有名な句を調べています。
有名な俳人までは調べて見ましたが、有名な句ってどういうものがあるのでしょうか?よろしくお願致します。


■小林一茶
■高浜虚子
■種田山頭火
■正岡子規
■松尾芭蕉
・古池や蛙飛こむ水のおと
・夏草や兵どもが夢の跡

■与謝蕪村

A 回答 (4件)

ざっとですが、



小林一茶

めでたさも中くらいなりおらが春
名月を取ってくれろと泣く子かな
我と来て遊べや親のない雀

高浜虚子

春の浜大いなる輪が画いてある
流れ行く大根の葉の早さかな     
蓑虫の父よと鳴きて母もなし

種田山頭火

分け入っても分け入っても青い山
もりもり盛り上がる雲へ歩む
炎天のレールまっすぐ
うしろすがたのしぐれてゆくか
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

正岡子規

もののふの河豚にくはるる悲しさよ
いくたびも雪の深さを尋ねけり
鶏頭の十四五本もありぬべし
痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず


松尾芭蕉

松島や ああ松島や 松島や
秋深き隣は何をする人ぞ
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
山路来て何やらゆかしすみれ草
閑さや岩にしみ入る蝉の声
五月雨をあつめて早し最上川

与謝蕪村

春の海ひねもすのたりのたりかな
菜の花や月は東に日は西に

あたりでしょうか(虚子や山頭火は好きな人でないとちょっと馴染みがないかもしれません)。
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■種田山頭火・・・私の好きな山頭火



 まっすぐな道でさみしい


 冬雨の石階をのぼる サンタマリア


 あざみあざやかな あさのあめあがり


 ふくろうはふくろうで わたしはわたしでねむれない


 ひつそり咲いて散ります



 

 
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■小林一茶 すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る


■高浜虚子 牡蠣というなまめくものをすすりけり
■種田山頭火 分け入っても分け入っても深い山
■正岡子規 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
■松尾芭蕉
・古池や蛙飛こむ水のおと
・夏草や兵どもが夢の跡

■与謝蕪村 春の海終日のたりのたりかな
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この回答へのお礼

■小林一茶 
・すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る
・やせ蛙 負けるな一茶 これにあり

■高浜虚子 
・牡蠣というなまめくものをすすりけり
・桐一葉 日当たりながら 落ちにけり

■種田山頭火 
・分け入っても分け入っても深い山
・夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

■正岡子規 
・柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

■松尾芭蕉
・古池や蛙飛こむ水のおと
・夏草や兵どもが夢の跡

■与謝蕪村 
・春の海終日のたりのたりかな


知っているものがたくさんありました!
有難うございます!

お礼日時:2005/11/18 08:21

■小林一茶


やせ蛙 負けるな一茶 これにあり
 一茶は蛙を自分に見立ててはげましている。

■高浜虚子
桐一葉 日当たりながら 落ちにけり
 虚子は秋の深まりをしみじみと感じている。

■種田山頭火
 夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ
  俳句の意味は辞典に載ってませんでした。

■正岡子規
 柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺
  法隆寺の門前の茶店で休んだ。そこで柿を食べていると、寺から鐘の音がひびいてきた。あたりの静けさとあいまって、秋ののどかさが感じられる。

■与謝蕪村
 春の海 ひねもすのたり のたりかな
  春の海は、一日中ゆったりとうねっていて、まことにのどかなことだ。「ひねもす」とは一日中という意味。


 ご参考になりましたか?
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この回答へのお礼

あっ、聞いたことあります!
有難うございます。

お礼日時:2005/11/18 08:17

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Aベストアンサー

塾の国語の教師をしております。

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季語についてですが、
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もちろん入っていたら×ということもないですけれど。

つまり、同じ「恋」を詠むにしても、
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短歌では季語との兼ね合いを考えなくても良いということです。ぶっちゃけキチンと体裁が整っていれば、今の気持ちを素直に詠んでもOKということになります。

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http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html

朔太郎の著作も古いものなので、これだけでは不十分だと思いますが、蕪村は芭蕉を尊敬し、目標としていたので、芭蕉を主観的、蕪村を客観的と分けることは、たしかに単純すぎるようです。
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写生
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https://kotobank.jp/word/%E5%86%99%E7%94%9F-186198

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坊城俊樹の空飛ぶ俳句教室
http://www.izbooks.co.jp/soraB14.html

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白牡丹といふといへども紅ほのか 虚子
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http://www.izbooks.co.jp/kyoshi76.html

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「季語」というものは基本的に「その季節に相応しいものなら何でも良い」訳ではありません。
ある一定の慣用的用法などをもとに歴史的な積み重ねを経て選ばれているものが殆どです。
ですから誰かが個人的に新しいものを作って俳句に盛り込んだとしてもそれが季語とは世間的には認められない訳です(無論個人的に楽しむ分にはどうやっても構わないでしょうが)。
俳句を嗜む方は良く「歳時記」というものを机に置いておかれますが、これはいわば「季語の辞典」です。
初心者の方などは特に歳時記とにらめっこしながら「この言葉を入れたいがこれは季語だろうか」や「この季語はどの季節のものだろう」などということを参照しながら作られる訳ですね。
当然のことですが「季語」は日本の文化に根ざしたものですから、勝手に対応する季節をずらすことも出来ません。
「そんな細かい決まりはどうでも良くてただ俳句を作って個人的に楽しみたいだけ」ということであれば勿論その辺りは如何様にでもなさって良い訳ですが、きちんと「俳句」というものを作ろうとされる場合には十分留意せねばならないことなのです。

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