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創価学会と日蓮正宗は
どちらが正しいのですか。

創価学会は我々が
正しく大聖人の広宣流布を行っている
証拠に世界に広がった


日蓮正宗は
大聖人の仏法は我々が広めている
何せ我々には
本門戒壇之大御本尊が
あるから功徳があると
言います。
創価学会はニセだと言います。



創価学会に聞けば
日顕氏が悪い
日蓮正宗に聞けば
池田氏が悪い
と言うだけ


本当に 日蓮仏法を
正しくい広めているのは
どちらですか。

A 回答 (5件)

まず、法華経を現代語訳で読みなさい。

話はそれからです。
日蓮は法華経を仏法の本質だと考えました。
私の立場は異なりますが、法華経が初期大乗仏教の基本経典であることは否定できません。
法華経を読まずして正宗とか学会とかいっても全く意味ないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/01/09 23:28

日蓮仏法は末法の衆生に対し、法華経の精神を流布させ行く未曾有の大法です。



では法華経とは何でしょうか。万人に仏性が本有するが故に男女貴賎の区別無く、

万人を等しく敬うことであります。

翻って日蓮正宗の教義はどうでしょうか。

僧俗差別であり、あくまで僧侶が偉く民衆信徒はそれに平伏し、

ひたすら集金マシンとして、供養させられる唯の道具です。

妙法の極意とは歴代法主のみが秘儀として継承することができ、

下々には絶対に明かさないとする差別官僚主義です。

対して創価学会は今や全世界192ヵ国、国連加盟国に限れば全ての国、地域に

存在し精力的に活動を行なっています。

しかもこうした成果は、学会が日蓮正宗を一方的に破門された後に、

池田会長自らが海外布教行脚を慣行した故の賜物であります。

学会本部には連日連夜世界中から同志が訪問され、

自身の人間革命の勝利、報恩感謝の報告を行なっております。

さて法華経の精神に適っているのは一体全体どちらであるのか、

明々白々でありましょう。
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この回答へのお礼

創価学会なんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/12 00:08

創価学会を生んだのは日蓮正宗です。


そしてお互い「こっちが正しい」と争っています。もし、どちらかがまともな宗教指導者によるものであったら、 そのような争いは起こりません。

そもそもどちらも「幸せになれるんだ」「宿命転換できるんだ」「成仏できるんだ」「悟りを開くことができるんだ」などというように生きる希望を持つことが信仰の目的であって、指導者も明確な指導方法を持っていません。
字さえ読めない人がいた時代に「民衆にも可能な信仰」という謳い文句なのですから、当然です。
にもかかわらず、過信し他人に一生懸命勧めたり、「こっちが正しい」と争い、恨み、苦しみを作ることが問題なのです。

人が生きるために役立つ信仰は「どっちが正しい」という性質のものではありません。
「これ」と「これ」を比べて、「こっちが正しい」と拘るその心について学ぶものです。
「本尊がどうのこうの・・・」そんなことは全く関係ありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/01/12 00:07

>日蓮仏法正しく広めているのは



日蓮正宗でも創価でもなく日蓮宗です

では正しくブッダの教えを、と言えば
日蓮正宗でも創価でも日蓮宗でもありません

そもそも日本の仏教は仏教全体から言えば
「日本仏教」というジャンルになり
仏教の中でも変わり種と考えられています
(もちろん日蓮も日本仏教の一派)


仏教の歴史自体を調べても面白いかもしれませんね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


>仏教の歴史自体を調べても面白いかもしれませんね

今度、調べてみますね。

お礼日時:2013/01/09 23:27

そもそも創価学会は日蓮の仏法かというと、実態としてはそうではありません。



池田宗です。

日々の聖教新聞紙上の見出しや一面記事に「日蓮」という固有名詞が出て来ることがめずらしいくらいです。
御書講義でちょっと出るくらいですね。

「池田先生」という単語は最初から最後までどこを見ても出てきます。

日蓮はそっちのけです。

でも会員さんはどう感じているかというと、「ちょっと池田先生のことを崇め立て過ぎじゃないか?」というのが本音です。


いつからそうなっていったのかは不明瞭ですが、きっと昔は、

「社会の繁栄と安穏のために仏法を広め学ぶ」という方向性でした。

今は、
「池田先生にお応えするために戦う」ということが全てです。

一宗一派が滅びることを憂うのではなく、一国が滅びることをなげく、というような普通の精神はありません。

結果として、多くの会員さんは貧しく、生活に困窮し、一般常識すらわきまえず(学会ではそういう一般常識は教えないし、重んじる人はいません。年賀状すらやりとりしませんし。基本付き合いはうわべです。信仰上の高揚感に包まれているときだけお互い笑顔ですが、全然人間的な付き合いはできない感じです。そんなですからよほど意識持ってないと世間についていけなくなります)、内心では不幸だと感じているにも関わらず、一種独特の創価学会の熱気に包まれていると「頑張ろう!」と自分を奮い立たせて納得させ、問題を先送りにし続け泥沼にハマっていく。という仕組みがもう何年も続いています。

やれ、病気だ、事故だ、失職、うつ、ひきこもり、離婚、借金…etc

御題目だ、先生だ、選挙だ、御題目だ、先生だ、財務だ、御題目だ、先生だ、友好拡大だ…  で、いつまでたっても、幸せになる人<不幸な人です。


会館は立派です。総本部もできます。

でも新聞の指導の中身は年々薄くなっています。
会合は毎回同じ内容です。座談会もいつも同じ。
幹部指導は「先生に応えましょう!以上」。
選挙、財務、本幹の時だけは絶対たずねてきます。

ちなみに財務は最近入会して一年たったかどうかくらいの人にまで自動的に申し込み用紙がくるようになってきました。
これはひどい。
だって財務って金額は最低一万円以上だし、やったかどうかって領収書が地区にまわってくるから絶対わかるんですよね。
だから最低でも一万円はやらないと「あの人やってない」ということがわかっちゃうわけです。
しかも家族の人数分とか申込用紙がきます。子どもが高校生でも容赦なく、申込です。
そして財務推進のための広布部員会という会合は強制的に各地域でやらなければならない必達事項となってます。
昨年のように年末に選挙があると、ちゃんと財務のための準備ができないから(毎年12月が財務期間のため)1月に先送りしてまで財務期間を設けます。
どうです、この徹底ぶり。お金に対する徹底ぶり。


先ほども書きましたが、会館は立派です。総本部もできます。

でも、会員さんたちの家庭の状況は。
かなりひどいことになってます。

これって正しい仏法を実践している結果なんでしょうか?

そんでもって創価学会、聖教新聞はやたらラジオやテレビで宣伝するようになりました。

会員さんの浄財はこういうところにまで使われています。広報費、どれくらい使ってるんですかねー。
そんでもってその広報がどれだけ効果あるんですかねー。
少なくともそれ見て入会する人はいませんわな。さて、誰が得をするんでしょう?

なんのために寄付するんでしょうかね。

でもってそこに寄付した会員さんは自分は福運を積んでいると思いながら家族や生活の問題を抱え続ける。

でも幸せになっていけると思い込んでる。つまり冷静な思考能力はなくなっていきます。

池田先生は超豪邸にすみ、超美味しいものを食べ、超偉い人です。
でも会員さんのところに一緒に悩みを乗り越えよう、と気さくに訪ねて来ることはありません。
懸命に聖教新聞や指導で、先生は庶民の味方!と宣伝することで皆さんを洗脳することに終始しています。

しかし、本当に貧しい人や苦しんでいる人のところに先生も幹部も来ません。

マハトマガンジーは死ぬまで裸一貫、人の中で生き続けました。

池田先生は死ぬまで超豪邸で偉い人です。

今日もどこかから名誉称号をいただいたようです。

そのことを心底よろこんでいる会員さんはいませんでした、とさ。
ちゃんちゃん。

ここまで書いたことは全部真実です。
創価学会員の本音です。
言わない、言えないだけです。

今の創価学会を牧口先生、戸田先生がみたらもうぶち切れるでしょうね。
だって不幸な人を量産しているんですから。


新聞で大聖人そっちのけで先生先生と騒いでいるわけですが、ほんとに先生が大聖人より偉いと思っている学会員さんがいるんでしょうか。いませんね。

でも、先生を御本仏の生まれ変わりだと思っている人はいるような気がします。

それを先生が「私が師匠だ!生まれ変わりだ!」と言って、御本尊を書写して皆が功徳をうけて証明するならまだわかりますが。
それはないでしょうね。

そういった諸々から推察するに創価学会は正しくはないです。
日蓮正宗のことはよくわかりません。

以上
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この回答へのお礼

創価学会は池田宗なんですね。

お礼日時:2013/01/12 00:06

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