初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

駆逐艦雪風は幸運にして奇跡の駆逐艦といわれています。
特にマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄特攻などの最激
戦に参加し、生き残ったのは凄いと思うのですが、ここま
ですると単に運が良かっただけとは思われません。
他の艦とは何か違ったものがあったのか?
ぜひ教えて下さい。

A 回答 (8件)

雪風が大東亜戦争の最初から最後まで「無傷」で生き残ったのは、つまり


「敵の砲弾・爆弾・魚雷が一発も命中しなかった」
ということです。

「砲弾」については、連合軍がレーダーによる「完全盲目射撃」を可能にし、闇夜であろうが霧の中であろうが初弾から命中させることができるようになりましたので、雪風が砲弾に当たらなかったのは「運が良かったから」だと言えます。
すなわち
「敵が闇の中や霧の中で待ち伏せている所に行かないで済んだ」
ということで、これは本当に「幸運」ということですね。

なお、レイテ沖海戦で、西村部隊で唯一生き残った駆逐艦時雨の艦長は、
「敵の電探による盲目射撃にあった場合、初弾が命中しなければ、不規則な操艦によって敵の狙いを狂わせ、敵弾を回避することが可能であった」
と戦後に言っています。雪風が、このような状況を潜り抜けたかどうかはちょっと分かりませんが…

一方、爆弾や魚雷については、「艦長の力量、乗組員の力量(錬度)」が、命中するかしないかを相当に左右します。
士官は転勤がありますが、下士官兵は乗っているフネが無事であれば基本的に動きませんので、乗員の練度は戦争を通じてどんどん上がって行った筈です。これが、雪風の「幸運」を支えたと言えましょう。

日本には有効な対潜ソナーがありませんでしたので、敵潜水艦が発射する魚雷を避けるには「敵潜水艦の潜望鏡、または発射した魚雷を先に発見し、適切に回避する」ことが必要です。

敵潜水艦の脅威は、概ね20ノット以上の高速で走っていればほぼありません。潜航中の潜水艦は数ノットでしか動けないからです。ですので、敵潜水艦を警戒しなければならないのは、停泊、もしくは12ノット程度の経済速力で走っている時にいかに厳重に見張りを行うかです。
雪風が敵潜水艦の魚雷を避けたことが何回あったのか分かりませんが、一度も敵潜水艦の魚雷が命中しなかったのは「幸運」に加えて「見張員の練度の高さ」を示すものでしょう。
なお、魚雷と言うのは、早期に発見して魚雷に艦首を向ければ命中することはありません。艦首を二つに分ける波ができるので、敵の魚雷が進路を変えてしまうからです。太平洋の戦い・大西洋の戦いを通じて「魚雷が艦首に正面から命中した」例はなかったはずです。

そして、飛行機からの爆弾・魚雷についても、「幸運」に加えて「回避の練度」が被害を受けるか否かを左右します。

レイテ沖海戦で、小沢中将のおとり空母部隊に参加した戦艦伊勢は、空母が沈んだ後は「米軍機の格好の目標」として、延べ150機と言われる敵機の攻撃を受けました。ですが、至近弾はあっても命中弾・命中魚雷はゼロで、至近弾の破片や爆風による被害は受けたものの、重大な被害は受けずに戦場を離脱することができました。質問者様もご存じと思います。これについては、艦長の中瀬少将の優れた指揮が大きく貢献したようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%80%AC% …

駆逐艦より標的として遥かに大きく、小回りが利かず、速度の遅い旧式戦艦の伊勢であっても、乗組員の練度が高く、見張りと艦長の指揮が的確で、『かつ幸運であれば』、航空機の魚雷や爆弾は相当に回避できたわけです。

No1さんが言われるように、昭和18年12月から20年5月までの1年半、日本海軍が消滅していった時期において雪風の艦長だった寺内正道中佐が、伊勢の中瀬艦長に比肩するような「爆弾魚雷回避の達人」であり、かつ乗組員の練度が高かったことが、結果として雪風を生き残らせたと言えるでしょう。

なお、駆逐艦の場合、防御も予備浮力もなきに等しいですので、急降下爆撃機の爆弾や魚雷が機関部や搭載魚雷を直撃すれば、一発の被害で沈むか、行動能力を喪失して敵のメッタ打ちに遭うこともあります。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

大変詳しく回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 14:47

大和沖縄突入のとき、帰港後、雪風の弾薬庫から不発ロケット弾が発見されています。



不発だったところが、また幸運でもありました。
    • good
    • 1

>栗田艦隊 15隻中0隻(雪風はココ)



一応言っておきますと、サマール島沖で藤波と野分が撃沈されて乗組員全員が戦死していますよ。
    • good
    • 0

こんな言葉があります。



「雪風もくる? また誰かやられるぞ('A`)」

運が強いことは知られていましたが、末期になるとこういわれ始めます。

あと、旧式の駆逐艦「神風」も、武運長久で沈みませんでした。これは大湊の籍で北方任務が長かったからで、45年1月に連合艦隊付きになってから、死傷者だしたりしています。
が、一隻でコンヴォイ・エスコート任務に付いたりして、アメリカ潜水艦の雷撃をかわして反撃、対潜制圧を見事にこなし、輸送船損害なし。
巡洋艦足柄が雷撃され沈んだときは乗組員のほとんどを救出(艦長、春日均少佐いわく「運輸会社やったら大儲けだな」)と、ミッション・コンプリート率が高い軍艦でありました。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

神風のことは初耳です。ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/02 14:49

旧海軍には、特型、甲型と呼ばれた、艦隊付随の駆逐艦が82隻ありましたが、その中で唯一残ったのが雪風です。


その幸運ぶりは、ここには書き込めないほどあるので、詳しくお知りになりたいのなら、伊藤正徳氏著「連合艦隊の栄光」(角川文庫)をお読みください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ぜひ探して読みたいと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/02 14:50

>特にマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄特攻などの最激


戦に参加し、生き残ったのは凄いと思うのですが、

結果で語るならですが。
マリアナ沖では駆逐艦は沈んでいませんし、どの駆逐艦も目立った損傷はありません。
つまり、雪風だけが特別というわけではありません。

レイテ沖に関しても、駆逐艦の損失は
栗田艦隊 15隻中0隻(雪風はココ)
西村艦隊 4隻中3隻
小沢艦隊 8隻中2隻
志摩艦隊 7隻中1隻
であり、レイテ沖では損傷こそすれど駆逐艦の多くは沈んでいないのです。

もちろん、雪風凄いなということは私も思います。
ですが、生存できた理由を言ってしまうならばやっぱり「たまたま」以上にうまく説明はできないでしょう。
    • good
    • 0

*単に運が良かっただけとは思われません。


この一言でしょ
菊水作戦時殲滅させたければ反復攻撃でできたのでは
パチンコで信じられない連荘と同じでないの
信濃の回航護衛にもついてますね、安部艦長駆逐艦艦長の回航ルート
について話合い
してるみたいですが、駆逐艦艦長の意見とは違ったルートみたいでしたね
無事回航しても軍港辺りで攻撃され葛城見たいに着底鎮座か転覆横倒しでないですかね
戦闘機乗りとパイロットと同じですよ
    • good
    • 0

雪風が優秀な駆逐艦であったこともあるが、乗員の練度の高さや、艦長の果敢な判断があったことも忘れてはならない。



歴代艦長の中でも、五代目艦長であった、寺内正道中佐の活躍はめざましい。
寺内艦長が雪風赴任時の乗員への挨拶で

「雪風は沈まぬ。なぜなら



が艦長をしているからだ。」

と述べた話は有名である。
寺内艦長は、酒豪で豪放磊落、エネルギッシュな巨漢だった。
部下は可愛がるが、上官の無理な命令には、タテをつくので大尉を長くやり、前線勤務が長いのに進級が半年も遅れている人物だった。
また機銃弾や砲弾が飛び交う中、くわえ煙草で艦橋天蓋の穴から身を乗り出して、落ちてくる爆弾の軌跡を確かめ足先で操舵手に進路を指図した逸話も残っている。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!