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あるフロイトの解説書には、『無意識とは、個の内部に留まるものではなく、際限なく、果てしない広がりを持つもので、宇宙の「存在」そのものと同等である』という内容でした。

漠然とこれまで「無意識」とは、「個人内部、自我以外の意識できない部分」と思っていて、ブランクスレート(石版)理論とも符合する概念だと思っていました。

無意識とは何ですか?

A 回答 (9件)

アドラー系の心理学の本では意識と無意識は同じモノと


書いてあるものがありました。
厳密にいうと意識的と無意識的は同じことと書いてあります。
意識として知覚しているのは全体の中の一部です。
常に全てを意識することはできないので知覚している
以外の意識が無意識となっているのです。
たとえとして、真っ暗な劇場の舞台でスポットライトが
あたっている部分が意識化されている部分、
真っ暗な部分が無意識化している部分と例が挙げられています。
意識化できない部分として舞台裏のようなものもあるとしています。
あと、人間の行動の99%は無意識的にはたらいているといっています。
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この回答へのお礼

興味深い回答、ありがとうございます。

アドラーの個人心理学はよく分からないのですが、フロイトやユングの基礎心理学(分析)とは異なり、臨床での運用方法論的な側面が強いようですね。

お礼日時:2006/05/09 17:33

無意識を宇宙とすると、意識は地球程度でしかないということではないでしょうか。

この回答への補足

ありがとうございます。
おっしゃりたいことは、よく分かります。

私の場合、無意識を宇宙とすると、意識とは『空想』という結論に達しました。

補足日時:2006/05/08 17:31
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フロイトにそのような解説があるということを興味深く拝見しました。



しかし、ブランクスレート(石版)理論というのは知りませんが、おっしゃるように基本的には個人の内部の意識的に認識できない脳内領域、あるいはその作用。
という解釈でよいのではないでしょうか。
ちょうど意識という泉の底には無意識としての地下水の存在があるように。

ただ、無意識のある部分は遺伝情報として人類が綿々として引き継いできたものです。
自我の形成さえもそれらの無意識部分が基盤になっていることは疑いをはさむ余地のないところでしょう。
そして、このようにして新たに獲得された「情報に対する認識」がまた次世代の無意識として受け継がれていくことになります。
(この場合は必ずしも遺伝情報として受け継がれるとは限らないでしょう。その時代の文化、文明、風潮などが個人の無意識に及ぼす影響は遺伝情報よりも遥かに大きいものとさえ言えるかもしれません。)
無論、本人自身の新たな無意識としてその人の言動を左右するという過程を経た後で、ということです。

そして、このような遺伝子の系譜や、それにより左右され翻弄される人類の歴史自体が無意識の母体だとも言えることになります。
それゆえに、地球上における生命誕生の起源にまで遡って想像してみた場合、ご紹介いただいた『無意識とは、個の内部に留まるものではなく、際限なく、果てしない広がりを持つもので、宇宙の「存在」そのものと同等である』
というフロイトの言葉は、共感を呼ぶ響きを持っているように思われます。

この回答への補足

ブランクスレート(石版)説というのは、「人には人それぞれ、能力差(性格など)がある」というテーゼの元、その能力差は環境によるものなのか、遺伝によるものなのかという論議から生まれたもののようです。

その説によると、遺伝によりその能力差が生じるというものです。

能力というと、「優等・劣等」という言葉が付きまといますが、そのような意味ではなく、『違い』と理解しています。
#4 yuki 2006様が回答されたように、「強さ」と「種類」との解釈が近いのだと思います。

補足日時:2006/05/08 17:35
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無意識の前に意識ってなんですか?と聞かれれば貴方はどう答えますか?


物事は順序良く考えるべきです。
意識 を私は自分で認識できる意思 と考えています。
早い話自分で判る自分の内側です。
では無意識は?
簡単ですね
自分で認識できない意思 って事です。

まぁ私はそういった事は良く知らないですがまずは基盤。。。判りやすい方から積み重ねる。これは今の所地球上での(基盤)だと思います。
良ければ参考にしてください。

この回答への補足

ありがとうございます。

フロイトらは「夢」について、意識と無意識との境界を見出し、ユングは、「性格」という部分から表出する意識を探ろうと試みました。

しかしそれらは、個別論(個体差の収集分類)であり、極論すれば、特徴的な臨床結果(生データ)のような気がします。

外部から認識できる特徴分類が、その本人の意識を示すものだとは思うことはできず、その特徴こそがブランクスレート(石版)に刻まれるものではないでしょうか?


意識を意識することは可能なのでしょうか?

補足日時:2006/05/08 16:59
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無意識は欲望と似ているんじゃないですかね?



無意識を意識出来ない部分と考えてしまうと無意識事態が存在しなくなってしまいませんか?

あえて無意識を存在するものに表現するなら初めに言ったように欲望や願望に似たものだと思います。

例えば、悩みを抱えてる男性がいるとします。
その男性はある女性が好きで何度告白をしてもフラれています。

この男性は無意識な部分を意識によってストーカーはしないように抑圧しているのではないでしょうか?

この場合。

無意識=彼女が好き。どんなことをしてでも自分のものにしたいという欲望や願望。

意識=そんなことをしたら世間の目もあり彼女がそんな行動で振り向いてくれるはずがないという思い。

この男性の無意識な部分が勝ってしまうとストーカーになってしまう。

きっと人間はみんな道徳とか評価とかマニュアルなどという意識によって秩序を保っているのだと思います。

この回答への補足

暴力的に支配下に置き、相手を支配してしまおうという考えを、無意識とはいわないと思います。

明らかに相手を従属させようという意志が働いていて、本人もむしろそれを望んでいるのだと思います。
仮にそれが「無意識」の内に行なわれているのであれば、本能に近い行動ということになり、現代社会においては非常に危険な行動だといえることになります。

仮にその行動が本能だとしても、その結果を認識できない部分を「無意識」と呼ぶのだと思います。

補足日時:2006/05/08 16:51
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音楽に例えるならば、意識とは信号の共鳴であり、無意識とはその共鳴を生み出す音の組み合わせ、または構造ではないでしょうか?



そして、共鳴にはその”強度”があり、組み合わせにはその”複雑性”があります。

進化、または発達とは、無意識の複雑性が増し、意識の強度が高まっていく方向性のことではないでしょうか。

ですから意識、無意識とは、たぶんある/ないではなくて、共鳴性、複雑性の度合いであるだけのようなきがします。

この回答への補足

ありがとうございます。
大きな枠組みとして理解する為の比喩として、「音楽」の例は非常に参考になりました。

しかし、実際の『意識』を例にとってみると、人それぞれの捉え方があり、更にはそれに対する観念というフィルターが掛けられ良し悪しが判断されます。

【意識】を意識しているかというと、必ずしも意識しているわけではなく、むしろ、『無意識』に近いのではないかと思います。

補足日時:2006/05/08 16:40
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1つの世界だと思っています。

この回答への補足

ありがとうございます。
おっしゃりたいことは、よく分かります。

私の場合、無意識を宇宙とすると、意識とは『空想』という結論に達しました。

補足日時:2006/05/08 17:57
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生と死の間に存在し、本来持って生まれたものでありながら経験的な刺激が加わらない為、気が付かない行為と


訓練或いは鍛錬に依り、自然な振る舞いとなる行為。

この回答への補足

ありがとうございます。

確かに、フロイトのいう「無意識」の一部分を構成するものですね。

しかし、その『行動』を「無意識」と呼ぶのでしょうか?
『自我』以外の空虚な領域を「無意識」と呼ぶのではないでしょうか。

一般的では、意識の状態を表す言葉ですが、本人や他者が認識していない「未知の(理論的)心理領域」と理解したのですがどうでしょうか?

補足日時:2006/05/03 03:17
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自論ですので、ご参考までに。



「無意識」とは、
個の持つ表立った要素を起因としない部分のことであると思います。
例えば習慣として、既に個の中に出来上がっている答えが暴露されることは、
フロイトの言う無意識とは違うと思います。

ここで言う「無意識」とは、
予見できないことから、可能性が無限であり、
個の持つ表立った要素が関与しないことで、
何にでもなりうる部分ではないかと思います。

「表立った要素」という部分が重要で、
本人自身が知りえる部分を「表立った要素」、
本人もうかがい知らぬ部分を「表立っていない要素」
とすれば、
「表立っていない要素」は、本人にもわからないわけですから、
無限の可能性が秘めているのでしょう。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>既に個の中に出来上がっている答えが暴露されることは、フロイトの言う無意識とは違うと思います。

自己と他を比較し、そこに見出した相違部分、特に自分に存在しない性格的特徴を認識したその領域のことは、何と呼べばよいのでしょうか?

 自己=《個(心)=自我+無意識》

と定義すると、『自我』部分の相違を表すことになるとともに、無意識部分の相違を表すことにもなります。
「無意識の領域は思考であり、その限界部を確認することができないものである」と考えられないでしょうか。
フロイトの考え方を踏襲するならば、『存在する』ですが、一方、「空虚なもの」と捉えることができ、観察することが不可能なので、特別な事情が無ければ他人にも自分でも意識化されないので、このことについては、誰も確認することが困難であるため研究対象から外れ、学術上の理論という入れ物で『器』『箱』という意味での『無意識』が考えられますが、、、

『無意識』とは思考の産物なのか、それとも存在するのでしょうか?

補足日時:2006/05/02 15:40
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