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こんにちは、お暇な方だけ質問に答えてもらって結構です。

自分はよく歴史小説を読むのですが、特に江戸時代の小説を読んでいると、身分違いの若者が家を捨てて駆け落ちをする、という話がよく見られます。
大きな家の娘や息子が、奉公人と駆け落ちしてしまうというのが多いのですが、中には奉公人同士が駆け落ちしていなくなってしまうこともあるようです。これは何も江戸時代に限らず、西洋の大きな屋敷で働いているメイドと従僕が駆け落ちしてしまうケースもあるようです。
身分が同じような2人が何故駆け落ちする必要があるのか、誰かヒマで知っている方は教えてください。

A 回答 (7件)

 こんにちは。



 日本の例は皆さん書かれていますので、私は西洋について書かせていただきます。

 これは勿論国に寄って違ったとは思いますが、高貴なお家に住み込みで働いておられる方は、結婚する場合その領主の許可が必要だったといわれているからです(俗説との説もありますが)。

 これは、モーツァルトの有名なオペラ「フィガロの結婚」でも描かれています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%9C% …
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この回答へのお礼

うーん、やっぱりそうなんですか。
色々と面倒な世の中だったんですね。
参考になりました、ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/12 12:44

今のように二人だけの個人の意思で結婚ができるようになったのは


戦後の昭和20年以降でしょう
 大正生まれの親からきいた話では戦前では結婚相手は親が決めることだったようで、恋愛結婚はふしだらな者のすることだったようです
 普通の会社でも職場での恋愛は両人ともクビになるそうです
江戸時代であれば、もっと身分制度などでもっと厳格だったと思います
駆け落ちしても真っ当な社会生活は送れなかったでしょうから結局
心中してしまう結果になったりしても、お墓にもいれてもらえないそうですから
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この回答へのお礼

昔は結婚→恋愛というのを聞いたことがあります。
恋愛→結婚というのはダメだった時代なんですね。ものわかりがよければ大丈夫かもしれませんが……。

お礼日時:2006/06/12 12:52

結婚というのは洋の東西を問わず本来、家同士の契約でした。


個人というのは無視されていた時代です。

従って女性といえど、結婚後もかなり自由だったのです。

しかし封建制度が定着した江戸時代になると、女性の権利は次第に制限され家系を存続する為という面が表面に出てきました。

この為主筋の意向が強く働くようになり、主筋の同意ないし承認が必要とされるようになってきたのです。
特に武士階級や富裕な商人層では家督という相続制度でしたから血脈、相続人を重視したのでそれを維持するため結婚は家長の承認が不可欠の条件でした。

また身分制度があり、その相互間の結婚は非常に困難でした。

農民の場合は労働人口は収入の根元でしたから比較的に自由で特に耕筰地を持つ自作農は分家で耕作権を分与しました。
小作人は労働供与だけですから新田の開発などの機会がなければ余裕がなく結婚は困難でした。
唯一の機会は各地に残る暗闇祭りで照明が消えた中での行為だったといわれます。

従って主筋の承認のない男女はたとえ身分の違いがなくても結婚は出来なかったので「駆け落ち」で身を隠すしかなかったのです。

ロミオとジュリエットの悲劇も親の両家が抗争する中なので承認の見込みが全くない所から生まれた悲劇です。
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この回答へのお礼

長々と説明していただいてありがとうございます。
結婚するのも一苦労なんですね。

お礼日時:2006/06/12 12:50

江戸時代の戸籍に当たるものが人別帳になります。


親元では当然親の人別帳に入りますが、奉公に行くときは奉公先の主人の預かりとなり、親の人別帳から欠員させます。
つまり奉公人の身柄は奉公先の主人が預かるので、主人の許可が無ければ結婚は出来ません。
一般に商家では、自家の奉公人同士の結婚を嫌う傾向があり、物分りの悪い主人に仕えれば、駆け落ちということもあります。

この回答への補足

なるほど、でもどうして自家で奉公人同士が結婚するのを嫌うんでしょうね?

補足日時:2006/06/12 12:48
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この回答へのお礼

結婚より仕事しろってことなのかな……。
うーん、難しいな。
すいません変な質問答えていただいて。

お礼日時:2006/07/05 10:55

暇をもてあましている、”暇人です”



江戸時代に限らず、現代でも駆け落ちは多いと思いますよ。
理由は、認められない仲だから、

・年期奉公が残っている、
・お店に借金がある、
・親が決めた許婚(いいなずけ)がいる。

他にもいろいろあると思いますが、
とにもかくにも、夫婦になるには、
誰も知らないところに逃げる以外、方法は無いのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、ヒマをつぶしていただいて。

お礼日時:2006/06/12 12:47

「年季奉公からの逃亡」という要素ではないですか?



戦前の日本では「前借金を受け取っての年季奉公」は法的に認められていました。娼婦、芸者、酌婦、女工、女中、作女(農家の下女)など。前借金は親や「仮親」の懐に入り、年季奉公する本人は何も貰えずに売春や過酷な労働を課されるのが普通でした。仮親というのは、「女性を誘拐したヤクザ」や「孤児になった親戚の娘を引き取った叔父さん」といった人たちです。

そのような状況下で、例えば年季奉公中の女工が真面目な男性と意気投合した場合、年季奉公から逃亡して、新しい生活を始めようと考えるのは自然なことです。また、男性が助ければ逃亡が成功する可能性はグンと上がります。

上記のような「駆け落ち」は、日本が貧しい時代には十分にありえたことだと思います。
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この回答へのお礼

ちょい昔までこういうことがあったんですか。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/06/12 12:46

西洋の場合は分かりませんが


昔の「奉公人」の中には、貧乏のあまり「奉公人」として売られた子供達がいました
つまり人身売買の質として子供を差し出している訳です
そうなりますと、この奉公人=質草ということになり、「物」扱いでした
ですので旦那さまのお許しがないと、いくら身分が同じといっても、簡単に結婚することは出来なかったのです
結婚→出産となったら、その間は女性は働けないわけですから、その間の彼女の上がりは発生しません
商品が上がりを出せない以上、簡単に奉公人同士の結婚を許すことは出来なかった...というところでしょうか
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この回答へのお礼

そういう世の中だったんですか……いまひとつぴんときませんが、現代では考えられないことなのかもしれないからですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/12 12:45

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