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映画でも公開されましたね、ナルニア国物語シリーズ。

私はこのファンタジーが子供の頃から大好きなのですが、未だにあの終わり方にはしっくりいきません。ディゴリーたちのように歳を経て、人生を全うした後ならば、私もナルニアに行く事は素直に喜べると思うのですが、あのように事故で、「死」をもってナルニアは永遠となるのなら、私は行きたくは無いと思います。また、スーザン一人をスノップのような扱いにして、一人取り残した事も、違和感がありました。

アスラン=キリストとして作者が暗に示している以上、キリスト教的世界観も致し方ないのかもしれませんが、どうしても後味悪く感じられました。
皆さんは、あの最後は如何思われますか?また、どんな結末だったら納得いく(今の結末でOKもありです)と思いますか?(本当はもう少しつっこむなら、実際にキリスト教世界の方にも、あの最後が納得いくのか知りたいのですが・・・)よろしかったらご意見くださいませ。

A 回答 (4件)

ナルニア国物語を読んだのは、もう十数年昔ですが、あのエンディングは、最後の審判を信じているキリスト教徒以外には、受け入れるのは難しい内容です。



私は聖書を少し読んでいたこともあり、典型的なキリスト教徒の考えは理解できたので、「ああ、そういうものかなあ」と思いましたが、やっぱり面白くはなかったです。

そういう意味では、主人公フロドが中つ国から出て行って西方にあるエルフの島(名前は忘れました)で幸福を見出した指輪物語の方が、まだ納得できました。
日本にも、浄土宗には西方極楽浄土の信仰がありますので。
(ちなみに西方に妖精の島があるという神話は、イギリスに古くから伝わるケルト神話に基づくものと思われます)

三大ファンタジーとして、指輪物語・ナルニア国物語・ゲド戦記の名前が良く上がりますが、バックボーンとなる思想・哲学は全くと言っていいほど異なっています。
安易な考えでこれらを読み比べると、おそらく失望感の方が高いでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございました。

私も、小学校の頃から宗教の時間に聖書をたしなんでいたので、何を意味するのかは理解できたのですが、それでも子供心に「ねぇ、それでいいの?!」と言う疑問は晴れませんでした。

私も、指輪物語の方がすんなり受け入れられます。ゲド戦記も、あの次世代への道をつなぐ終わらせ方で、「全きもの」が「真の全きもの」へと成就することで完結するのだと分かります。

ナルニアの場合はキリスト教理に基づくにしても、やはり読み物として読んだとき、カトリックの方々でさえ違和感覚えるのではないかと思うのですが・・・

お礼日時:2006/09/27 07:59

正直「え~~~ うそでしょぉ?」ってな感じでした


あの最後でどうしても「好きな本」にはなりませんでしたね
子供にはキリスト教の教えがどうこうなんてわかりませんでしたから
(キリスト教がわかってても納得できなかったでしょうが…)

同じように異世界に行って冒険して…のストーリーでは
エンデの「はてしない物語」が大好きだったのであのような前向きの最後なら好きになってたのに

今になって思うのは自分の創作したキャラクターが他の人に使われるのが嫌なので
最後に死なせてしまうという作者の意図もあるのかなぁ?と…
(「ハリーポッター」のハリーも最終話で殺されてしまうという噂がありますよね)

最終話まで映画化するんですかね?あのラストだとブーイングだらけになりそうな気がするのですが…
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ナルニアが真の世界で、それまでの日常は仮の世界だったというオチですよね。


異世界ファンタジーものとして究極的な終わり方だと思いました。
私もナルニアに限らずお話の世界にのめりこんで、「この世界の人間になりたいな~」と思ったことがあるので、ナルニア物語の最後は素直に凄いと感じました。
「ナルニアの住人となったルーシーたち」は事故にあってないし死んでもいないですよね?ハッピーエンドと解釈していいのではないでしょうか。

スーザンの扱いは子供の頃ビックリしたものです…。
まあスーザンにはスーザンの幸せがあり、それは高尚ではないけれどだからといって軽蔑されるものではないと思います。だから物語中で「堕落」のように書かれることは今でもちょっと納得いかないです。
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 私は、ラストにはとても感動しました。

ファンタジーらしいすばらしい終わり方だと思います。
 スーザンのことについて少し補足しておきたいと思います。”最後の戦い”を読んで、スーザンが離れていったことに絶望した読者はやはり多かったようです。心を痛めたある修道女が、”セントールの洞穴(The Centaur's Cavern)”というスーザンがナルニアへの最後の旅で英雄的な活躍をする物語を書いたほどです。この作品については、ルーシーはスーザンを見放したのだからといって反対する声もありました。
 しかし、作者ルイスは、1957年1月22日付けの手紙で、マーティンというアメリカ人の少年にこう書いています。
 ”でもまだスーザンのとっても、時はたっぷりあります。よくなる機会は十分あるのです。たぶんスーザンも、結局はアスランの国に行けるでしょう。-スーザン自身の方法で”
 つまりルイスは、スーザンもいつかはナルニアに行けると思ってラストを書いたわけですね。
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