何故赤い帽子とまえかけ??をしているのですか??

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水子供養」に関するQ&A: 水子供養 青森県

A 回答 (3件)

 地蔵は赤子と密接な関係があります。

あたまに毛がないのも、帽子やよだれかけをかけてあげるのも、またその色が赤いものも、そのことに由来します。地蔵は子供を守る菩薩とされ、また水子供養の役割も果たします。より詳しい仏教的な説明は以下のURLを参照して下さい。

参考URL:http://www.koujyouji.com/contents_03_1/content-1 …
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございました。

お地蔵様。。とかで何度も検索をしたのですがまったくみつからなかったのです。
(探し方が悪かったのですね。きっと。。^^;)
教えていただいたURLとっても参考になりました。
ほんとどうもありがとうございました!

お礼日時:2001/11/24 21:37

はじめまして



お地蔵様は水子供養と関係ありますね。
子どもが死ぬと、彼らは賽の河原というところで、永遠に石を積まなければいけません。そこに鬼が来て、子どもたちにひどい仕打ちをします。お地蔵様は母が恋しいと泣く子どもたちに、自分を母と思えと言い、彼らをかくまうらしいです。
歌もありますね。これはこの世のことならず……

他にも閻魔大王の化身というふうにも言われています。
ちなみにお地蔵様は、罪人も含めてすべての人を救いたいと願って、みずから地獄へと落ちて、今も地獄で救済活動をしているんですよ。お地蔵様は六道のすべての世界にいるんですね。だから六地蔵なんてあるんです。

こんなもんでどうでしょう?
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございました!

へ~~~!!
すごいんですね!!お地蔵様って。。。
とってもわかりやすく書いて頂きありがとうございました。
参考になりました!

お地蔵様って偉いな~~。。。

お礼日時:2001/11/24 21:43

確か、お地蔵様は、子供の供養(水子?)のためのものだと、


どこかで読みました。

それから、お地蔵さまというのは、道祖神としての意味もあって、
村と外部との境界に設置され、「結界」を作ったとか、
「何かの事故」が起きた場所に供養として祀られたとか、
いろいろな意味合いがあるらしいです。
(恐るべし、日本の宗教史)
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございました!

へ~~お地蔵様って道祖神としても意味があったのですか。。。

まったく気がつかなかったのですが 知り合いの外人さんを案内しているときに質問されて そ~~いえば?と興味を持ったのです。

参考になりました 
ありがとうございました

お礼日時:2001/11/24 21:40

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~~~~~ウィキより引用~~~~~~~~~~~~~~~~
当時は「紳士たるもの外出時には帽子を着用するものだ」というのが常識であったため成人男性の帽子着用率は非常に高く、特にカンカン帽の人気は高かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%B8%BD

だそうです。

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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

「戦争になっても良いという位の強い外交姿勢であった。」というのが正解ですね。

アメリカの不況を解消するための大きな経済市場として、中国を目指しました。

具体的には、9カ国条約(1922年)の履行を日本に迫りました。
 9カ国条約
 Wiki:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%82%AB%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E7%B4%84

9カ国条約は、第一次世界大戦後、アメリカ合衆国・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・中華民国の間で結ばれた条約ですが、ヨーロッパ諸国は、第一次世界大戦で戦場となったり、総力戦による国力の損耗が激しく、大国でない国も含まれており、実質的に日本とアメリカが中国をどう取り扱うかを決めたものです。

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・食料配給制開始(1941年4月)
・日本の各種経済指標の戦前のピーク:1938年

日本陸軍の兵員数は、満州事変勃発時は比較的少なく、多くの若者が国内の生産労働に従事していたが、日華事変により、生産のための若者を徴兵したために経済生産が頭打ちになった。
 日本陸軍兵力の推移
http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20130528/1369754304

日米開戦は1941年12月ですが、それ以前の日中戦争の段階で、日本の国力が限界となっており、日米開戦となっても日本は勝てない状態であったため、アメリカの外交姿勢は強固なものとなった。

「戦争になっても良いという位の強い外交姿勢であった。」というのが正解ですね。

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