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プロイセンがドイツ帝国を宣言した後の、バイエルン王国やザクセン王国の行く末を知っている方はいますか?江戸時代の藩のように、領地没収とかあったのでしょうか?
またドイツを統一する時に、普墺戦争をしましたが、プロイセンが負けたのであれば、プロイセンはバイエルンみたいに、歴史の表舞台から消えてしまったのでしょうか?もしくは他の国に併合という状態になったのでしょうか?歴史にifは禁物ですが、想像してくれましたら教えてください。

A 回答 (4件)

この構成国というところを見るとちゃんと存続しています。


なお、なくなったのはワイマール共和制の成立によるものです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4% …
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No2.の方が何を根拠に国王という称号が無くなったと言っているのかは知りませんが…



 ドイツ帝国は1815年に成立した連邦がベースになっています。この連邦は議会しかなく、外交・軍事は全て独立していました。1848年に連邦体制が崩壊し、1866年の統一戦争で北ドイツ連邦と南ドイツ諸邦が結成されます。それが統合したのがドイツ帝国です。

 帝国はプロイセン国王を盟主(皇帝)として4王国(プロイセン・ザクセン・バイエルン・ヴュルテンベルク)と20個ほどの諸侯で構成されました。外交は全て帝国に依存しますが、軍に関しては各国が独自に国軍を有し、有事の際に帝国軍を結成するという構造でした。但しバイエルンのみは独立指揮権を有しています。行政は各国単位で行われ、通貨も統一通貨・マルクで各国が発行しました。(いまのEUみたいなものです)

 国王がいなくなったのは1918年の革命で、日本で言う版籍奉還や廃藩置県が行われたのは1933年のヒトラー政権樹立の時です。これはプロイセン主導による統一に反対していたバイエルンが連邦盟主(ナチスはバイエルンの政党)になったためです。

 1945年の降伏により連邦は崩壊し、また地域主義に戻ります。1949年に英仏米支配地域が連邦を再結成しますが、バイエルンのみ基本法を批准しませんでした。理由は王制復古を禁止していたためです。そして現在に至ります。
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ドイツ統一後、プロイセン国王はドイツ皇帝に就任、他の国王は国王の称号は失いましたが新たなドイツ帝国の貴族に任じられ、国土の広さに応じて公爵、侯爵などの称号をあたえられました。



日本での明治時代の華族同様特典はありますが領地は僅かの直轄地を残して帝国に吸収されました。

オーストリアとの戦争でプロイセンが敗北したとしても色々なケースが考えられます。

1.プロイセンの国土が縮小して存続。
2.オーストリアの一州として併合。
3.オーストリアの属領としてそのまま存続。
4.変化なく存続。

おそらくは4.の形態でしょうが。
それ以後は周辺の外国から色々な形で干渉があるでしょう。
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プロイセンがドイツを統一したとき、プロイセン王が皇帝になりましたが、プロイセン王はそのままで、他の諸侯もそのまま存続しました。

(ただし小さい諸侯などは併合されてなくなったところもあります。)
これらの諸侯がなくなるのは第一次世界大戦の敗戦時です。(皇帝が退位したときと前後して退位したという例が多いようです。)
普墺戦争で負けたとしてもプロイセンがなくなったりはしなかったでしょう。
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