重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

こちらのカテゴリーでいいか迷ったのですが、仏教哲学にも通じていると思いますので質問させていただきます。

以前に、邦画の『ドライブ』を観ていた時に映画の中で
“同席対面五百生”なる言葉が出てきたのですが、劇中ではこの言葉は“いまこの世で席を同じくしている人との出会いは、五百回前の前世から決められていたいたことだ”というような意味合いで使われていました。

そのくらい出会いと言うものは縁があって大切なものだというニュアンスは何となくわかったのですが、
あらためてこの言葉の意味を知りたくて検索してみたら

“五百回生まれ変わってやっと実現できた、かけがえのない出会い”

という意見と

“過去生に五百回出会っているほどの縁”

という、前者は五百回の人生出会えなかった
    後者は五百回の人生を少なくとも共にした

と真逆な意見があることが分かりました。
これってどちらの意味が正しいのでしょうか?
ご存知の方、ご教授願います。

A 回答 (1件)

どちらの意味も正しいのではないでしょうか。



どちらの言葉も今、現在の出会いを大切にしようという意味でしょう。ですから、言葉を使う本人が、ぴったりくる言葉を選べば良いのであって、自分に合えばどちらの言葉でも良いのです。

言葉は手段であって、目的ではないと思います。ですから、もし、言葉が人間を不幸にするなら、その言葉を捨て去る事を躊躇すべきではないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに、あまり細かい部分にこだわって言葉の本質を忘れてしまっては本末転倒ですもんね。

“現在の出会いを大切にしよう”という大意を大切にしていきたいと思います。

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/10 23:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す