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宗教のカテゴリが見つからなかったのでこちらでお聞きします。

私は創価学会員です。いわゆる福子です。
学生時代は学会活動を熱心にしていたこともありますが、今は退転して自称在籍外部です。

日蓮正宗・創価学会の本山からの離別問題についてですが、私が高校生ぐらいの時に起こったことですが、未だになぜ実家が創価学会を選んだのかが分かりません。
当時はなぜ本家である本山につかなかったのか不思議でも「家の方針」という濃い空気に負けて、両親に深く追求することができませんでした。
(今では袂を別ってだいぶ時間が過ぎてしまい、その間も学会一色だった実家にそんなことを聞いても色々な裁判判決や教義違反?を挙げ連ねて、結果論(非常に学会寄りな結果ばかりですが)で正当性を主張するばかりです)

だからといって本山が正しいのでは、と思うわけでもないのですが、私には学会がそこまで正しいのか信じることができません。
私にとってみればどっちもどっち、ケンカした時点で本筋からはずれているとしか思えないんです。
私は学会寄りの言い分、もしくは無宗派の中立派の意見しか聞くことができません。(本山派、他の日蓮宗派の知り合いがいない)

そこでお聞きしたいんですが、

☆ずいぶん昔のことですが離別問題が起きた時、学会継続・学会離別した方は何を根拠に、どんな理由で選ばれたのですか?

☆元は一つであったはずの日蓮の教えは、いまやどれほどに枝分かれしているのでしょうか?
団体名やルーツ?など教えてください。

☆本山派・学会員以外の日蓮宗派の方、学会離別問題をどう思われますか?

※文中「本山派」という言い方は適切ではないと思いますが、団体名を知らないためこの言い方で書かせてもらいます。
離別問題当事者である、学会と本山と解釈してください。

無宗派・他宗派の意見でもけっこうです。よろしくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

元学会員で現在は無宗派。

まだ所属していたら、婦人部といったところです。苦笑

離別問題が起こる数年前、子供だった私は親がある日突然入信し訳の分からないまま学会員となりました。
富士山の麓の本山へも、行きました。その直後だったのです。離別問題が持ち上がったのが。とても複雑な気分でした。

それでも子供ながらに「正解は一つしかない!」と明確に断言する学会員達は頼もしく、ついて行きました。
数年後、新しく知り合った友達とたまたま宗教の話になり、その子が元学会員だと知りました。なぜ、やめたのに同じ仏壇があるのか色々日蓮宗について聞くことができました。いわゆるその子はonikaachanさんと同じ福子だったのです。
離別問題はこれが始めてではないと、日蓮が枝分かれしていることを知りました。この辺りから、私は疑問を持ちはじめました。他宗教を魔とする、いちいち引き合いに出しては嘲笑う、同じ病でも学会員はありがたく他者は地獄にあっているなど、引っかかりはじめると不信な点がつのりました。

これは、まるで聖戦をする宗教とおなじではないか?
突き詰めると、偉人の言葉をそれぞれの解釈で生かそうとする、例えばこの質問にこれだけの回答がつくのと同じなのでは・・・

そんな感じで、私自身は離別し親の残した仏壇を大ゴミとして処分したり、他の宗教も知ることで(どこにも所属せず)生きて行こうと現在に至ります。
ちなみに、祖母は学会員と議論し先に離別、お寺に通っております。
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学会と宗門は以前は、密接につながっていましたが、学会が日蓮の御遺命である、国立戒壇建立を辞めたためです。


以前は学会も宗門も国立戒壇建立をとなえてました。古い聖教新聞や宗門の機関紙にも載ってます。昭和30年くらいでしょうか。
それを破棄したために、分裂が起こったものと思われます。
750年も続いてる宗教が途中で、方向転換するのはおかしいと思いませんか?
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創価学会が嫌われるのは、選挙の時だけすごい勢いでお願いにやってきて、あとは知らん顔しているから、というのはご存じですね。



あれは、人ごとに見えてますか?

他人にアドバイスしている時間があるのでしたら、先にすることがあるでしょう。お願いする時だけやってきても、説得力がありませんね。
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学会批判は色々なされていますが、これは悪意的だなと思うことが私にも一つあります。


学会員さんなら「頭破七分」という言葉を聞いた事があると思います。正確には「若悩乱者頭破七分」といい、「罰当たりは頭が七つに割れるぞ」という意味です。
これは法華経の陀羅尼品(だらにぼん)にでてくる言葉で、元々は十羅刹女(十人の鬼女)が、法華経の説法者を迫害から守る決意をこのような言葉で表したものと言われています。
問題はこの言葉の使われ方です。学会の御本尊にはこの言葉が密かに書かれていたそうです(曼荼羅の右上部分、今も書かれているかどうかは不明です)。ご本尊送りの際には導師からこの部分を指され「謗法を犯すと頭が七つに割れるほどの苦しみを味わうぞ」と宣告されると聞きます。
ところが、元々この言葉は大石寺の「戒壇の大本尊」には書かれていないものらしいのです。いつ、誰が、何の目的でこれを書き加えたのでしょうか?不思議です。脱会を防ぐための脅しとして曼荼羅の権威を利用しているならば許しがたい事だと私は思います。
皆さん学会を反社会的行為からのみ批判する傾向がありますが、法華経本来のあり方からの批判がなければ、信者の方々も納得はできますまい。
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cyuubu-nさん さすがですね。


再度 wikiからになりますが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1% …
目次にある「5.5 日蓮正宗から破門される」 を見ていただけると
破門の原因が書いてあります。


これは当時テレビかなにかで聞いた話です。
真意のほどはわかりませんがある意味納得のいく説明でしたので・・・

・学会と本山の間に「お金」に関する確執があった。
・池田会長の「影響力」が大きい。

この二点が背景にあったのでは?ということだそうです。
参考意見ということで判断はおまかせいたします。
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cyuubu-nさん、HP見ましたよ。



非常に品性に欠けるHPですね。

何が宗教なの?何が仏教なの?という非常に疑問なHPです。出来れば見たくありませんでした。

嫌です。もう。2ちゃんねる以下です。
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HPをあげて良いのかどうか知りませんが、


互いの主張は、法華講HPで創価学会員さんと迎えての掲示板など、いくつかの論戦などを見ています。

ttp://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs

かなり荒れておりますが、喧嘩しにいかないでくださいね^^、そういうつもりで出しているのではないですから。

学会員さんは、世間の情報は間違っていると言いますし、法華講さん(寺側)は、学会員さんこそ聖教新聞などの内部情報だけを鵜呑みにしていると言って、互いに批判しています。確かに、内部情報だけを鵜呑みにしていると感じることはないわけではありませんが、追跡調査できないことなので、私はなんとも言えません。一方、週刊誌情報などにウソが多いのもそう感じますから名誉会長批判がすべて当たっているとももちろん思えませんが、批判の材料は互いに最大限に使っているという状況は見て取れます。
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日蓮宗とは一切関係ありませんが、少し関心があり、調べてみたことがあります。



順序がずれるかもしれませんが、私の感想を書きますね。それと前置きが長くて申し訳ないですが、この問題はいくら客観的に書いても、客観というものはそもそも出しにくい問題だと認識しています。学会の人は、本山を謗法だと言い、本山側も学会をそのように言っていることは、あなたもご存じの通りで、ウソの情報なども入れると、非常に感情的で悪意に満ちた情報が乱れ飛んでいて、もはや落ち着いた客観的な立場などというものが存在しない(許されない)ことになってしまっている印象を受けます。

創価学会は、日蓮正宗の在家団体の一団体ですね。日蓮正宗は、他の日蓮宗からは異端と見られています。もちろん、これはあくまでも他の日蓮系の宗派の言い分にしかすぎませんよ。最大の違いは、日蓮聖人の位置づけの違いにありますよね。正宗は、日蓮聖人自体が信仰対象ですね。これは、同じ日蓮宗系と言っても、他の日蓮系宗派とまったく相容れません。
これが他の日蓮系の人々の見方です。

日蓮宗は分派が激しく、教義上の対立も多いようです。仏教系新興宗教の多くが日蓮系であると聞いています。霊友会や立証こう正会など、戦後大手の仏教団体でも日蓮系はすぐに思いつきます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE% …

社会的に注目を集めているのは、日蓮正宗系の団体ですが、創価学会や顕正会、正信会など、どれも暴力沙汰の一歩手前までいくほど攻撃的です。折伏という布教法を日蓮聖人はとりましたから、これらの団体が攻撃的であるのは、日蓮聖人からの伝統とも言えるかもしれませんが、日蓮聖人はあくまでも理論闘争としてやっており、相手も選んでいたようで、誰でも折伏するということはなかったようですが、いずれにしても警察までひっぱてくるような状況は、現代社会にあっては、常軌を逸したものとして見られます。私自身も、大勢でどなっている様子は、怖いとは思います。また、敵対者の人が事故に遭えば、「現証」と言ったり、罰が当たったなどと互いの不幸を虎視眈々とねらって調査しているのも良いものではありません。

離別問題ですが、これはもう今となっては真相自体が見えなくなってしまっているように思います。現在、寺と学会では喧嘩していますから、お互いの正統性主張するために、本尊論や三宝論(僧宝について)を細かに戦わせていますが、もともと本尊論も三宝論も教義上の必要性から出た問題ではなくて、相互の正統性を主張する必要性から出てきた問題で、これももう膠着状態です。学会は在家だけでやっているので、僧侶の正統性を否定する必要があるのですね。だから大石寺門主が芸者遊びをしていたなどと言って(捏造が言われてますが)、僧侶の正統性を否定する方向へ論調が働きます。
寺側は、僧侶と、本尊の伝授の正統性を主張して、互いに罵っております。これは外部の人には論理は追えますが、とてもその喧嘩のもとの部分は理解できないものとなっています。
そもそもの喧嘩の原因は、池田名誉会長の政治進出と寺との方針の違いがだんだん意見の相違を生んできたのだと思いますが、前段階として、国立戒壇の設置問題、それに対応する寺と顕正会などの他の団体との対立など、正宗内でのいろいろの内紛がありますので、一つの原因を特定するのは難しいのかもしれません。結局の所、名誉会長と、阿部?門主との個人的な怨恨が大きいようにも思えます。

一般の信者さんは、もとが在家団体としての創価学会に属しているわけですから、選んだと言うより、ほんとどの方は自動的に学会につくことになったのだと思います。もちろん、中には正宗側の僧侶でも学会についた人もいれば、学会を抜けて、正宗側に行った人もいるようですが、通常の信徒は教義問題などにもさして明るいとは思えませんから、創価新聞に書いてあることをそのまま信じたのではないでしょうか。

公明党が自民党と対立していたときの創価学会員さんと、現在の創価学会員さんと、外部からはかなり大きな方向転換をしているにもかかわらず、学会としてまとまっていくということだけは変化がないところを見ると、個人としての判断はほとんどされていないのではないかというのが、私が外部から見る限りの印象です。

客観視のそもそも難しい問題であり、あくまでも私個人の感想です。
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 別に嫌がらせではないのですが、私の前の職場の女性は、かつて創価学会の人と付き合っていたそうです。



 その男性の方は、家族全員が創価学会に所属していたそうです。優しい好青年で、特に問題がなかったそうですが、ただ所属していることは、私の同僚には最初黙っていたそうです。

 そして、やはり創価学会に所属していることが原因で別れたそうです。かなりの親密さだったにも関わらずです。

 ちょうど、飲み会の席でその話が出たのですが、私は「別にそれ位いいんじゃないの、犯罪者でもあるまいし」と言ったのですが、そこにいた女性は全員創価学会に・・・要するにマイナスイメージを持っていたようです。みんな私よりも遙かに創価学会に詳しくて、びっくりしました。そして、別れるのは当然で、どうしてかというと、あの執拗な布教には恐怖を感じるし、自分だけならまだしも、自分の親のことも考えるととても、結婚は出来ないと思ったそうです。それから、しばらく創価学会のことをまあ、なんと言うかマイナスに語る話題が出てきました。私はまるで関心がないし、人の信仰には口を挟むべきでないという当たり前の考えの持ち主のつもりでしたが、やはりどうなんでしょうか?
 
 宗教なり教義より、布教、拡大せよ!というイメージがあるのは間違いないようです。

 それから、宗教の話題は穏やかにするべきです。人様の生き方なのですから、特に慎重にすべきです。

 一部私の書き込みに反感をもたれた方もいたようですが、私の書いたのは事実であり、私は中立のつもりです。というか、どちらかと言うと、私は寛容な方です。ちなみに、私の家には法華経の本があり、観音経など読みます。「代表的日本人」岩波文庫刊の日蓮の箇所もきちんと読んでいます。

 私より、遙かに創価学会を毛嫌いしている一般の方がいるのは知っておいた方が良いと思います。教義の中身より、そのやり口に、多くの方がおかしいな?と思っているようです。

 また、政治と宗教の関係についても危惧されている方もいて、それは当然だと思います。

 落ち着いて下さい。私は宗教の中身には一切触れていません。また、どうこう言うつもりもありません。信仰の自由です。創価学会の方は好きに自由に信仰すれば良いです。

 ただ、一般の方との距離感を知っておいて方が身のためです。それは大人なんだから自然なことですよね。

 例えば、自分が日本人であり、過去の戦争の知識を持ってから、韓国や中国に旅行した方が望ましいのと同じことです。
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少し言い忘れていましたが、バッシングを受けるであろう最大の謂れですが、それは大半の人が不快に感じているであろう布教活動、折伏です。



強引だとか、学会員になり新聞を取れば幸せになれると心弱まっている方に大勢でマインドコントロールをかけて布教している、とか色々言われますが、宗教団体に属している以上、他者への布教、宣教活動は当たり前です。過去におけるキリスト教、イスラム教を見ても布教することのない宗教はありません。イスラム教などはそれを「ジ・ハード」と呼んで、聖戦まで正当化しています。完全に目の前の「学会」をバッシングすることにしか興味のない人の詭弁です。

あとは、財務ですね。これも何か勘違いされている方がいますが、世界の他宗教を見ても「慈善」「喜捨」など、ごくごく当然です。この使い道が不正だ、とかそういう噂もありますが、あくまで噂の域を出ません。その証拠となる文献や資料を提示してもらえることもありません。

やはり、このような宗教的無知ともいえる現代社会を作ったのは教育のせいでしょうか。いずれにせよ、難しい問題ではあります。

長々とすいません。
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