(古いものは)。これは中国のジという聖獣(西遊記の独角大王はこのジが変化したもの)の姿を伝えたもの。麒麟もまた一角獣。

一本の角は聖なる性質を表す様です。その起源はインドのマハーバーラタに見られるリシュヤ=シュランガ(一角仙人)にさかのぼるとか。

日本に戻ると、垂仁天皇の御代に都怒加阿良斯止(ツヌガアラシト)なる人物が朝鮮半島から渡ってきたという記録があります。この不思議な人物、額に一本の角があったのだそうです。

2本角の方にちょっと触れると、鬼の造形には地獄の獄卒の姿が影響を与えているようです。彼らは牛頭馬頭(ごずめず)と呼ばれるように、馬や牛の頭をしているとされました。
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この回答へのお礼

中国の伝説もあるんですね
一角獣は聖なる性質ということですが、龍なんかは二角で表現されている事が多いような気がしますが。。。
一角は善、二角は悪とかあるんでしょうか?

伝説の鬼に関してはいろいろ説があるんですね

予想以上に奥が深いです

ありがとうございました

お礼日時:2005/09/14 09:26

自称“妖怪研究家”です。


 さて、鬼は邪悪な存在とは限らないのです。という以前に、「おに」自体にさまざまな属性を秘めていて、その属性の一面が“悪なる存在であったり”“神聖な存在”であったりします。
 まず漢語の「鬼(gui3)」は本来は死者を意味する言葉。大和言葉の「おに」は目に見えない存在を意味する言葉です。図像化される鬼は仏教経典に説かれるインドの荒ぶる神である「夜叉」や「羅刹」、または地獄の獄卒のイメージを受け継いだものです。さらにはその造形には密教の不動尊・愛染明王や四天王などの忿怒形の仏像も影響しているでしょう。さらには支那の道教などの(前述にある「方相氏」もそうです)神々の属性も受け継ぎました。
 また東北の蝦夷・九州の熊襲、あるいは平安期なら大江山の酒呑童子、伊吹童子、鈴鹿山や戸隠山の鬼人などの盗賊といった「中央政権にまつろわぬ民」も鬼のイメージを与えられました。
 また日本では「神」、つまり先祖は幸いをもたらす面と災いをもたらす面の二面性があり、その荒ぶる御霊の部分が後に、鬼のイメージと融合しました。秋田の「なまはげ」も荒ぶる御霊のイメージが鬼として表現されています。このような御霊は同時に幸いをもたらす福神でもあります。桃太郎や一寸法師などの昔話もこのような鬼の性格を引き継いでいるため、
 ですから現在われわれがメディアなどで目にする鬼のイメージは、複合的に潜在する属性の一面にすぎません。二本角には牛のイメージが、一本角には一角獣のイメージがあるでしょうが、そこには単純に善悪分けることはできません。なお十六角の獄卒や、角のない獄卒なども地獄絵では画かれます。
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※言葉足らずの部分がありました。

追記します

このような御霊は同時に幸いをもたらす福神でもあります。桃太郎や一寸法師などの昔話もこのような鬼の性格を引き継いでいるため、鬼退治の後に宝物を受け取る。また、瘤取り爺は幸いをもたらす鬼のイメージです。
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この回答へのお礼

専門家(?)からの回答、ありがとうございました
ほんと、奥が深いですね

ついでに聞いてしまうと、赤と青にも意味はあるのでしょうか?

お礼日時:2005/09/15 09:10

赤鬼と青鬼ですか。



常々思ってましたが、桃太郎とかに出てくる鬼って、漂着したか何かの西洋人を日本人が見たイメージじゃないでしょうか。海の向こうの鬼が島に住んでるし。

近くに米軍基地があるので、電車で彼らと乗り合わせると、圧倒されるほど体が大きいし、肌は青いほど白いか赤ら顔だし、毛むくじゃらだし、目鼻は大きいし、私なんか片手で握りつぶされそうです。

初めて西洋人を見た日本人が、それを恐怖で語れば鬼の姿になります。ついでに無い角まで見えたかも。

怪獣だって昆虫か爬虫類のアレンジです。何かのモデルがあったのだと思います。
私の勝手な想像で、人の説は見たことはありません。
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この回答へのお礼

なるほどね~~~
わかりやすい回答ありがとうございました

お礼日時:2005/09/15 13:47

結論から言えば、あまり意味はないのではないでしょうか。


1人(?)の特定の鬼に対して、そのような姿で描かれる理由を推測することは可能だと思います。しかし、一般的な鬼のイメージに対しては、恐ろしい姿を想像したときのバリエーションのひとつ、というだけではないだろうかと思うのです。

以下は細かい理屈付けですので、不要でしたら無視してください。

他の方もおっしゃっているように、「おに」という言葉は、「オン(隠)」が語源になっているという説が通説のようです。
「穏」は隠れるという意味で、つまり姿の見えない存在です。

鬼は蓑を着たり、笠を被ったりした姿で現れることもあります。
枕草子に「みのむし」のことを「鬼の生みたりければ」と書くのも、そのイメージからきています。
ちなみに、昔話に「隠れ蓑」を着て透明になる話がありましたが(細かいことが思い出せません……)、蓑と姿が見えないという組み合わせは、きっと蓑を着た鬼のイメージと関係があるのでしょうね。

一方で、姿のある鬼も少なくありません。出雲風土記には一つ目の鬼がでてきますし、今昔物語集にも姿のある鬼が出てきたはずです(手許に資料がないので正確なところがわかりません)。宇治拾遺物語の「鬼に瘤取らるる事」には赤かったり、黒かったり、目が一つだったり、口がなかったりと、なんともいえない姿の鬼が出てきます。
姿のある鬼は、大概恐ろしい姿をしています。

また、童姿の鬼というのもいます。源頼光に討たれた大江山の酒呑童子という鬼がいますが、このように名前に「童子」と付く鬼がいるのは、鬼が童姿であるからだ、ということらしいのです。
ただし、この酒呑童子は絵巻物か何かで、確か、肌の色が赤くて、他に描かれた人が子供に見えるくらい身体が大きくて、目のたくさんある姿で描かれていたような気がします。覚え違いだったらごめんなさい。

このように見ていくと、角があるかどうかなんて些細なことのようです。
恐ろしい、姿の見えない鬼の姿を想像したときに、人にはありえない肌の色だとか、大きさだとか、角だとか、牙だとか、目が多いとか、少ないとか、バリエーション豊かに考えたということでしょうか。
その際に、角が1本だったらどんな性質だとか、2本だったら……というのはあまり関係がなかったのでは、と思います。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り
皆さんの回答を聞いていくと
深い意味はないんですね

その時その時の、表現の仕方なんでしょうね

ありがとうございました

お礼日時:2005/09/15 13:50

 前述の通り「おに」の図像のイメージには、仏教経典で説かれるところのインドの荒ぶる神である「夜叉(yaksa)」や「羅刹(ra<長音>ksasa)」の影響を受けますが、例えば『七仏本願経儀軌供養法』に説かれる、十二神将(薬師如来を守護する十二躯の夜叉王)の身色は、黄・紅・青・緑・白・煙とされます。

地獄絵などに画かれる獄卒の肌色も、これらの影響を受けていると考えられます。また平安期の治安維持を司る検非違使の衣が浅緋色なので、赤に獄卒のイメージも重なったと思われます。
 これは私見ですが獄卒は牛頭(ごず)・馬頭(めず)ともいわれますが、赤牛、青馬という言葉もあるようにそこからも赤鬼・青鬼という言葉も生まれたのではと推測します。
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この回答へのお礼

いろいろありがとうございました

お礼日時:2005/09/21 16:17

#3です。

議論白熱ですね。

とりあえず、結論としては意味がない、はもう少し後においときましょう。結論として鬼は実在しない、と同様。あくまで、イメージ、あるいはイコノロジーの系譜として鬼をとらえてみましょう。

仏教の尊格で角のあるものをあまり思いつきません。チベット仏教のヤマリ(日本では大威徳明王)が牛の頭をしていますが(日本の大威徳明王は牛に腰をかけている)。

中国における「鬼」は幽霊のこと。柳斎志異などにたくさん出てきます。これが「鬼神」となるにはやはり仏教の影響があったでしょう。でも、角を生やした理由にはならないと思います。

そもそも今昔物語や日本霊異記や伊勢物語の鬼に関して角があるという記載はありません。角のある鬼が描写されるのは御伽草子あたりからです。それが一般化したのは江戸期でしょう。

日本人の「鬼」観のかなり後期になって角のある鬼が生まれたのです。

無視できないこととして、能の影響もあるでしょうね。「金輪」で生成になった女が出てきますが、ご存じのとおり、二本の角のある造形です。

能と言えば前回に書いた一角仙人、彼も能の登場人物です。

つまり、われわれは角のある鬼を当たり前と考えていて、怖がらせるためにいろんなヴァリアントを用意したと考えますが、最初に人間の姿のパーソナリティに角を付けるというアイディアは斬新であったはずで、その原型として一角と二角があった、と考えられないでしょうか? 

御伽草子の中ですでに酒呑童子は九本角とかで描かれていたと記憶していますが、角を付ける、という発想の源流は注目する価値があると思います。
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この回答へのお礼

ささやかな疑問から、思いのほか白熱した意見を聞く事ができて、恐縮してしまっている私です

能面、子供の頃、親戚の家に飾ってあり、角とがとっても恐いと思いながら横目で見ていた事を思い出しました

皆さんの意見を聞いていると、ようするに、作りあげられた絵を見て、そう思い込んでいるだけなんだな~って。
現代人が、過去の人にコントロールされたんでしょうね

お礼日時:2005/09/21 16:30

 『地獄草紙』(東京国立博物館蔵・安住院旧蔵本:国宝)に画かれる獄卒は角のないものがほとんどです。

ただしの「雲火霧地獄」の場面には一角の獄卒がみられます。
http://www.emuseum.jp/cgi/bunmake.cgi?ID=1

 『北野天神縁起(承久本)』(北野天満宮蔵:国宝)『北野天神縁起絵巻(太山寺本)』(メトロポリタン美術館蔵)には牛角の獄卒や角のある雷神の図像が見えます。また『六道絵』(聖衆来迎寺蔵:国宝)にも牛角の獄卒は多く画かれます。で、少なくとも鎌倉期には荒ぶるモノのイメージに角が表現されたのではないでしょうか。また大陸の絵画技法の影響も見逃せないでしょう。
 あと肌色ですが、伝統的仏教美術の表現として青色は緑で、黒色は青で表現されることが多いです。例えば不動尊の肌色は経典などでは「黒」とされますが、実際の仏画では青で画かれます。ですから、われわれが“青鬼”と認識している図像も、本来は黒い鬼を表現しているのではなかろうかと推測します。しかし“青色は黒で表現する”という約束事が忘れられて、青色の鬼と誤解しているのではと推測するのですが。
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この回答へのお礼

獄卒、見てみました
なんだか、恐いですね。。。
国宝の像も、恐い顔のがときどきありますよね

回答を読みながら
『牛角』という焼肉屋さんを思い出した、バカな私です
そして、意味わかってんのかなぁ?、名前、重すぎなんじゃないの…って

青鬼じゃなく黒鬼かぁ

いろいろありがとうございました

お礼日時:2005/09/21 16:34

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