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人間と同じ思考回路及び記憶回路を持ち合わせていて、かつ、人工物であればそれは人工知能と呼んで差し支えないと思います。

電卓はある入力に対して計算結果を返してくれます。
例えば
入力:1+2=
結果:3
これは計算を処理するだけの能力は持ち合わせています。
過去を振り返ればこれだけでも人工知能で通用する時代もあったことと思います。
電卓を人工知能と呼ぶのは現代でも有効ですか?
また、電卓が人工知能である場合にはソロバンなどはどうでしょうか?
頭の中には電流が流れていますが電気の有無では分けられないですよね?

電卓などは人工知能と認めないというのであれば
何が出来たら人工知能なのでしょうか?

またクローン人間は人工知能であると考えますか?
xinmanはある意味究極の人工知能であると考えてます。

質問の要点は
「どこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?」
です。

みなさんの考え方をお聞かせください。宜しくお願いします。

A 回答 (10件)

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。

確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それはたちまち動きを止めてしまうからです。自律的ではないのですね。

AIとは、人工的に作られた知能、ということです。この人工、という意味は「生物的行為」は含まれていません。従ってクローン人間は人工知能とは言えません。「子作り」を「ロボット製造」と呼ばないのと同じ理由です。

では何がAIかというと、古くはチューリング・テスト、というものが唱えられました。これは心理学の行動主義に基づいた考えで、外側からみて人間らしい反応を返すようであれば知能があるとみなす、という概念です。

しかしこれに対してドレフュスら伝統的哲学者は痛烈な反論を浴びせます。その一つが「中国語翻訳問題」というもので、全く中国語が分からない人に辞書と翻訳手順書だけを与えて翻訳させ、その翻訳文が意味が通っているとします。その場合、その翻訳者は中国語を理解したといえるでしょうか?

チューリングテストによれば、それは「理解」とされますが、我々は通常そのような行為を「理解」とは呼びません。それは「機械的」「鵜呑み」といわれ、知能とは異なるものとされています。この辞書と翻訳手順というのは、知識とルールという人工知能の基本概念の事を比喩したものですが、中国語問題はそのようなやり方では知能は模倣できない、ということを示したものです。

しかし、この事はある重大な帰結を示唆していました。それは「外側から知能を理解することはできない」という事です。技術が進み、人間の神経網を細部まで模倣するデバイスができたとしましょう。しかし、そのデバイスが人間と同じ知能や感情を持っているとは、誰も分からないし、知ることもできないのです。なぜなら、誰もそのデバイスの「心」を感じ取ることはできないからです。(我々が他人の心を知ることができないのと同じ)

コウモリの比喩はその辺の事情を言い表しています。コウモリAとコウモリBは同じ脳神経を持っていますが、Aが青と感じる神経に、Bは赤と接続しています。しかしBは赤と感じる神経は青という出力回路に接続しています。つまり、同じ「青」という入力を与えても、AもBも「青」と答えるのです(Bは赤、と感じるのに)。外側から見れば両方とも青という意味を理解しているように見えますが、実際はその内部で異なる理解のされかたがされているのです。

この事を突き詰めて考えていくと、デカルトのコギトにぶつかります。自分の思考だけを頼りに思索を進めていくと決して他人の脳は理解できない、つまり近代哲学はある点で飛躍を行わないと脳科学に踏み込んでいけないのです。そこで脳科学者たちは「同じ神経構造なら同じ知能を持つ」という仮定をおいて研究を行っています。それが正しいかどうかは科学の範囲内の話ではないので、あくまで仮説ですが。

元に戻ってチューリングテストだけでは不十分だと悟った哲学者たちは、次に指向性、という概念を持ち出します。これは現象学絡みで出てきた言葉ですが、知能の本質はあるものに対する執着である、という考えです。物質は物質に執着しません。氷山は船に執着しません。我々が氷山について考えたり、思ったり、船にぶつかったりすると興奮したりするのです。言い換えれば、そのような執着を人工的に作り出すことができればその装置には知能があるとみなす、という事です。

その他にも認知言語学からのアプローチもあり、さまざまな主張が飛び交ってますが、知能という概念は近代哲学の根本に直結する難しさもあって、論争のための論争状態が続いています。従って、ご質問の回答にたいしては「明快に分けられる基準はない」ということでしょう。生物と非生物の境界みたいなものですね。

ただ、工学的、実用的基準からいえばチューリングテストで十分でしょう。機械は使えればいいのであって、それが何を思おうと、ユーザには無関係なことですから。
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積もる記憶により、その機構までもが変化してしまうものを人間的な知能というように考えています。


記憶を分類したり、演算したり、新しいパターンで解析したりするだけでなく、記憶する、それ自体が身体になることにより以降の行動が変わるっていうか、。言いにくいですが。
だから、少なくともドラえもんはAIだと考えます。
クローンは増殖って感じだからAIとは僕は言い難いです。
記憶は結構カギであると考えます。
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人工無能(人工知能もどきのこと)でも、ある程度はチューリングテストで高得点を出すことが出来るんですよね。



コツは、あざけったような答えを返して、「カーテンの向こうの人」を怒らせるんだそうです(^^;
で、それに対する反論には、まともに取り合わないような答えを返す。
すると、カーテンの向こうの人はあっさりと騙されるんだそうで…

それはさておき、「知能」と「無能」の差は、高度な連想機能が有るか無いか、でしょう。

無能は、Aという単語に反応して、Bという単語を連想し、B、という答えを返します。

知能は、Aという単語からA'やBやCという単語を連想し、更にBからもB'やDといった単語を連想し、加えてCからもC'や…
ってな連想の連鎖を行った後で、おもむろに「Z」と答えるわけです。

AIが「A」から始まって「Z」に行き着くまでには、莫大な量の「一般常識」データベースをサーチする必要があります。

そもそもAIの使用に耐えるだけの「一般常識DB」はまだこの世に存在せず、仮に存在しても、「Z」にたどり着くためには膨大な計算量が必要であるため、AIに「A」を見せたとたん、彼は凍り付いてしまって帰って来なくなる、と言われています。

とにもかくにも、AIを動かすためには「一般常識DB」が必要なわけですから、それを作成するために、「とりあえず、赤ん坊並みの知能を持つロボットを作って、それを実社会で育てることによって、DBを作り上げたらどうか」などと、議論・研究がされていたりするわけです。

(ちなみに私見では、仮に赤ん坊ロボットが完成したとしても、計算量やデータ容量があっという間に限界に達してしまうのでは…と思うのですが。 要らない情報を除去する、非常に優秀なフィルタが必要なんですよね。)
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●「チューリングテスト」ブワッハハ!(▼▽▼)人(▼▽▼)ブワッハハ!!


 そりゃそうだっ! って感じですね。

 この質問を言い変えて、人間の意識の最低条件ということとなるとすると。
 物心つくまでは あんまり人間ぽくないですよね。
 寂しがりやと怒りんぼとにこにこ これは生れた時から備わってますよね。

 だいたい私の場合は 3歳くらいで物心ついてますんで。
 その時間に経験したことと吸収した知識をメモリーできるキャパと
 その保存ファイルを全て関係づけて 弁証法で引き出せるシステム。
 これに 適当に 上記の感情を組合わせれば 人間になっちゃうとおもいます。

 それ以降は自分で学習することで 人間を越えられると思います。
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下の方が書いてらっしゃる「カーテンの向こうに人工知能を置いて会話」は、


チューリングさんが考えたので「チューリングテスト」と呼ばれています。

また、フォイマン(だったかな?)は知能のことを「アルゴリズムを生み出す
アルゴリズム」と言っています。コンピュータは円周率を計算できますが、
その計算方法は自分では見つけられません。
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 かつては、英和翻訳、ロケット・ミサイルの迎撃追跡等のシステムを人工知能としていたことがあります。


 今の人工知能は、対処、反応をシステムが蓄積した記憶により、人間の制御によらず、選択させております。
 ですから、制御不能、不要システムを人工知能というようであります。
 ゲーム等のランダム制御は選択肢により、その反応が決まっており、人工知能とは申さないでしょ。
 これから出来るであろうサイボーグ、人間型ロボットが人口知能(人間が基盤をつくるが、それからの応用は蓄積する記憶により、反応が変わるシステム)でしょう。
 犬、猫型ロボットも出てきたようです。これからは、もっとリアルになることが予想されます。
 何をするか?人間が予測出来ない危険性もありますが、それを人間が作りあげた喜びに酔いしれることでしょう。
 区分、区別して考えなくてもいいように思います。時代が進めば、どうせ変わってしまうことでしょう。
 それに、基本の数値制御、二進法は変わらないのですから。でも、研究者等が定義付けして発表します。
 電池制御によらない、何かが発明され、それによって変わるのであれば、新たな区分が出来るかもしれません。
 クローン人は、核たる人間細胞によるわけですから、人口飼育ではありますが、人工知能の部類には属しません。
 専門家ではない、一プログラマーの戯言です。
 如何ですか?
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  簡単に述べます。
  まず、基本的に、あるシステムが「人工知能」であるか「もどき」であるかは、「人工知能」という言葉あるいは概念を使用する人(または機関)のそれぞれの規準に応じて決まります。誰でもが納得する、一般に通用する規準はないと思えます(また、造っても、意味がないであろうと思います)。
 
  >人間と同じ思考回路及び記憶回路を持ち合わせていて、
  >かつ、人工物であればそれは人工知能と呼んで差し支えないと思います。
 
  このように述べておられますが、それは明確に違いますと、現在の時点では言えます。このような意味乃至定義の「人工知能」であれば、現在の人工知能と呼ばれているシステムや、人工知能研究などの研究のテーマの人工知能は、この定義の「人工知能」には合致しないからです。何故なら、人間の「思考回路」や「記憶回路」は、まだまったく分かっていないというのが現状なのです。分かっていることもありますが、それでもって「未知」の部分を計ることはできません。
 
  これだけでは、あまりに素っ気ないと思いますので、付け加えます。
  人工知能という時、また、人工知能の研究という時、大きく分けて、二つのことがテーマになっています。
 
  一つは、人間の持つ「知能」も含めて「精神の機能・意識の機能」の「機能部分」を、何か別のシステムで部分的に再現することです。人間の計算能力は、意志によって自動的に行われますが、意志により自動的を外して、システム自身では、自動的に計算を始めないが、人間などが外部から起動させ、必要な手順を補助すれば、機能するシステムも人工知能に数えれば、例えば、電卓は、計算機能に関して、人間の計算機能を再現しているので、人工知能とも言えます。そろばんも、人間が玉をはじかねばなりませんから、演算の基本部分は人間の知能が行っていると言えば、計算はそろばんがやっているのではなくなりますから、人工知能ではありませんが、演算機能は人間に補助してもらって、計算過程の記憶部分を主に担当している計算システムだと言えば、計算の記憶機能の再現になりますから、人工知能だとも呼べます。
 
  第二に、人間の知能機能等を部分的に再現するのではなく、人間の知能・精神の全体的把握は無理なので、大脳生理学や神経生理学などの研究を通じて、人間の知覚や行動の発動機序などを、部分的に機構解明し、モデルとして構成し、これをシステム化するのは、人工知能の研究ですし、人工知能のモデル構成ということになります。例えば、かなり前から分かっている、視覚における網膜細胞の興奮が、電気パルスとして神経に伝達されるのが、視覚の受容の最初の機構だというモデルは妥当で、これと同じ形で、カメラなどが作られています。しかし、何故視覚で、パターン認識ができるのかは、これは、最近の研究では、四角とか三角の図形を認知する時、特定の脳細胞が興奮していることから、パターン認識は、そのパターンに応じた認知細胞があって、種々のパターンは、こういった機構が集合して認知機能となっているのではないかというモデルがあります。これは人工知能の研究ですし、こういう理論を元に、モデルをICや光電素子などを使って組み立ててみると、このシステムは、部分的機能再現の人工知能モデルということになるでしょう。
 
  なお、機械に意識があるかどうかの検証クライティリアとして、名前は忘れましたが、かなり有名な規準があります。それは、信号だけが送られて来て、相手の姿がまったく見えない状態で、相手から送られてくる信号を通じて、会話するなり、質問するなりして、相手の応答が、例えば、コンピュータの会話機能によるものであったとしても、コンピュータの相手をした人が、相手を人間と認識するようであれば、このコンピュータ・システムは、人間であると(機能において)、従って、人工知能の完成型であると判断してよいという規準です。
 
  これは、意識や精神の認識論的問題があり、わたしは、このような検証乃至判断基準で、相手に、意識がある、知能があるとは言えないという考えですが、このような規準で十分だという考えがあるということを記しておきます。
 
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 人工知能と無能の境界とは違うかもしれませんが。

自我があるかどうかの定義はちゃんと決められています。
 ちゃんとっつっても、だいぶアバウトな定義ですが。

 コンピューターが見えない状態で被験者に会話させ、その被験者がコンピューターであるとまったく気づかなかった場合、その人工知能には自我がある、と定義されます。
 なお、この「まったく気づかない」は、本当の意味で「全然まったく分かってない」状態でなければなりません。
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人工知能は定義がなかなか難しいと思いますが、過去、電卓を人工知能と呼んだことはないと思います。


また、クローン人間も人工知能ではないと思います。クローンは、単に細胞を培養しただけであって、知能の仕組みを人間が創ったわけではありませんから。

人工知能については次のページが参考になると思います。
「What's AI」
http://www.ai-gakkai.or.jp/jsai/whatsai/

参考URL:http://www.ai-gakkai.or.jp/jsai/whatsai/
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与えられた問題だけでなく、その裏に存在する問題を見つけ出し解法を探ることができる。


それを自我を持つことなしに人工的にできれば『人工知能』と考えます。チェスをするコンピューターはまだ計算機の域を出ていないと思いますね。量子コンピューターが実現されたとしても果たして実現させうるのか否か…
しかし、この定義は『自我の存在が新たな興味対象を見出し、問題に着眼する』という事実に反していて、矛盾が多いなあと言ってる本人も思います(苦笑)。

クローンの脳だけを取り出し、自我をなくした状況で恒常的に管理できれば、人工知能アルチメットタイプ(笑)かも知れませんが、人間と変わらなければソレはただの知能だと思います。

この回答への補足

みなさん回答有難うございます。
お礼は時間のあるときにゆっくり書かきます。

補足というか追加の質問なのですが
架空の物語などに登場する人工知能と人工知能もどきをあげていただけるとイメージし易いかなと思います。
ドラえもん、HAL、C3PO&R2D2、マルチ、番兵くんRX、勇者ロボなど何でも結構です。
登場作品も明記してこれは人工知能、これは人工知能じゃないと書き込んでいただけるとありがたいです。

補足日時:2001/11/09 16:26
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