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演舞で披露される空手の型は実戦では有用ではないのでしょうか?
K-1に出てる空手家はほとんどボクシングスタイルの構えであり空手の構えはしませんし、腰を落としての正拳突きや、(ハイキックではない)空手式の上段蹴りなどはあまり見られません。
空手は空手で長い歴史があり、その中で洗練されて理にかなった技が伝わってると思うのですが、そうでもないのでしょうか?

A 回答 (5件)

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。



型・形、どっちの名前を使おうと、そのものがダンスとして教わり、昇級昇段テストのために教わる今の日本の多くの道場では「使い物にならない」と感じるのは当然です。 私もそう思います。

しかし、なぜ私が教えている4大伝統空手の一流派を教えるのに、わざわざ「アメリカで使える伝統空手を教えている者です。」と書くのでしょうか。 

それは、私たちの流派が教えることが昔からの使える空手を何でもありの状況でも使えるように昔通りに教えているからなんです。

もちろん型・形もあります。 数学の数字、英語のアルファベットに当たるものが型・形なのです。 1から100まで問題なく言えるからといって数学として使えるとは考えられません。 アルファベットを使ってローマ字として日本語を書いても英語にはなりません。 そうですよね。

1から100までなら、まずそれを習って、それからその100までの数字をどのように使えるようになることが出来るかが数学なのです。 アルファベットも同じです。

名前のついている技と言う名前のものは「使える技」ではないのです。 死ぬまで空手を習い続けることが出来る土台・基礎として使える道具なのです。 この根本的理解をさせてくれない今の日本の空手は、白い綿のパジャマを着て何の利用法もない帯を締め、その帯を貰う(買う権利を買う)ために型・形を習うのでは空手が泣くのです。

生きるための空手は決して物理的なトレーニングだけではないのです。 自分を生かすための実力をつけるための自分の土台となるためのものなのです。 自分を生かすことで生きていける、と自信を持っていえる自分を作ることが空手なのです。

K-1は空手ではありませんよ。 いってみればキックボクシングの変形です。

K-1ですら使えないものを、あれだけの時間、労力とお金をかける事にどこの価値があるというのでしょうか。

教えることの出来ない自称師範が教える以上その弟子たちは世代が進む毎に薄っぺらい物を教えることに成り下がってきているわけです。 
生まれながらの素質だけを重要視し、それがなければ「強くなれない」だけの訓練しか出来なくなくてはどうやって不幸にも素質無しで生まれてきた人を育てることができると言うのでしょう。

私は空手は275K、教えることがあるといっています。275,000項目です。 それも各項目のレベルを高め理解を深めなくてはなりません。 それだけ修行と言うものの価値があり、ナンにでも使える、自分を生かす実力がつくことになります。 だからこそナイフや拳銃による攻撃から身を守れなければおかしいと言うことにもなるわけです。

型・形の動きではなく、型・形を知らなくてどうやってこれらの実力を持てるようになるというのでしょうか。 それだけ、型・形と言うものは大切なものなのです。

また書いてください。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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確かに今の空手の型は演舞中心の「見せるもの」に


なってる為有効とは言えないでしょう。

それに型の動きがそのまま技になると言う考えは
間違いです。
本来、空手に限らず武道では型と言うのは正
しい操作で動き力の入れ方や抜き方を覚え、体に
「理合い」を覚えさせるものとして重要なもので
した。この「理合い」を覚えれば例え練習した事ない
うごきでも合理的な動かし方によって知らない技が
自然に出来る様になるのです。
型とは本来そういうものです。
しかし現代の様に演舞で良い点数を取る事だけに集中
してる様な型ではダメでしょう。

現代では、この様に理合いを得る型は失伝してるかも
しれません。ただし中国武術の太気拳、意拳の練習
法方は参考になると思います。
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まず、空手の「形」についてですが、


「型」から「形」に変遷したのは偶然だったかもしれませんが、「形」の方が的確に表現していると思います。
それはなぜか?型にはまった動きでは、形の本質を見ることが出来ないからです。
辞書を引けば分かるとおり、「型」とは決まりきった動作しか表さないが、「形」ならばその動作の本来の姿を表します。

その形の意味を考えるならば、空手の突きは腰を落としての正拳だけではなく、何十種類もあると言われています。
演舞で披露される一連の動作も、あの動作が意味を持つのではなく、あの中に隠されているものが意味を持ちます。

その意味を理解した上で、K-1に通じるかというと、「否」というしかありません。
それは、グローブをつけた殴り合いでは、形に秘められた可能性のたった一つしか使えないからです。
それこそ、腰を落としての正拳と、前蹴り、上段蹴りと限られます。

その基本も通用しないのかと問われると、そうだといわざるを得ません。
グローブをはめた突きでは、どのような格闘技の怪力の持ち主が殴ったとしても、
同じ階級ならば、顎にでもに当たらない限りKOすることは出来ません。
だからこそ、連打や顎に当てるための軌道をだしやすいボクシングスタイルが使われるのです。

空手の考え方は、一撃必殺、です。
極真が実践しようとしているものは、その一部です。ですが正拳で胴を殴っても効果はありません。
顔面を捉えることで、本当に一撃で終わらせる事が出来るでしょう。
また、貫手、手刀をはじめ、幾通りもある拳を用いれば、胴であろうとも急所を的確に貫けば、倒すことが出来ます。
こと、実戦に関する限り、身体能力の差を埋める技量があるものが空手を使えば、
一撃の名の下に相手を倒すことが出来ると思います。
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型はあくまでも演舞ですが攻撃と防御がしっかり使われています。

まったく無意味ではありません。
空手の組み手もありますし十分に攻撃力があります。
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まず「K-1」は「グローブをはめてリング上で突き、蹴りを持って行う格闘スポーツ」であり実戦ではありません。

スポーツ試合ではそのスポーツのルールに応じた戦い方があるのは当然で、いわゆる伝統空手の戦い方はK-1ルールに向いてはいません。
同様に「いわゆる伝統空手」にはそのルールがあり、腰を落としての正拳突きが有効となるスポーツであるといわねばなりません。
ではルールのまったくない実戦で空手の型が有効なのか?という質問にはやはり難しいといわざるを得ません。
理由は
1)型自体が改編されていること
2)順番だけでなく実戦用法を知る必要があること
3)胆力が必要なこと、一人型のみを稽古して胆力を要請するのは難しい
4)技に破壊力を持たせるにはそれなりの鍛錬を必要とすること
5)自由に攻撃してくる相手に対してはまた型(=基本)とは別個に練習が必要なこと
などです。
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