ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

先日、恩師から「日本では1000の次は10000などキリの良い数字が大切にされているが、ヨーロッパでは250だど4等分にした数字も大切にされている」という話を聞きました。何故4等分の数字が大切なのか尋ねましたがそこまではわからないとのお返事でした。
250、500、750などの数字が何故ヨーロッパで大切にされているのでしょうか。
どうしてもレポートに書きたいのでどなたかよろしくお願いします。

A 回答 (8件)

数字がいかに人の生活に密着してきていたか、経済だけでなく音楽にもですね!



東洋と西洋との哲学、視点の違いからの考察。。
世界観で見たとき、西欧では「初め(創世記)と終わり(終末)」があり、生物一切「無」からの砂漠で生まれた絶対的な自然の強さ、夜、星以外何も見えない、何も無い鳥(星?天?)瞰視点で考える、分らなければ即、死に繋がり、兎に角考えて答えを求める文化が根付いてるように聞いたことがあります。
砂漠の夜は、天空の星だけが見えるからか、天から地球、下界を見る演繹的視点、全体から部分を見る、結果から原因を推論する。命の水場はどこか?星占いだけでなく、天文学から季節、位置、時間を割り出す。

一方、東洋の哲学の代表を仏教として、起源は密林の過多な、刻々と出現する新生物のなか、人間が空を見渡せる環境もない(上を仰いでも、ジャングルの樹木の葉で覆われてる)し、生物が多くて、のんびり暢気に安心して空を仰ぐゆとりもまずない。道は迷い、彷徨うことでかえって桃源郷に至る、人間の判断はかえって愚かで無用の長物という発想。世界観は循環(輪廻)することで永遠に続くとする哲学。運命に従順であることの肯定。有が大前提だからこそ《無》を希う・・無の境地。。、

東洋仏教が循環的、無限的、哲学的、概念的とみるなら、西洋のキリスト教ユダヤ教視点は絶対論的、有限的視点、科学的として、演繹、全体から部分を推察したもので、今回の分数の視点1/2、1/4なども、全体から見た視点といえるのではないでしょうか。

日本では10進法が比較的馴染みやすかったのは、自分の立ってる位置から、一つずつ数えていく感性に慣じんでるのを思います。

英語の文法の『時制の一致」のように客観的にならなくても良いくらい『協調的』な民族性だったと、日本ひいきに持って行きたいです(笑)

都市景観もヨーロッパは外から全体として眺めの美しさ(法律での規制が厳しい)に視点がおかれてる。(観光向き、とやっかみ半分、野次をとばす。)
一方、日本では、みすぼらしいしもたやの中に入ると、坪庭の美意識、細かいところまでの美意識、情緒に感動する。日本では人間の視点での美しさが第一なのを思う。

分数は反比例で限りなく無限にXY座標に近づくというのがあり、単細胞頭の私には、そんなことありえない、中々のみ込め無かったのを思いだします。
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この回答へのお礼

ご回答下さった皆様有難うございました。
皆様のご回答に私の学力が追いつかず、
お一人様ずつにお返事するのが困難なので
申し訳ありませんがこの場で深くお礼申し上げます。
わかる範囲だけでも引用させていただいて
お陰様でレポートのほうは無事かけそうです。

お礼日時:2005/10/11 13:56

おそらく計算のやりかたの違いからですね。


例えば、ドル硬貨には、1ドル、50セント(half) 25セント(quarter)、10セント、1セントとありますが25セント(quarter)、10セント、1セントが主に流通してますね。1ドルはクオータが4個ということですね。お釣りの計算は、日本のように客からもらった額からの引き算ではなく、その額までの積み上げ方式が使われていますね。例えば、23セントの買い物で25セント玉が出されれば、24、25と数え上げて2セント分がおつりというやりかたですね。こういう積み上げ方式の計算には、目安になる計量が必要になりますね。クオータ(1/4)やその整数倍という数は目安としてわかりやすいということでしょうね。
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 音楽(より狭義には拍子)の世界が「2(or3or、4etc)で12の正の約数と関連する」のも「ピタゴラス音階」の故からかも知れませんね。



 又、企業の財務部門の場合は「半期、四半期、全期・・・」が幅を利かせる世界ですから、10月への突入と共に、後2005年も四半期を切ったと捉え易いのは容易に推測出来そうです。
 その一方で企業の決算云々との旨のニュースを扱う経済紙が(四半期より)三ヶ月の表記が多いのは一般紙に合わせているから、かも知れません。
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数のおもしろさ



十二進法、二十進法、六十進法などは、人間の歴史で貨幣単位として使われた例もある。
円を意識した時計や角度、一年の12ヶ月からきてるのを想像できる。

1YEAR=365DAYs=100DAYs×3+10DAYs×6…3(10進法)
       12ヶ月×30日…3
       一DAY=24HOURs=12HOURs×2(AM・PMという2単位)
       一HOUR=60MINUTEs
時間の単位は10進法よりも12進法の方が数字の美学(ピタゴラス派は十進法の美学にこだわってた時代)がある。
宇宙の暦から発想されたのが十二進法ではないかしら?
1MINUTETE=60SECONDs
HOUR以下は実際には便宜上、十進法でカウントされてる。

言語によっても、日本語は十進法に馴染んでるようですが、英語ではelven、twelve~twentyまでの特殊な不規則的な数え方になる。
おそらく、手の指と足の指との合計で20のところからのカウント方法かもしれません。日本でも、20歳は「はたち」、20日は「はつか」と個別の呼び名がある。
一、十、百、千、万、億、兆、、という単位は十進法に倣ってる。

2の10乗をコンピュータの単位では1K=1024BITEs

もう一つ面白いのは、人間は無限と言う数的概念を想定できるが、コンピュータには有限の数だけしか扱えないということ。

明治以前は、1万×1億=1万億となり、万万億からやっと兆なっていたそうです。

円は360度=90度(直角)×4=30度×12時間  
循環する一年を円で表すと12ヶ月からきてるのでしょうか。
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若い頃、私も考えたことがあります。



その後、物理学者の品川よしやさんの本を読んで、色んなことが薄っすら繋がってるのが感じられるようになりました。

切の良い数字、10の乗数。基本は指の数?
人間に10以上の数が必要になった時に便利なカウント方法でしょうね。
一方、一見、切れの悪い数字。二元論、でも、人がものごとを判断する時に一番手っ取り早い方法です。○か×か。
2の乗数が4分の一。。

数える時に自然発生した数の概念が10としたら、判断するときに突き詰め、究極の選択をするときに二元論。中国では陰陽論。四行説、五行説が有名です。ヨーロッパでも、「科学総論」の講義で同様な考えで、錬金術などされた時代があったようです。
○木数子さんの理論はじめ、カルト的発想、人を扇動する言葉には二元論が有効かもしれません!!
気をつけましょう。
マニュアルなど自分自身で考えたり判断したりする必要の無いものも、二元論的に説明されてるのではないでしょうか。
ちなみに、コンピュータのプログラムも二元論で出来てるそうですね。
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この間、ある政治化が、フランスの数の数え方が、12進法で、遅れていると言って、問題になりました。


ヨーロッパい゛は、結構12進法が使われていましたから、12の半分の6、その半分の3といった考え方が、普通だったのではないでしょうか。

英語でも、11と12のところが、普通と違っていますから、12進法の名残ではないかと思います。

時計が、12進法で、1時と半分とか、3時と1/4なんて言い方をしていますよね。あちらでは。
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推測の域を出ませんが、あえて解を求めるとすれば、「まず大局から物事を考えるか否か」ということになりそうな気がします。



初めに全体というものがまず認識され、思考や判断の必要に応じて、その半分、そのまた半分というように細分化されていく。
あくまでも大局を捉えようとする姿勢がこのような「半分」という分け方をさせるのでは?

それに対して、細部の積み重ねによって全体が出来上がるという思考の姿勢があるのではないか、ということは考えられそうです。
この考え方の特徴は「頂点」は最後まで頂点たり得るということかもしれません。
大局的に半分、また半分と分割されていく場合、頂点は常にどちらかに属するわけで、しかもその守備範囲は次第に狭くなっていきます。
為政者が政を国民と一体となって司ろうとしていたか、国民を下に見て支配することによって司ろうとしていたかの違いという考え方もできそうです。

一歩進めて、為政者という者は常に国民を支配したがるものだから古今東西、その本質は変わらない。
むしろ、国民が彼らの権力に対してどこまで自らの権利を譲歩したかという民族的遺伝子の違いという見方も可能になりそうな気もします。
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私見ですが、貨幣の発生の歴史と関係あるかもしれません。

ヨーロッパでは古くから金貨が流通していましたが、金貨は高額貨幣ですから、日常使うのには向きません。なので、その半分、とか半分の半分、とかいうのが使われるようになったのではないかと思います。
一方日本では銅銭が主だったので、こまかい銭を集めて、という発想になります。こういう場合、中国渡来の数体系が十進法であることとあわせ、十進のきりのよさを考えたのではないでしょうか。
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