【大喜利】【投稿~11/1】 存在しそうで存在しないモノマネ芸人の名前を教えてください

映画「トロイ」を見ましたが、これは紀元前800年頃の話で、トロイ国は太陽神アポロを崇拝していたようです。なんだか日本と似てますね、日本の天皇の皇祖神アマテラスも太陽神ですから。そして、神話によれば日本の建国は紀元前600年頃だそうですから時代的にもそう違わないわけです。(2800年昔も2600年昔も、現代から見れば、似たようなもんです)

監督のウォルフガング・ペーターゼンも、日本とのアナロジーを感じたのではありますまいか?ギリシャ軍がトロイに攻めてきた時、日本のお寺の鐘みたいなのを、つかせています。ウォルフガング・ペーターゼンはドイツ人なんですよね、だから、ギリシャ「連合軍」が上陸するシーンは第二次世界大戦で連合軍がノルマンディーに上陸するイメージにダブらせたのではないでしょうか?もちろんアメリカ海兵隊が太平洋の島々に上陸するイメージでもあります。いずれにしろ、敗北するトロイ側に監督の心は有るようです。

日本とのアナロジーでは、他にも、トロイ王プリアモスの座る玉座には「菊の紋章」が付いていました。菊の紋章はその放射状のデザインから太陽をイメージする事ができます。従って、太陽神を崇拝するトロイ王プリアモスの玉座に、菊の紋章が付いていても不思議ではありません。いずれにせよ菊の紋章自体は、古代ギリシャやローマの遺跡からも出土する、ありふれたデザインですから、時代考証的にも合っているわけです。

映画では、王子パリスに助けられた、王女プリュセイスが、落城するトロイから逃げるシーンで終わっています。この時、プリュセイスは、アキレスの子を身ごもっていたのでしょう。そして、神々の助けを借りて、はるばる日本まで逃げて来て、「アマテラス」と呼ばれるようになり、その結果、ギリシャ神話と日本神話は似た話になったのではないでしょうか?

A 回答 (10件)

比較神話学については、本を2~3冊読んだぐらいですが、日本神話は、スキタイ→(北東アジア→)朝鮮半島→日本のルートで、インドヨーロッパ語族の神話の影響を受けている、という説はあります。

参考URLをご覧下さい。
分析手法としては、紋といった個別の類似ではなく、神話の「構造」に専ら注目するもので、1930年代ぐらいにフランスの学者デュメジルが始めたものです。(参考URLは、デュメジルの唯一の弟子と言われている日本の学者吉田敦彦の講演です。)
デュメジルは、インドヨーロッパ語族の様々な神話(インド神話、ローマ神話等々)に見られる「祭司・戦士・生産者」という三つの『構造』に注目しましたが、このような分析手法自体は、レヴィ・ストロース、フーコーなどに多大な影響を与え、デュメジルは「構造主義の父」などとも言われています。
しかし、神話を恣意的に解釈して共通点を見つけだす事も可能(かつNo.5の方が言うように相違点は無視されがち)なので、そうやって導き出された結論に対しては、色々批判があるのも事実です。

冒頭に述べたように比較神話学はあまり勉強していないので軽々しい事は言えませんが、日本神話の(一部)インドヨーロッパ起源説は、「定説」は勿論「有力な仮説」ともいえない一方、「トンデモ」説という扱いでもない、と私は理解しています。

参考URL:http://www.wako.ac.jp/souken/touzai02/tz0203.html
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この回答へのお礼

牽強付会、こじつけを覚悟で言えば、トロイ人が最初に住み着いたのは登呂遺跡ではないでしょうか?

お礼日時:2006/03/23 11:08

それはアーキタイプというものです。


神話というものは世界中に沢山ありますが、その殆どがいくつかの類型の組み合わせに過ぎません。
それは、民族の文化が発展するに当たり、似たような文化レベルの時点で神話が成立するからです。
言語が形成されていること
集団秩序が形成されている事
自然を観察するようになってること
科学が発展しすぎてない事
つまり、自然に対する畏敬の念と長幼君臣の秩序の正当化が神話を生み出すのです。
つまり
似たような環境にある民族動詞の神話は似ても何ら不思議ではないと言う事です。

氾濫する大河の近くでの文明では必ず洪水神話が生まれ、農耕民族は太陽の神をあがめるし、狩猟民族は動物神に畏敬の念を抱く。
こういったパターンの中で日本神話とギリシア神話にいくつかの共通点があるのはむしろ自然な事ではないでしょうか
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この回答へのお礼

牽強付会、こじつけを覚悟で言えば、トロイ人が最初に住み着いたのは登呂遺跡ではないでしょうか?

お礼日時:2006/03/23 11:07

人類の祖先は同じでアフリカ原産地から世界に散らばったのです。


それが定住した地方の環境の影響で次第に民族を形成していったにすぎません。

従って原始社会での思考が同じようなものであっても不思議ではないとおもいます。

神話や伝承はこのような原始時代の思考の産物であり、多少の差はあっても同じように形成されたと考えれば類似性を帯びるのは当然でしょう。

しかし現代においてそのような類似点を探すのは、多くの場合牽強付会に陥り易い運命にあると思います。
先入観により影響を受けやすいのです。
ご参考までに。
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この回答へのお礼

牽強付会、こじつけを覚悟で言えば、トロイ人が最初に住み着いたのは登呂遺跡ではないでしょうか?

お礼日時:2006/03/23 11:06

トロイ戦争は、多くの場合紀元前12世紀頃に想定されています。

イリアスをまとめたとされるホメロスの時代が紀元前8世紀とされますので、これと話が混じっているかと思います。

またトロイの守護神がアポロンということですが、それは映画のストーリー上の設定ではないでしょうか。アポロンの神官親子は確かにイリアスに登場しますが、町の守護神だったとは聞いたことがありません。ゼウス・ポセイドン・アポロン・アフロディテのような、トロイに関わる神々の神殿なり聖所なりは当然あったと思いますが。
そもそも当時のアポロンは、まだ太陽神としての性格をもっておらず、ギリシャ勢に疫病をまくような恐ろしい存在です。太陽神は別にヘリオスがあてられています。アポロンがヘリオスにとってかわるのは紀元前5世紀以降です。

夢を壊すような発言で申し訳ありません。歴史と神話の繋がりを考えるのは楽しいことですけどね。
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この回答へのお礼

トロイ人が最初に住み着いたのは登呂遺跡ではないでしょうか?

お礼日時:2006/03/23 11:02

>>日月紋・橘紋なども使われていました。



橘でなく桐でした。訂正いたします。
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この回答へのお礼

「桐の紋章」は「菊の紋章」よりも格下の、第二の紋章として使われているようです。

お礼日時:2006/03/04 15:45

 この手の話は、共通点があったときだけ「似ている」と感じるのです。

だから膨大なまでの「共通点の無さ」が見過ごされます。さらには、共通点というのは見る側の主観でいくらでも「創り上げること」ができます。さらに、共通点を見つけるために神話・伝承の成立年代なども無視しがちになります。
 それに『日本書紀』や『古事記』の神代章も、国内のさまざまな口碑伝承を再編纂された部分も多いので、初めから現在に伝わるような形で成立していたわけでもありません。それはギリシャ・ローマ神話でも同様です。つまり表層部分での共通点だけを見て、両者の起源は同一であると判断するのは早計ですし、また、神話や伝承には現代にまで語り継がれることなく、途絶えてしまったものも多くあります。

 もっとも、「無い」という証明はできませんので、可能性が全くないとはいいきれませんが、その手の説が主流になり得ないのは、「ある」という根拠があまりにも上記のごとくに不備が多く、薄弱なのでしょうね。

 なお、菊花紋が皇室で広く使われるようになったのは、後鳥羽上皇が個人的に菊が好きだったから広く使われるようになったのです。皇室の紋には菊花以外にも、日月紋・橘紋なども使われていました。
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この回答へのお礼

「菊の紋章」が、天皇の、つまりは、日本の「国章」として採用された理由は、ご回答の通りではあるでしょうが、しかし、後の天皇にまで受け継がれたのは、菊の紋章のデザインが放射状で太陽をイメージさせるからではないでしょうか?後鳥羽上皇が桜の花が大好きだったとしても、(桜の花が大好きな天皇は何人もいたでしょうが)桜の花の紋章は天皇の紋章にならなかったでしょうし、現実にもなっていません。

お礼日時:2006/03/04 15:42

神話についてはあまり詳しくはありませんが、基本的には宗教や神話が自然崇拝や自然現象から生まれたせいでしょう。


太陽の恵みは、農耕だけではなく狩猟にも影響してきます。天候が不順になれば、植物が弱り、狩猟対象となる獲物も減少するでしょうし、農耕ともなればなおさらです。
牧畜だって同様....だから世界各地で同じような神話が発達するのであろうかと思います。
ユリシウスが登場するオデッセイアと百合若大臣の物語が共通し、オデッセイアを元に作られた、という説があるそうですがこうした例はごく少数で、実態としては「生活に直結する太陽に対する素朴な自然信仰」が元になったと考えて間違いないでしょう。
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この回答へのお礼

トロイ人が最初に住み着いた場所は「登呂遺跡」ではないでしょうか?

お礼日時:2006/03/23 11:00

推測ですけれど、これらの話の元になった大昔の人たちは、今の日本にいなかったと思います。


ギリシャの方にいたのかもしれないです。
もしくは、もっと別の場所で住んでいたのかもしれないです。

それが、いろいろと新天地を求めて、流転をしていったのでしょう。
流転したところで、ある人は定着してその中の一部の人は、また流転の旅に出たのでしょう。
最後に、一番大きな海(太平洋)の手前の日本まで来て定着したのでしょう。

だから、ギリシャや日本には、大昔の人たちの話が残ったのではないでしょうか?

これはあくまでも、僕の推測ですが、流転した民族が別のところから話を持ってきたと言うことはあり得ることでしょうね。
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この回答へのお礼

私はトロイ人が最初に住み着いた場所は「登呂遺跡」ではないかと思います。

お礼日時:2006/03/22 17:02

面白いご質問ですね


中々興味深いご意見です。

確かにギリシャ神話と日本神話にはいくつか共通したモチーフがありますし、伝承されているシンボル・デザイン類にも共通のものがあります。

しかしそのような共通点はギリシャ神話だけに留まるものではなく、世界各国およそ神話と呼ばれるものには、ほとんどと言って良いほど共通するモチーフがありますし、意匠的なシンボルも共通するものが多く存在します。
例えば「ユダヤ教の礼拝所」と「日本の神社」の建物などの基本配置はほぼ同一であるようですし、清明桔梗紋とよばれる日本の紋形はダビデの星と全く同じです。
またシュメールや中国にもノアの大洪水を思わせるエピソードがあります。

そいうったことを考えると、ギリシア・日本に限定せず、世界中のルーツがどこかにある、と考えたほうがいいのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

私はトロイ人が最初に住み着いた場所は「登呂遺跡」ではないかと思います。

お礼日時:2006/03/22 17:01

「日本神話」と一言で言っても, 古事記と日本書紀では結構違うような....

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この回答へのお礼

古事記も日本書紀もそのほとんどが人間の想像の産物だと思います。人間は想像する事無しに生きていけないのだと思います。現代でもハリー・ポッターとかナルニアとかファンタジーに夢中ですから。

お礼日時:2006/03/22 16:57

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