デュルケーム、マルクス、ウェーバーの共通点と相違点はどういうところでしょうか?できれば、文化概念や女性問題(女性の労働など)に焦点をあてて考えてみたいのですが。それともどの人か一人に絞って、考えてみてもいいですが。。。レポートを書くのですが、ポイントがわかりません。。。どなたか社会学に強い方、いらっしゃいませんか?

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A 回答 (5件)

お礼の文章読みました。

なるほど。じゃあ、ちょっとだけ、アドバイスを。
一人に絞ってもよいのならば、マルクスの『経済学・哲学草稿』を中心に書くのは
どうでしょうか?
マルクスの理論は「民族」(文化とアイデンティティ)や「ジェンダー」(文化的社会的性差)の問題に対応できないかった、という解釈が一般的ですが、私の考えるところ、これを解くカギが『経済学・哲学草稿』のなかにあるような気がするのです。「類的存在」として「人間」を見る、というマルクスの視点を読みなおすことによって、あらたなマルクスの解釈が出きるのではないか、と考えています。
一読して、考えてみてください。参考文献を挙げておきます。

上野千鶴子1986『女という快楽』剄草書房。
 この中の「6、個の解放と種の解放」を参考にしてみてください。
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この回答へのお礼

早速ありがとうございます。
上野氏は、私も大好きなので、その線で迫ってみたいですね。
ただなぜか、私はその本を購入していなかったようです。
早速、読んでみます。ありがとうございます。
(実は私は今、海外に留学中で、購入に少し時間がかかります)
それでなんですが。
マルクスの言う「類的存在」が今ひとつ、理解できないんですが、教えていただけませんか?

お礼日時:2001/12/05 23:14

こんにちは!mamuku-でございます。

デュルケムとウェーバーの共通点と相違点について、もう一度、おさらいをしておきませう。
この二人をマスターすれば、社会学の8割を終えたと言っても過言ではないので、自分自身をも含め、おさらいをば。「個人と社会」という観点から。
デュルケムは「社会が個人をつくる」という視点から様々な現象を分析しました。
M・ウェーバーは「個人が社会をつくる」という視点から、人間の様々な現象を個人の行為を分析の単位として考察しました。
ついでに、ジンメルを。ジンメルは「社会が個人をつくる」でもなく、「個人が社会をつくる」という視点からでもなく、「はじめに相互作用ありき」との視点から現象を分析していきました。これは、個人も社会も実体のある絶対的に統一的な統一体ではなく、諸部分の相互作用の結果として相対的に統一的なだけであり、諸部分間の相互作用のみが実在的であるとする立場です。これを方法論的相対主義といいます。
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この回答へのお礼

いろいろありがとうございます。
mamuku-さんのおかげで、こういう古典理論に関心をもちました。
ありがとうございます。
今までいただいたアドバイスを意識しながら、冬休みは少しその分野の本を読んで見ます。
ありがとうございます。

お礼日時:2002/01/06 11:55

いや~、お見逸れいたしました。

基本文献は読んでいるのですね。それも現地語で。それも韓国とな。いや~binbouさんの関心事は私の関心事とかなり近いです。それも私は韓国朝鮮にも興味がありまして。ところで、文献を読んでいるということと、その本質を理解しているかということは、違うことだと思いますので、何かのアドバイスができるかもしれません。
私は上野先生の授業を一年受けたことがありますし(もぐりで)、文献もほとんど読んでおりますので、そちらの方の話も理解できます。
さて、本題ですが、課題文献のみを使って、オリジナリティのある論文を作るという作業ですが、やはり基本文献を読みこんでおく必要があります。そこから、自分の反論、違和感、疑問を提出するということがオリジナリティです。それに必要なことは、書こうとするテーマについてのベースとなるものに対する違う意見のものを読むという作業が必要です。だから、授業でもデュルケムとウェーバーを読ませているのでしょう。なんか私の言っていることは、釈迦に説法のような気もするのですが…。
別のテーマということですが、私ならば、ウェーバーならば民族論の再読というテーマで、デュルケムならば認識論(『宗教生活の原書形態』の序論)の再読、といったところでしょうか。しかし、正直こちらは難しいかもしれません。二次資料が使えない、引用できないということなので。
『家父長制と資本制』をヒントにしようと考えているならば、「再生産」という概念についてマルクスの言っていることを検討してみるというのはいかがでしょうか?
また、具体的な考えがまとまったならば、詳しくレスをお願いいたします。私も勉強になります。
補足ですが。私は学部で社会学をやっていただけで、大学院も出ていません。今は社会学や社会人類学を趣味でやっている程度ですので、あしからず。

状況などを具体的に書いてくださり、ありがとうございます。
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マルクスの「類的存在」の意味するところは、是非とも原典にあたった上で、自分なり(自分の関心事に沿って考え、解釈するなどして)に捉えていただきたいと思います。


 ところで、研究計画はどのようにしたのでしょうか?
差し障りがなければ、教えていただけるとありがたいです。教えていただけるならば、詳しく教えていただけると幸いです。
その上で、binbouさんの研究計画が私の関心事とあうならば、力になれるかはわかりませんが、また何かアドバイスなりができるのではないかと考えます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
mamukuさんのアドバイスにすがるようですが、前回、ヒントをいただいた線で考えています。
現在、かなり追いつめられた状況(!)にいますので、具体的に書いて、その上で、具体的なアドバイスをお願いしたいと思います。よろしくお願いしますね。

私が現在とっている授業は、「社会学理論セミナー」という授業で、これまでに、読んだもの(課題)は、以下のとおりです。
マルクス『経済学・哲学草稿』、『ドイツイデオロギー』、『資本論(2巻または3巻の自分の関心のある部分)』
ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』、「国家、民族、帝国主義」、「階級、身分、正当」、『支配の諸類型』、『職業としての政治』、『プロテスタント倫理と資本主義の精神』、「インド:ブラマンとカースト」、「読書人身分」、「世界宗教の経済倫理」
デュルケーム『自殺論』、『社会分業論』、『宗教生活の原始的形態』

期末論文として、現在要求されていることは、これまで読んできた、以上の文献のみを使って、論文を書くことです。データや資料などの一次資料は使ってもいいのですが、二次資料は禁止されており、概念などの引用などもできません。
この範囲で、A4用紙15枚以上で要求されています。
担当教官は、クリスチャンで、道徳性やソリダリティ(連帯)に関心がある人で、マルクスにはやや批判的で、ウェーバーやデュルケームが好きそうです。
ちなみに他の友達たちの研究計画書を見ると、デュルケームをベースにしたものが多いようでした。
そんな中で、私は、もともと文化、民族、国家、フェミニズムに興味がありましたので、その方面から書けないものかと、悩んでいたのでした。できれば「女性の労働」に関連できればいいなぁと思っていますが、問題は上記の文献から「女性の労働」というテーマが可能かどうかということでした。一つの可能性としては、「マルクスの女性観、女性の労働と家事労働」ということを取り上げることができないか、思案中です。外国に留学にきていて、翻訳を取り寄せて日本語を読める場合もありましたが、こちらの言語で読まなくてはならないこともあり、必ずしも上記の文献を理解できているわけではありません。
あるいは、別のテーマでの可能性がありますでしょうか?
ここは韓国で、マルクスはかなり読み込まれており、私のような初心者には、マルクスは少し負担が大きい気もします。しかし上のテーマでの可能性があれば、ぜひ挑戦してみたいとも思っています。
参考文献を使ってはいけないという制約がありますが、密かにヒントにしようと思っている本は、上野千鶴子『家父長制と資本制』です(これは持ってきているので手元にあります)。
締め切りは、12月20日で、かなり迫っています。これまでの怠惰を悔いていますが、何とかラストスパートをかけたいと思っていますので、お力を貸していただけますと嬉しいです。
補足ですが。
私は現在、大学院修士課程に在学中で、学部の専攻は社会学ではなかったので、現在、格闘中です。レベルの低い院生だと呆れられるかも知れませんが、何とぞ、よろしくお願いします。

お礼日時:2001/12/07 22:03

質問者の方は社会学を学ぶ学生さんなのでしょうか?なぜジンメルが出てこないのかと、ちょっと疑問なのですが…おいておきます。



自分で本を読んで考えてもらいたいの、基本的なところを、
一応大まかに、答えます。デュルケム、ウェーバー、マルクスの共通点としては、一人の努力や怠慢では動くことの無い「社会」というものを認識した、あるいは「発見」した、ということではないかと思います。相違点は方法論(その「社会」に対するアプローチの仕方、つまりどのように「社会」を捉えるかということ)が違います。デュルケムは、「社会」を個人に還元できない独特なものとして捉えました(方法論的社会主義といいます)。ウェーバーは、対照的に「社会」を個人の「行為」に還元できると考えました(方法論的個人主義といいます)。
マルクスについては、「社会」の捉え方としては、デュルケムの方に近いですが、
マルクスは、問題意識が違っているのです。前の二人が「社会」を「学問的」に捉えようという意識があったのに対して、マルクスは「社会」を「実践的」に捉えます。つまり、「社会を変えよう」という問題意識に支えられています。マルクスは当時の疎外された人間社会を変えようとした革命家であると言えます。

以上をアタマにおいて、以下の参考文献を読んで見てください。
デュルケム『自殺論』中公文庫。
     『宗教生活の原初形態』岩波文庫。(現在売ってます、買いです。)
M・ウェーバー『プロレスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫。
マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫。
    
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ジンメルがないのは、授業で扱わなかったからです。この3人を授業で扱ったのですが、この3人だけの文献を使って、オリジナリティのある論文を書くことが課されています。私は文化や女性問題に興味があったので、そちらからせまってみようかと思ってみたのでした。mamukuさんに参考に挙げていただいた文献はまさに課題文献で、つまりそれらを読んで、自分なりに書けということになっています。やっぱり基本なんですね。
実は明日までに研究計画書を書かなければならないのですが、まだお手上げ状態です。お答えを参考に一晩考えてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/05 20:20

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今、マックス・ウェーバーについて勉強をしています。
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そこで私だけの意見では偏ったものになってしまうので、みなさんの意見を聞きたいと思いました。
みなさんはウェーバーをどのように思っているんでしょうか?
ウェーバーについての感想で構いません。
どんなことでも構いませんので教えてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

 まあ偏らないように、ウェーバー論争みたいなものを勉強しつつ、ウェーバーを読むといいのではないでしょうか?ウェーバーは初期・中期・後期に分けられると思いますが、ここで説明できるほど私は詳しくありません。

 私のイメージでは社会学的な分析としての資本主義の精神や官僚制の問題、あとは彼の宗教社会学がとても大きい業績です。あと社会科学の方法としての「客観性」論文が今の社会学に大きな方法論的基礎を与えているので大切ですね。

 日本のウェーバー学はもともとマルクスの補完的問題として考えられ、「マルクスとウェーバー」としてとらえられた経緯があります。平たくいえば資本主義ってどうやってできるの?ということです。 これはもちろん経済学の祖アダム・スミス『国富論』と、それを批判的に発展させたカール・マルクス『資本論』によって解明されました。

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 ギデンズはマルクスとウェーバーの両方の理論を批判的に発展させて、近代社会の構造と問題を明らかにしました。簡単にいうと、マルクスは資本主義をとらえ、ウェーバーは資本主義と産業主義の両方の問題を見ていました。でも一番大きいのは、マルクスは国家の問題を軽視したのに対して、ウェーバーは国家の問題を強調したことにあると思います。ギデンズはそこで国家の支配や構造を重視するわけなのですが、これはウェーバーが取り組んだ「官僚制」の問題にルーツがあります。

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 そこには国民国家の支配と統制のあり方が関わらざるをえない。私にとってウェーバーはそういう視点を与えてくれる気がします。

 まあ他にもいろいろですが、ここらへんで。

 まあ偏らないように、ウェーバー論争みたいなものを勉強しつつ、ウェーバーを読むといいのではないでしょうか?ウェーバーは初期・中期・後期に分けられると思いますが、ここで説明できるほど私は詳しくありません。

 私のイメージでは社会学的な分析としての資本主義の精神や官僚制の問題、あとは彼の宗教社会学がとても大きい業績です。あと社会科学の方法としての「客観性」論文が今の社会学に大きな方法論的基礎を与えているので大切ですね。

 日本のウェーバー学はもともとマルクスの補完的問題と...続きを読む

Q北方領土と竹島問題の相違点

北方領土問題に関しては、日本は国際司法裁判所にはこの問題を提起していると全く聞きませんがどうなのでしょうか?
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概要 [編集]
ウェーバーの官僚制の理論では、古代エジプトや古代中国の前近代的な官僚制と、近代において出現した官僚制が区別され、後者には客観性(Sahilichkeit、即対象性、没主観性)という性質があるものとされる。即ち、彼は、近代的官僚制を、中立的に適用される規則や明確化された職務権限、更に階層性の組織構造という形式合理性で特徴付ける。 このような官僚制においては、他の組織の形態と比して、一方で、優れた業務の正確性と継続性や、曖昧性と恣意性を排除する性質などの積極的側面が認められ得るが、他方、官僚化が進むと形式合理性の論理によって組織は閉鎖化し、単一支配的な傾向が生じる。この閉鎖性をウェーバーは「鉄の檻」という比喩で表現する。 このように、ウェーバーは近代官僚制の、消極的な側面をも指摘する。

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関連項目 [編集]
職業としての政治
参考文献 [編集]
ウェーバー、世良訳『支配の社会学』(創文社、1962年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%85%8D%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6

1かれは 支配の問題を扱う必要があったのか、というより、彼の生涯のテーマのように思います
2支配の社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
『支配の社会学』(Soziologie der Herrschaft)とは1922年に社会学者マックス・ウェーバーによって発表された官僚制を主題とした研究である。

概要 [編集]
ウェーバーの官僚制の理論では、古代エジプトや古代中国の前近代的な官僚制と、近代において出現した官僚制が区別され、後者には客観性(Sahilichkeit、即対象性、没主...続きを読む

Q日本の植民地支配を受けた朝鮮と台湾の相違点

日本の支配を受けた韓国・北朝鮮はそのことを因縁に持ち、日本との関係悪化の元凶の一つとなっています。台湾はそれと比べると反日感情はありますが、韓国・北朝鮮ほどではないようです。李登輝前総統は後藤新平氏に好意的で、金美齢氏は靖国神社に肯定的なようです。朝鮮半島のどことが違うのでしょうか?

Aベストアンサー

下URL参照
【台湾出兵】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5


上を御覧になられたら下URL
【台湾の歴史】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
この中に、『清朝統治時代』、『日本統治時代』、『南京国民政府
統治時代』の各々章があります。 時代を比較して分かる事は日本に
よる近代化が現地民にとってどれほど有難かったかということです。 
まず注目していただきたい点は

1.近代化(自然環境との戦い)

人間が育ち難く、死に易いという苛酷な自然環境があった事です。
近代化による日本の開発によって、台湾は随分住み良い所になった。
この点を踏まえるとると朝鮮半島は元々人間にとって暮らし易い場所
です。 女子まで含めて考えると日本による近代化の有り難味は台湾
人ほど朝鮮人にはありません。
後に教育・厚生は悪魔(→日本人)のしわざで、インフラ整備などは
日本自身のためにやった迷惑工事となります。


2.統治(政策)

次は人災というべきなのですが統治者は中国人です。 台湾ではこの
『統治者による人災の時代』が日本統治時代を前後します。
一方韓国の場合、統治者が日本の前は中国人である点は台湾と同じと
して、日本の後は朝鮮系アメリカ人による統治になります。

大韓民国(韓国)初代大統領が李承晩(下記URL)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9#.E5.AF.BE.E6.97.A5.E6.94.BF.E7.AD.96
ここの『対日政策』が現在までの反日の基軸です。 この人がどういう
人物かは以下
李承晩ライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
他方

朴正煕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95
この人は非常に貧乏家の出身でしたが優秀であったため、日本の統治
時代に出世をして世に認められた人です。 較べて言えば親日な人で
韓国経済は発展し、韓国軍も強力になりました。 が軍事独裁体制で
孤立し、韓国の民主化を巡って米国や日本とモメました(文世光事件)。
KCIA部長によって暗殺されましたがアメリカCIAの支持を得て朴正煕
大統領暗殺に踏み切ったと噂されます。 それ以後の韓国は再度、
反日政策が機軸となります。


3.戦争と講和

最初に【台湾出兵】を考えて戴きたかったのは、台湾人は日本人と果敢
に戦い、その後に友好国となった事を知ってもらうためです。 朝鮮人
はそれらしい抵抗もできず韓国併合に至りました。 ほとんど戦闘が無
かったため和解(講和)の必要もなかった訳です。 講和する必要が政府
(権力者)に無ければ国民に説得(元敵に対する友好政策を)する必要も
ありません。

*追
軍隊の新米派遣をやっている時代は米国に内政配慮をしてもらえるが、
米軍に協力している時代でなければ大統領といえども暗殺される危険
があります(韓国人は元々反米)。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

下URL参照
【台湾出兵】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5


上を御覧になられたら下URL
【台湾の歴史】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
この中に、『清朝統治時代』、『日本統治時代』、『南京国民政府
統治時代』の各々章があります。 時代を比較して分かる事は日本に
よる近代化が現地民にとってどれほど有難かったかということです。 
まず注目していただきたい点は

1.近代化(自然環境との戦い)

人間...続きを読む

Qマックス・ウェーバーについて

カテ違いでしたらすみません。

大学のレポート課題で、ウェーバーの方法論の現代的意義について調べているのですが…

ウェーバーの思想や、それが資本主義に結びついたことなど、「ウェーバーについて」は本を読んで理解することはできました。

けれど、どうしても、「その現代的意義」とはなんなのかがわからないです…

ご助言お願いいたします…!

Aベストアンサー

全くの門外漢で申し訳ございませんが、この辺にヒントなどないでしょうか。。。

http://www.chiwoong.com/leebrs/chiwoong/pweber.html

Q日本人の誇りとその相違点(かなり長文です)

先日、会社の同僚と今置かれている日本の立場や情勢について話をする機会がありました。
その同僚とは、基本的に公私共に良好な関係であると思っています。

いつも馬鹿話をしては笑い合ったりしているのですが、ただ一つ、どうやっても交わらないと言うか、両者共に絶対に譲れない部分があるのです。
それが、上記に挙げた話です。

ネットでも、よく「ネトウヨ」や「ブサヨ」などの言葉が飛び交っているように、どちらかと言えば彼は「右」、自分は「左」と呼ばれている立場の人間だと思います。

元々、自分自身、そのような自覚はありませんでしたが、基本的に自分は「憲法9条の護憲派」ですし、韓国や中国の反日活動を行っている者などはともかくとしても、民族全体として何かを捉える事はありません。
過去に、このサイト内でそのような発言をした際、そのように回答される方が多くおりましたので、客観的に見ても自分は左巻きなのだろうと思った次第です。

さて、先日の話の中で、例の「河野談話」について触れる場面がありました。

彼は「河野談話など、ありもしない強制連行を認めやがって。あれのせいで日本が未だに叩かれたりタカられているんだ。あいつは本当に日本人なのか?」
と言っていました。

自分は、どうしてもその言葉に違和感を感じてしまいました。

河野談話や村山談話など、国や政府として認める事、認めない事の良し悪しについてはさておき、「日本人であれば当然のように強制連行の事実は絶対になかった」と言わなければならないものでしょうか?
そうでなければ「日本人ではない」と、そう見られるのでしょうか?

自分は、れっきとした日本人であり、日本と言う国に対しても誇りを持っています。
しかし一方で、強制連行は実際にあったのではないかとも思っています。
ただ、「それが全てではない」とも思っています。
0でも無ければ100でも無い。
もし、本当の真実が「どちらの言っている事も本当」だとするならば、どう対応するのが日本人として正しい行動なのでしょうか?

自発的に売春を行った者もいれば、強制された者もいるだろう。

自分がそう思ってしまうのは、何も韓国、朝鮮人の発言を重視したり信じているからではありません。

史実が、そこの国によって違うのは、確かに過去の文献や証言に間違いが数多くあったせいでもありますが、一方で何をどう言っても自分達の都合に合わせたものになっている為だと思います。

それを踏まえて考えた場合、旧日本軍が、過去に行ってきた唯一の真実。
「自国の人間に対して行ってきた行為」こそが、自分の考えを後押ししている一番の理由になっているのです。

「特攻隊」や「欲しがりません、勝つまでは」
あのような扱いを自国の人間に対してしていた当時の国や軍が、敗戦国の人間に対してだけ特別な扱いをしたと本当に思っているのでしょうか?

先日、韓国籍の男性が日本人を刺した事件が起こったばかりです。
どんどん憎しみが伝染していく感じがします。

一体何を言いたいのか?では一体どうするべきなのか?
自分でもよく分かっていない事は確かではあります。
批判される事は承知の上ですが、どうか今後の参考にさせて頂きたく、ご意見ご感想を頂ければと思います。

先日、会社の同僚と今置かれている日本の立場や情勢について話をする機会がありました。
その同僚とは、基本的に公私共に良好な関係であると思っています。

いつも馬鹿話をしては笑い合ったりしているのですが、ただ一つ、どうやっても交わらないと言うか、両者共に絶対に譲れない部分があるのです。
それが、上記に挙げた話です。

ネットでも、よく「ネトウヨ」や「ブサヨ」などの言葉が飛び交っているように、どちらかと言えば彼は「右」、自分は「左」と呼ばれている立場の人間だと思います。

元々、自分自...続きを読む

Aベストアンサー

>日本人の誇りとその相違点

私の理解力が足りないのでしょう、質問者様が仰りたい論点が今一つ判然としない、依って以下私なりの解釈になる事を、御了解頂きたいが・・。

昨今危惧される世論の右傾化その背景には、確信的左派を政権の中枢に置いた前民主党政権への危機バネ、及び中韓両国が為す執拗且つ意図的な日本叩きがその根底にあるものと理解します。

一方に於いて「従軍慰安婦問題」並びに「強制連行」、日韓に横たわるこの種のテーマに関しては、どうやら神学論争の様相を呈している模様。

何しろ日韓双方が偏向に凝り固まったバイアスを通して論争を繰り返す訳ですから、恐らく未来永劫平行線を辿るのは間違いない、その間に現在ですら稀少な語り部の多くが世を去って、益々真実に対する検証が困難となってくるのでしょう。

そして徐々に問題に対する本質から乖離し、一方の韓国は日韓併合以来の憎悪を語り続け、他方我が国は客観的資料を基に本件を否定する一方で、インフラ整備・教育・衛生観念の付与他、当時世界の最貧困・後進地帯であった朝鮮半島に施し費やした莫大な血税と恩恵を主張する訳で、徐々にエモーショナル且つ不毛な対立になりつつある、ここ最近日韓の対立がより先鋭化した背景がそこにあります。

そもそも戦後の長い間、我が国に於ける韓国・朝鮮問題は一種のアンタッチャブルでした。
そこには事実上かつての植民地に対する或る種の後ろめたさもあったのでしょう、ほぼ韓国側の一方的な攻撃に終始したが、その余りに執拗且つ理不尽な論調、しかも存在したか否か判然としない案件に関し、いつまでその種の糾弾を甘受しなければならないのかという懐疑、更には靖国問題その他に見られる露骨な内政干渉・言い掛かりに対する違和感と反発が、若い世代そして元来がニュートラルに属していた層をも含めて、極端な嫌韓へと走らせているのもまた事実であろうかと思われます。

例えば朝日新聞並びに吉田某が点火し、国内外に波紋を呼び起こした「従軍慰安婦の強制連行」に関して、既に完結済みの客観的事実のみを申し上げておきますと、1989年時点に於いて在韓新聞社自身の調査に依り、本件は荒唐無稽な捏造であった事が証明されております。

次いで、元来朝鮮総連の運動家が唱え、その後「強制徴用」という言葉に巧妙に摩り替えられて、一時日本に於いてすら支配的認識であった一般朝鮮民衆の「強制連行」に関してですが、終戦直後日本に留まっていた朝鮮人のうち徴用者は僅か245人であったとのかなり確度が高い調査結果が、1959年に外務省に依り提出済み。

つまり戦後流入してきた数十万に及ぶ朝鮮半島からの不法入国者及びその子孫が、唯一日本に居住する免罪符としての効用を果した続けた「強制連行」はほぼフィクションであり、さりとて彼らの殆んど全てが、サンフランシスコ講和条約の在留資格保持者にもほぼ該当しない為、韓国の経済的困窮或いは政治的迫害に由来するであろう、自由意志に依る密入国者という事が結論付けられます。

そして何より、祖国を食い詰めて流れて来た彼ら不法滞在の半島出身者に、住まいを与え・食を与え・生活保護の資格すら与えたのは、本国に住む彼らの同胞では決してなかったという歴史的事実、その全ての原資は、当時自らの食すら担保出来なかった、日本国民の尊い血税から捻出されたものである事を銘記すべきです。

なるほど質問者様が仰りたい事は正論かも知れない、依って私としても極力客観的事実に基づき以上述べさせて頂いたが、以下私事を少々語らせて頂きますと、我が家は祖父・叔父の代まで明治開闢以来綿々と続く帝国軍人の家系でした。

終戦当時祖父は某内地の司令官に任命されておりました関係上戦死を免れましたが、一方6人男子の末っ子で、戦争当時まだ幼かった私の父を除いた叔父5人は、南方戦線に於いて全員が戦死、更には農地解放の美名の下地域有数であった家産は取り上げられ、殆んどの日本人家庭と同様、戦後の一時期我が家も困窮を極めたようです。

多くの部下を戦死させた事への悔恨・息子達の戦死・余りに急激な価値観の変化に依り、生き残りはしたが、精神を病んだ祖父に代わり、事実上一家の当主として機能したのが私の祖母。

彼女は職業軍人であった息子達が、祖国を護る為に若い命を散らした事に関し、お国に対し一言の恨み辛みをも申さず、80余歳であの世へ旅立ちました。

一方に於いて、一片でも息子達の遺品が見つかりはしまいかと、老齢を省みず都合7度に及び日本遺族会並びに民間の遺骨収集団に全て自費参加しましたが、当然の事ながら思いは果せず、代わりに主要戦域に於ける慰霊碑建設事業に、当時祖母のほぼ全財産であったと思われる、なけなしの数千万円を寄付致しました。
その際窓口となった厚生省の某官僚が、涙を流して感激したさまを、私自身今尚鮮明に記憶しております。

多くの家族を失い・資産を失い・明日の食にも窮したのは、あの時代我が家に限らず決して特別な事ではなかった、それでも尚殆んどの日本人は歯を食いしばって戦後の復興と繁栄を築き上げたのです。
「特攻隊」や「欲しがりません、勝つまでは」の一体何を知っているのか理解不能だが、少なくとも頭でっかちな知識で同列に論じて欲しくないというのが正直なところ。

今更そして殊更言い立てる気は無いが、祖国を護る為に死んで行った英霊の遺族の殆んどは、戦後不法に入国してきた韓国・朝鮮人の足元ほどにも報われてきませんでした、これは厳正なる事実です。

一方ここでは靖国問題に於ける本質は置きます、置きはしますが、以上申し述べた個人的な背景もあって、当該問題に容喙する韓国側の姿勢には憤りしか感じ得ない、更には靖国の本質を何等理解せず、遺族の感情をも全く無視して、韓国の主張に付和雷同する一部議員の方々は、この事実を以って何とお感じになられるか、御聞きしたいところです。

長くそして過酷な戦争でした、当然それなりの事はあったでしょう、日本軍・日本人に依る糾弾されるべき行為、或いはそれに準ずるサムシング諸々はあったのかも知れない、それを全否定するつもりは毛頭ない、しかしながら平和な現在の価値観からのみ全てを判断するに至るのは如何なものか、そう考えたりもするのですが・・。

以上、長くなりました。

>日本人の誇りとその相違点

私の理解力が足りないのでしょう、質問者様が仰りたい論点が今一つ判然としない、依って以下私なりの解釈になる事を、御了解頂きたいが・・。

昨今危惧される世論の右傾化その背景には、確信的左派を政権の中枢に置いた前民主党政権への危機バネ、及び中韓両国が為す執拗且つ意図的な日本叩きがその根底にあるものと理解します。

一方に於いて「従軍慰安婦問題」並びに「強制連行」、日韓に横たわるこの種のテーマに関しては、どうやら神学論争の様相を呈している模様。

何しろ日...続きを読む

Qマックスウェーバーについて無知な人への説明

マックスウェーバーの前提知識がない人に、ウェーバーについて説明するとしたら、どのようなことを話したらいいのでしょうか?
私自信もまだ勉強不足なため、上手く説明できません><;

1.ウェーバーの思想とは、具体的にどのようなものだったのか

2.それが現代社会に及ぼす影響とは何か

特にこの点についてお聞きしたいです。

明日までというかなり緊急な状態のため、回答できる方はぜひお願いします!!!

Aベストアンサー

 理系なので、多少偏っています。

 マックスウェーバーは、歴史学者で社会学者ですが、自分ではどちらとも言った事はないと思います。当時のドイツ(プロイセン帝国)では伝統的に、歴史的必然によって現社会になった、という立場が主流だったと思います。そう言われると当然のような気もしますが、当時の内容は、現在思い浮かべるものとかなり違います。その辺りは、ご自身でご確認下さい。キーワードは、シュモラー,ドイツ歴史学派などです。

 ウェーバーも先の学派の一員ですが、歴史学と社会学を分離するところから始めます。自身の社会学的方法を、歴史的文脈を分析できるかどうかで検証し、検証結果に基づいて現社会に適用する、という行動だったと思えます。

1.理念型モデルの提唱
 ある社会なり時代なりを、いわばステレオタイプ化して、その社会を成立させる動機付け(エートス)の明確化を可能にする、理解社会学の基礎を提唱します。この手法は、今ではある意味常識だと思います。フィールドワーク的な有名な著作は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。

2.学問価値自由論
 歴史の分析を通じて(と思えます)、エートスの価値は、学問(科学)によっては説明も証明もできないという立場を取ります。故に学問は、いかなる価値判断とも無関係だとなります。例えば核物理の研究の正否は、それが核戦争に用いられるかどうかとは関係ないという話にもなりますが、ウェーバーの言いたかった事は逆です。学問はいかなる価値判断にも準じるな、です。これも今では当然と思えますが、当時は違いました(シュモラーらとの対立)。

3.価値の通約不可能性
 よって価値は、説明可能なものでなく、信じるものになります。つまり、ある価値を信奉すれば、原理的に他の価値は認められません。価値の衝突は絶え間なく起きる事になります。何か、イラン・イラク戦争などを想起させますが、これにより、どんな社会(西欧,非西欧など)も、ある意味平等です。そして学問は、他人の価値を理解する方法にはなる、という立場を取ります(価値の根拠の説明はできないが)。ある価値を理解する事と認める事は違うという彼の立場が通じないために、歴史学派の学会の席をたったという有名(?)な話があります。

4.職業としての政治
 ゆえに政治とは、価値の表明です。これはさっきと逆です。政治とは、学問と無関係な行為です。これも危なく聞こえますが、政治に学者を抱きこむな、と言っています。2.とこれは合わせて、当時のドイツの官学癒着に対する、独特の学会批判と政治批判になっています。

5.心情倫理と責任倫理,近代人
 信じるもの,価値=心情倫理(キリスト経含む),結果責任(学問?)に基づく行為=責任倫理という構図です。価値は説明できなくても、結果責任により価値の衝突を回避する(理解する)事、だと思います。この結果、人は、自身と社会との間に「異様な緊張を孕む、自律的存在」となるが、それが近代人の宿命だと言います。

6.組織論
 以上の統合を経て、これも彼が先鞭を付けたと思われる組織論が出ます。その中で彼は、当時のビスマルク官僚体制を批判すると同時に、同じ視点から返す刀で、黎明期にあった社会/共産主義は、いずれ破綻すると言います。自分には、ソ連の崩壊を200年前に予見したように思えます。ウェーバーはある意味、自由主義の申し子です。

7.ウェーバーその後
 ふるいですが、1960~70年代にウェーバー・フリークと言われる学派(?)がありました。バーガーに代表される人達です。バーガーの有名な著作は、「聖なる天蓋」「故郷喪失者達」などです。ウェーバーの始めた理解社会学のその後の系譜がわかると思います。

 理系なので、多少偏っています。

 マックスウェーバーは、歴史学者で社会学者ですが、自分ではどちらとも言った事はないと思います。当時のドイツ(プロイセン帝国)では伝統的に、歴史的必然によって現社会になった、という立場が主流だったと思います。そう言われると当然のような気もしますが、当時の内容は、現在思い浮かべるものとかなり違います。その辺りは、ご自身でご確認下さい。キーワードは、シュモラー,ドイツ歴史学派などです。

 ウェーバーも先の学派の一員ですが、歴史学と社会学を分離す...続きを読む

Qデュルケームの「社会分業論」って何?

明日、デュルケームの「社会分業論」についての試験があります。語句説明や、カッコに用語をいえれないといけなかったりするそうで、試験時間は20分ほどです。さて、ポイントはなんなのか、さっぱりわかりません。どこを重点的に理解していけばいいでしょうか?

Aベストアンサー

有斐閣の『社会学小辞典』から。

社会的分業
技術的分業や経済的分業に対置される概念。これについて説いた学者は多いが、とくにデュルケムは分業が能率や経済効率を増進させるという側面よりも、複数の個人のあいだに道徳的連帯を生み出す事実に注目して、社会的分業を体系的に明らかにした。そして、この分業の発達が社会を機械的連帯から有機的連帯へと、連帯の性質そのものの変化を伴って進むものと見た。また、とくに有機的連帯が正常な道徳的連帯を生まない場合の分業を無規制的分業、拘束的分業などの異常形態と見て、現代社会を批判した(以下略)。

キーワード:機械的連帯、有機的連帯

大学のテストはすくなくとも講義に出席していたことを前提として行なわれますので、マルクスと対置させる場合、スミスと対置させる場合もあります。その場合はご愁傷様です。
社会学史のテストなのでしょうが、講義に出ていなければ当然点数は低くて然るべきと考えましょう。点数が低くても、すべてはbinbouさんの自己責任です。

関連概念:マッキーヴァーの「コミュニティ」と「アソシエーション」など。
『社会学の基礎知識』(有斐閣)で復習しましょう。

訳書は田原音和(たわら・おとより)訳『社会分業論』(青木書店)。
井伊玄太郎訳(講談社学術文庫)はお勧めできません。

有斐閣の『社会学小辞典』から。

社会的分業
技術的分業や経済的分業に対置される概念。これについて説いた学者は多いが、とくにデュルケムは分業が能率や経済効率を増進させるという側面よりも、複数の個人のあいだに道徳的連帯を生み出す事実に注目して、社会的分業を体系的に明らかにした。そして、この分業の発達が社会を機械的連帯から有機的連帯へと、連帯の性質そのものの変化を伴って進むものと見た。また、とくに有機的連帯が正常な道徳的連帯を生まない場合の分業を無規制的分業、拘束的分業などの...続きを読む

Qウェーバーの「支配の三類型」

テストでウェーバーのことがでるという話なんです。
授業を振り返ってみるとウェーバーの話は「支配の三類型」しか覚えていません。(情けないです)それなので、
ウェーバーの支配の三類型ですが、官僚が三類型の1つだとおもうのですが、あとはわかりません。あとの2つとその説明をしていただきたいのですが。ほんとに申し訳ないことです。あと文献も与えていただけると嬉しいです。
なにとぞお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。

ウェーバーの「支配の三類型」は、以下の3つに分類されます。

【カリスマ的支配】
カリスマとは特定の人物に宿る畏怖すべき資質のことで、この支配は人々がカリスマ的人物に畏怖の念を抱くことで服従する

キリスト・ナポレオン・レーニン
この支配の問題点は、カリスマが宿る人物は、ごく限られており、その人が死んだ場合その支配体制をどうやって維持していくか(カリスマの日常化)ということである。
<日常化の手法>
(1)世襲カリスマ
カリスマ的人物の子孫もまた、カリスマを持つと考え、代々カリスマを世襲する
例:本願寺の法主・茶道の千家
(2)官職カリスマ
組織上の地位にカリスマ性を付与して、継承していく
例:ローマ法王・ダライ=ラマ

【合法的支配】
制定された規則の正当性を自明のものとして支配する
情緒的なきずなは存在しない
行政官僚制の支配・企業
近代社会における主要な支配形態

【伝統的支配 】
伝統を神聖視し被支配者が自発的に支配者に服従している
この場合の忠誠心は恭順とよばれる男性支配・封建的主従関係・君主制

文献は参考URLを参考にされてください。

参考URL:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~yano/weber/bib.htm

こんにちは。

ウェーバーの「支配の三類型」は、以下の3つに分類されます。

【カリスマ的支配】
カリスマとは特定の人物に宿る畏怖すべき資質のことで、この支配は人々がカリスマ的人物に畏怖の念を抱くことで服従する

キリスト・ナポレオン・レーニン
この支配の問題点は、カリスマが宿る人物は、ごく限られており、その人が死んだ場合その支配体制をどうやって維持していくか(カリスマの日常化)ということである。
<日常化の手法>
(1)世襲カリスマ
カリスマ的人物の子孫もまた、カリスマを持...続きを読む

Qあなたが考える日本の社会の改善点

日本の社会のこの部分がこのように変われば、社会はもっと

良くなるのにな!と思うようなことないでしょうか?

Aベストアンサー

私個人の考えですが、
暴力がどこから生まれるか考える授業を増やす事と思います。


人は悲しみを抱え続けると苦しくて堪らなくなり、
怒りや憎しみに変換し発散しようとしてしまう。
感情的な暴力の裏にはその人の心の傷の形がにじみ出る。
単純に暴力を否定しても暴力が生まれる構図は変わらない。

悲しみや苦しみから人を拒絶する結論を導き出し言動すれば、
拒絶された相手は傷付き苦しみ自分が拒絶され返されやすくなる。
応酬の結果双方傷が深まり暴力が熟成され周囲も迷惑を被る。

悲しみや苦しみから、人の悲しみ苦しみを理解する力を得れば
言葉による心の殴り合いは抑え軽減できる可能性が高まる。

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悲しみ苦しみや、怒りや憎しみを抱えれば抱えるほど、
その感情に囚われて過ごす人生の時間は増加し、
ストレス解消に娯楽に浸る時間を増加させ、
ストレス解消の為の資金を稼ぐだけの人生に偏らせる事すら増やす。

悲しみ苦しみや、怒りや憎しみ の悪循環を軽減するほど、
人は些細な好奇心から新しい知識に触れ、
色々な人と話し人が何を欲し何が有れば豊かになれるか考えて行く。
新しい便利を想像し創造する為に人と協力できる可能性が広がる。

悪循環の感情に囚われて非生産的になるか、
好循環の感情から自分に出来る事さがし地道に従事し向上するかで
その人の社会(人)からの扱われ方は変わる。
その人が感じる社会(人)での心の居心地、居場所が変わる。

それは繰り返しに疲れがちな日々に生きる意味を持てるか、
持てずに不満をぶつけ合って傷付け合って多くを失って
自暴自棄的に傾いて行くか否かすら変えて行く。


社会に暴力の脅威が増えるほど
経済は暴力のリスク対策に注力させられ、向上には従事できなくなる。
向上から遠ざかり競争力を失うほど、
外部から競争力があるものが入った途端に淘汰されやすくなる。

経済を安定させ人々の暮らしを守る為に多くの社会保障がある。
暴力に傾いて人と心の殴り合いを繰り返し、
社会での居場所を失くし、
自暴自棄に暴力的な手段ででも生活しようとする人が生まれ、
それを軽減する為に膨大な税金が投じられているなら、
根源的な軽減を考える事は合理的なのかもしれない。

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「自分に向けられた不愉快な言葉の裏には、
 どんな相手の経験が隠されているのか?」
それを知識として備えているかいないかは人生を大きく変える。

不愉快な言葉を不愉快なまま受け取り反論すれば、
双方が傷付け合う悪循環に自分も呑み込まれ引きずり込まれる。

不愉快な言葉の裏にある相手の苦しみ悲しみ怒りは何か考え、
相手の立場を最大限考えて理解する努力をすれば、
少しは違う形の折り合いを付ける道筋が見えて来る。


理解されず拒絶される苦しみを抱える人が増えるほど暴力は増え、
身近な人間関係にそれは波及して行く。
理解しあう努力をし理解してくれうる人が増えるほど、
それは小さな心の支えとなり忍耐力や優しさを育む糧になる。



一見無関係なものでも「人」で全て繋がっている面がある。
ほんの相手の気持ちや立場を知っているか知らないかで、
その(人の)輪で導き出される結論は変わる。

導き出した結論の内容によって人は抱く感情を変える。
軽蔑、称賛、嫌悪、共感、同情、理解など様々に。



暴力がどこから生まれるか?
暴力的な悪循環をどの時点でなら自分でも止められたか?
暴力的な悪循環をどの時点では自分にはもう止められないか?

社会の1人1人が少しだけ考え意識する事で
自暴自棄になる人や、
ストレスに従事させられ生きる人、
平穏にバランス良く生きれる人、
向上的や生産的に前向きに生きれる人
などの社会の構成配分が変わり、
社会的なコストもリスクもメリットも変わって行くのではないか
と思います。



まぁ。言うは易く行うは難しですね。
様々な活動が社会では行われていますので
その中で実際に効果が認められたものが社会に取り込まれ、
少しずつ社会は変わって行く というものかもしれません。

私個人の考えですが、
暴力がどこから生まれるか考える授業を増やす事と思います。


人は悲しみを抱え続けると苦しくて堪らなくなり、
怒りや憎しみに変換し発散しようとしてしまう。
感情的な暴力の裏にはその人の心の傷の形がにじみ出る。
単純に暴力を否定しても暴力が生まれる構図は変わらない。

悲しみや苦しみから人を拒絶する結論を導き出し言動すれば、
拒絶された相手は傷付き苦しみ自分が拒絶され返されやすくなる。
応酬の結果双方傷が深まり暴力が熟成され周囲も迷惑を被る。

悲しみや苦しみから、...続きを読む


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