無口な人って存在してはいけないのでしょうか。自分はとても無口です。いわゆる内向型人間です。たくさんの人と接することはなく、少人数の人と仲良くなるスタイルで生きてきました。

もちろん無口だからといって、暗いわけではないです。楽しいことも考えるし、冗談も言います。仲良くなった友達とはエンジョイします。

でも、中学くらいからあることを思うようになりました。それは、世の中ではよくしゃべる外交的な人間ばかりが受け入れられるということです。小学校の頃なんかは「友達100人できるかな」なんて歌わされました。そういう価値観を押し付けられて、自分みたいな無口な人間は必要ないのかと思いました。社会は外交的で、社交的で、話が良くでき、とっても明るい人が生きやすいようになってます。友達たくさん作りなさい。元気にあそびなさい。社交的になりなさい。たくさんおしゃべりできるようになりなさい。外交的になりなさい。もっと目立ちなさい。もっと活発になりなさい。というような教えを延々と受けてきました。

そこで、こう思いました。そうなれない無口で内向型の自分は、社会的に邪魔なのかと。無口は無口なりに楽しく生きてきたのに、今は存在を否定されてるようで、なんだか生きるのに苦労します。

社会に出ても無口ですいません、社交的になれなくてすいません、おしゃべりできなくてすいません、と常に心の中で謝ってます。こんな自分で、どう生きたらいいのかと不安になることもあります。

無口な人間の存在について教えてください。生き方とか存在理由とか。何でも思いつくことでいいので、お願いします。
ここまで読んでくださって感謝します。

A 回答 (15件中1~10件)

教育が偏っているだけです。

北朝鮮と同じですね。国を相手に告訴しましょう。
昔は『口は災いの元』とか『沈黙は金なり』とか教えられ、『出しゃばり』『目立ちたがり屋』『おしゃべり』などは嫌われました。テレビCMでも『男は黙ってサ☆ポロビール』など無口で落ち着いた人が評価されるそんな社会背景でした。
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何か他人よりも、抜きん出たものを身につけてみてください。


そうすれば、勝手に周りに人が集まってくると思います。
また、環境をリセットしてみる(転職)のもいいかもしれません。
自分を認めない環境を認めないと、腹をくくることを考えられるようになれれば楽に生きる事ができます。
無口かどうかは比較論です。
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♯6です。



♯14さんとの議論はあなたが正しいと思います。
いろいろな人がいていいんです。そもそも、だからこそ生命はこれほど様々に進化できたんですから………
日本は農耕文化で群れたがる、気に入らないヤツはあることないことを言い立てて村八分にしたり、個性を重視しない。要するに「いじめの文化」があります。これは田舎ほど顕著です。
こんな日本人社会に問題があるんです。

私は調子のいいことばかり言っている人より、無口でもの静かな人の方が大好きです。
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この回答へのお礼

acquavelleさま、正しいと言ってくださり感謝します。なんか涙でそうです。そうやって肯定してくれる人がいると思うだけでも、勇気が沸いてきます。なんといっていいか…。ただうれしいです。もちろん♯14さんの意見をまったく無視はしないです。いろんな人の意見を聞くのも面白しろいんです。
でも、とにかく僕に賛同してくださって感謝します。

お礼日時:2006/03/28 23:32

心理学である実験結果が出てましてですね、内向的なタイプの人と外向的なタイプの人、それぞれにですね、どういったタイプの人に好意を持つのかといった実験を行ったんですが、結果は一緒だったんですね。

内向的な人も外向的な人も、外向的な人に好意を持ったんです。つまり、人は自分がどちらであろうと、外向的な人間を好むという性向にある。あなたも、友達になるなら、明るくてよく喋ってくれそうな、元気な人と友達になるでしょ?一人でいて、あまり話も盛り上がりそうにもない感じの人とはあまり友達になりたくない、これは誰だって思うことなんですよ。突きつめていったら、動物的な本能に行き着くのかもしれませんけど、そこまではわかりません。今言えることは、誰だって外向的な人を好ましく思うということです。

じゃあ、ここで君が考えるべきことがあります。
世の中は、誰かが決めたとかそんな前に、外交的な人を好むという傾向にある。それはね、社会がそう求める以前に、あなただってそうなんですよ。誰だって、そう。個人の志向性があってね、それの集計値が社会の志向性です。どんな場面にいったって、外交的な人が好まれるのは、社会が作ったわけでもなんでもなくて、まず個人がそう思ったからですよ。だから、あなたはそれをまず認めなければなりません。外向的な人が好まれる、評価される、それは言ってみたら、当たり前です。そこにね、突っかかっていって、文句を言ってもしかたない。いいですか?よく、こんなことを言う人がいます。
「人を見た目で判断しないで欲しい」
でもね、誰だって人を見た目で判断してるんですよ。髪の毛を赤とか紫に染めてる人を見たら、うわっと思ったりね、めがねでデブを見たらオタクだと思ったりね、第一印象なんて見た目しかないわけですからね、見た目で判断するなという方が無理がある。だから、こういう反論は意味ないんです。見た目で判断されたくなかったら、見た目で相手に誤解を招かないような見た目を自分で作らなければならない。髪の毛を奇抜に染めたり、容姿に気を使わないということは、そういうリスクを含むということです。そう判断されるリスクを含むということです。
ですから、「見た目で判断するな」という地点で反論するのではなくて、見た目で判断されることは大前提でね、それから自分を正当に評価してもらうためにはどうするかを考えることのほうが大事なんですね。見た目で判断されるのは当然、じゃあ、その次にどうするか、それが自己呈示の仕方です。
あなたが言ってることも、これとまったく一緒です。
ただの泣き言なんですよ。
「内向的な人間はダメなのか」
ダメじゃない。ダメじゃないけど、外交的な人間が好まれるのは、当然のことなんです。確かに、外向的か内向的かだけが人間の性格じゃないですが、それ以外の評価点を提示するのはあなたの責任です。社会にそういうことを求めてもしかたない。内向的で無口な自分が、どうやったら評価されるのか。それは自分で見つけるべきです。それが嫌なら、外向的になればいい。社会が悪いわけでもなんでもない。自分もしていることは否定のしようがない。誰でもそう思うやろ、そう思うようなことを覆すのは無理なケンカです。無口で内向的な人間が評価されるためには、なにかやり方あるでしょう。自分で考えてください。泣き言垂れるのは止めましょう。君の主張は、わがままです。
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この回答へのお礼

ずいぶん前の補足とかのやり取りで、口論してしまいましたけど。僕の意見の方が正しかったという人がいます。正しいみたいです。だから、僕の意見も聞き入れてください。これはいやみではなくあなたに対するお礼です。僕の意見を聞き入れたほうがあなたも心理的に成長するでしょう。もう消されたけど、思い出して心に刻んでください。

お礼日時:2006/04/10 21:30

無理に社会がこうだから自分もこう生きていかなきゃならないっていうのはないんじゃないですか?明るくなれないなら生きる価値がないなんてそんな世の中ではありませんよ。

きっと悩みだしたから極論に達したのでしょうね。
私も専門学校に行くまで内輪でしか騒げない、内向的な人間でした。今は周りの環境が変わったせいか、会社の内容上かいろんな人とよく話すようになりました。でも苦しいとは思ってません。私がそっちのほうが楽しいやって思って変わったことだから。
無理に自分を変えたら嘘だし、つらくもなります。
仲のいい友達がいて、楽しく過ごせる時間があるのなら他人は気にせず楽しい時間を楽しい仲間と過ごせばいいのではないでしょうか。
もっと楽に生きていいと思います。

この回答への補足

回答してくださった皆さんすいません。お礼は後ほどゆっくり書いていこうと思っています。回答に感謝しています。

補足日時:2006/03/28 22:10
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 無口な人も存在していいと思います。

私自身、内向型の人間です。おしゃべりな人間が必ずしも人に好かれるわけではありません。話に不愉快な内容が多いおしゃべりよりはずっといいのではないのでしょうか?
 仕事などに必要なことを話せればいいと思います。企業などの面接でも、最低限は必要な応対ができること(相手の話を聞く能力も必要です)がコミュニケーション能力として求められているのであって、無理に話題を作れる人間を求めているわけではありません。
 社会は外交的で、社交的で、話が良くでき、とても明るい人が生きやすいようになっているのは、ある程度事実です。でも、それは状況によりけりです。社交的な人間が状況に合わないこともあるはずです。
 それに、社交的な人間ばかりだと、話を聞く人がいなくなり、結局バランスが取れなくなるのではないのでしょうか?
 無口な人間の存在理由は、私なりの意見として、社交的で話を聞いてもらいたがっている人の受け皿になるというのではいかがでしょうか?
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「無口な人って存在してはいけないのでしょうか。


こういう考え方はしなくていいと思います。

私の経験で無口な人に感じた事がありました。
それは共同作業をしてて、必要な情報も口にしてくれない人がいた事です。
2度3度と、こちらからたずねて初めて首を縦に振る…といったぐあいで、
非常に気疲れしたのを覚えています。

このような事意外なら、私は無口な人に対して特に何も感じません。
また、口数で人を評価したりしません。

野球の野茂選手なんか無口だけど、社会的な評価は高いですよね。
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無口な人間がいて初めて無口ではない=おしゃべりな人間がいます。


こんな存在理由はどうですか。無口というのは分かりやすいラインだと思えばいいのです。おしゃべりには上限がありません。
個人的にですが無口な人間は大歓迎ですよ。あなたは劣等感から解放されるべきです。
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どんな場合でも同じだと思いますが、物事には必ず二面性があります。
「無口」も当然両面を備えています。

誰に対しても思いついた事をすぐ口にしては後悔するようなタイプの人も大勢いますし、そういう方は家へ帰ってから人知れず後悔し無口になれたらどれほど良いかと願っているに違いありません。
無口であることは落ち着いた印象を与えますし、四六時中しゃべっている人よりはその一言に重みが増すということもあるでしょう。
他にも数え切れないほどのメリットはあると思いますが、先に述べたように当然デメリットもあるわけで、この点について考えてみたいと思います。
このデメリットをどのように解釈するか、ということが重要になってくるような気がするからです。
無口で悩んでいる方は多いですし、その理由もよくわかります。
ただ、この理由というのが実は大いなる誤った思い込みである場合が殆んどです。


無口の最大のデメリットは、臆病な人間にとってはある種の脅威になってしまう、ということでしょう。
何を考えているかわからない、ということともちょっと違います。
人が他者を判断するには色々な要素があります。
目付きであったり、仕草であったり、そのひとつとして声があると思います。

話す内容の他に、語調などでその時の感情が表現できることを私たちは既に経験しています。
他者の声を聞くということは、相手の人となりや状態を知る重要な手がかりになるわけです。
臆病な人間は相対的な価値観を持っています。
絶対的自己を目指すことに不安があるので、常に他者との比較で自分の位置を確認しようとするわけです。
そういう人間にとって、相手の声が聞こえないということは大変な脅威に感じるでしょうし、不安のあまりその相手を忌避しようとするのも良く見られる現象です。
理解できないものに対して不安のあまり無闇に吠え立てる犬のように、排斥しようとして攻撃を仕掛ける人も中にはいるでしょう。


このような臆病者(特別な人ではありませんし、むしろ半数はそうであると思って良いかも知れません)に対するには【安心させる】のが一番効果があります。
「>たくさんおしゃべりできるようになりなさい。」というのは、そういった意味であろうと思います。
しかし、無口には無口のメリットがありますから、無理にしゃべろうとする必要はないでしょう。
要らぬことで他人に調子を合わせていると、知らない間に自分も臆病で相対的判断よりできない人間になってしまう危険性もあることです。

あなたが「>社会的に邪魔」にされているのではなく、相手があなたを脅威に感じているのです。
「>生きるのに苦労」しているのは相手の方ですから、安心させてあげるのが得策です。
具体的には、ありきたりで申し訳ないが「笑顔」ということになるのでしょう。
敵意は無い、ということを知らせてあげるのです。
社交的でないといって謝る必要があるとすれば、そういうことになるでしょう。

臆病な人間に愛の手を!

ということです。
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こんばんは。


重く考えすぎだと思いますよ^^。

学校で、主張することや社交を教えるのは、将来苦労させないためという目的があるからだと思います。

だんだん権利を主張しないと生きづらい世の中になってきたし・・。黙ってると、何でもなされるがまま、いいものは持って行かれてしまう・・。「存在していてはいけない」ではなくて、回りにいいように使われたり利用されたり、悪い意味で重宝される危険性さえあります。
主張もしないといけないという価値観になってきて、黙っていることが美徳であったと言われる昔の道徳は、通用しない感じになってきました。

苦労しますよ、ってことですね。実際、私も基本的に必要性にせまられないと、積極的には主張しませんので、図々しい人には結構苦労しますね。
もし、回りが遠慮深い人だったり、察しの聞く人同士だったりしたら、無理に社交的である必要もないし、主張しなくてはいけないこともないと思いますね。必要ないのですから。個性として互いに尊重し合えばいいと思います。でも、回りに自己主張していかないと、苦労しそうでしたら、悪いということではなくて、生きるのが大変だと言うことです。

私は、どちからというと、自己主張したり、つきあいを広めておかないと苦労するような環境よりは、無口で主張の弱い人で生きていける環境の方が、暮らしやすいとは思いますけどね。
学校教育は、今後ますます自己主張しないと生きて生きにくくなるであろう社会に出たときのことを考えているのでしょうね。

親の立場になったときも、自分が無口で手柄を取られたり、何かと苦労してきた人は、子供には苦労しないように自己主張のできる子になって欲しいと思うと思います。
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Q無口について

 旦那が無口です。
びっくりするくらい無口です。1日に「うん」とか「いいや」の2語しか言わない日もあります。
無口な人って、頭の中ではすごく会話しているんでしょうか?
 
 旦那に「夫婦のコミュニケーションである会話をしようとは思わないの?」と聞くと「俺はもともと無口だから・・・無口な人に無理やり話させようとしても無理。」と言われます。寂しいです。

 無口な人って「簡単には口に出してはいけない」と思って理性で抑えているんでしょうか?

 私は逆に、口数は多くはありませんが、思った事は率直に伝えるように、コミュニケーションを取ろうとしています。

 今まで、旦那の無口さが原因で、色々な事で誤解などが多々あり、何度も、行き違い&勘違い&喧嘩が生じています。
旦那は普段は無口で、少々の事は我慢するタイプです。そして我慢が限界に来ると切れるんだと思います。
 『もっと話してくれたらこんな事にはならなかった』と言うのが多いです。

 どうしてなんでしょう??できれば、無口な方、気持ちを教えてください!

Aベストアンサー

我が主人も無口です。
良く考えると、付き合い始めて、結婚して、大半、私がしゃべっています。(笑)
まぁー家のローンの話や、税金の話は、主人はします(笑)

でもねぇ無口の人に無理矢理長文を話さそう、長時間、話をさせるのはちょっと無理があります。ですから、あまり長い会話(笑)を期待しない、徐々に短い言葉から読み取って行くといいです。
が、ちなみに、我が主人は、趣味の話を聞くと、1を10話ます。
そう思うと、あぁーこの人、話題によっては話すんだーと思っていますが。
そうでもないんですか?

でもなぜ、趣味だと話しが長引くかと言うと、彼の頭には、趣味の専門用語はすぐさま引き出せられる。ただし、こちらのレベルを考えないで話すという悪い癖はあります。
が、話します逆に私が聞かなくなりますが。趣味になると言葉の順序や、言葉がすらすら流れるのでしょうね。
それが通常は、考え込んでしまう、なら「無言」で通した方が楽!と考えるのかも。なんせ、趣味の話は長くなります。呆れますよ(笑)

まぁ無口の相手から、長時間会話を期待しては・・・こっちが疲れます。
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私は、直接しゃべれないなら、メールでもいいし、思いついた時に簡単でいいから話すように進めています。
まぁー思いつきで話すので、よく判らないこと多々ですが。
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我が家は、もう直ぐくっ付いて(笑)10年になりますが、結構話すようになりましたよ。まぁー子供がチビなので、色々子供に聞かれて、話さずにいられないのですが、でも子供の話題を通じて、結構会話していますよ。
そういうこともありです。
徐々にです。ってご結婚されて長かったら、ごめなさい。

我が主人も無口です。
良く考えると、付き合い始めて、結婚して、大半、私がしゃべっています。(笑)
まぁー家のローンの話や、税金の話は、主人はします(笑)

でもねぇ無口の人に無理矢理長文を話さそう、長時間、話をさせるのはちょっと無理があります。ですから、あまり長い会話(笑)を期待しない、徐々に短い言葉から読み取って行くといいです。
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そう思うと、あぁーこの人、話題によっては話すんだーと思っていますが。
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Q【人間には自分の中にいるもう1人の自分の存在に気付いている人もいる】自分で自問自答するのは、自分の中

【人間には自分の中にいるもう1人の自分の存在に気付いている人もいる】自分で自問自答するのは、自分の中にもう1人の自分という意識があるからで多重人格者は障害ではなく普通のことである。

多くの人は自分自身にもう1人の意思が存在し、ときどき自分で聞いて葛藤している自分の中にある2つの人格に対話させて答えを導き出す行動を取っている。

このとき対話している副自分は誰ですか?

どこから発生して生まれているか教えてください。

Aベストアンサー

宇宙は1つです。
「自分」が肉体(宇宙の中の一部)を意味するなら、
「自分(肉体に付属した意識)の中のもう1人の自分」
という言明は意味を持つが(存在と相対する意識)、
宇宙とは意識の内にしか根拠を持たない(宇宙=意識)
ならば、多重性は存在しない。
あるいは異なる時点の認識可能性の時系列化(=記憶)
という非本質(多重人格)に基づいて、意識は生じて
いる。

Q無口な人の存在

無口な人って存在してはいけないのでしょうか。自分はとても無口です。いわゆる内向型人間です。たくさんの人と接することはなく、少人数の人と仲良くなるスタイルで生きてきました。

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でも、中学くらいからあることを思うようになりました。それは、世の中ではよくしゃべる外交的な人間ばかりが受け入れられるということです。小学校の頃なんかは「友達100人できるかな」なんて歌わされました。そういう価値観を押し付けられて、自分みたいな無口な人間は必要ないのかと思いました。社会は外交的で、社交的で、話が良くでき、とっても明るい人が生きやすいようになってます。友達たくさん作りなさい。元気にあそびなさい。社交的になりなさい。たくさんおしゃべりできるようになりなさい。外交的になりなさい。もっと目立ちなさい。もっと活発になりなさい。というような教えを延々と受けてきました。

そこで、こう思いました。そうなれない無口で内向型の自分は、社会的に邪魔なのかと。無口は無口なりに楽しく生きてきたのに、今は存在を否定されてるようで、なんだか生きるのに苦労します。

社会に出ても無口ですいません、社交的になれなくてすいません、おしゃべりできなくてすいません、と常に心の中で謝ってます。こんな自分で、どう生きたらいいのかと不安になることもあります。

無口な人間の存在について教えてください。生き方とか存在理由とか。何でも思いつくことでいいので、お願いします。
ここまで読んでくださって感謝します。

無口な人って存在してはいけないのでしょうか。自分はとても無口です。いわゆる内向型人間です。たくさんの人と接することはなく、少人数の人と仲良くなるスタイルで生きてきました。

もちろん無口だからといって、暗いわけではないです。楽しいことも考えるし、冗談も言います。仲良くなった友達とはエンジョイします。

でも、中学くらいからあることを思うようになりました。それは、世の中ではよくしゃべる外交的な人間ばかりが受け入れられるということです。小学校の頃なんかは「友達100人できるかな」...続きを読む

Aベストアンサー

教育が偏っているだけです。北朝鮮と同じですね。国を相手に告訴しましょう。
昔は『口は災いの元』とか『沈黙は金なり』とか教えられ、『出しゃばり』『目立ちたがり屋』『おしゃべり』などは嫌われました。テレビCMでも『男は黙ってサ☆ポロビール』など無口で落ち着いた人が評価されるそんな社会背景でした。

Q存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛 分かる人?

存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛

この意味が分かる人居ますか?腕に覚える人は見抜いて下さい。

端的に書き表してください。

Aベストアンサー

私が何に悩んでいたかが分かりました。

この「存在性理論」は、「空間」というものがすでに
あるものということだけでなく、「存在」というもの
もすでにあるものという前提での理論であると思いま
した。

それならば、例えば「人間」という存在に「物質」面
と「精神」面が備わっているということや、子供が生
まれることも、進化してゆくことも、この理論で説明
できそうです。
唯物論と唯心論をまとめる、新しい理論であるとおっ
しゃることも分からないではないです。

しかし、私が悩んだのは、№12で申し上げた、宇宙の
元初の状態から「存在」が生じるということについて
は、この理論では説明できないだろうということでし
た。
その部分は「真理」ということで「未知」ということ
でよろしいのですね?
尤もこれが分かったら、えらいことですが‥‥

Q無口な男性に質問します。

無口な男性の方、どんなタイプの女性が好きですか?
私の好きな男性のタイプは自分と似た、無口で冗談とか言わないような人です。(硬派な感じ)
なぜなら、冗談を言う人といると、せっかく盛り上げようとしてくれいるので、笑いたくない気分の時も笑わないといけない気がして、疲れてしまうからです。

でも、いつも好きな人に「俺は元気な明るいよく喋る子が好き」と言われてしまいます。
実際に好きな彼を見ていると、よく喋る女の子がワーッと喋っているのを
ニコニコ聞いていて、あぁやっぱりな・・・と思います。

自分が無口だとよく喋る人の方が合うのでしょうか?
自分も無口なのに女性も大人しいタイプだと、ちょっとなぁ・・・と思いますか?

Aベストアンサー

はじめまして

「無口な男性」のひとりの立場からです。

僕の場合は、相手が異性・同性を問わず。雑談や冗談などは「相手がどんな事に関心を持っているのだろう?」と言うことが気になって、なかなかこちらから話を切り出すことができません。もし、興味関心、専門が重なることがあれば相当話します。逆に、相手も無口な人で、共通の話題も見つけられないケースには、お互いに黙ってしまうので苦手です。

Q自分以外の人間は、存在するのでしょうか?

 幼いころからこの疑問を常に抱いています。
 
言葉で表現するのは、難しいですが自分の顔は、自分で見ることができません。このことから自分の目は、自分のものであり内側から見ているイコール自分は、存在すると認識できるのですが、自分以外の人は、本当に存在するのでしょうか?
 
 たとえば、それは青いというのは自分の脳が青色に見せているものだと聞いたことがあります。実際に、自分以外の他人は、人間のようにみえるように脳が映し出しているのかとも思います。また、こうして質問を書き込んでいる最中に後ろを見ることはできません。自分の後ろには、本当に世界は存在しているのでしょうか?
 
 このことに対する答えは、ないと思います。ですが、少しでも私が楽に考えることができるヒントを教えてくださるかたがいらしましたら教えてください。

Aベストアンサー

他者が存在するかどうかということは、(1)自分以外に存在一般は成り立つのか、(2)自分以外に精神は存在しえるのかという二つの問いに分けてアプローチできます。これに関して何がしか示唆できるかもしれないことを他の質問に関して書きましたので、ここにほぼそのまま写し、私の提案する一つの可能性とさせていただきます。

 「ものそれ自体」というのは存在するのかというのは、哲学史上何度も論じられてきた古い問題ですが、私はこれに、「証明は不可能」とやや折衷的に回答します。
 存在について語るには存在をいかに認識するかという問題を避けるわけにはいきません。そこで考えてみたところ、私たちは五感をなしにものの存在は認識できません。仮に私が神経が極度に衰退する病気になり、五感すべてを失ったとします。このとき自分の外に存在を認識できるかというと、恐らく不可能でしょう。ゆえに存在の認識には五感が不可欠だと考えられます。
 次に五感によっていかに存在を把握するかですが、直接的に最初の経験で把握することは出来ないと思われます。私の目に映る風景は、それ自体で考えるなら、無数の色が散りばめられた一つの絵に過ぎません。ゆえに視覚による経験はリアルタイムに変更はなされていくものの、その一瞬においては単一な経験だと捉えられます。この事情は他の感覚においても同様であることは、日常の経験を反省してみても確かめられると思います。
 ではいかにそこに個物としての存在を認めているかといえば、差異を頼りにした分化によると思われます。例えば色がまったく同一か、いかなる飛躍もなく連続的に変化している面は、私たちには一つの面だと思われる、ということを考えるとわかりやすいかと思われます。そしてそのような差異の分布から、私たちは各々の感覚による地図のようなものを組み立てます。私とどのような位置関係にどのような差異があるかを把握するわけです。差異は一つでも存在を推定する根拠たりえますが、経験上結びつきえるいくつかの感覚による差異が同一の場所に現れたとき(このような地図の重なり合ったもの、あるいは総体的な地図群を私はその主体にとっての世界と呼びます)、その存在可能性はいっそう高まります。けれども最終的には存在していて欲しいという私たちの願いが、私たちにとって存在を存在たらしめます。
 このように考えれば、ものそれ自体があるから私たちはそれを見たりするというより、むしろ逆の順に存在の認識はなされているものと考えられ、最も高いレベルの存在の明証性は私たちの信仰にのみ存すると考えられます。
 こうした立場からすると、自分が持っている「心」以外の「心」を想定することは困難に思われます。それは感知し得ないからです。けれど、「心」の定義を少し変更したのなら、それは上の信仰を持つ者にとっては明確に存在する原理になります。
 単に存在の認識を考えただけでは、認識されたものがなぜそのように認識されたのかがわからず、そうであったからそうなのだとしか言えません。けれど存在を信仰する立場からは、ある存在がそのようであり、そのように差異を統合し、私の世界に差異を作り、変更していく原理は、その存在そのものに求められます。それを私は「心」と呼びます。
 一般的な「心」も「目は口ほどにものを言う」などといわれてるほど、他者に語りかけるものであったことを考えると、私の「心」もさほど食い違う考えではありませんが、私は私が私の姿を今こうであるように他者に認識させている働きも「心」に含める、という意味で、いくらかその範囲を拡大しています。
 上記のような考え方に立てば、心も物質も、私の言う信仰によるという留保はありながら、同程度に存在し、同程度に確実であると思われます。ここから、私の信仰によるならば、他者は存在します。
 折衷的な考えで、何の答えにもなっていないかもしれませんが。

他者が存在するかどうかということは、(1)自分以外に存在一般は成り立つのか、(2)自分以外に精神は存在しえるのかという二つの問いに分けてアプローチできます。これに関して何がしか示唆できるかもしれないことを他の質問に関して書きましたので、ここにほぼそのまま写し、私の提案する一つの可能性とさせていただきます。

 「ものそれ自体」というのは存在するのかというのは、哲学史上何度も論じられてきた古い問題ですが、私はこれに、「証明は不可能」とやや折衷的に回答します。
 存在について語るに...続きを読む

Q無口な人って

話す量は同じで、

無口で、無口だよねと言われない人

無口で、無口だよねと言われる人

いったいなにが違うのだと思いますか?
僕は後者ですが、無口だと言われるということは、明るく振る舞って話すほうが似合ってるいうことですか?

Aベストアンサー

>明るく振る舞って話すほうが似合ってるいうことですか?
喋るべき時に喋らない人には、やや嫌味を込めてそう言ったりします。
「なんでお目ーは黙ってんだよ!もう少し喋れや!」というのを遠回しに言うということです。
もちろん相手の言い方によりけりですけどね。

Q人間以上に生命力 存在性(存在力?)の強いものがあるでしょうか?

人間以上に生命力 存在性(存在力?)の強いものがあるでしょうか?

私は人間は存在する為に絶えざる様々な営為を成してると思うのですが

他の生命を退けて 菌・ウイルスなども克服して存在しようとしています。

産めよ増えよ地に満てよで それが行き過ぎて戦争や温暖化なども引き起こしましたが。

本質としては存在・存続については人間は相当の可能性を持ってると思います

私は人間は存在性そのものだとまで極論しています。

人間は存在することが目的であり アイデンティティを持って存続する事で存在を獲得します

永遠を目標に(飽くまでも目標)永遠への存在を実現する事を目的にしていくものではないでしょうか?

Aベストアンサー

 ANo.16
 この現象界がおわるかどうかは、私達のようにこうしてこの現象地で必死に生きている存在には重要なように思えて、それを越えた自己の存在性にいることができない。
 それだけのこと、魔法、手品、催眠術をみんな楽しみ楽しまされている。
 それだけのことなんですがね。そうでなければ、いろんなことの辻褄さえ合わない。
 地上と地上の自分が終わらないように、必死の思いで衝き動かされている。
 という見解です。
 つまり我々より我々を存在させているもの。我々の(全世界の)方が存在性(存在力)は大きく強固ではないですか?

Q無口の女は好きですか?

女子大生です

私はかなり無口で、
あまり喋りが得意ではありません
しかも、考え方も婆臭く、若い女性らしいハツラツ感がありません

そんな無口で無愛想な女、
あなたなら愛せますか?

Aベストアンサー

オバサンの意見としてお聞きください。

男性の中には、おしゃべりでウルサイ女性が苦手な人もいますよ
考え方も 昔ながらの保守的で落ち着いた印象の人を好きな人もいます。

明るく元気で賑やかな人がもてはやされがちですが そういう人を好む人ばかりではない。

ただ… 
あなたのようなタイプと相性がいい人は 男性も同じように地味な人が多いように思います。

そういう人ってお互い引っ込み事案で、恋愛に関して動きが少ないので、出会いにつながるチャンスが少ない。
似た者同士で探せば上手くいく確率があるのに 動かないから出会えないし、はたまた見当違いに 自分は地味なのに派手な異性に目が行くような見当違いな恋愛を望んだり…
そうするとうまくいきません。

自分の良い所を認めてくれるようなお相手をお互い探すことです。

そのためには 入口(外見というか印象)はちょっぴり大事になってきます。

特に男性は女性に比べて外見を重視して選ぶ傾向が強いので ある程度の流行や雰囲気は今どきのものを纏う必要もあります。

入り口をクリアして そこから内面の良さが伝われば愛されますよ。
チャラチャラしてない 穏やかな愛を育むことが出来ると思います。

オバサンの意見としてお聞きください。

男性の中には、おしゃべりでウルサイ女性が苦手な人もいますよ
考え方も 昔ながらの保守的で落ち着いた印象の人を好きな人もいます。

明るく元気で賑やかな人がもてはやされがちですが そういう人を好む人ばかりではない。

ただ… 
あなたのようなタイプと相性がいい人は 男性も同じように地味な人が多いように思います。

そういう人ってお互い引っ込み事案で、恋愛に関して動きが少ないので、出会いにつながるチャンスが少ない。
似た者同士で探せば上手くいく確率...続きを読む

Q人間以外の生物は人間のために存在する?

人間以外の生物は、すべて人間のために存在すると考える方に質問です。

私はクリスチャンである親の影響で、小さい頃からキリスト教に触れて育ちました。そして聖書には、神は地上に植物や動物をすべて人間がそれらを支配し、食らうためにをつくったと書いてあることを知りました。

しかし疑問がわきました。
もしそうならなぜ人間を襲う生物がいるのでしょうか。
インドなどのワニは人間を主食のひとつにしており年間何千人も犠牲になっていると聞いたことがあります。犬だって懐いていない人間には吠えるし噛み付くし、蜂も巣の数メートル範囲内に人が入ってきたら刺します。家畜だって殺すときは苦しんで抵抗します。(実際見たことはありませんがそうだと想像します。)

なぜなんでしょうか。なぜ人間に自らを差し出さず、生きようとする本能?のまま行動するのでしょうか。
聖書に書いてあることを信じている方、またそれと類似する考えを持っている方、どう思われますか?

Aベストアンサー

 これは、聖書解釈の問題なので神学に長けた方に聞いてみる方がよいと思いますが、まず創世記1:29-30を良く見て下さい。神は、天地創造の時点では、地の植物「すべて」が人間の食べ物となる、とし、また地の獣、空の鳥、命ある物「すべて」には「植物」を食べさせる、と述べておられます。すなわち、創造の時点では害獣も有毒な植物も存在しなかったのです。
 聖書の教えをこの面からのみ受け取ると、kanase62さんのような疑問も当然湧いてくるでしょう。しかし重要なのは、その先です。人間達は善悪の知識の木の実を食べ原罪を犯してしまいます。そのような人間達に対して神は、次の様におっしゃります。

 お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。(3:17-18)

ここにあるように、原罪を犯してしまった人間には、天地創造の時点のようには、動植物の支配と食物の確保とが約束されてはいないのです。現在の人間は罪において仮の命を与えられているというのが聖書の考えであり、このこと踏まえておけば、聖書における人間と人間以外の生命との関係にもよりいっそう理解が深まるはずです。

 これは、聖書解釈の問題なので神学に長けた方に聞いてみる方がよいと思いますが、まず創世記1:29-30を良く見て下さい。神は、天地創造の時点では、地の植物「すべて」が人間の食べ物となる、とし、また地の獣、空の鳥、命ある物「すべて」には「植物」を食べさせる、と述べておられます。すなわち、創造の時点では害獣も有毒な植物も存在しなかったのです。
 聖書の教えをこの面からのみ受け取ると、kanase62さんのような疑問も当然湧いてくるでしょう。しかし重要なのは、その先です。人間達は善悪の知識の木...続きを読む


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