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なぜイタリアは枢軸国に付いたのでしょうか。
またすぐ降伏してしまったのは、それだけ結びつきが薄いということでしょうか?

A 回答 (2件)

イタリアが枢軸国に加盟した理由は、大まかに言えば


「石油の確保」「世界大恐慌」「ファシズム」です。

まず、当時は主要燃料が石炭から石油への移行期でしたが、植民地や領土内からの石油の確保が容易だった米国やイギリス等の「持てる国」と異なり、イタリア・ドイツ・日本等の「持たざる国」では石油の確保が困難だったため、経済的・軍事的に「持てる国」に対し遅れを取らないために、他国に戦争を仕掛けてでも石油の確保ができる領土を獲得する必要があった点が挙げられます。

また同様に、当時起こった「世界大恐慌」に対しても、「持てる国」は自国植民地圏内での「ブロック経済」等の対策で経済的に回復の兆しを見せていましたが、「持たざる国」ではその方法が使えなかったため、経済的な復興が立ち遅れます。
その経済的苦境を脱するために、権益拡大や戦争特需のために戦争に踏み切る必要がありました。

つまるところ、枢軸国というのは「持たざる国」の、「持てる国」に対する共同戦線だったとも言えます。

最後に、イタリアもドイツも日本も、当時の政権が右寄りだったため、基本的な志向に通じるところがあった、ということも理由のひとつです。


イタリアが早々に降伏したのは、軍事力と指導者の問題です。
元々ドイツや日本に比べイタリアの軍事力は劣っており、それもあって第二次世界大戦参戦後にも苦戦が続きます。
それが国民の不満を募らせ、また枢軸国加盟自体も当時の権力者ムッソリーニが独断気味に行ったという経緯もあり、国民の不満爆発→ムッソリーニ失脚→新政権樹立→降伏と、雪崩式に事が進んだためです。
なので、ムッソリーニ個人はともかく、イタリア自体は確かに枢軸国との結びつきはそれほど強くはなかったといえるかもしれません。
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この回答へのお礼

植民地支配に後れを取った国々(ベルギーとかもありますね)の挽回は第2次まで続いていたということでしょうね。ムッソリーニの独走がありましたか。

お礼日時:2007/08/30 08:42

”イタリアが枢軸国に付いた”というのは間違いです。


ベルリン=ローマ軸が、枢軸なのですから、
ドイツとイタリアの二つが枢軸国の中心です。
イタリアは枢軸そののもですよ。
ドイツだけでは点にしかならないし、
日本はフィンランドなどと同様にオマケ。

二つのファシズム国家の同盟が枢軸なのですから
完全にあなたの誤解です。

すぐに降伏したというよりもそもそもイタリアの参戦は
ドイツにとって望まれていませんでした。
ムッソリーニのイタリアは工業基盤が弱く、総力戦に耐えられるような
国家基盤がなかったということです。
イタリアは当初より、ドイツにとって重荷となり、
弱点をさらけだす結果になりました。
理想的にはイタリアはスペインのように中立であったほうが
ドイツは南の国境の安全が保たれていたわけです。
ま、そもそもヒトラーとムッソリーニは互いにいがみ合っていたのですが
ムッソリーニはヒトラーの成功に黙ってみていられなかったわけです。

同盟の結びつき云々は関係ありません。国際外交の場というのは
あくまでも自国の国益優先。それが大原則であって、信義などは論外です。
知らないようですが、それがふつうなんです。
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この回答へのお礼

おまけじゃないわけですね。枢軸の意味をはじめて知りましたです。
ご回答いろいろと参考になりました。外交はドライです。

お礼日時:2007/08/30 08:38

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