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哲学者のデカルトについてですが、かれは方法的懐疑で少しでも真実でない者を省いて真実を追い求める考えでしたよね??確か(間違っていたら訂正お願いします。)それで、われは思うとか思われるだったり、彼についての本を読んだのですが、ぜんぜん理解できなく、わかりませんでした。そこで最終的に彼は何を追い求めたのでしょうか?また彼は神をやはり一番と考えていたのでしょうか?詳しい方お願いします。

A 回答 (2件)

>そこで最終的に彼は何を追い求めたのでしょうか?



神の存在の立証。

しかし、結局 彼は神の存在を立証できませんでした。


例えばリンゴをみてリンゴであると認識する。
他人もやはりリンゴだと答えるから、自分の認識は正しいと考えられる。

でも、もしも神が自分も他人もバナナをリンゴだと思わせているとしたら?

いいや 神様は悪いことはしないので、バナナをリンゴだと我々に思わせるようなことは決してなさらない。

つまり自分の認識は正しいはずだ。


この結論に不可欠なのは、真理を映し出す神の存在を立証しないと成り立ちません。

で、デカルトは神の存在を立証できませんでした。

蛇足ですが、脳の測定器をつけるとおもしろいことがわかったそうです。
意思決定をして指令を出す部分が反応するまえに、行動を指示する部分が先に動き出しているのだそうです。

人間は自由意志を持っており、自分の意志で行動を起こすと思われていましたが、それより先に行動が起こり、後で意思決定が起こっており、つまり自然の流れの後に、後を追うように意思決定がなされており、時々「おかしいな・・・ 自分はこれは間違いだと思うのに どうしてこういうことをしたのだろうか」となることがあるのではないかと。

誰が意思決定を支配しているのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。かなり興味深い回答をどうもありがとうございます。神の存在を立証できるものなどいるのでしょうか??私たちは超越的なものを考えがちですね・・

お礼日時:2006/06/11 15:31

別の方面から見てみます。

『脳』の現代科学の最先端で明らかになったことをデカルトは記述していたのです。もちろん当時に現代の「科学の用語」はありませんでしたから、名づけ方は主観の強いものです。かれは「確かさ」を求めて知性を働かせたのだとおもいます。すなはち『科学・広く学問』の基礎を作った、シュミレート出来た知性の持ち主だったと言えるではないでしょうか。
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