「time is money」時は金なり という諺から、資本主義経済において時間は、お金で換算できる尺度の一つであると考えることができます。しかし、現在および未来に対する時間はお金で購入できますが、過去の時間は、今現在において購入不可能です。

私の考える「時間」とは、結論から言えば「自己実現・アイデンティティへの投資」にあると思えます。ある一定時期までは、時は自己形成に働き、ある時点からは、「欲」の追求、自己実現への追及に変わると思うのです。

他者に対する時間については、「自己実現を達成するための投資」と思うのです。すなわち、私は、「他者は自己実現に利用するための手段」と考えます。

1.自分にとっての時間、もしくは、他人に対する時間とはどういうものなのでしょうか。

2.他者は自己実現のための手段なのでしょうか。

※できれば、宗教家や哲学者からの引用は、ご勘弁願います。引用は抜きにして、思っていることをダイレクトに表現してほしいと思います。あと、私自身あまり賢くないので、できるだけ平易な文章で説明お願いします。質問内容自体が不完全でわかりにくいと思いますが、補足できれば、どんどん補足していきたいと思います。

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A 回答 (37件中31~37件)

●わたしも 若いころは あなたのような


 漠然とした焦燥感 漠然とした不安感 に苦しんだものです。

 しかし 現在は とてもクリアに気持ちよく生きています。
 そのために重要なことを以下に記しておきますので 参考にしてください。

 1:こころから信じれる異性をみつける。
 2:その人に対して誠実な自分をつくる。
 3:その人との間に子供をつくる。
 4:その人とともに自然のすばらしさを満喫して生きる。

 複数の人間との関係に自分の存在意義を見出そうとしてはいけません。
 相手にもそれぞれに生きる道があるのですから 求めれば必ず裏切られます。
 意義をもとめるのは あくまでも自然が対象となります。
 人間関係は あくまでも「楽しみ」と心得なくてはなりません。
 この相関を体得することこそ至高のエロティスズムだと確信してます。
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この回答へのお礼

chihokoさん、ありがとうございます。
1~4はそれぞれ、chihokoさんにどのような変化もしくは、影響があると考えますか。

お礼日時:2002/02/13 17:28

※できれば、宗教家や哲学者からの引用は、ご勘弁願います。

は 爆です!

●結論から言いましょう。時間はひとそれぞれにいかようにでも解釈可能です。

 あなたが時間というものをあなたが考えているように感じるのは
 あなたが「あなたの考え」のなかで時間を過ごしているからです。

●わたしは二十歳のころ 無になろうとして無に生きた(時間をすごした)
 ことがあるのですが 一ヶ月で飽きちゃうんですよね。
 この経験は大きかったです。つまり人間とは本来ほどよい刺激を求めている
 ということに気がついたわけです。ま それからいろいろありまして。
 刺激が多すぎてもいけない。ことにも気付きまして。
 ほどほど(バランス)が いちばん大切なんだと思って現在暮らしているわけです。
 職業は20年くらい頭脳労働をしていましたが ほどほど(バランス)が
 崩れてることを感じて 程よく身体を動かせる職業に転職しました。

●さて ほどほど(バランス)がとれて すべての欲望がみたされた後
 時間は自分にどうはたらくか?ですよね。
 
 そうですね 時間は無意識のままにながれるという感じですね。
 自分というフィルターは通りますが 自分にこだわる必要もありません。
 他者とのかかわりも 自分に固執した時間ではなく そこに生まれる「場」
 というような感覚のために時間が存在する感じです。
 チョボラをするときもあれば しないときもある。ごく自然体です。
 よく見聞きし よく考えれば 時間とは自分にたいして自然体にはたらくものです。
 それが人間のもつ「魂」のすばらしい共通点でしょう。
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この回答へのお礼

chihokoさん、ありがとうございます。
「できれば、宗教家や哲学者からの引用は、ご勘弁願います。」については、私自身、引用されたとしても本当に正しいのか判断できない点にあります。言葉自体は存在しても、哲学者の名が間違っていても、恐らく私は誤った知識を身に付けてしまうと思い条件を付けさして頂きました。

そうですね、人によって時間の捕らえ方は違うのでしょう。時間は感じるために、存在するといった所でしょうか。

最近になって、生活していくうちに時間を有効に使えていない自分を、発見しています。(最近ではなく、ずっとかもしれませんが…)私が生きていても、死んだとしても何も影響がないのではないかとも思います。私がなくなって、実際に影響がでても困りものなんですけど。刻一刻と寿命を取り、生命体としての、私の時間が減少していくのを感じると、かなり焦るのですが、惰性で焦らなくなります。そうなると、幼いころから何も変わっていないのではないか、これまで生きてきた、体験したことは無駄だったのかとよく思います。これまでの経験から、無駄になるであろう時間に対して、私は欲しているのです。何か矛盾を感じています。

お礼日時:2002/02/12 19:46

#2のDASSです。


多少、極端な考えになりますが、おつきあい下さい。

自己満足以外にどんなことができるのでしょうか?

人間に限らず、生物は皆、自己満足に基づいた行動しか、していないのではないでしょうか。

・自分が回答したいから回答するんです。
・自分が楽しいから友達と過ごすんです。
・友達が楽しんでくれるのが自分にとってうれしいから、自分は友達と過ごすんです。
・「君を愛しているよ」というセリフは、「君を愛せると、自分が満足する」ということです。
・マゾの人がムチで打たれて悲鳴を上げていたとしても、それは「ムチで打たれると幸せを感じるから叩いて欲しい」のです。
全部自己満足です。

ただし、時間の経過を考えなければならない満足もあります。
・恋人と一緒に過ごしていたいのだけれど、別れて仕事に行かなければならない。
これは苦痛です。
でも、仕事に行ってお金を稼ぐ事で、恋人と遊園地に行けるとしたら、小さな苦痛で大きな満足を得る事になります。
遊びたい盛りの子供に両親が「勉強しなさい」と言うのも、「将来の大きな幸せのために、今は小さなガマンをしなさい」と言っているのです。

しつこくなってきましたか?(ごめんなさい)

確かに「自己満足」と言う言葉は、他人に犠牲を強いるような印象があります。
また、客観的な評価ではないという意味があります。

ですが「自己満足でなく、他人からも良い評価が与えられたい」という事だとしても、結局は「他人から良い評価を与えられたいという自己満足を満たしたい」という事です。

どんな事であれ、「自分が望んだ事を実現しているだけ」です。

「自分は何も望まない」という人がいても、「『自分は何も望まない』と言う望みを満たしているだけ」です。

>>なぜ、満足しようと思うのでしょうか?
という問いがありました。
これに答える事はわたしにはできません。
たぶん思いっきり哲学の世界なのでしょう。
ただ、「満足したくない」と言う欲求があったとして、その欲求が満たされてその人が「満足していない」としても、それはそれで「欲求が満たされている」事になりますよね。
まるで、-1×-1=1のように、マイナス同士のかけ算がプラスになってしまうように・・・。

「自己満足」という言葉が悪いのであれば、何か別な言葉を使いたいですが、ボキャブラリーが足りません。
そして自己満足が悪い事ばかりではないということは、前回答に記載しましたので、改めては書きません。

この際、生きる事(時間を過ごす事)自体が自己満足のため、と割り切ってしまいましょう。
もちろん、他人を犠牲にする自己満足は嫌いです。
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この回答へのお礼

DASSさん、ありがとうございます。
私の疑問について、答えてくださりありがとうございます。できるだけわかりやすく説明してくださること、文章を読んでいて感じます。人生は自己満足を選択する時間・時の流れなのですね(自信なし)。「自己満足」と言う言葉には、何か後ろめたいことを感じ、使っても気分が悪いのが今の現状です。そう、割り切っていても、どこか釈然としません。これが、哲学のジレンマなのでしょうね。

お礼日時:2002/02/10 03:10

beginnerさん、こんばんは。



質問自体に答えていなくてすいません。言及すれば誰しも1の自分にとっての時間しかないと私は思っています。どう使うのかも自由なので。
で、時間についての尺度ですが、時間以外の環境が時間の尺度だったりします。天気のいい日に健康体でいるときの時間は曇りの日に病気で臥せっている時間を考えると、たとえば1週間長生きして病気で臥せるより、1週間命が縮まっても前者の状態ですごすことを希望します。したがって、私の時間への意識というものはさほど重要ではないのかもしれません。

レベルはちょっと低くなりますが、女性、特に日本の女性って「もう○○歳だし…」「いまさら…するなんて」と頻繁に使います。文化的な背景のせいで、女性がある行動をする事(結婚、学校、就職…はいまや男性も関係あるか)を時間を意識することで気後れしてしまうのを目にします。極端ですが、男性にとっては年齢を重ねることは貫禄、女性にとっては色々障害が出てくるということをちらっと考えてしまいました。
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この回答へのお礼

shibako74さん、ありがとうございます。
私が疑問に思っていることについて、的確に答えてくれてありがとうございます。質問からは、全然はずれていませんよ。謝る必要なしです。確かに環境も時間を構成する重要なファクターですね。時間を考えると、いつも分秒時、という基準で考えていたので、すごく新鮮に感じます。わかっているつもりでも、わかっていないものだと、改めて感じさせてくれます。

哲学を考えるのにレベルなんて関係ないと思います。この問いも、哲学者からすれば、人生相談なのでしょう。ヘーゲルが~と言っていた、仏陀は史実から~であった、とよく見かけます。でも、著作物に対する意見なんて人それぞれだし、人はヘーゲルでもなく仏陀でもないので本当のところは、わかっているつもりのように思えます。確かに、彼らの著作物は複雑でわかりにくい、だけど、思考は最終的には単純なものだと思うのです。(愚痴ですね・妬みかな)話が外れて、すみませんでした。女性と男性では、時間に対する認識が違うのですね、よく男女平等と聞きますが、結局のところ、変わっていませんね。物事に対する見方が広がって、うれしく感じます。

お礼日時:2002/02/10 02:58

私の考える「時間」とは変化の尺度のことです。


太陽暦なんかは太陽と地球の変化(運動)の関係の尺度だと私は捉えてます。
こういう時間観なんで変化するものはそれぞれ異なった時間を持つ事が可能で
あり、相対的ですね。
自分にとっての時間だと、楽しかったら早く過ぎたり、退屈だと長くなったり、
体調によっても変化したり...。最も規則性に乏しいみたいなので、何か別の
変化と比較する時でないと、~の時間(変化)に比べて長いとか短いと言えま
せんが。
他人にとっての時間は、これもまた個別ですね。せっかちな人は早く流れてる
とか、のん気な人はゆっくり...。まあ、いろんな見方ができますね。他人の
変化を老化という観点で見るなら、60歳程度老化している人は(太陽暦を元にした
年齢が仮に50歳だとしても)60歳分の時間が流れた(変化をした)という見方も
できると思います。

単に時間の考察でよいとのことなので、自分の考えを述べてみました。なお、2の
質問には触れないこととします。
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この回答へのお礼

FFMANさん、ありがとうございます。
すみません。最初は、1についてのみ質問しようと思っていたのですが、あれも、これも聞きたいと思っていると、どんどん膨らんでいきました。はっきり言って、2はあまり関係ないですね。自分の価値観を強要させているようで、なんだか悪い気がします。

時間を変化の尺度と捉えること、私にとって1つ発見になりました。分秒時、これらは全て、人類の共通認識となっていますが、個人にはそれ以外に基準を持っているものなのですね。他人と同じような時の流れを体験したいものです。

お礼日時:2002/02/09 18:55

自己満足で良いのではないでしょうか。



その「自己満足」に基づく行動で、誰にも迷惑が掛からないのであれば。
さらに、喜んでくれる人がいれば最高ですね。

私がここを見るのも回答するのも自己満足だと思います。
他人の質問や回答を見て、自分の知識にしたり自己向上の糧にしており、完全な自己満足のためです。
回答するのは、困っている質問者に対する思いやりでもあるかもしれませんが、やはり「回答したぁ!」という自己満足です。

誰かを幸せにした自分に対する自己満足、誰かの役に立てる能力が自分にはあるという自己満足、みんなそんなもんでしょう。

他人に迷惑を掛けない自己満足、人の役に立ちたいという自己満足でいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

DASSさん、ありがとうございます。
う~ん、無責任で悪いのですが、自分で自己満足だと結論づけているのに、なかなかしっくりこないのが現状で困っているのです。時間の使いかた、人それぞれ持っていると思います。全て自己満足で説明しようと思うと、なにか気分が悪いのです。

時間と言う問いから逸脱しますが、自己満足という気持ち、なんなのでしょうか。なぜ、満足しようと思うのでしょうか、「楽だから」と言われるかもしれません、しかし、M(マゾ)の心理とはどういうものなのでしょうか。わかりません。

お礼日時:2002/02/09 18:41

ドライな意見ですね~。

でも私も大体同じです。どのように自分が限られた時間をすごすか、が生きていくうえでのキーだとは思います。でも、
他人に対する時間と、自分にとっての時間は、同じになることが多いです。人と楽しく過ごす時間は、私にとって自分へのぜいたくな時間(=投資となるかな?)でもあります。人をサポートする仕事をしていますが、時間を費やすことで得られるお金は投資または生活の糧にもなりますが、人との交流自体に時間をかけることで精神的に満足することも多いため、他人に対する時間を自分の時間ではない、とは言えません。

ところで…自分に投資するために使えず、自己実現のために利用することもできない他者との時間は、beginnersanにとっては無駄な時間ですか?いつもそうではないと思いますが…

この回答への補足

1の自分にとっての時間、他人にとっての時間というのは、単に、時間そのものの考察でもよいので、意見お願いします。

補足日時:2002/02/09 10:35
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この回答へのお礼

shibako74さん、ありがとうございます。
最近でもないのですが、恋愛や結婚、友人関係など見ていると、振り返ってみると自分以外の他者の位置づけを考えさせてくれます。楽しい、安心する、気持ちが良い(sexなど)、いろいろ他者と接してて、メリット?といいますか、気分が良いと思います。だけど、他者に対して交流を求める根源は、自己であり、相手に対する要求はエゴそのものだと思ったのです。(1)

この問いは、かなり矛盾しているものと感じます。この問いかけどおりであれば、「教えてgoo!」では質問人間になっているはずですよね。だけど私は、可能な限り回答も行っています。そして、日常でも何もメリットのないことでも友人のためであれば行動している限りです。(2)

だけど、何のための友人かと考えてしまうと、いつも(1)になります。そして、いろいろな人たちに対して奉仕する。すごくおもしろいです。だけど、結果的に、客観的に事実と反していて、迷惑をかけた場合、それは結局自己満足にすぎなかったと思うのです。そして、それを防ぐために勉強します。しかし、防ぐことのために学ぶことは、「奉仕」という大義名分のために形成された、自己満足を満足させる行為でしかないと考えてしまったのです。

だから、いつも私の中で(1)と(2)が循環し、いつも(1)で帰結してしまいます。

お礼日時:2002/02/09 10:21
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Aベストアンサー

>JIS Z 8101-2:2015では不適合品率という概念はなくなったのでしょうか。
明示的な定義が無くなっただけで概念としては存在していますね。

JIS Z9009-1あたりで規定しています。

Q今現在、すなわち感受表面とは特別な時間なのか

 
過ぎ去った時間は無限に続くが、我々は過去を呼び戻し感受することはできない。

未来の時間もまた無限に続くが、我々は未来を呼び出して感受することも出来ない。

しかし今現在、すなわち感受表面は過去と未来が接触する一瞬の時間であり、過去でもなく未来でもなく唯一我々が感受することが出来る一瞬の時間であると考えられる。

するとこの今現在とは無限なる時間の中にあって唯一つしかない特別な時間なのであろーか。
 
そして今生きている我々だけがこの特別な時間である今現在を感受できるのは何故であろーか。
 

 

Aベストアンサー

こんにちは。


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人間にとって、過去とは、記憶であり、その記憶の想起、そのもの。この二つがなければ、過去など存在し得ない。しかも、過去の想起は、現在においてのみ行なわれるもの。その意味において、過去とは現在の一形態にすぎない。
のではなかろーか。
未来とは、予測と期待である。それさえも現在に行なわれるものである。未来も現在のことであり、現在という瞬間以外に未来はないのではなかろーか。

というのはいかがでしょうか。


~~~~~~
するとこの今現在とは無限なる時間の中にあって唯一つしかない特別な時間なのであろーか。
~~~~~~
一人一人で固有なものであって、その意味においても、特別な時間だと思います。
時間の共有性は、生物or主観的時間を根拠に、普遍的な時間が外在するという仮定から導き出されるもので、幻想にしかすぎないと思います。



~~~~~~
そして今生きている我々だけがこの特別な時間である今現在を感受できるのは何故であろーか。
~~~~~~
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ところで、
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC

こんにちは。


感受表面は現在だけだと思います。
人間にとって、過去とは、記憶であり、その記憶の想起、そのもの。この二つがなければ、過去など存在し得ない。しかも、過去の想起は、現在においてのみ行なわれるもの。その意味において、過去とは現在の一形態にすぎない。
のではなかろーか。
未来とは、予測と期待である。それさえも現在に行なわれるものである。未来も現在のことであり、現在という瞬間以外に未来はないのではなかろーか。

というのはいかがでしょうか。


~~~~~~
するとこの今現在...続きを読む

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いずれもJIS Z 1522で規定されている規格を満たしていると思います。
日本国内でしたら文房具などを扱っている店で入手可能です。
また「セロハンテープ」と言うキーワードでネット検索すれば通販サイトもヒットしますので
12mmまたは24mm幅のものを購入されればよいでしょう。
また、メーカーによってはHPやカタログで粘着力などのスペックを載せていますので
そのようなメーカーでJIS規格を満たしているかを確認されてから
購入されればより確実だと思います。

ここで注意しなければいけないことがあります。
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例えば粘着力が2N/cmのテープも、
5N/cmのテープでもJIS規格を満たしていることになります。

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使用するテープのメーカーを変えると附着性テストの結果も変わる可能性があります。
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スレッドを開いて頂きありがとうございます。
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というのも私たちは普段、理想の恋人や友人には「白馬の王子様」や「聖母マリア」をイメージしていると思います。「白馬の王子様」や「聖母マリア」は、隣の人が携帯電話を落としたら絶対に拾うでしょう。
自分の理想の人間であれば絶対に行うはずの行為を自分はしていないという事実は、(無意識のうちに)私たちの自己肯定感を低下させるのではないでしょうか?
わかりづらい質問ですみませんorz
面白い回答をお待ちしております!

Aベストアンサー

大学で社会心理学を専攻している者です。

「他者を警戒すると自己肯定感が下がる」という傾向は、あると思います。
それは全ての人がそうなのではなく、統計的に、ないし多くの人々を観察した際のおおよその傾向として、という意味でです。

なぜなら、見知らぬ他者一般をどれくらい信頼できると思うかという「一般的信頼」や、他者に対してどの程度用心するか、警戒心を抱くかという「社会的用心」といった概念が心理学にはあり、それは臨床心理の場でよく用いられる「自尊心」や「自己肯定感」と関連があるからです。
つまり、他者を信頼せず用心深い人は、対人不安や評価懸念を抱きやすく、同時にそうした人々は自尊心や自己肯定感を内的に維持することができず脆弱である、という知見があるのです。

「他者を信頼すること」と「自尊心を保てないこと」とは相関がある、ということです。
でもそれはあくまで”関連がある”のみであって”因果関係がある”ことが強く実証されているかどうかは私はわかりません。

Googleスカラーや対人心理学の文献など読めば、そういう知見はたくさん読むことができます。

QJIS Z 9015 改定について

JIS Z 9015についてですが、1999から2006に改定されているようなのですが、どの部分が変わったのでしょうか。
その内容によって、新しく購入しようと思っております。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは。
JIS Z 9015は「計数値検査に対する抜取検査手順―第1部:ロットごとの検査に対するAQL指標型抜取検査方式」のJIS Z 9015-1が2006年版に更新されています。その内容については、参考URLのサイト(JIS検索)で立ち読みすることが可能です。ただし、ダウンロードは出来ませんが・・お試し下さい。取り急ぎ、御参考まで。

参考URL:http://www.jisc.go.jp/

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●西洋近代においては、上記のものは切り離されているのですか。
●キリスト教の観念でも、上記のものは切り離されているのですか。

●日本では、仏教的な輪廻思想などで、上記のものは繋がっているのですか。

●以上のことを何かひとつでも考察した文献はありますか。

●西洋近代の現在や過去、自己と他者、人間と自然、理性と非理性などが切り離されている問題が、19世紀くらいの文学で表現されているものはありますか。また19世くらいの文学ではそのような分離の問題が文学のテーマとなっていましたか。西洋文学日本文学問わず、何かありますか。

以上のことでわかることがありましたら、ひとつでも回答してただけるとありがたいです。

Aベストアンサー

西洋近代思想史―十九世紀の思想のうごき〈下〉 (講談社学術文庫、1994)
G.H. ミード (著), George Herbert Mead (原著), 魚津 郁夫 (翻訳), 小柳 正弘 (翻訳)
ISBN4-06-159124-X

これが入手できればいいですね。19世紀は、哲学的探求に科学の発見が大きな影響を与えていた近代であることが詳細に書いてあり、たとえば、自我は他我との自覚的な相互作用の過程であるとか、行動心理学の問題とか、非常に詳しい分析が載っています。名著だそうです。

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Aベストアンサー

>少しでも弱い自分を変えなければ

とのことですが、「弱くたっていいんだ」と思えることが「ありのまま」ということだと思います。
弱いからだめ⇒それを自己実現欲で乗り越える、という構図ではないはず。
これをやると疲れてしまいます。
まず、「弱くたっていいんだ」と思えることから始まると思うのですが、そう思えるためにはどうすれば良いのか、ということが問題になります。
森田療法による治療の第一歩は、たしか、「何もさせないこと」から始まったと思います。
質問者さんの場合、治療の必要はないわけですが、切り口としては、基本的に似たような考え方で楽になるのではないでしょうか。
そこで、「弱くたっていいんだ」、つまり「ありのままの、今の自分でいいんだ」と思えるかどうかが鍵になると思います。
しかし、考えてみれば、「ありのままの、今の自分じゃだめなんだ」と言わなければならない人というのは、基本的に存在していないはずです。
そんなことはないだろう、言われそうですが、「少しでも弱い自分を変えなければ」と思う自分は、「ありのままの、今の自分」じゃありませんよ、という意味です。
色々不満はあるでしょうが、「ありのままの、今の自分」を認めているからこそ、誰しもが生きていけるはずです。
「そんなはずはない、これじゃだめだだめだ」とばかり考えるのは、「ありのままの自分」を見失っている状態と言えます。
「ありのままの自分」を見失えば、冷静な判断もできないし、自己実現欲が空回りするだけに終始するでしょう。
弱くたって死ぬわけじゃありません。
他人と比較せずに、相対的価値観から脱して、絶対的価値を目指すことができる可能性を自己のうちに見出す、というか、元々あることに気づく。
ここからスタートされると良いのではないですか。

>少しでも弱い自分を変えなければ

とのことですが、「弱くたっていいんだ」と思えることが「ありのまま」ということだと思います。
弱いからだめ⇒それを自己実現欲で乗り越える、という構図ではないはず。
これをやると疲れてしまいます。
まず、「弱くたっていいんだ」と思えることから始まると思うのですが、そう思えるためにはどうすれば良いのか、ということが問題になります。
森田療法による治療の第一歩は、たしか、「何もさせないこと」から始まったと思います。
質問者さんの場合、治療の必要はない...続きを読む


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