『丹治峯均筆記(兵法太祖武州玄信公伝)』という書を探しています。おそらく活字化されていないと思うので、どこかの図書館か博物館の蔵書の中にないか探しています。
 著者の丹治(立花)峯均という人は福岡黒田藩の人だそうです。情報をお持ちの方がいらっしゃったらよろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

直接の回答ではありませんが、国書をお探しになる参考に。

(すでに、ご存知でしたら、すいません)

◆もし、お近くに中規模以上の図書館がおありでしたら、『国書総目録』をご利用になってみてはいかがでしょうか?
国書の所在を確認することができます。(写本などの情報も掲載されていたと思います)


*↓は大阪の図書館のページですが、利用の仕方の参考になると思います。
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/ko …
『国書総目録』の使い方-和書の所在を調査する 



◆また、「国文学研究資料館」のデータベースが今後の探索の参考になるかもしれません。
http://www.nijl.ac.jp/

データベース
http://www.nijl.ac.jp/databases/databases.htm

データベース集の中に「国書」「史料所在情報検索システム」「史料情報共有化データベ-ス」などがあります。
今回少しだけ「国書」のところで試してみましたが、残念ながらヒットはしませんでした。
(このデータベースでは所在情報が除かれていますし、実験公開中で、完全版ではないようです)

利用登録が必要でしたので、他のデータベースは今回試していません。
この先、情報が増える可能性もあるかと思いますので、とりあえず、参考情報としてお知らせいたします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。さっそく近在の図書館で調べてみようと思います。

お礼日時:2002/02/20 09:42

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何か情報がありましたらお願いします。

Aベストアンサー

六本木ヒルズ森タワー53Fにある森美術館では、
「中国★美の十字路展 後漢から盛唐へ」
というのが開催されています。
併せて「フォロー・ミー!:新しい世紀の中国現代美術」もやっていますので、時代の流れや背景について比較しながら見てみても面白いかもしれません。
いずれも9月4日(日)まで会期中無休でやっています。
詳しくは下記HPを参考にして下さい。

参考URL:http://www.mori.art.museum/html/jp/index.html

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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

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 例えば鹿児島の種子島に伝来した火縄銃を受け入れ、さらに信長の鉄砲使用法に近い乱射法で一時九州を制圧したり、薩英戦争での敗北後、一転攘夷論から開国論に切り替え英国の支援を受け、倒幕したことなどがその例です。
 あとはNo.4おっしゃるような交渉力や外交力でしょうか。
 関が原の戦いでは負けた西軍にいながらまったく唯一お咎めも無く60万石の石高もそのままでした。2度の朝鮮出兵で、三十倍の敵を殲滅し、鬼石曼子(おにしまず)とも呼ばれた武力もその外交力の裏づけにあったと思います。
 しかし鎌倉時代から明治時代初めまでベスト3には入っていたというのは買いかぶりすぎだと思います。
 最近の研究ではNo.9さんのおっしゃる程の搾取は無かったとされていますがそれでもまったく裕福とはいえず琉球に対するの清国との2重支配による密貿易や幕末の藩債踏み倒しなどでなんとかやりくりしていたのが実情ですから。
 
 
 

 九州のはずれにある薩摩藩がこれだけ長い間、領土を守り続けられた理由は非常に保守的なお国柄でよそ者を受け入れない鎖国主義的な部分が有る反面、いいものなら新しいものを受け入れられる柔軟性を併せ持っていたことかと思います。
 例えば鹿児島の種子島に伝来した火縄銃を受け入れ、さらに信長の鉄砲使用法に近い乱射法で一時九州を制圧したり、薩英戦争での敗北後、一転攘夷論から開国論に切り替え英国の支援を受け、倒幕したことなどがその例です。
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VHS-KATURAさん、こんばんわ。


1.確か、一年くらいでしょうか?知藩事にも任命されていないはずです。バラバラに点在していた領地も各県に併合されました。真っ先に廃藩になったはずですね。これにはスケープゴートのうわさもあります。

一応、江戸定府ですね。本拠地を決める前に領地を新政府に接収されていたので、その領地を返上するだけで手いっぱいだったでしょう。また、旗本だった人を家臣として抱えるなどいろいろ組織上の問題が山積みだったようです。


2.おそらく、江戸定府でしょう。当主の昭武という人は海外視察に出かけていて、不在だったです。
一応、華族になりますが、家政が傾いて爵位をいったん返上しています。徳川好敏が航空界に貢献した功績で男爵に戻ります。


詳細は下記のURLを参照ください。


一橋家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%A9%8B%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6

田安家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%AE%89%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6

清水家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6


参考図書
新人物往来社 徳川300藩藩祖総覧 別冊歴史読本 目で見る時代考証シリーズ6

VHS-KATURAさん、こんばんわ。


1.確か、一年くらいでしょうか?知藩事にも任命されていないはずです。バラバラに点在していた領地も各県に併合されました。真っ先に廃藩になったはずですね。これにはスケープゴートのうわさもあります。

一応、江戸定府ですね。本拠地を決める前に領地を新政府に接収されていたので、その領地を返上するだけで手いっぱいだったでしょう。また、旗本だった人を家臣として抱えるなどいろいろ組織上の問題が山積みだったようです。


2.おそらく、江戸定府でしょう。当主の昭武と...続きを読む


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