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項羽と劉邦の話は、日本でも人気がありますが、なぜ劉邦は才能のある項羽に勝って中国を治めることができたのですか?劉邦の人間的な魅力によるものですか?

A 回答 (7件)

劉邦はタイプとしては、日本では秀吉に似ている。

優秀と思った人材を大事にして任せられる部分は任せ、恩賞も惜しまなかった。
ただ項羽に負けてばかりで弱かったので、逃げ出す人物は多かった。

項羽は強かったので、劉邦以上に人材が集まってきたが、その多くは重用されることもなく、重用されても恩賞はケチられてばかりだったので去る人は多かった。

両者の最終的勝敗を決定的付けたのは、国士無双と評された韓信が劉邦側に付いたことだろう。
韓信は最初に項羽軍に加わったが、無名なために雑用ばかりやらされて逃げた。そして劉邦軍に加わったが、やはり無名だったために詰まらない仕事ばかりで逃げた。
しかし、劉邦側近の蕭何だけは韓信の能力を見抜いており、すぐに追いかけて連れ戻し、劉邦に韓信を重用することを説いた。国士無双の評はその時の蕭何の言葉だ。そして劉邦は蕭何のその言葉を信じた。

負けっ放しの劉邦が最終的に項羽に勝てたのは、正しく国士無双だった韓信の力だ。

有能な人物を信じる力。この力が明暗を分けたということだろう。
項羽自身は非常に強力な人物だったが、ひとりだけではいくら有能でも限界がある。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2023/09/26 10:30

司馬遼太郎の小説「項羽と劉邦」はまさにそれが主題の小説でしょう。

最近NHKBSPの「英雄たちの選択」(9/20放送)はまさにこの主題を取り上げました。「徳川家康が師とした王 漢初代皇帝劉邦」。興味がおありなら、9/27(水)8:30amに再放送があるので視聴されたらいかがでしょう。
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劉邦とその部下、韓信 との会話。



韓信「陛下は、戦は私より下手だし
   内政は張良に劣る。
   それなのに、陛下は我々に
   君臨している。
   これはどうしたことでしょう?」

劉邦「その通りだ。
   しかし、俺はそういう有能な部下を
   思い通りにあやつることが出来る」


つまり、項羽は、才能があるが故に、
なんでも自分でやりたがる。

しかし、劉邦は才能が無いのを知っている
から、有能な部下を集め、操るようになった。


こんな感じかと。
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日本で 対決者同士での人気は《勝った方》に向くのではないでしょうか。


中には、《負けた方》に人気があるようにみえるものもありますが、だいたいは《勝ち残って天下を取った》のを賞賛して、その優れた理由をとにかく探して、「人気があって当然のことだ」と納得したり、手本にするべきことのように言うという面が強いように感じます。
探してくる「優れた面」というのは、事実の比較ではなく、ストーリー(物語・ドラマ)の構成で創造している作話なのでしょう。
だいたい、こうした人たちが現実に言ったりしている言葉を実際に聞いて記録するなどということが出来るのではないでしょう。 三国志にしても詳細はなく、多くの人が知っている三国志は遙か後世になって、歴史ドラマにしたものです。 このドラマでは、当然、勝利者であり王朝を造ったものの成功談に仕上げます。 武力や知謀に優れていたというストーリーには造れないので、部下や人の使い方が優れていたからであり、そのように出来たのは人間的に優れていたからだと、話しを作るしか方法はなく、一方で、100%完璧怜悧だと逆に魅力がなくなるので、女好きやら判断ミス、ビビるなどの欠点も盛り込んで、人気度を上げる人物像にしたのでしょう。そのように作ったので、ドラマの人気が高まり、劉邦ファンができたのでしょう。
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項羽は、強すぎて独裁者になりました。


韓信のように、項羽から劉邦に鞍変えした武将がたくさんいました。
兵站につよいショウガ、軍師の差異がある張良といろいろな才能を持った人が劉邦のしたに集まったのが大きい。
ラスト、恩賞を餌に他の野党勢力をまとめて連合軍にした、劉邦の捨て身の反撃が成功しました。
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項羽は戦にはめっぽう強かったのですね。

ただ捕虜を生き埋めにしたり、対秦の反乱軍の名目上で西楚王の懐王を殺害するなど、人々の反感を買うような行動をしたというということでしょう。

その点、劉邦は、農家の三男坊で読み書きも出来ず、40歳を越えてもなお家業を手伝わずに町中をぶらついていたそうですし、多くの子分をひきつれて遊んでいた人物ですが、多くの人から慕われていたそうですね。

この二人の差でしょう。項羽と劉邦は何度も戦をしていますが、ほとんど項羽が勝利しています。しかし劉邦は敗れてもまた何度も挑戦していますし、項羽陣営の分断はかるなどして、項羽軍を弱体化させていき、最後は滅亡させます。

まあ、よくあるような話ですね。トップの人の能力が非常に優れていても、それだけではダメです。人心掌握術に優れている人が最終的には勝利するという典型的な例ではないでしょうか。

下記のサイトが秦始皇帝の没後から劉邦が漢を成立するまでのことをわかりやすく記載されています。


項羽と劉邦
https://rekisi-daisuki.com/entry/21-04-14
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成功する人は能力の高い人よりやる気のある人

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