佐藤春夫の「ためいき」の冒頭は、私が所有している岩波文庫「増補 春夫詩鈔」では、
”木の國の五月なかばは”
となっているのですが、PCで検索すると
”紀の国の・・・・・”
となっているものばかりです。

高校時代に習ったときも”木”の國で、”紀”の國ではなっかたはずです。
知人が図書館で何冊かこの詩をで調べたらやはりみな”紀の国”になっていると言います。

春夫は、”紀の国”和歌山県出身ですから、すんなり”紀の国”で間違いないように思いますが、しかしやはり”木の国”の方が奥深く感じます。

私の所有の岩波文庫本は高校時代に買ったもので昭和29年の発行なのですが、この版が間違えて”紀”を”木”としてしまったのでしょうか?
これ、長年の疑問です。
経緯をご存知の方、どうかお教え下さい。

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A 回答 (1件)

全くの私見ですが、何でも、紀の国の由来は、


五十猛命(いそたけるのみこと)が、新羅の慶州よりやってきて、この地方に樹木の種(杉や檜等と思われる)をもたらしたとされ、これに由来してこの地方は「木の国」と呼ぶれるようになり、それがやがて変化して
「紀の国」→「紀伊国」となった、とのことです。
なので、木の国=紀の国 と見る向きが多く、誰もそれについてクレームをつけなくなってしまったのではないでしょうかね。
でも、質問者さんがおっしゃるように
「木の国」の方が、断然「ためいき」がこころに沁みますね。
私も「木の国」に1票!です。(^^)
尚、以下のサイト(中段)では「木の国」としているようです。

参考までね。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/TIKURINKAN/14satouhar …
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    • 0
この回答へのお礼

早速ありがとうございます。
「紀の国」は当初「木の国」だったのですか!知りませんでした。

参考URL拝見いたしました。
確かに「木の國」ですね。

春夫自身が「木の國」と書いているのに、いつの頃か、誰かが「紀の国」としてしまい、それが誤ったまま、伝わってしまっているんですね。
toko0503さんも「木の國」に同意頂きましたが、「紀の国」では当たり前すぎて、面白くもなんともありません。

お礼日時:2006/05/04 13:56

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Q詩人佐藤春夫の詩で・・・?

昭和28年、十和田湖畔に高村光太郎の
乙女の像が建立されたのを祝して、佐藤春夫が
贈った詩があります。
題は『湖畔の乙女』(!?)だったと思いますが、
この詩の全文をご存知の方は是非教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

以下の通りです(^^)v

湖畔の乙女

 天降りしか
 水沫凝りしか
 あはれ いみじき
 湖畔の乙女
 ふたりむかひて
 何をか語る

 花かもみぢか
 水の清らか
 はたや いみじき
 久遠の身をか
 あらずみたりの
 ゆかしき人を

   * ”水沫”のヨミ→みなわ


蛇足ですが、
十和田湖を開発した三恩人を記念する碑(「みちのく」)の
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二連目の”みたり”はその三人を記念してこのように言うそうです。

Q佐藤春夫「西班牙犬の家」と内田百間「冥途」について

「西班牙犬の家」・・・この話に出てくる「雑木林」と「スペイン犬」をコンテクストとして読み解く。
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私は時代性はよくわかりませんが「異郷感を掻き立てるもの」と解釈したのですが・・・この筋で行けば「スペイン犬」も異郷感を掻き立てる、示唆するために「スペイン」犬でなければならなかったのかな、と
思うのですが・・・実際はどうなのでしょう。

以上とはちがう作品ですが、
内田百間「冥途」・・・「茶店」「郵便貯金」をコンテクストとして読み解く。
この場合、普通の茶店ではなく博覧会の唯一残る記念として描かれているのにはどういう意味があるのか。
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このふたつは自分にはどうも分かりません・・・。

自分なりに考えても調べても答えがでないので
どなたかどれか一問でもいいので教えてくだされば幸いです。

Aベストアンサー

文学に素人の私見ですが・・・

当時は大正の中期で世界大戦中の経済好況で東京の郊外、つまり武蔵野の雑木林は切り開らかれて住宅地になり文化人やサラリーマンが移住しました

今の世田谷、渋谷、中央線沿線などです、東京がそれまでの神田や牛込から移動し始めたのです

慶応で学んだハイカラで異国趣味の佐藤春夫は新しい東京の空気をスペイン犬と雑木林で現わしたかったと思います

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Q頻繁にため息をつく人をどう思いますか?

回りでため息ばかりつく人がいます。
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正直、ため息ついた人は少しは気が楽になっているかもしれませんが、それを見ているこっちは気分が悪いです。10分におきに、ため息されるとか、本当にしんどいです。

おそらくため息の原因は仕事だと思うのですが、それなら、部署異動希望をだすとか、転職するとか、いくらでも手立てがあるのに、行動にうつすことすらしません。

みなさん、ため息で困ったこと等ありませんか?

Aベストアンサー

「どうしたの?大丈夫?」と言われるのを待ってるだけですね。
無視です。

Q岩波文庫の作家名の後ろにつく作

岩波文庫では
作家さんの名前の後ろに作
がついています
夏目漱石 作
川端康成 作

他の出版社には見られません
岩波文庫の方針なのでしょうか
理由をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください
よろしくお願いします

Aベストアンサー

明治大正の昔は単行本でも「○○○作」とタイトルにつけられることはごく普通でした。
岩波文庫はこの種の文庫本の嚆矢となるもので、昭和初頭に発刊するに当たって当時の風習をそのまま踏襲したものだと思います。当時藤村作という著名な国文学者がおられまして、この方の著作を刊行したら「藤村作作」となると、笑い話のように言われました。
そういうこともあって、他の後発の文庫で戦前のからのもので現存では新潮文庫ただ一種(これも戦前版とはすっかり様変わりしています)、こちらはやや近代的に「著」を使っています。
他の文庫は皆戦後のものであり、昨今の風潮としてごく自然に作はもちろん、著もつけなくなったのだと思います。

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Aベストアンサー

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わたしの勝手な考えなんですが絵文字がないと怒ってる、嫌々メールしてるイメージなんです。

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Q岩波文庫の寺田寅彦の随筆

寺田寅彦の作品に興味を持ち、岩波文庫の「寺田寅彦随筆集」を買いました。とても繊細な視点で世界を切なく美しく描写しておりはまっております。
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Aベストアンサー

よいところに気づかれました。
結論のみ書きます。
原作者の表記を出版社が「勝手に」書きかえている例は枚挙にいとまがありません。

同随筆集全五巻では、第一巻に二行ほど付記があるだけで、確かにどう書きかえたかの明記がありません。
そこで、他の岩波文庫のいわゆる緑帯、近代日本文学に相当するものをお持ちなら、奥付の前のページを見てください。[編集付記]などとして使用した底本のことや表記の方針などいろいろ書いてあるはずです。

「近代日本文学の鑑賞が若い読者にとって少しでも容易となるよう」「原文の趣きをできるだけ損なうことがないように配慮しながら」五つの「方針にのっとって表記がえをおこなった」と。

こうして皮肉にも、原文の趣きとまるで異なるものが、われわれ読者に提供されているわけです。

この"好意"はただに岩波文庫に限ったことではありません。他の出版社の大部分も似たようなものなのです。
しかも書きかえの"方針"はまちまち、明記してない本もたくさんあります。

萩野貞樹氏の『旧かなづかひで書く日本語』幻冬舎新書2007年刊もしくは
同氏著『旧かなを楽しむ』リヨン社2003年刊(内容はほとんど同じ)を一度手にとってみてください。
たとえば谷崎潤一郎『盲目物語』がいかに作者の意図を根底から無視し、恣意的に書きかえられているか、実感をもっておわかりになるでしょう。

単なる、旧かなと新かなの書きかえの問題、ではありません。
たとえ旧かなの知識が自在にあっても、ここから原文の復元は不可能です。

よいところに気づかれました。
結論のみ書きます。
原作者の表記を出版社が「勝手に」書きかえている例は枚挙にいとまがありません。

同随筆集全五巻では、第一巻に二行ほど付記があるだけで、確かにどう書きかえたかの明記がありません。
そこで、他の岩波文庫のいわゆる緑帯、近代日本文学に相当するものをお持ちなら、奥付の前のページを見てください。[編集付記]などとして使用した底本のことや表記の方針などいろいろ書いてあるはずです。

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Q佐藤春夫の詩 少年の日で 正しいのはどちらですか

佐藤春夫の詩 少年の日で2番の ”なやましき眞晝の丘べ さしぐまる、赤き花にも。”と
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Aベストアンサー

#1です。

>出版社の間違いでしょうか
1922年(大正10年)初出の「殉情詩集」では、ご紹介の通りです。
1926年(大正15年)の「佐藤春夫詩集」では、ご記憶の通りです。

春夏秋冬の四季に分けたものは1~4章となり、「花を藉き」は「敷き」や「蔭おほき」が「影おほき」になど、幾つかの表現が変わっています。
http://wa.tea-nifty.com/lie_luck/2010/05/16-2a5b.html

ご指摘の、とりわけ「夏⇒2」の後半2行の表現では第1章第2行のリフレーン調にしたことによって、春夏秋冬分けの独立性が緩んだため1~4の数字での章別編成になったものでしょうか。

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Aベストアンサー

17世紀フランス文学は総称して「古典主義」と言われ、
悲劇のコルネイユ(エル・シッド)、ラシーヌ、喜劇のモリエール等が包含されます。




http://www.syugo.com/3rd/germinal/database/articles/article.cgi?histoire17

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時々深呼吸というかため息のようなことをして呼吸を整えているんですよ。
悩みがあったり、あきれてたりってわけじゃないです。

あまりに頻繁だったり、溜めている時間が長すぎる(10秒以上)と感じるなら
次の検診が近ければ、健診で医師に聞いてみてください。
しばらくないようなら、母子担当の保健師さんとか、かかりつけに行ったときに聞いてみても。
そこまででなければ、普通に赤ちゃんの深呼吸だと思いますよ。

>ちっともお母さんに伝わらないなぁ
こう見えるのはお母さんが「赤ちゃんが何を言いたいのかわからない」って
悩んでいるからじゃないでしょうか。
コリックなどもあって大変な時期ですよね。
でも何で泣いてるんだろうって一生懸命探ったり
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というくだりがあるのですが、この「彼地」はどう読むのでしょう?また、どういう意味なのでしょう?

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