
今年の桜は咲き急いでいますが、今年施行の「ゆとり」教育は学問の遅咲きを願うものだと解釈してます。
「ゆとり」である以上学力は当然低下します。
これを愚民教育と評する人も多いですけど、そういう大人達の今の学力はどれほどあるのでしょうか。
大人になるとパッと忘れてしまうような知識で、受験競争をいつまでも続けている事の方が愚かな行為ではないでしょうか。
学問も料理や工芸の職人と同じく、30歳ぐらいで資格の取れる社会を構築するべきではないかと思います。
子供の頃から知識を詰め込んできた東大生より、アルバイトをしながら、人と対話しながら自主的に一日2時間ほどの学習を長く続けてきた人の方が、同じ知識量でも何か人間的な面で違いが生まれるように思います。
競争も大切ですが、それと同じぐらい「ゆったり」と時間を過ごすのは大人にも子供にも大切なものではないでしょうか。
人の知性は緊張の時生まれるものもあれば、緩和の時生まれるものもあるでしょう。
小学校の徒競争で、トップで走って来た生徒がゴール前立ち止まり後ろを振り返って、全員が手を繋いでゴールするという授業があります。
皆が一斉に批判するこの授業ですが、僕にはこれが羨ましいのです。
トップを走って来た生徒がゴール前立ち止まって後ろを振り返ります。
まるで大切な落し物を探すかのように。
お暇あらば、貴方の教育論「ゆったり」と聞かせて下さい。tiger-ryuji
A 回答 (24件中11~20件)
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No.14
- 回答日時:
ゆとり教育は、国の教育水準を著しく低下させる。
このことは否定のしようがないことは、誰もが解っています。それでは、政府は何故にこのような究極の愚民政策を推し進めようと頑張っているのか。
・政府は、実は日本を滅ぼす勢力と裏で結託しているため
・国民がバカになれば、無用な批判を浴びずに、思うがままの政策を遂行することが可能になるため
・学習塾関連の圧力団体(存在するのかどうかは知りませんが)から、経営を安定化させるために、ゆとり教育で不安な親の気持ちにつけいる隙を作るため
いろいろ考えたのですが、このくらいしかゆとり教育のメリット(特定の人たちの)なんてないと思うんですが、どんなもんでしょうか?この政策、今よりもむしろ10年、20年、更にそれ以降に禍根を残すものだということがわからないんでしょうかね?(それとも承知の上での愚行か?)
あまり裏読みのし過ぎは、私の人格を疑われるので、この辺で止めておきます。
こんばんは。
少なくとも僕はゆとり教育に賛成であり、これにより日本の教養水準が低下するとは思っていません。
現に僕は高校の教科書はほとんど開いた事さえありませんでした。
僕も政治家や官僚をよく批判していますが、自分を棚に上げた発言は一言もありません。
社会に出て、人と会話したり対論したりすれば、その人がどの程度の知的レベルなのがすぐバレてしまう訳です。
小泉首相くらいの教養レベルなら、別に10代の時猛勉強する必要もないでしょう。
(10歳までの教育はある程度のスパルタが必要かとも思う)
No.13
- 回答日時:
資源の少ない日本の唯一誇れるものは、平均して高い学力といわれ、
その力が日本の技術力を支えてきたといわれます。
ゆとり教育はこの日本の強みを無責任かつ愚劣にも放棄するようなもの
としか思えませんね。
では目的は何か。国にとっては何のメリットもないように思われますが、
社会構造の変革に伴い、労働者ポートフォリオを変えるつもりであれば
納得のいく政策かもしれません。
すなわち大学を出てもろくな就職先のない今日。ホワイトカラーの労働者層を
減らしたい。一部のエリートとその他一般労働者階級として分離することが
本当の目的であるように思えてなりません。
高い教育費をかけても就職先がないという事態に陥らせないという意味では
良心的かもしれませんが。
こんばんは。
「ゆとり教育」の原因は学歴社会終身雇用の崩壊であり、政府独自の考案ではないでしょう。
今の親や教師は子供達に勉強を強要する裏付けを失っているのです。
この時代の変化を認めて、教科テキストや受験体制を新たに見直す事により、子供達の学習意欲が高められるのではないか、というのが「ゆとり教育」の意義なのでは。
日本が誇れるものは技術力ともう一つあります。
時代の変化に対応できる島国特有の「ゆったり」した柔軟性です。
No.12
- 回答日時:
こんばんわ、de88です。
「教えて!goo」本来のあり方からはずれて、チャット・掲示板のような書き込みで失礼します。
すばらしいテーマでよい意見を目にしますとつい書き込みたくなってしまい、
質問者の方には失礼に当たるかと思いますが、どうかお許しください。
まず、
・私は文部省の者ではありません。
次に、
・ほかの方の書き込み部分を適宜、勝手に引用させていただきます。
そして、
・決して、「私は何でも知っている」とおごっての書き込みではございません。
以下に失礼がありましたら、先に謝罪させていただきます。
さて、どうも「教育」と「学習」を混同されて、
なおかつ「教育]に幻想を抱かれている節はございませんでしょうか?
「一人一人が育まれ・・・」ということは、
教師一人で40人を教えるという時点で、すでに幻想です。
キーワードとして出てきている、「思考力・立体思考・空間思考・考える力」
などは、いわゆる「まなび」・・・つまり「学習」です。
教師・教育・文部科学省・官僚批判などが闊歩しておりますが、
教育現場において、はっきりとわかっている教育の問題は、
『子供に学習意欲がない』ことです。
皆さんがどのように考え、「ゆとり」をどのように評価し、
東大生がどうであれ、・・・
はたまた、教育改革がすばらしいもので、なおかつ、大成功であったとしても。
問題は変わりません。
【このことは説明し出すと長くなり、
さらに「教えて!goo」の本筋からはずれますので、ここでは避けます。】
自らが「まなぶ」という本人の行為を、
皆さんは「教育」と勘違いをされているように思います。
「教育」は教える育てる・・・つまり、別の人が一定の知識技能を、
伝達していき、継承者を育成するシステムのことです。
ここでは、次代を担う国民に、人類や我が国の文化を教授することであり、
国家安寧の基礎基盤を気づくことです。
ここに危機感を抱いている方々が、「ゆとり」を批判されていると考えます。
私個人としては、前回も書きましたが、naoppeさんやcse_riさんの考え方と、
ほぼ同じです。ただ、上記の区別はしていただきたいと思います。
教育に携わる者として、数度の学習指導要領の改訂と教育改革のなかに身を置き、
みえるもの、わかるものがあります。
それは、この「ゆとり」が生み出す結果です。
「ゆとり」の結果、皆さんが書かれているように、
詰め込み勉強がなくなり、子供たちは楽になる者と苦しむ者が出てきます。
つまり、「ゆとり」を無為に過ごす者と有意義に過ごす者とに分かれると言うことです。
さらに、無為に過ごすことを楽しむ者と苦しみと感じる者、
楽になることを有意義と感じる者と苦しみを耐えて有意義な時間であったことを
大人になって知るものとに区別されます。
この差が「学習意欲(自らが学ぶ態度)」により、大変大きくなります。
学力低下の懸念が多く寄せられていますが、学力低下は起こりません。
度数分布が以下のように変化するだけです。
【ゆとり前】
1
2
3**
4****
5******
6****
7**
8
9
【ゆとり後】
1**
2**
3**
4**
5**
6**
7**
8**
9**
平均点は同じです。よって学力低下はありません。【文部科学省見解】
しかし、平均以下の者が増えます。【皆さんの学力低下の懸念】
ですが、トップエリートの育成が可能です。【教育施策の裏の意図】
おわかりとは思いますが、「ゆとり」を「まなび」に利用した者と
「遊び」に使った者との差がはっきり出ます。
同時に、表は『ある教科、もしくは一面的な力だけ』を表すもので、
それぞれの個性特性により、教科や分野により、個々のいる位置も変わります。
スペシャリスト・ゼネラリストについて言えば、
自分の才能・適正にあわせて、【気づいて、なおかつ好きになり努力精進すれば】
「ゆとり」と今回の教育改革はすばらしいスペシャリストを生みます。
【真のスペシャリストはその分野での環境整備が重要なので、
そこまでは教育の範疇ではありません
優秀な科学者は生まれ育ちますが大成するのは海外ですよね!!
あれは学校教育ではない部分の環境整備の遅れの問題です
やはり、教育問題と混同しないでください】
ゼネラリストは、[あまりにも高度な才能の持ち主]か[ゼネラリストという
スペシャルな才能]です。これには、あらゆる分野の学習の環境を整備せねばなりません。
★要するに、制度の問題ではなく、「学ぶべき人」の問題なのです。
●tiger-ryujiさんのおっしゃるように[ゆったり]と時間を過ごし、
学び成長できる者も増えてきます。生活や心にゆとりができるからです。
正確には次代の教育環境を自分で生活と心のゆとりに使えばよいのです。
◆「ゆとり批判」の皆さんには、皆さんと同じように考えておられる方々が、
大変多いという安心をお持ちください。その方々の子弟が、
「ゆとり」を「まなび」に専念させればよいのです。
当然私もその一人です。
▲残念ながら、多くの批判を受ける、問題の多い「教育」ですが、
ことこの問題に関しては、以上が真実であると確信します。
そして最後に何度も何度も申し上げますが、
あらゆる教育問題・課題の現況は、
『子供に学習意欲がない』ことです。
どうかんがえても、あまりにもながい書き込みです。
趣旨目的から逸脱して、マスターべーションと化しているやもしれません。
おごり高ぶりがあり、自分が何でも知っているような口ぶりもあると思います。
十分理解し反省した上での書き込みです。
どうか、ご広量いただき、ご笑覧していただければ幸いです。
あらためて、tiger-ryujiさんはじめ皆様に失礼いたしました。
どうぞお許しください。
こんばんは。
今の教育問題の根幹は「子供の学習意欲のない」ことであると定義づけて、最後もその言葉で締めるのであれば、最初からそのテーマで語って下さればよいのではないでしょうか。
貴方の生徒がこうゆう文章を書けば、貴方もそう指摘されるのではないですか。
僕の世代は新人類と呼ばれていましたが、別に新しい人種が誕生した訳ではないのです。
同じ赤ん坊でも育つ世代環境が違えば、違った感じ方や考え方が生まれてくるのでしょう。
なぜ今の子供には学習意欲がないのか。
別に新しい人種が誕生した訳ではないのです。
No.11
- 回答日時:
#6で「もう一度だけ」と書きましたが、#4で行き過ぎた表現をしてしまいましたので、私の稚拙な文章で不快な思いをされた方へお詫びを申し上げつつ補足させていただきます。
#4にある『低能力』と『常識外れ』は取り消させて頂きます。
ただ『思考力不足』と言わせて頂きたいのです。
そして『思考力不足』の人を決して見下したりしていないどころか、尊敬できる人もたくさん私の周りにいることも言い添えさせて頂きます。
私が言いたかったのは日本の行方を決める舵取りを担う人間(国家議員や官僚)が『ゼネラリスト』であるべきということで、一般の文科系理科系大卒者や教育の現場で働く方々が『ビデオの接続』もできない『スペシャリスト』であっても全く構わないのです。
逆に教育現場こそハイレベルの『スペシャリスト』の出番だと思っています。
NHKで各界の著名人が自分の母校の小学校で授業をする番組がありますが、子供たちの目の輝きに『真の教育の重要性』を見る思いがします。
『英語や社会や国語というほとんど記憶以外は必要のない科目』と言う表現は、学問としての言語学、歴史学、経済学などの事を差しているのではありません。
すべてのは学問は論理的に構築されているわけで、どの分野でも『立体思考』は必要です。
ただ入試となると文科系の科目では丸暗記などの『平面思考』だけでは入れることもあるということで、文科系の人が全て『立体思考』が出来ないといっている訳ではありません。
理系にも『平面思考』の人は少なからずいます。
『東大生の価値』についてはその即戦力的能力に於いてはなんら特筆すべきものが無いかもしれません。
しかし私が『日本が生き残るための切り札』の一つと考える核融合などでは、東大や京大などの『学問的に優秀』な頭脳が不可欠だと考えています。
もちろんその『人間性』は人それぞれで、彼らが全て尊敬に値する人間とは限りませんが。
私の理想も固定されたものではなく、また現時点でもtiger-ryujiさんの教育に対する考え方が理解できないわけではないのです。
しかしその全ては『社会的需要』の波に押し流されてしまうのでしょう。
私の拙く棘のある文章にいつも丁寧なお礼を書いて頂き感謝しております。
そして私の文章で他の方が書き込み辛くなったかもしれないことをお詫び申し上げ、これを本当の最後とさせて頂きます。
こんばんは。
僕も自分の言っている事に何の自信もないのです。
ただ、人と「ゆったり」対話ができる人間でありたい。
風の声を「ゆったり」聞ける人生でありたい。
No.10
- 回答日時:
個人的には「ゆとり教育」賛成ですね。
ただし、運用が非常に難しいと思います。
優秀な教師が行えば大きな成果を挙げられるでしょうが、能力に乏しい教師が
行えば、ただの「授業時間削減」にしかならないでしょう。
tiger-ryujiさんは、
>「ゆったり」と時間を過ごすのは大人にも子供にも大切なものではないでしょうか
と述べていますが、子供に時間を与えたところで塾に通う時間が増えるだけです。
現在、既にそうなっているでしょう。
私が「ゆとり教育」に賛成なのは、画一教育の弊害を減らす効果が期待できるから
です。人間には個性があり、異なった才能を持っています。それを無視して、同じ
教育内容を教えるやり方には、限界があると考えています。
「ゆとり教育」で教師の裁量範囲を広げることで、地域・あるいは個人に即した
教育をすることが可能になると考えていました。
しかし、ここで教師の能力が大きく問われます。現在「ゆとり教育」に批判の声が
高まっているのは、結局は現場の教師が「ゆとり教育」のメリットを引き出せなく
て、授業内容が削減されるデメリットばかりが目立っているからだと思います。
戦後の教育は、平均的な能力を持つ人を大量に育成するためのシステムです。
ですので教育内容は画一的です。優秀な人を伸ばせるようになってなく、また
その反面、落ちこぼれ(よくない表現ですが)を救済せず、基本的に切り捨てる
仕組みになっています。
日本が「追いつき追い越せ」の時代は、それでも何とかなったんですね。
最先端の学問・技術は欧米から学べば済んだため、既存の知識を暗記すること
に重点が置かれました。
しかし戦後数十年たって経済大国になった時、日本はいつのまにかトップグループ
の一員になっていました。他の国に引っ張ってもらうのではなく、自分の力で
走らなければならなくなりました。
そういう時代に、既存の知識を詰め込むだけの「暗記教育」は弊害が多いと思い
ます。むしろ自分で何かを考える、創造性を伸ばす教育が必要です。
実のところ「ゆとり教育」をうまく運用すると、この「自分で考える」教育を
していくことができるんですよ。ただし子供の創造性を伸ばすというのは、
教師の才能が問われます。暗記重視の教育と違い、マニュアルなど役に立ちません。
>小学校の徒競争で、トップで走って来た生徒がゴール前立ち止まり後ろを振り
>返って、全員が手を繋いでゴールするという授業があります。
>皆が一斉に批判するこの授業ですが、僕にはこれが羨ましいのです。
tiger-ryujiさんは「結果の平等」を重視していますね。
しかし、これは子供の才能を確実にツブします。
子供に限りませんが、才能を伸ばすには「ほめる」ことが大事なんですよ。
しかし、どんなにがんばっても「結果は同じ」であれば、子供はやる気を確実に
失います。
かけっこで一等になった子供を褒めれば、その子は次にもがんばろうとします。
テストで100点になった子を褒めれば、次のテストに備えてしっかり勉強します。
そして、子供の能力を評価する場をどんどん増やせばいいのです。
人間、一つくらいは取柄があるものです。勉強が得意な子、運動が得意な子、
勉強や運動がダメでも絵がうまく画けたり、楽器を上手に弾けたりする子もいます。
結局は「機会の平等」が重要だと思うのです。
子供一人一人の能力を発揮する場を設けることで、子供の才能を引き出せるように
なるでしょう。自分の才能が評価されれば、子供は自分に自信を持てるようになり
ます。結果として、教育現場に活気が戻り、次世代を担う将来が有望な子供が多く
社会に出てくるのではないでしょうか。
こんばんは。
「結果の平等」より「機会の平等」が重要であるのは当然です。
その「機会の平等」を生み出す事こそが、マニュアルのない創造力の領域に入っているという事です。
教育改革に踏み込むのは、日本が世界の先陣を切る事になります。
「順位をつけない徒競争」自体は別に意味のある授業ではなく、まあちょと外に出て運動しようかという程度のものです。
そんな暇があるなら英単語の一つでも覚えるべきだと思う大人達がこの授業を批判する訳です。
しかし「機会の平等」を創造するためには、それを考える「ゆとり」の時間を必要とします。
大人達だけではなく、子供を含めて皆が一丸となって考えて見る価値があるのではないでしょうか。
「順位を就けない徒競争」の授業は、「機会の平等を考える社会科」の授業を生み出すステップとなるでしょう。
No.9
- 回答日時:
>これほどの科学技術を生み出す力の背景は、
>国際情勢だけではなく、戦後復興のために、
>国(国民)をあげて努力した結果であり、教育の一助もあるかと思います。
まったくその通りですね。自分もそこまで書こうとしたのですが長くなるのが
嫌だったのでやめました。「比べては」にその意図を読み取ってください。
ただ、インドのように科学エリートの供給は学校教育の規模が小さくとも可能だという点で、
(準)公的教育の経済発展への影響力は日本の場合は国際政治経済情勢に比べれば
それほど重要ではないのではと考えました。
私が問題だと思うのは、教育の意義ですね。なぜ教育をするのかです。
言語や空間への思考力、コミュニケーション力(EQまで含む?)などは
疑いようがないくらい人生の楽しみを増やしてくれますが、
日本の学校教育はただ経済発展のためだけに存在してきたのでは?という
疑問があるんです。
「勉強ができる=人生が楽しい」だとは経験的に思えませんよね。
ゆとり教育は教育の意義について考える絶好の契機ではないでしょうか。
こんばんは。
正確には学校教育は年功序列社会を築くために存在し、それが経済成長に繋がっていたから国民はそれで納得していたのでしょう。
今の受験競争を勝ち抜いていくためには、社会や人生に対して思考力を持たない事が必要みたいです。
IQとEQの違いは外務省官僚と田中真紀子さんの違いが分かり易いです。
IQが高くてEQの低い人は真紀子さんを嫌いますけど、そういう人には人間的な魅力を感じないですよね。
No.8
- 回答日時:
ゆったりと詰め込みの2択ではないとおもいます。
両方が極論なので、両方ダメなのでしょう。
本当にやる気がある人に対して、ゆったりではその人のやる気がうまく生かせないのでだめでしょう。
やる気がある生徒に対しては、やる気があるなりの対応が求められます。
心底やる気がない生徒に対してはやる気を出させること、あるいは目を転じて、スポーツでもやってもらう手もあるでしょう。
私の教育論としては、勉強はすべて一人でやってもらうというものです。教材を充実させて一人で効率的かつ意欲的に学習できるようにする、あるいはそうした環境をまずつくる。
そうして、教師は生徒たちの質問相手として常にスタンバイする。
自宅からの質問も受け付けられるような体制が今では可能です。
勉強したいときにやりたいだけやってもらうというこの方法ならば、すべての生徒が意欲的に取り組んでくれるでしょう。
どうしてもやる気がない生徒には、無理して勉強させるよりも、動機づけが必要です。十分な時間をとってじっくり動機づける。やる気がないときには、スポーツや社会見学でもやってもらう。
運動もまた学習の一部です。
そうすると、人と会うのが苦手になるとか、いう人がいそうですが、コミュニケーションの時間というものを別枠で設けます。なれてきたらディベートでもやるといいでしょう。
これを自発的学習システムとでも名付けます。おそらくうまく行くでしょう。もちろん、このシステムではすべての生徒が対象で、例外視している人々はいません。
子供のことを考える際には、その将来のことも重要ですが、いま充実しているのかどうかもまた重要です。
このシステムならば、将来、現在両方を考えることになります。やる気がない生徒を動機付ける→やる気をもってもらう→やる気がある生徒を全力でサポートというのが手順です。
授業についていけない生徒が出ることはおそらく無くなるでしょう。授業そのものをなくすのだから。
従来教育といえば、子供の将来のことだけを考え、子供のいまを考えないということになりがちでした。それが詰め込み教育でしょう。それにより、生徒たちを強いストレスにさらしてきたとおもいます。そのムリヤリ教育が良くなかったといえるでしょう。
こんばんは。
貴方の根源的な教育改革論、楽しく拝見致しました。
僕が思いつくのは、義務教育は午前中で終了し、午後からは自分のやりたい教科ができる場を設ける事です。
午前中は基礎的な仲良し教育に徹して、午後からは個人の才能を思いっきり伸ばしてもらえばいいのです。
しかしこれでは文部科学省の意向と同じになってしまい、お金持ちの子が有利になってしまいます。
そこでもう高校や大学は終わってもらって、義務教育の次は義務アルバイトというものを全員に課します。
一日4時間くらいのアルバイトをして、そのお金で家庭教師を雇うのです。
アルバイトは社会を学ぶ事もできるし、仲間とのコミュニケーションもできます。
そして22歳以降に、何かの資格が取れるような社会であればいいと思います。
今の受験体制では18歳までに詰め込み教育になってしまい、大人になって学ぶ意欲を失ってしまうように思います。
大人になっても学習というものが、テレビを見たり、風呂に入ったりするのと同じように毎日習慣づいてしまうのが、僕の「ゆとり」教育の理想形です。
勿論僕は今も学ぶのが大好きです。
今夜は今から僕が最も好きな競馬予想の学習なのです。Good-luck!
No.7
- 回答日時:
こんにちは、de88ともうします。
議論が白熱しているようで、書き込みには躊躇してしまいます。
また、tiger-ryujiさんのご質問の回答になれるかどうか心配です。
的はずれでしたら、お許しください。
私は、専門家と書かせていただいたように教育に携わるものです。
一般と自己紹介されている方々が教育論争をされているときに、
時々、割り込ませていただいております。
さて私の意見ですが、基本的にはnaoppeさんの意見に大賛成です。
以下、項目別に意見を述べさせていただきます。
1.>小学校の徒競争で、・・・・まるで大切な落し物を探すかのように。
との、比喩についてですが、
極端な例として書かれていることはわかります。
しかし、やはり、とんでもない!!、やっては行けない教育事例でしょう。
比喩をもちいて意見を述べさせていただけば、
⇒最後の1人が来るまで誰もゴールできないというのは大問題です。
なんのゴールか?にもよりますが、たった1人のために全員を待たせるとしたら、
待たせたその1人は、一生涯その贖罪で苦しむでしょう。
こちらに回答を寄せている皆さんなら、ご理解いただけるイメージかと思います。
2.sterstyle007さんの、
>日本の経済成長は・・・人材の供給・選抜は・・・
重要ではないような気がします。
とのご説についてですが、
たしかに、冷戦下に日本経済が保護された故の発展は事実だと思います。
しかしながら、「性能の良い車を作る」というのも事実であり、
瀬戸大橋・明石海峡大橋のレーダー波吸収ペイントは、
それだけで、あらゆる軍事バランスに不均等をもたらす素材です。
これほどの科学技術を生み出す力の背景は、
国際情勢だけではなく、戦後復興のために、
国(国民)をあげて努力した結果であり、教育の一助もあるかと思います。
3.ただ、気になるのですが、naoppeさんには、
文系で、機械ものが苦手な人への偏見があるようです。
理数系上位のような発想です。
Dejimaさんの意見にも見受けられます。
★それにしても、
>英語・社会・国語・・・記憶以外は必要のない科目・・・
というのは、あまりにも暴論ですね!
>そしてその人たちが社会に出て・・・小学生でもやれることすらできない・・
これも、ひどい言いがかりではないでしょうか?
▲確かに、コンピュータの操作など情報通信技術を中心に、
『空間思考』が苦手な人がいます。
しかし、それは文系理系に限らずの話で、
文系は機械の操作などに問題があるかもしれませんが、
理系はコミュニケーション能力に問題が多いと思います。
◆自分のプロトコルでしか会話が出来ず、
他者の会話の論理や話法作法を享受できず、
適切なコミュニケーションが成り立ちません。
言外の意や行間などを理解できず、表層の語だけにたよります。
合理的な言語活動であるかのように論をすり替えるのですが、
自己と近親関係者のみのプロトコルでしか会話できないという
能力の限界を認めようとせず、
自分より理解度が低いものへ詳しくわかるように説明する能力に欠け、
自分より理解度が高いものに簡略に要点だけ伝える能力に欠けます。
●文系は機械【物(合理的な物)】に弱いが、
機械が使えないことを問題だと思っていません。
それはご指摘通りでしょう。
●理系は人間【心(不合理な物)】に弱いけれど、
コミュニケーションがとれないことを問題だと認識できていません。
自分より低位の者へのコミュニケーションは相手の力不足だと怒り、
自分より高位の者とコミュニケーションが出来ないことは、
相手が自分を理解しないと憤慨します。
■面白いのは、文系理系互いに相手の欠点を嫌悪するところでしょう。
4.少し話題がそれました。本題に戻します。
さきほど、『空間思考』と表現しましたが、
自分の視野だけで判断を下すのは、「平面思考」のものの考え方です。
記憶力だけの勉強はまさにその通りですが、
公式や記号を道具としてもちいて、解を導くのに長けているだけなのも、
所詮、「平面」であり、「考える力」とは言い難いと思います。
★文部科学省のいう『ゆとり』は、
記憶により「道具や材料」を増やす詰め込み教育や
訓練により「少ない道具や材料」を使う術を鍛錬する教育を見直し、
両者の重要性を均等に認識し、自分の視野以外からも物事を考えられる
『空間の思考』を育てるという発想です。
これを持って、【生きる力】と表します。
二一世紀新しい時代を「強く生きる」「共に生きる」「長く生きる」
「明るく生きる」「活き活きと生きる」などなど
をねらうものです。
詰め込み過ぎ、鍛錬・訓練・修練の激務に「ゆとり」をという意味です。
どうぞ皆さんお間違えの無いように
5.ただし、最後に申し添えますが、
以上の教育環境を整え、目指すところは、エリート育成であります。
この部分は長くなりますので、また、次の機会に
なお、本文は最新のnaoppeさんの意見には対応しておりません。
【時間差でした】
大変長くなり失礼致しました。
文面で、失礼もしくは不快な表現がございましたら、お許しください。
以上
こんばんは。tiger-ryujiといいます。
この順位をつけない徒競争は、やってはいけない授業ではありません。
貴方個人が日本教育の責任を取れる訳ではないでしょう。
僕はここの会員さんだけでなく、もっと多くの人に向けて語りたい気持ちです。
この授業を取り挙げたのは、これが今の教育の変化を象徴しているからです。
生徒達は授業を選ぶ権利がなく、興味がなかったり理解できなかったりしても、机にジッと座ってなければいけませんでした。
嫌いな授業は受けずに図書館で本を読んでも、誰にも迷惑をかけていないはずです。
大人達は子供のマナー違反をよく取り挙げますが、これまでの授業姿勢は実は大人側のマナー違反なのではないでしょうか。
そうした疑問から生まれたのが、この順位をつけない徒競争でしょう。
僕は例え陸上選手を目指していたとしても、この授業には何の不満も持っていなかったと思います。
実際に集中力が発揮できるのは一日2時間くらいが精一杯だからです。
手を繋ぐのなら男女混交で走る事を提案するだろうし、旗の色が当てられずフラフープ回している間に後続に抜かれていくなら、「どうだ、この動きはカッコイイだろう」と僕は笑顔でフラフープを回すでしょう。
No.6
- 回答日時:
何度も書き込んで議論になってしまうのもどうかと思いましたが、もう一度だけ私の意見を書かせていただきますね。
仰るように勉強を一時中断して他のことに熱中した後、また勉強を再開することになんら反対ではありません。
しかし勉強を中断せずに努力を続けた人との能力の差に目をつむり、同じ扱いをすることには疑問を感じます。
日本の社会が終身雇用を完全撤廃し、完全能力主義になることは私の理想です。
そうなればいつ勉強しようともその能力をもって評価されるのですから、30歳の入社でも40歳の入社でも能力に見合った評価をされるでしょう。
子供の頃にしかできないことをたくさんやる、あるいは一つのことに打ち込んで集中的に時間を費やした後から勉強をすることもできるでしょう。
しかし私の『数学や理科は他の教科よりも子供の頃にやるべき勉強』だという考えは不変です。
勉強時間を増やすのではなく他の勉強を削ってでも数学や理科を子供のうちにやるべきだと言ってるのです。
taiger-ryujiさんは大人になってから数学をやり直したそうですが、世の多くの人は大人になってから数学を理解することはかなりの困難を伴います。
逆に歴史などは大人になってから覚えたほうが、子供の頃の勉強で覚えるよりはるかに的確に時代考証などを把握できます。
このことからも限られた子供の勉強時間で、どちらが優先されるべきかは自明です。
それとも高校や大学ではじめて歴史や地理を学んだ人は、子供の頃に学んだ人よりも偏っているとでも言うのでしょうか。
私自身は俗に言う進学校へ進学しましたが、努力をしなかったこともあり完全に落ちこぼれでした。
たいした努力をせずに東大や国公立の医学部へ行く友人もいましたが、賞賛こそすれ妬んだりしたことなど一度もありません。
バスケット部の主将として頑張ってはいましたが、中学時代の県大会上位入賞とかのことを考えるとやはり物足りないものがありました。
しかしその全てを受け入れ自分の能力を悟ったわけです。
決してトップレベルの友人に勉強を止めてもらってる間に追いつこうなんて思いませんでした。
逆に全国模試で一桁を取るような友人が自慢でもあり、もっといい成績を取ってもらいたかったですね。
勉強ができる人とできない人がいるのは当たり前で、その能力に応じた社会貢献をすることが必要だと思うのです。
そして勉強ができない人の割合が多い職業(俗に言う職人など)を、医師や弁護士などと同列に扱うことができれば、勉強ができないことを恥じる風潮もなくなるでしょう。
実際に無形文化財になったような職人なら敬意を払われるでしょうが、普通に腕のいい職人に多くの敬意が払われることは稀です。
弁護士や医者なら実績の無い20代の『若造』でも非常に多くの敬意を払われるのにです。
弁護士や医者なら国家資格もあるので良しとしても、銀行員などにいたっては大工や左官と何が違って社会的地位も収入も違うのか教えて欲しいものです。
今の日本社会や教育が抱える一番の問題点はそこにあると思います。
決して現在の学校での勉強時間が多過ぎるわけではなく、塾やテレビゲームなどに費やす時間が『ゆとり』を無くしている主な要因であると考えている人は少なくないと思います。
『ゆとり』と称して授業時間を減らしても、子供の『勉強時間』は変わらないでしょう。
それこそますます受験勉強一色で『ゆとり』のかけらも無い塾に通う時間が増えるだけです。
勉強をせざるを得ない一番の理由は、大卒などが高収入を独占している社会構造にあるのです。
職人になっても『腕次第』では銀行員よりも高い給料を貰える(事業主としてではなく給料として)ような社会であれば、能力も無い子供に無理やり勉強を押し付ける必要もなくなると思います。
こういう社会を築くことが勉強時間を減らすことよりも大切だと思うのですがどうでしょうか。
まぁ、官僚や一部の特権階級はその既得権益を手放すわけはありませんから、職人や単純作業従事者と銀行員などの高所得者との社会的地位や賃金格差是正に前向きであるはずがありません。
せめて課税の累進率を上げて是正して欲しいものですが、逆に自民党は累進率を下げて高所得者に有利な社会を作り上げようとしています。(実際に東大入学者の親が高所得者である割合が驚くほど高い)
持つ者と持たざる者の二極分化が進行しているのです。
勉強ができる一部の人や金持ち以外は努力してもなかなか報われない社会であることが、子供たちの『ゆとり』や『夢』を奪っていることに多くの人が気付いてもらいたいものです。
こんばんは。
後半の社会構造の部分は僕も同意であり、貴方が丁寧に説明してくれてます。
受験体制について互いの意が伝わらないのは、感性の違いでしょう。
貴方が真面目に勉強を続けてきた東大生を称賛する気持ちにウソがないように、僕が東大生に別に能力を感じない気持ちにウソはありません。
そして「ゆとり教育」を構築していく上で、この感性の違いの認識というのが重要なものになりそうです。
「毎日勉強一生懸命して立派な大人になりなさい」と言っても、「その立派な大人とは誰なんだ」と感じてしまう子供もいるでしょう。
爽やかな「ゆとり社会」とは自分の感性を相手に押し付けない、個人の余裕から生まれるのではないでしょうか。
一度子供達や親達全員に聞いてみればどうだろうか。
「貴方は本当に東大生に知性を感じますか」と。
No.5
- 回答日時:
日本の経済成長は大量輸出を許す国際政治経済情勢があったためで、
メリットシステムや高度教育機関による人材の供給・選抜は
国際政治経済情勢に比べては重要ではないような気がします。
つまり、冷戦がなければ日本の高度成長は有り得なかったということです。
こういった私のような立場の人間からすれば、
経済成長の名目で子供の貴重な青春をお勉強一色にするのは賛成できません。
個人的にはゆとり教育には賛成ですが、国をあげて子供を教育する理由を
はっきりさせていない段階では、ゆとり教育の是非を問うのはまだ後のような
気がします。
こんばんは。
「王様は裸じゃないか」少年が立ち上がって叫びました。
そして民衆はざわざわし始めました。
「日本の経済成長はもう終わってるじゃないか」誰かが叫んだのでしょう。
国民は今ざわざわし始めている状態です。
誰が叫んだのでしょうか。個人ではないでしょう。
日本を取り囲む空気が叫んだのではないでしょうか。
「ゆとり教育」は誰が叫んだのでしょう。
今は中身がはっきりしていませんが、この言葉の中身を構築するのは僕ら国民の責務なのではないでしょうか。
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