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こんばんは。前回父が脳梗塞で倒れた事で質問させて頂いた事があるものです。
そんな父が5日前に亡くなってしまいました・・。
植物状態ですが、自呼吸もできだしてこのまま安定すれば自宅療養の形までいけるのでは?!という勢いでした。
それが、イドウ(申し訳ありません漢字が解りません
)という手術(胃に穴をあけてそこから直接薬や栄養分等を入れていく形)を受けてから様態は急変。
血圧は一気に下がり、呼吸もどんどん薄くなり
結局イドウの手術をして1日で父の命は絶ってしまいました・・。その手術のせいではないと分かってはいるのですが、「あの時手術さえしてなければ父はまだ助かったのではないのか?」という気持も大きく、父の死がいまだ受け止めれません。
父が倒れて1ヶ月半姉妹で交代で寝泊りをして付き添っていましたが、この様な結果になってしまって今まで自分は何をしてきたのだろう・?と考えてばかり、父を守れなかった自分の力のなさに不甲斐ないばかりでいっばいです。父が倒れる前までは私は決していい子供ではありませんでした。いい歳して反発ばかり、生意気言ってばかり、話もあまりする方ではありませんでした。
そして残ったのは後悔ばかり・・。
親孝行もロクにできなかった・・。
嫁いでもいなかった・・。
父は何を伝えたかったのだろう?
どうしてほしかったのだろう?と自問自答する毎日です。そして、残された母にもどう接していいのかわからず、今はただただ傍にいるのが精一杯です・・。
実は今年1年で2人も身内を亡くしています・・。
今年初めに祖母を亡くし、やっと癒えてきた矢先でした・・。「まだ1年も経っていないのに追いかけなくても・・。」とも思ってなりません。
こんな私達に来年は少しでも明るい未来が出てくるの・・?そんな事まで考え出している今日この頃です・・。どうか良きアドバイスよろしくお願い致します。

A 回答 (8件)

お父様のご逝去、お悔やみ申し上げます。



この事は自分が気持ちの整理をつけられたから言えることなんですけど、自分も祖父が死んだ時は、まだ幼くて何もしてあげれなくて後悔ばかりしてましたけど、順番からすると当然の順番なんですよね。

それで、先代達が死ぬ事で様々な事を私らに教えていってくれるのは、先代達からの最後の人生の勉強だと思うんですよ。

奇麗事かもしれませんが、先代達が残していってくれた人生の教訓を自分の中で生かす事こそが、先代達への最大の餞になるのだと思うのです。

それと気休めかもしれませんが、あなたは「親孝行もロクにできなかった」とおしゃいますが、貴方が生まれた事自体大きな親孝行の一つでしょうし、育っていく中でも親孝行をしていると思いますよ。
(何しろ貴方がいた事でとても幸せな時間をすごせたはずですから)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「先代達がのこしていってくれた人生の教訓を自分の中で生かす」そうですね、確かに父は私達にそのことを分からせたかったのかもしれません・・。今はまだなかなかそこまで考えられないのが正直な所なのですが少しずつでも父が私達に伝えたかった教訓を見つけていけたらと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/24 18:14

大切な人を亡くした人に見てもらいたいフラッシュです。

人は死んでいなくなるのではなく、そこで立ち止まっているだけ。前向きに生きてください!

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkin …
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お父様のご逝去、お悔やみ申し上げます。


亡くなられて5日後ということで、今までの看病や葬儀のお疲れの出ている頃だと思いますので、まずはゆっくり休養を取って、体の疲れだけでも取れるように心がけて下さい。

私は今年の2月に父を亡くし、その2週間後に祖母(父の母)を相次いで亡くしました。10ヶ月余りが経ちましたので、「もう父はいないんだなぁ」と死を受け止められるようになって来ましたが、一方では「去年の今頃はまだ父も生きていたんだなぁ」と思うと切なくなります。

父は12月下旬に再入院し、1月下旬には打つ手がなくなり、長くはないと宣告されました。その日は、夕方まで父の病室に付き添い、翌朝早く病室へ行くことにして、少し早めに病室を後にしました。既に痛み止めの点滴で父の意識はほとんどない状態でした。その夜に父の容態が急変、駆けつけた母は臨終を看取りましたが、私は隣の部屋に携帯を置いて寝ていたので、朝起きてから父の死を知りました。例え携帯で危篤を知らされても、私の家から病院までの距離を考えると臨終には間に合わなかったと思うのですが、「何故夕べは病院に泊まらなかったのだろう」とか「何故携帯を隣の部屋に置いて寝てしまったのだろう」とか激しく後悔しました。

また、父が以前から「孫が生まれたら、麦藁帽子を被せて一緒に昆虫採集に連れて行きたい」と言う夢を母や弟に話していたことを後になって知りました。弟は未婚ですが、私は15年前に嫁いで家を出ています。どうしても子供を産んで育てていく自信が持てず、子供のいないまま過ごして来てしまいました。父からは孫の顔が見たい、等のことは全く言われたことがなかったのですが、実はこのような夢を抱いていたことを知り、親不孝をしたのでは・・・と言う思いを抱いています。

rikiseさんは今が一番辛い時期だと思いますが、時間が解決すると良く言われるように、妹さん共々、お母様をいたわってお過ごし下さい。3人仲良く過ごして行かれることで、お父様も安心できると思いますので・・・
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この回答へのお礼

Akane-Sakuraさんありがとうございます。
同じような境遇でとても気持分かります・・。
実は私も父の最期を看取れませんでした・・。
あと5分早ければ・・という状況でした。
今となっては「もしかして父は私に会いたくなかったのでは・・?」とも考えてしまいます。。
私は祖母の時も最期が看取れずとても後悔しました・
そしてその父までも・・という気持でいっぱいです。
やはり時間が解決するしかないですね・・
一日一日を大事に過ごしていけたらと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/24 18:28

確か私の父親も直接胃に管を通したと聞きました。


ある時その管の交換で出血してそのまま帰らぬ人となりました。
余りにも急な事で見取ったのは母親だけでした。

質問者様はまだ救われます
お近くに居て常々見舞っていられたのですから・・・。

私など妻子が居ますとなかなか簡単に顔を見にも帰られません。
仕事も有りますし、それが現実でした。

母も「あの看護婦が処置を間違った」と相当悔やんでいました。
兄弟で慰めるのに一苦労した記憶があります。
天命と思って諦めるしか方法は無いのでしょうね。

幸いにもお母様と一緒に住んでいらっしゃいます
貴女以上にお母様の落胆振りがうかがえます。
ここは貴女が気をしっかりされてお母様の支えになってあげて下さい。

それがお父さんに対する親孝行です。

頑張ってください。
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この回答へのお礼

risunotorasanありがとうございます。
確かに私は父が倒れてから死ぬ直前まで一緒にいれた事だけでも幸せかもしれません・・。
私も母が気がかりで仕方がありません。
私がしっかりして母の支えになれるように頑張って
いきたいと思います。

お礼日時:2005/12/25 00:28

お父さんは、今でも側にいらっしゃるかもしれないですよ。


亡くなってしまったが、もう一度会えたならこんなことを伝えたい、あの時の気持ちが知りたいと思っている、そんな遺族の方たちに亡くなられた方からのメッセージを伝えるという仕事をされている方が世界各地にいらっしゃいます。体験談を書かれた書籍も多く出版されています。
私が一度会ってお話を伺いたいなと思ったのはアメリカの方でジェームズ・ヴァン・プラグさんです。本を読みましたが、とても良心的でかなり具体的なメッセージでした。質問もできるようです。そのやりとりを記したものですが、大変心の暖まるエピソードが多く、感動しました。
「私たちは大丈夫だよ。今でも変わらず愛しているよ。(こういった
愛情表現は日本人には少しぴんとこないかもしれませんね。でも家族を思う気持ちはどこの国の人も一緒ですよね!) 死んでしまった私たちのことよりも安心して自分たちの幸せを見つけなさい。」というメッセージ(亡くなられた方から)が多かったです。
また、本の内容からジェームズさん自身も良心的で真摯な方だと見受けられました。ただ、ごめんなさいね、残念ながら国内の方の情報は持っていないんです。
今の私としては情報を伝えるということしかできないのですがジェームズさんの本はお役に立てると思います。
乏しい情報ですが、お役に立てれば幸いです。。。
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この回答へのお礼

yuko1968さんありがとうございます。
その本はだいたいどこの本屋でもあるのでしょうか?
早速買いに行こうと思います。
是非参考にさせて頂きます。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/25 00:37

とても悩んでいるんですね。



私、もう2年程前になりますが、
母がガンで他界しました。
ガンであると他界する一年以上前から
家族は知っており、私もそれを知りながら
死に至るまで何も孝行せず、他界前の一ヶ月
を母のベッドの横でただ見ていることだけ
しかできませんでした。
死を目の前にした母に何をしていいのか、
なにができるのかさえ考えつかず、ただ、
そばにいることしかできませんでした。

他界する前、母がなにかを私に伝えたかった
ようで、他界前に、私に逢いたい、逢いたい
としきりに訴え、母の死を認めたくない私が
死の1ヶ月前にようやく母の見舞をした訳
です。それからは毎日、母に寄り添う日々で
したが、母は、特になにを語ることもなく、
他界しました。ただ、そばにいただけで母は
安心したのか?わかりません。
記憶に残る数少ない言葉は「おまえのことが
心配だ、、、こんなはずではなかったのに」
と、、、、。

きっと、あなたのお父様も、あなたがたの
これからのことを心配していたと思います。
もっと見守っていたかったと思います。

言えることができるとは私にも申せませんが、
生きている人が明るい未来を作ることが亡き
母やあなたのお父様の願いであると思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
私も父が亡くなる前に私や家族に何か伝えたかったのでは・・?と今でも思います・・
悔いがあったのでは?
どうしても何か伝えたかったのでは?
思いは様々です・・。
これからの明るい未来が作れるように努力していきたいです。ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/26 23:25

まずはお悔やみ申し上げます。



身内の死が重なると、中々気持ちは上手くまわらないものですよね。自分もあなたと同じ状況でした。

今すぐどう?こう?とは、おっしゃられているようにできないと思います。また後悔ばかりが頭に浮かんでくるものだと思われます。
自分も「親孝行、したいときには親がなし」という川柳を思い出しました。それを聞いたときは、「ふ~ん。そういうものかねぇ?」と思いましたが、実際にその立場に立つと、なんともいえないやるせなさしか残らなかったです。

結局は、時間が気持ちを癒してくれるしかないと思います。なかなか気持ちが向かないでしょうが、まずはお葬式も終わり、人心地ついたところでしょう。
辛いですが、まだ色々と済ますことは多いと思います。
また四十五日や一周忌も先々にあります。
残された母親と、励ましつつ行ってみてください。

時間がたち、落ち着いてくれば、「あの時父さんは、こんなこといってたよねぇ」と穏やかな気持ちで話せるときがくると思います。
故人を悼み思うことは、その人に対しての供養になるとも言います。
自問自答しつつも、「亡くなった父親の供養をしっかりしよう」「心細くなったであろう母親にも、よく話しかけて気にかけよう」と思ってみてください。
それができるのは、あなたなのですからね。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
「親孝行したいときには親がなし」本当にそうですね
今はまだ後悔ばかりを口にしてしまい、愚痴ばかりになってしまっています・・。でも今できる限りの事は自分でやっていけるようにこれから頑張っていきたいです。ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/26 23:29

最期まで看護できたとのことで、まだ良かったかも知れません。



私も、

'87.2・・・母を病気で亡くす(3年間会わないまま、死に目にも会えず)
'87.4・・・母の49日の一週間後に、祖父を病気で亡くす
'88.3・・・父を病気で亡くす

という13ヶ月間に両親を含め、三人を相次ぎなくしました。

母には兄弟で誰も伴侶を見せられず、父には病床で義姉が花嫁衣裳で見舞いに行くという、古いドラマのようなことがありました。
就職時から地元から遠く離れて暮らしている私は、そんな光景も、写真やビデオで知りました。

両親に孫も見せられませんでした。
母には3年間、会わないまま永遠の別れとなってしまいました。

亡くしてみると、後悔することばかり思い出してしまいますね。
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