準・究極の選択

1980年代の日本人と、ここ数年の日本人を比べると、
平均的には、どちらの方が、幸福度が高かったと言えるでしょうか?

A 回答 (4件)

一億層中流、終身雇用制と年功序列な80年代は


凡人にとっては恵まれた時代。
勝ち組みと負け組み、能力と成果第一主義の現在は
有能な人間にとって活躍する場が与えられやすい時代です。

どっちが幸せかは人によるでしょう。
ただ幸せな人間の数の多さでいったら、あきらかに前者だと思いますよ。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。<(_ _)>

論理的に筋が通った話だと思いました。
大いに参考になりました。
御回答有難う御座います。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/22 23:38

一般的な幸福度=自分が向上途中であると感じる事、として。



数学的な観点から幸福度と言うものを考えて見ます。

人間は未来に希望が有ると感じたとき、つまり昨日より明日のほうが豊かになれると感じればやる気が出るものです。

話を簡単にしますと環境変化を折れ線グラフで表し、それの微分係数を考えるとこれが幸福度と考えられませんか?単純すぎますかね?

人間の感覚は変化に敏感です、変化を望んでいます。変化しない環境は閉塞感があり人間には絶えられません。極端に言えば全く変化しない社会より右肩下がりのほうがまし、と考える人間が居ても不思議ではありません。

まして右肩上がり、これは幸福感の絶頂期。
その意味から単純に経済が右肩上がりの時が幸福度が高かったでしょうね。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。

やっぱり、1980年代の日本人の方が、幸せな人が多かったのかもしれませんね。
有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/23 15:02

日本の人口の変化によって、経済の大きさに、


あるいは生活環境において、「ゆたか」であったという言い方ができると思われます。
では、人数の多いすくないによって幸福度が、かわるのでしょうか。もし同じ年令に構成される人口が少ないのなら、教育期間における競争は厳しくないといえます。
激しいと素晴らしい人材が、生まれるという保証はあるでしょうか。

古い時代は、結局どんなことでも未知数であるから、ひとは真摯にぶつかっていけたのではないですか。

要は、どんな環境でも自分の考えを持ってその時代を過ごせばいいと思います。
相対的な数字・人口や経済の力に影響されるよりも、国民の政治に対する参与度がはねかえって、子どもや孫にしわ寄せすることは明らかです。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。<(_ _)>

申し訳ありません。私の理解力が悪いのかもしれませんが、
統合的に考えると、nayon様が、どんな事をおっしゃっていらっしゃるのか、私にはつかみきれませんでした。m(__)m

すみません。m(__)m

御回答有難う御座いました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/23 00:22

幸福度の定義をはっきり決めないと、正確に議論することができません。



幸福度の定義を、はっきりとさせてください。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。<(_ _)>

私自身が、定義をはっきりさせる事は、中々、難しく感じます。

何か、良い定義の提案はないでしょうか?


回答してくださる方の分析話が聞けると、嬉しいと思っているのですが・・・・。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/22 22:17

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