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三国志とかで説客と称して、諸国を回った人達がいます。春秋戦国時代なんかでも沢山の思想家がいたと思います。

ところで、今日の中国でも北京語と広東語はだいぶ違うそうですが、古代中国においてコミュニケーションがうまくできたのでしょうか?

故事や諺など細かなニュアンスもあるし、一つ間違えば命が危なくなった説客・思想家なんかも多かったんじゃないかと思うのですけど。

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A 回答 (5件)

 中国語は地方によってかなり違いますが、文語は最近までほぼ同じであったようです。


 ですので「筆談」というよりも「文語調で会話した」ような可能性もあるように思います。
 最近は漢字の簡略化等もあり、「話すとおりに書く」様になってきており、書き言葉についても方言の違いが大きくなっていると聞きます
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この回答へのお礼

確かにそう思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/10 13:41

昔の人は他国の言葉に、容易に習熟出来たのではないでしょうか。

  今と違い習うべきものが少ないので。   中国ではその時代表意文字があったので、筆談、手まねをしながら、習熟したと思います。 
日本でも石器時代から、南北広範囲で交流があった事が、黒曜石の研究から知られています。   言葉の交流もあり、その共通化も一部分では、進んだでしょう。
幕末のジョン万次郎、高田屋嘉平の例もあり、武士の欧州派遣時も、早く外国語を覚えたと思いますが。
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この回答へのお礼

たしかにそうですね、ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/10 13:40

古代中国、周の時代までさかのぼると、その活動範囲は極めて限定され、いわゆる関中といわれる場所に行き着きます。


殷・周の時代から、下ってくるに従って、その活動範囲は広まっていきました。
もとは一緒なので、コミュニケーションは取れていたと思います。
行商人や説客など、各地を回る人々や外交に携わる役人や王族、貴族達も、ある程度言葉は通じていたと思います。
更にいえば、秦によって、度量衡や言葉、通貨も統一されています。
直ぐに滅んでしまったので普及はしていないと思いますが、便利であるので使い続けていたという可能性もあります。

>故事や諺など細かなニュアンスもあるし、一つ間違えば命が危なくなった説客・思想家なんかも多かったんじゃないかと思うのですけど。

相手の国の言葉、風俗に通暁していなければ、相手を論破すること自体不可能ではないでしょうか?
いずれにせよ、殺された例はあります。
ですが、どちらかというと、情報源として優遇されるケースが多かったようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/28 11:25

回答でもなく、またアドバイスでもなく恐縮なんですが、同じ問題は日本の戦国時代でもあったようです。

果たして伊達政宗と豊臣秀吉は何語で話したのか?実はこれは謎なんです。バリバリの東北弁のはずの伊達政宗とみゃーみゃーの豊臣秀吉、今だって地方に行くとお年寄りが何言ってるのかわかんないのに、もっと人の行き来が少なかった昔はどうしていたのか。

諸葛孔明も生まれは河北で、華南で劉備と出会い、四川に国家を作りました。劉備も河北の出身なので、どう考えても四川の人々に言葉が通じたとは思えません。ま、単純に考えれば筆談になるんですが。
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この回答へのお礼

そうですね、ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/28 11:25

なるほど、そういう心配がありますよね。

でも通訳が必要だったという記述にお目にかかったことはないですから、当時も標準中国語のようなものがあったのでしょう。春秋戦国時代は今の中国よりもずっと狭い範囲だったので、方言どうしが通じないということはなかったのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/28 11:24

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