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二元論、一元論と多く語られてきましたが、無元論というのはあるのでしょうかか?
最初に「ある」といえば、「ない」がでてきてしまい、「ないがある」ということで、ないの意味が失われます。しかし、最初に「ない」といえば「ないはない」つまり、ないものはない的な印象で、「あり」が生じます。ここで、「ないはない」におけるトートロジーが自滅し、「あり」になってます。
 あたらしく、でるものものもなく、また消えるものもない、ということが、まさにこの無元論で語れるのではないでしょうか?論ずるから無元論となってしまうのですが、もはや「0」と表記した意味しかないことを示していると思うのです。
一元論はありなしの問題を言うにもかかわらず、1というから0がでるわけで、0といえばなにもでません。一元論は、こういう風にすると無元論に移行できるのではないですか?
質問は、無元論というものがあったのか?ということと、これを語った時に起きる誤解や、語られた時に受ける印象というものを聞かせて欲しいです。宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

私自身は一元論を支持しますが、あえて「無元論(?)」に近い考え方を


あげるとすると、仏教の
 「色即是空、空即是色」
が一番近いように思います。

「色即是空、空即是色」の詳しい意味についてはご自分で勉強して欲しい
のですが、caballeroさんの
 >あたらしく、でるものものもなく、また消えるものもない、
という意見は、まさしく「色即是空、空即是色」の核心に迫る見解です。

この回答への補足

もう少し開けておきたいと思います。ご了承ください、。

補足日時:2001/12/13 08:27
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この回答へのお礼

貴重な回答ありがとうございます!アドバイスのように、さっそく色即是空 空即是色について調べてみました!どうやら、西遊記の物語りに出て来るそうです。三蔵法師が天竺にとりに行ったお経で、般若心経という怖そうな名前がついています。きくにまさる般若心経でした。仏教徒(悟りを求める者)は、これをよりどころにして、悟りを完成させるそうです。縛られないこころより、こだわらない。よって恐れることなくすべての煩悩などを取り除け、涅槃を完成するらしいです。
 お経お経というから現代において敬遠されるわけで、書物だといえばいいのですよね。いまさらお寺はこだわらなくてもいいのにって思います(全部がそうとは言いませんが)。ケーキが好きな人にはケーキをあげればいいのです。
 話が脱線してしまいましたが、この無元論には、言語ゲームの支配を受けないという性質があります。つまり、いろんな人によらず、これは真実であるんです。並ぶもののない言葉です。
仏教哲学に触れる機会があまりなかったのですが、今調べてみて、ずいぶんおろそかにされたものだと思います。経を唱えろとかいってもだめです。本を読めといわないから、、。(又愚痴ってしまいました、。お礼なのにすみません)宗教の名前なんてどうでもいいんです。英語と日本語の違いです。こだわらずに、西洋哲学をよんで、聖書を読んで、経典の翻訳を読めばいいんです。だから、「0」をしると、こだわらないので、悟りが始まるのです。
 cse riさんのおっしゃられたとおり、色即是空 空即是色 これは、無元論でした。やっぱりあったんですね。教えていただき、すごく感謝してます。仏教では「空」というらしいです。「0」ということと、「空」ということと、おなじです。というより、これのまえではすべてそうです。「」。よりも「0」のほうがいいです。「0」には色もあらわされています。「」では、難しくてわかりにくいです。
 宗教という言葉は、汚されました。汚れたものは捨てればいいのです。それはただの言葉だからです。汚れた服は着替えさせればいいんです。多くの悟りを志向する者は、こだわらないから、軽んじていると思われてしまったのでしょうね。彼らは誰よりも心豊かで命を知っているのに。
 なんかほんとにすみません。愚痴ってるみたいでもうしわけないです。本当にいいことを教えて頂きました!ありがとうございます。

お礼日時:2001/12/12 15:25

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