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教育(学校・家庭・社会)での「個性の育成」とは何だと思いますか。また、個性の育成を重視するのはなぜだと思いますか。
なるべくわかりやすい言葉で教えてください。

A 回答 (5件)

個性の育成の為には教育者の先入観が邪魔をするものなので社会的な課題だと思います。


個性を軽視しては文化が衰退します。
そんな時になってから人材が出るより、現状を維持しつつ進歩した方がいいに決まってます。
一番小さな社会の家庭から世界まで、歩きつつバランスをとっている我々です。
人が人を動かします。
止まったら崩壊しますよね。
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個性とは、あった方が良いとか、ない方が良いといったレベルの問題ではありません。

個性とは否応なくあるものです。否応なくあるものを無視あるいは蹂躙することは異常です。よって個性を重視することは当然のことであると思います。
また、私は個性というものは人が成長していく過程で次のように変化していくのではないかと考えています。

(1) 人はまず最初に、自分のことを「私は私だ」と考えます。
(2) 次に、そういう「私」というものが、多くの受動的な規定要因によって「たまたまそうである私」であることに目覚めます。
(3) そして、それを踏まえた上で、自分の意志によって「なりたい自分になりたい私」になるのだと思います。

ここで、(1)と(3)の見分けがつきにくい点に充分注意するべきだと思います。一概には言えませんが、(1)は子供で、(3)は大人であると言えると思います。大人の場合は(2)の段階を通過しているので、『私の個性』を楯に多くの人に迷惑をかけるようなことは滅多にありません。

また、『認識』と『意志』が別のものであるということを知ることも重要であると思います。
私は以前、あるQ&Aで(子供を産むことに関して)「遺伝子の継承は、目的というよりは結果だと思います。」と書きました。人間以外の生物であっても、すべての個体が子孫を残すとは限らないし、生命種単位で考えても絶滅種というものが多く存在するからです。私にとってこれは『認識』です。
また、私は冷徹な人間ではありませんので、恋に落ちてしまうことがあります。ある人のことを特別な存在であると思い、子供が欲しいという気持ちに自然となるのです。そして、ある日実際に子供を産むことになったとすれば、それは私の『意志』によるものです。

人間にとって大切なことは、人や世界についての『認識』を深めるべく努力を重ねることと、自分自身がどういった『意志』を持っているのかを自問し確かめることの両方ではないかと思います。これらのことは、漠然とした「生きる意味」について考えることよりもずっと重要なことであると私は思います。私が考える個性の育成とはそういうものです。
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『個性の育成』


家庭では、基本的な躾を教える必要がありますね。
学校では、集団生活における個々の特徴を輪のなかで
どううまくだしあっていくかですね。
社会では、家庭&学校で身につけたものを自分らしく
外に向けて表現していくことでしょうね。

みんな顔が違うように、ひとつの物事に対しても
いろんな見方、考え方があるとおもいます。

それは、それでよいことなのですが・・・・
人が人と交わりながら暮らしていく以上
我を出しすぎると何事もうまくいきませんよね。

基本的なル-ルを身に付けそのなかで、どれだけ
自分らしさをだしながら他とかかわっていくかを
教えようとしているように考えています。

ここ数年、いろんな少年犯罪が世間を賑わせ
子供たちの成長過程において,この部分の未発達さが
犯罪に至る要因の一つともかんがえられています。

個性の育成とは、その子供のもつよいところを認め
引き伸ばし、そうするなかで、他人の存在も認められる
大人になっていってもらいたいという願いが
そこにあるように思います。

家庭・学校・社会いろんな場面で、人とかかわりをもつ
そのかかわり方を学ぶのが家庭・学校・社会での
日常の暮らしの中なんです。

子供たちを良くも悪くも導くのは、大人なんです。
この子供たちの成長の過程で、誤った方向に導かない
為にも、個性の育成は重視されるべきものと考えます。

わたしたち大人には、子供に対して大きな責任が
あるということを忘れないでいただきたい。
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難しい問題ですが、一児の父の立場から少し発言させて下さい。


まず、
--教育での個性の育成--
はっきり言って、あり得ないと思います。個性って元々人に
教えられる物ではないでしょうから。
しかし、教育現場での個性の育成ならあり得ると思います。
私の経験談になりますが、学生時代美術の授業で描いた絵を
当時の教師に「間違っている」と、言われ、そのときかなり
のショックを受け、恥ずかしい思いをしたのを今でも鮮明に
覚えています。今だったら、「絵に間違っているなんてネー
ダロー」と言い返しているでしょう。
つまり、個性の育成とは、当人の事(考え方・発想)を「そ
れもアリだね」と認める事だと思います。そうすれば、個性
は自然と育つのではないでしょうか。

--個性の育成を重視するのは--
たとえば、学校を例にあげると、上述とかぶりますが、すべ
てにおいて、「それは間違っている」「それは正しい」と裁定
していくと、生徒は 間違っているのかor正しいのか という
価値観ですべてを判断しようとするのではないでしょうか。
そして、自分の判断できない事柄については拒絶してしまう、
消極的になってしまう、否定的になってしまう・・・。
つまり、マニュアルっ子になってしまう恐れがあります。
そこで、教育者には、「個性を育成しなさい」と、非常に漠然
とした指示が飛ぶのではないでしょうか。

以上私の考えです。ちなみに
「個性の育成」=自由にさせる とは違うと思います。
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自信はありませんけど私の考えを述べさせていただきます。


> 1.個性の育成を重視するのはなぜだと思いますか。
極端な例をあげます。全員が同じ服装をして、同じような家に住み、同じようなものを食べ
同じ娯楽をし、同じ歌を歌う。どの家庭もどの学校もどの職場も、同じ考え方、同じ価値観で
一色になっている。こんな社会は、相当気味が悪いですよね。人間の生命力が感じられず、
「人間モドキ」の社会みたいです。こんな社会は発展しないです。存続できないです。
私は会社員ですが、会社組織にとっても個性は非常に大切です。上司に言われたことしかでき
ない、教えられた通りにしかできない、まわりをキョロキョロ見て人と同じならばそれでもう
安心してしまう。こんな社員ばかりだったら、その会社は間違いなくつぶれます。パソコンも
インターネットも、自分が好きで好きでたまらないことに寝食を忘れて没頭した人たちによって
築き上げられた技術です。誰かの命令や誰かのマネの産物ではありません。パソコンやインター
ネットはほんの一例です。社会が停滞せず、つねに一定の活力を保ち、多少の不況や自然災害には
へこたれない。そのためには個人が個性的であること、その他大勢のなかで安住していないことが
非常に重要なことなのだと思います。
> 2.「個性の育成」とは何だと思いますか
西欧人は人と同じことをしたり、群れて行動するのを嫌うようですが、日本人はその逆です。
人と同じであることに安心してしまう。だから個人としての日本人の力は弱いです。意見を求め
られても、まわりにいる親しい人に目で助けを求めたりします。(若い世代はそんなことはない
かもしれませんけど)
個性の育成とは、その人に合った「個性」を親や教師がみつくろって与えてやるのでは、もちろん
なくて、とにかく「自分の頭で考える」「自分の体で行動する」「自分で工夫すること学ぶ」、
その訓練のことだと思います。そうすれば自然と各人・各生徒が自分で自分の個性・適性を発見
していくのだと思います。
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