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偏諱は主君から家臣に与えるものだと理解してます。上記歴代摂政関白を見ると将軍の偏諱を受けていると思われる例があります。(室町期なら満・持・教・政・・・江戸期なら光・綱・吉・斉など)公家は権力、武力、財力は劣っていても官位は一般には武家の将軍よりも公家の摂家の方が位は高い(足利義満、徳川家斉なら太政大臣なので将軍の方が上位だったこともあるでしょうが)と思います。これは偏諱でしょうか。偏諱ならなぜ将軍から摂家へ与えたのですか。

A 回答 (1件)

室町時代についてですが、足利義満は実質的には上皇(治天の君)で、摂政・関白の任命権も掌握していましたから偏諱をもらう家もありました。

その後も将軍の猷子(擬制的な養子)となって将軍の一字をもらう家もありました。
次に江戸時代ですが、二条家は16代光平より将軍の猷子になって将軍の一字をもらっていました
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この回答へのお礼

たしかに江戸時代は二条家だけでした。ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/29 23:48

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