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ただいま受験生で世界史を勉強しております。
しかし世界史が苦手でよく読んでみても全体が把握できなくて困っているのですが、
ドイツっていろんな国名になりますよね?
その移り変わりがわかりにくいんです。

私の調べたところ

フランク王国→東フランク王国→神聖ローマ帝国→ドイツ帝国

まではわかったのですが、他にもワイマール共和国であったりドイツ連邦であったりというのがありました。

これらの国はいったいどの辺りに入るのでしょうか?
時代背景とともに教えていただけるととてもうれしいです。

無知なもので非常に申し訳ないですが、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

A 回答 (7件)

全然違います。


ゲルマン諸部族時代

ゲルマン諸部族とローマ帝国時代

ゲルマン諸侯時代

フランク王国

東フランク王国

神聖ローマ帝国とその他雑多な地域

神聖ローマ帝国・プロイセン王国(1700-1805)

ライン同盟・プロイセン王国・ザクセン王国etc...(1805-1815)

ドイツ連邦(39の諸侯同盟)(1815-1848)

ドイツ諸侯時代(1848-1866)

北ドイツ連邦・バイエルン王国・ヴュルテンベルク王国・バーデン大公国・オーストリー=ハンガリー帝国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1866-1871)

ドイツ帝国・オーストリー=ハンガリー帝国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1871-1918)

ドイツ連邦ワイマール体制・オーストリー共和国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1919-1933)

ドイツ第三帝国・オーストリー共和国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1933-1938)

ドイツ第三帝国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1939-1940)

ドイツ第三帝国・リヒテンシュタイン侯国(1940-1945)

ドイツ・オーストリー占領政策時代・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1945-1949)

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)・ドイツ民主共和国・オーストリー共和国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1949-1990)

ドイツ連邦共和国・オーストリー共和国・ルクセンブルク大公国・リヒテンシュタイン侯国(1990-)

です。
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この回答へのお礼

みなさまご回答ありがとうございます。
なんか連邦やら帝国やらごっちゃになっていて非常に覚えにくいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/14 10:40

実際はヴィルヘルム1世によるドイツ帝国成立まではドイツと言う国名はありませんでした。


この帝国は普墺戦争、普仏戦争に勝利したプロイセン王国国王ヴィルヘルム1世がドイツ諸邦の上に君臨する皇帝として即位して成立しました。
この瞬間、本当の意味で初めてドイツの統一がなったといえます。
それまではドイツの名を冠する国は存在しなかったのです。
ドイツは単に非常に広域な地方名であったと考えるといいでしょう。
普墺戦争の勝利でオーストリア=ハンガリー2重帝国(ハプスブルク帝国)のドイツ諸邦に対する干渉を完全に排除することに成功し、普仏戦争の勝利で世界的にも帝国の成立を認めさせたと言えます。
そしてこのとき成立した国家の正式国名はドイツ国(Das Deutsches Reich)です。
これを和訳したとき帝政であるドイツの国家形態を考慮しドイツ帝国としただけのことです。
Reichとは大国と言う意味で、実際は帝国(Kaiserreich)と言う名称は国名には入っていませんでした。
そしてこの国名はナチス・ドイツが第二次大戦で敗北し、ドイツが東西に分割されるまでずっとドイツの正式国名でありつづけました。
第一次大戦の敗北で帝政はなくなりドイツは共和制に移行します。
このとき出来た国を今日では通常ワイマール共和国と言いますが、実際にはこれは国名ではなかったのです。
単にこのときできた憲法の制定された都市名により、この憲法をワイマール憲法を呼び、それによって今日、この新しい共和制のドイツをワイマール共和国と呼んでいるに過ぎないのです。
その後、ナチスの台頭によりワイマール共和国は崩壊します。
実際には崩壊というよりも単なる政権交代と考えるのがいいでしょう。
このときの国家を第三帝国と呼ぶこともありますが、これは、神聖ローマ帝国を第一帝国、プロイセンによるドイツ統一により成立したドイツ帝国(帝政ドイツ)を第二帝国、そしてヒトラーによる(帝政ではありませんが)独裁統治を第三帝国と称したのです。
最初はナチもこの呼称を使ったりしてたようですが、連合国の反対プロパガンダに利用されだしてこの呼び方はナチ国内では禁じられたようです。
そして、オーストリア併合により国内では大ドイツ(Groβdeutschland)とか呼ばれたようですが、やはり正式国名はドイツ国のままです。
その後、ナチス・ドイツの敗北、ドイツの東西分割により、この国名は完全になくなります。
その後、東ドイツはドイツ民主共和国に、西ドイツはドイツ連邦共和国となり、西ドイツによる東ドイツ吸収合併までドイツはふたつに分断されることとなったのです。

Wikipedia
ドイツ帝国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4% …
ワイマール共和国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1% …
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございます。
添付して下さいましたURL参考になりました。
教えて下さったように起こった物事の流れに乗って覚えるのが良さそうですね!

お礼日時:2007/12/18 22:32

フランク王国


メロビング朝 481年クロービス
            カール=マルテル
カロリング朝 751年ピピン
        768年カール1世
 840年フランク王ルードビィッヒが死去し、三子間に相続争いが起こる。
 843年ヴェルダン条約によってフランク王国が3つに分断
西フランク カール    →(仏)
ロートリンゲン ロータ  →(伊)
東フランク ルードビィッヒ→(独)神聖ローマ 962~1806年

1806年10月ナポレオンはベルリンを横領。(勅令=大陸封鎖令)
1815年ウィーン会議。ワータールーの戦い、ナポレオン敗北

1815年ドイツ連邦発足。ドイツは37君主国と4自由都市の連邦国を作る。(プロイセン王国とオーストリア帝国も同時にできる。)
1866年プラハ平和条約ドイツ連邦解体。

1867~1918年北ドイツ連邦成立:オーストリアと南ドイツ4国を省くドイツ諸連邦

1871年帝政ドイツ(ドイツ第二帝国)、プロイセン王ヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿で戴冠、ドイツ帝国憲法発布。
1918年11月ドイツ革命;キール軍港で水兵反乱、皇帝退位。

1919年8月ワイマール憲法公布。ワイマール共和国1933年3月ワイマール憲法停止。

1933年1月ヒットラー内閣成立(連立内閣)ドイツ第三帝国3月ナチス45%の議席を獲得、共産党81名を追放して過半数、授権法成立:ワイマール憲法停止。
1945年5月ベルリン陥落。ドイツ降伏。6月東西に分裂。7月ポツダム会議(ポツダム宣言)ベルリンの4国(米、ソ、英、仏)管理。

1949年5月ドイツ連邦共和国成立(西)。10月ドイツ民主共和国成立(東)。

1990年10月東西ドイツ統一。
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この回答へのお礼

とても、詳しく教えて頂きましてありがとうございました。

書き写して、流れを覚えようと思います!

お礼日時:2007/12/18 22:30

年代順に並べると次のようになります。


ドイツ帝国(1871~1919)>ワイマール共和国(1919~1933)>(ナチスドイツ)第三帝国(1933~1945)>連合国による占領(1945~1949)>東西に分裂した状態で独立
>(東)ドイツ民主共和国(1949~1990)・・ドイツ連邦共和国に併合される
>(西)ドイツ連邦共和国(1949~現在)
 そもそもドイツがひとつの国にまとまったのはやっと1871年になってからのことです。それまでは多数の国が分裂割拠していました(まあ、日本の戦国時代のようなもの)。イギリス、フランス、スペインなんかがずっと昔からひとつの国になっていたのと比べるとちょっとややこしいですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

分裂割拠しているので、本当にこんがらがってしまいます(汗)

わかりやすいお返事ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/18 22:29

神聖ローマ帝国は1000年ほど続きましたが、実態は領主(選帝侯たち)による、選挙制で決められたおり領主の力が強く領主どうしの戦争もしばしば起こっていたと思います。


神聖ローマ帝国の末期は皇帝は飾り物にすぎなくなっていました。
実際、ハスクブルグ家(オーストリア・ハンガリーの支配者)の手によって実質的支配(親族を皇帝にすることによって)が行われていました。
このハスクブルク家と領主となかは非常に悪く、たびたび戦争を起こしていました。
その中からドイツ帝国を打ち立てる、プロイセン(ホーエン・ツォルレン家)が台頭してきます。
ナポレオン戦争時代は、神聖ローマ帝国は、ナポレオンによって名実ともに崩壊させられます。この時代場合ドイツ=プロイセンで考えていいと思います。(他の領主もいましたが)

また、ワイマール共和国の後、ヒトラーによる第三帝国へ移行します。
その後、第2次大戦後東西の分割され、1990年ごろベルリンの壁崩壊によって、現在のドイツになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご丁寧に教えて頂きまして、ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/18 22:27

質問者さんはちょっと焦っていませんか?ドイツに関してはただ読むだけでは覚えられませんので、ひとつひとつのイベントを確実に理解しながら、落ち着いてじっくりやりましょう。

矢印で移り変わりを結んだりするのもお勧めしません。他の国と違って余計わかりにくくなります。
ドイツの場合、支配者が交代して国名が変わっていくなどという単純な移り変わりではありませんし、ドイツという国自体が無くなったり、連邦になったり、時にオーストリアの一部になったりと、イベントごとにアメーバのように変化します。

具体的なことを教えられたら一番いいのですが、ずいぶん昔のことなので忘れてしまいました。コツというか、アドバイスのみにとどめておきます。恐らく内容に関しては、お持ちの参考書などのほうがわかりやすく書いてあると思います。
そのドイツが変容していく「イベント事」をサラサラと読み流さず、ひとつひとつ完全に理解して自分で説明できるようになってから次に進むというのがコツです。

しかしずいぶん世界史が得意だったのですが、今はぜんぜん覚えてなくてショックです・・・^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

世界史がお得意だったのですね!
羨ましいです。

時代のイベントに乗って理解する方法、活用させて頂きます。

お礼日時:2007/12/18 22:26

ワイマール(ドイツ)共和国はドイツ帝国の次でドイツ連邦共和国はそのあとになります。

一時ドイツ連邦共和国と並存してドイツ人民共和国(東ドイツ)というのもありました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/12/18 22:24

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