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祖父が戦時中潜水艦に乗ってたらしいんだけどその祖父が言うには、
「ドイツのUボートはたいしたことなかった。日本の潜水艦のほうがでかかった。」
って言ってたんだけどUボートって日本に来たことあるの?

A 回答 (15件中1~10件)

質問の回答と離れていってもうしわけないのですが・・・



乳牛(ミルヒクー)はXIV型でして、船自体は水上で1668tですね。ドイツ最大の潜水艦です。次が日本に接収されているIXD型で1616t。

対する日本は、最大のものは潜特型とかいわれる伊-400型で、排水量は水上で5223t。これは潜水艦としては(当時としては)化け物です。
フランスが開発した、化け物潜水艦であるシュルクーフ(終戦のローレライのモデル艦)ですら2880tしかありませんから、伊号がいかに巨大化しているかわかります。
なお、日本の伊号を除いた、他国の潜水艦では2000tを越えている潜水艦はほとんどありません。

回答とずれてしまっていますから、これ以上潜水艦の性能を云々するのは避けたいところです。

回答は「Uボートは日本まで来ています」ということで。

参考URL:http://military.sakura.ne.jp/navy3/gr_s-14.htm
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uボートは日本に来ています。

2~3隻かな?日本の潜水艦も5~6隻いってます。目的は技術交流が主ですが、ドイツからきたUボートは、インド独立運動家のボースを連れてきたことが有名です。(多分この船はインド洋までかもしれません)インパール作戦のキーマンとなった重要人物です。
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すでに回答は出てますので蛇足になりますが。


色々な事は考えられますが、可能性が高いのは
1.ドイツのUボートをペナンで目撃した。
2.ドイツ降伏後接収された艦を目撃した。
このふたつの可能性が高いように思われますね。

どうでもいい話ですが、航海中の潜水艦への乗務は精神的にも肉体的にも非常に過酷であるため、日本海軍は乗員の保養のための豪華な施設を基地となる港に設置しています。ペナンにも当然ありましたが、日本の潜水艦乗りが上陸すると消耗しきって保養所でぐったりするだけだったのに対し、ドイツ人は消耗している気配もなく元気に遊び回り、この差は何なのかと不思議がっていた潜水艦乗りの話を読んだことがあります。

伊52ですが、以前にNHKの番組で見ましたが、隠密行動のはずが出港した時点から位置をアメリカに掴まれていたようですね。
撃沈される際の圧壊音は同じ人間として、同じ日本人として耐えきれない物がありました。

参考URL:http://www.geocities.jp/boat_sparrowhawk/5678Squ …
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Uボートのことはわかりませんがイ52が十年まえ,大西洋の海底5000メートルのところで、みつかっています。

昭和19年呉港から金塊2トンをつんでドイツの秘密兵器を譲ってもらうために出かけたましたがアメリカのレーダーみよって撃沈されました。このことはNHK出版社からでている『消えた潜水艦イ52」に詳しく当時のことが書かれています。この艦の機関長は身内のものです。
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補足しますと、(先の回答にもありますとおり)日本海軍装備のUボートのうち呂-500は、もとIXC型のU-511です。

本当は買うつもりだったのですが、ヒトラーの鶴の一声で無償供与されました。
http://www.h5.dion.ne.jp/~g-fleet/Ro500.htm
他はドイツ降伏の際に、スラバヤやペナンで接収したドイツ艦と、それ以前に降伏したイタリア潜水艦をドイツが接収していた物を日本が再接収した物です。もっとも、こちらは現地にとどまり日本に行くことなく(というか、とても行ける状況ではなかった)終戦を迎えています。
ドイツ海軍と日本海軍は仲良くインド洋の通商破壊作戦を行っており、接収の際もドイツ側は抵抗することなく使い方を教えてくれたり、日本側も収容所というより農地付きの宿舎を与えてかなり自由にさせていました。

ところで、自信無しで間違ったこと書き込んでる方々って、何でそんな無意味なことするんですかね。たまに間違った回答を書かれて、それを鵜呑みにして受付を終了してしまう人もいて、まったく迷惑以外の何物でもありませんが。

参考URL:http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-zantei/ …
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来たことがあるというか、日本海軍は6隻のUボートを所有していました。


伊号潜水艦の500番台はドイツ製Uボートです。
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回答はでてますが、蛇足を。



日本とドイツでは、潜水艦の用兵思想が違いました。
日本は、米海軍が太平洋を渡ってきて、内海洋(サイパンあたり)で迎え撃つというのが、戦略思想でありまた。要は、日本海海戦を太平洋でやろうという基本的な思想です。
ところが軍縮で主力艦の比率を60%に規制されましたから、迎撃するには戦力が足りません。そこで、航空機、潜水艦などで、米海軍の主力艦を60%程度まで削減しよう(斬減)と考えました。
そのために潜水艦は、米海軍が進撃してくる海域にばらまいて、日本の一番の秘密兵器である93式酸素魚雷の槍ぶすまを見舞う・・・。
その思想で潜水艦を開発してますから、大型化して、魚雷も大きなのを積んでました。

一方のドイツの仮想敵は英仏ソですから、特に英は海軍力はあるけど、資源のない国です。そのため通商破壊さえすれば、相手が弱ります。そこを陸軍がやっつける・・・。
ですから、戦艦も主砲だけ大きくて、速力の速いポケット戦艦などを作っています。これも通商破壊用で、相手の海軍をやっつけるためのものではありません。
その思想の潜水艦ですから、魚雷も小さく(破壊力はなくても、商船相手なら撃沈できます。)なるべくたくさんの潜水艦を作ってばらまいた方が、戦果があがります。
そのためにコンパクトに作られました。
よって、日本の潜水艦を見たら、ドイツのは小さいなぁと感じられて当然の結果です。
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基本的にドイツと日本では潜水艦運用の戦術が異なりました。


ドイツは北大西洋を主戦場に想定、航続距離はそれほど長距離を必要とはしませんでした。  しかも洋上での補給用に乳牛と呼ぶタンカーのような潜水艦を用意して使用しました。 これは4000トン級とききます。

これに対し日本は広大な太平洋を往復しなければならず長期間の航海となり燃料、食料の搭載量も大きくなります。
しかも潜水艦に洋上での補給という思想も設備も貧弱だったのです。

日本の潜水艦の潜航中の騒音はひどいもので水中聴音機で容易に探知される弱点がありました。

ドイツ潜水艦はインド洋にも進出していましたし日本との連絡用にシンガポールなどにも寄港していました。 新兵器や軍事情報を日本に伝えるためです。
ジェット機やロケット、原子爆弾技術など多くの情報は当時の日本では実用が困難だったレベルだったといいます。

艦の大小はたまたま接触した潜水艦の印象でしかありません。 技術的な評価はドイツの方が遙かに上でした。
日本の潜水艦の潜航深度はせいぜい100m程度ですがドイツ潜水艦は200m以上に達していました。
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マレーシアのぺナンという島があるのですが、こちらに日独伊で使用した潜水艦基地がありました。



インド洋での通商破壊作戦に従事したUボートやイタリアの潜水艦が補給のためペナンに立ち寄ってます。
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No3でちょっとおかしな部分と、読み違いを起こす可能性が高い部分があったので・・・



>しかし、完成度が非常に高く
完成度が高いのはUボートのほうです。

>日本の潜水艦は大型艦を目標としているので
日本の潜水艦は大型艦(空母)などを標的としていますが、これは、(設計思想が)大型の潜水艦を目標としている・・という意味で書きました・・・

また、振り分けられた3隻はどれも伊号ですね・・・完全な間違いです。

なお、伊号で最大の生産数を誇る巡潜乙型の排水量が約2524tです。
対するUボートは、VIIC型が769tで、それよりも大型のIXC型が1120tとなっています。

また、1943年にIXC型を1隻譲渡されており(呂-500。別名さつき一号)、これが呉に来ています(もう1隻譲渡されたのですが、これは日本人が動かしてドイツから航海中、撃沈されてしましました。なお、これもIXC型ですが、こちらは後期生産型となっています)。
その他、日本に接収されたU-181,U-195,U-862は伊に入っていますが、ドイツ潜水艦としてはかなり巨大です。それでも排水量は1600t程度です。
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