今年の桜は咲き急いでいますが、今年施行の「ゆとり」教育は学問の遅咲きを願うものだと解釈してます。

「ゆとり」である以上学力は当然低下します。
これを愚民教育と評する人も多いですけど、そういう大人達の今の学力はどれほどあるのでしょうか。
大人になるとパッと忘れてしまうような知識で、受験競争をいつまでも続けている事の方が愚かな行為ではないでしょうか。

学問も料理や工芸の職人と同じく、30歳ぐらいで資格の取れる社会を構築するべきではないかと思います。
子供の頃から知識を詰め込んできた東大生より、アルバイトをしながら、人と対話しながら自主的に一日2時間ほどの学習を長く続けてきた人の方が、同じ知識量でも何か人間的な面で違いが生まれるように思います。

競争も大切ですが、それと同じぐらい「ゆったり」と時間を過ごすのは大人にも子供にも大切なものではないでしょうか。
人の知性は緊張の時生まれるものもあれば、緩和の時生まれるものもあるでしょう。

小学校の徒競争で、トップで走って来た生徒がゴール前立ち止まり後ろを振り返って、全員が手を繋いでゴールするという授業があります。
皆が一斉に批判するこの授業ですが、僕にはこれが羨ましいのです。

トップを走って来た生徒がゴール前立ち止まって後ろを振り返ります。
まるで大切な落し物を探すかのように。

お暇あらば、貴方の教育論「ゆったり」と聞かせて下さい。tiger-ryuji

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A 回答 (24件中1~10件)

論より証拠という言葉があります。



私も小学2年生の娘を持っているので、3月の校長先生の説明会以来、憤ったり、自分の考えをまとめたりして、質問をしたり、回答をしたりということを繰り返していました。

しかし、論はやはり論にすぎずというようなことを考えております。
問題は何をなすべきか。
問題にあたって、何もしないことの罪。

これは、狂牛病のときに何もしなかった武部農林大臣だけでなく、すべての国民に課せられた宿題だと思います。

民主主義だからといって、議論に夢中になって行動を先送りにする。そういうことが許されない時代なのだということを念頭に置いて欲しいと思います。
小学生の娘を持つ私にしても、議論している閑はない。そういう感じです。

議論に熱中してしたり顔をする前に、
「本当の学力をつける本」(文芸春秋)を呼んでみてください。
わたしはこの本を読んで、それまでの教員に対する侮蔑感が収まりました。
問題の根は深い。
そういう感じです。

徒競争の話でいえば、事前にタイムを図って近いタイムのこども同士がレースをする。最近ではそういうことが行われているようです。
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この回答へのお礼

回答どうも有り難うございました。

お礼日時:2002/06/01 16:42

こんにちわ。

たくさんの方が回答なさっているので、いまさら僕のような人が似たような意見を述べる必要はないでしょう。
いまさら「ゆとり教育」が子供同士の学力の格差を広げる、とかほとんどの先進国がゆとり教育に失敗して、一時期は深刻な社会問題に陥ったとか、そしてほとんどの国がゆとり教育廃止へ流れている、基礎学力の低下がどれだけ深刻な被害をもたらすか…等の意見を言っても仕方ありませんし(他の方も回答なさっていますから)、多分あなたは感情論に走っているので、冷静に読んでは下さらないでしょう。
なので、ちょっと単純な意見を。。。
ものすごい単純です。無知は恥。物を知らない人は恥ずかしい。
これは僕の実感です。
大体僕たちの世代から、ゆとり教育嗜好(あえて、嗜好という字を使わせていただきます)に変わってきたような気がします。
「大学生の学力低下」がさかんに言われる世代です。じっさいみんなあほですよ。
理系の専門学校に行った子なんてヨーロッパと中近東の位置がわからない、あるいは韓国が大阪府と同じぐらいの面積しかないと思ってる。
あほでしょ?でも彼はこう言います「そんな知識、生きていくには役に立たない。そんな知識なくても仕事は出来る」
ああ、たしかにそうです。だけど、すっごいかっこ悪いですよね??
でも、僕も似たようなもんです。中学校レヴェルの数学が出来ません。
たしかに文系の大学でそんなことは役に立たないように思えるけど、とにかくかっこ悪いですね。
「無駄な知識の詰め込みは不要。自分の興味や関心にたいして自由に才能をのばしていけばいい」がたぶんゆとり教育の発想なんでしょう。
だけど常識がないことや物事を知らないって単純にかっこ悪いじゃないですか??
僕も、その彼も20代のいい大人ですけどね。
知識って知ってるだけで価値があるんです。勉強ってそういうもんでしょ?
文系、理系を問わず、幅広い知識を持つ事。それのどこが「詰め込み」なんでしょうか?
ましてや、小さい時からの基礎学力を落とすなんて言語道断です。子供の可能性を摘み取って、ある意味罪ですよ。
すいません、感情論&個人的な問題ばかりでこういった問題を論じる事はナンセンスですね。
でも、tiger-ryujiさんの意見はちょっと感情論に走りすぎで、夢想に近いものを感じます。
あなたはどうにか学歴社会に乗っかってきた人だから、そういう発想になるんでしょうか?
ほんとうの落ちこぼれなら、あなたみたいな事はいえないと思う。
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この回答へのお礼

こんばんは。

僕も小学生の教育は躾と同じように、基礎的な学力をキチッと教えるべきだと思います。
しかし中学生は準社会人だと思うし、何を学んで何を学ばないかは自分で選択できるシステムができればいいと思う訳です。

貴方が数学ができないのを本当にかっこ悪いと思うのであれば、今から一日一時間でも時間を作って学び直せばいかかですか。
小学生の基礎ができていれば、独学でも十分上達すると思います。
そういう努力をしないで、できないのは「ゆとり教育」のせいにする方がかっこ悪いのではないかな。

僕が感情的で人の文章をキチンと読めていなくて、貴方や「ゆとり教育」反対の回答者が冷静で文章をキチンと読めているというのは、何の根拠もない話です。

このテーマはタイムリーであり、多くの人が見ているでしょう。
貴方は僕より彼らに対して堂々と発言すれば良いのです。
それに対して僕が茶化すような返答を書けば、ただ僕が恥をかくだけで貴方は何も傷つく事はないのです。

僕自身「ゆとり教育」で現在困っていません。
しかしこういうタイムリーなスレを立てた以上、2、3ヶ月締めずにおき、そして訪問者が読んで退屈させないような責任を感じる訳です。
貴方が新しく教育論のスレを立てて、冷静で、かつ魅力的な論を作り、僕に現実を見せて下さいな。

お礼日時:2002/05/28 21:59

私は、ゆとり教育に賛成です。


公教育の悪平等主義には目を覆わんばかりです。
運動会における手をつないでのゴールは、まさにその典型です。
どうして、「できない人」の権利ばかりに目を向けて、
「できる人」の権利には目を向けないのでしょうか。
できる人には、その能力を存分に発揮できる場を要求する権利があります。
先の例は、まさにできる人の権利を蹂躙する行為です。

記憶力重視より思考力重視については、下の誰かも既に意見されている通り両者不可分の関係にあると思います。つまり、記憶力による知識というのは、正常な思考をするに必要不可欠なのです。十分な情報がなければ、正しい判断ができないことは言うまでもありません。逆に言えば、不十分な知識しかない人には、正しい判断は望めないのです。一般知識はどこで身につけるか。それは、若いときです。
つまり、学校教育は社会に出たときに可能なかぎり正しい判断を下せる人間にしようと一般知識を身につける場なのです。一般知識を身につけるのは、残念ながら「記憶」が最も効率的なのです。よって、現在の記憶力重視の教育は、決して間違えていないと思います。思考力というのは、知識の集積の上に成立するものでありますから、
思考力を最初から教えることなどできないのです。つまり、記憶力から思考力へという論法は完全に破綻しているト思います。
さて、なぜゆとり教育に賛成しているかというと、上にもかいたように公教育には、期待をあまり寄せていません。しっかりとした(記憶力重視の)教育を行うには、学校以外の主体が必要です。幸いなことに、日本には、塾があります。ゆとり教育で時間煮余裕ができれば、心ある親は子供を塾に行かせるでしょう。
塾は、競争社会にもまれた民間の教育機関です。競争によって良質の教育サービスを提供してくれているわけです。競争の少ない、ゆとりある社会の中で生きてきた学校という公教育の機関が崩壊しつつある現状と、競争の中で良質の教育サービスを提供する塾が繁盛する現状を見て、ゆとり教育には反対ですが、賛成するという複雑な気持ちであるというのが正直なところです。
あと、ちなみに日本は学歴社会ではないですよ。アメリカやイギリス、フランス人に日本は学歴社会だなんて言ったら笑われます。あちらはがちがちですから。
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この回答へのお礼

こんにちは。

前にも言いましたが「順位を付けない徒競争」はこれ自体には別に価値はなく、これまでの教育システムを崩すという意味で価値を見つけている訳です。

貴方は今の日本社会が順調に進んでいると思いますか。
これまで通りの教育システムや社会システムでは、これまで通りの説明能力のない「お偉いさん」が生まれて、これまで通り国民は彼らを批判するでしょう。
その間、この日本列島はジワリと沈んでいくのではないでしょうか。

思考力の基本に暗記力がありますけど、中学生くらいになれば思考力も備わってますので、思考を伸ばすために暗記を少し控える教育システムを僕はイメージしている訳です。

そして「詰め込み」か「ゆとり」かを学生自体が選択できるシステムが欲しい訳です。
25歳くらいで取れる資格制度がポピュラーなものになれば、僕が企業経営者ならそういう「ゆったり」とした人に来て欲しいです。

外国人が別に頭がいいとは思った事もありませんし、日本が世界をリードしても良いのです。

お礼日時:2002/05/25 13:25

ある会社が大学名をふせて新卒を採用しました。


それにはこんな理由があるそうです。
MARCHクラス大学を卒業する人たちは、
将来的に小金もちになる人が多いです。
つまり、その会社の製品をよく買ってくれるお得意さんになるのです。
「今から根回ししとこうか」
ってことです。

ちなみにその年は、
入社試験を重視したらしいのですが
例年より早慶出身者がふえて
マーチ出身者が減ってしまいました。

学歴は物差しとして、 
そこそこ機能するみたいですよ。

 
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この回答へのお礼

こんばんは。

学歴は確かにそこそこ機能してます。
日本政府もそこそこ機能しているのでしょう。

貴方は責任の取れない年功者達をどう思いますか。
彼らが責任を取れないのはなぜだと思います。

僕らがこれまで通りの社会システムの中で生きていくなら、必ず彼らと同じ道を辿る事になるでしょう。
その時、日本は今のような平穏無事とは限らないです。

早慶出身者もマーチ出身者も、クイズの知識だけでなく、どうすれば責任の取れる社会になるのかを考えて見ようよ。

お礼日時:2002/05/23 22:16

自分の意見としては、ゆとり教育は間違ってると思います。

一般的に学力が落ちる原因となると良くみんな言いますが、それよりも子供同士間の学力の差の溝が深まるほうがもっと危険だと思います。今年から一般公立学校が週休二日制に変わり、教科書の内容の幅も削られました。そのことが、世間一般に波紋を呼び、学校の信用も低下させ、それを脅威に感じた親は子供の休日に塾や習い事を強制させます。そうなると、塾代や習い事代を払うだけの余裕のある家庭の子供だけが、優秀な教育を受けられ、お金の無い家庭の子供は優秀な教育を受けられないということで学力に大きな隔たりが生まれます。それに、ゆとりの時間を有意義に使う保証はありません、もしかしたらゲーム等の遊びに使ってしまい無駄に浪費してしまう可能性もあります。わが国日本では、資本主義を採用していますので、競争力の無い人間は今盛んに行われているリストラの対象になるなどして、社会的に排除されます。その結果、世の中に失望した人は犯罪に走るなどして、日本の治安を悪くさせます。たしかに、学力は人間の価値を測る上での一つの尺度でしかありませんが、競争力を生む一つの原動力となるのは事実です。知識重視型の学問では、どうだかわかりませんが、やはり人間は勉強する事により、努力を覚え、苦悩して、考える力を養わせます。つまり、結局はゆとり教育とは社会的に貧富の差を広げ、不公平差を広げるだけのものにすぎないと思います。と同時に国の教育義務の放棄とも取れます。
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この回答へのお礼

こんばんは。

貴方の心配は、学歴というものがこれからの社会に重宝される事を前提にしている訳です。
しかしここ10年くらいの日本社会の流れを考えて見て下さい。
学歴というものが徐々に価値を失って来ていると思いませんか。
学歴は関係なく独自の入社試験で採用する企業も増えてきてます。

考える力というのは、ただ知識を詰め込んでも身につくものではありません。
今までの詰め込み教育は逆に考える力を失わせているとも言えます。
知識は食べ物と同じで、適量に食べ、心を鍛えてその知識を自分の体の一部にしてこそ考える力が生まれてくるのでしょう。

先の見えないマニュアルのない時代になってきていますが、そういう時こそ個人の生きる姿勢が問われているのではないでしょうか。

お礼日時:2002/05/22 18:58

>子供の頃から知識を詰め込んできた東大生より、アルバイトをしながら、>人と対話しながら自主的に一日2時間ほどの学習を長く続けてきた人の方>が、同じ知識量でも何か人間的な面で違いが生まれるように思います。



 そういう生き方に異議を唱えるつもりはありませんが、そういう生き方の方が良いという主旨なのでしたら、私は疑問に思います(競争も大事だが、とおっしゃってはいますが)。受験競争が駄目で、ゆとり教育の方が良いという二者択一の対立図式に立っていること自体が問題であると思うのです。
 受験競争と呼ばれるような競争原理そのものは決して悪いものではなく、学力が人間を測る唯一(あるいは最良)の尺度であるかのように捉えられている点が最大の問題であるのではないでしょうか。だから、「学歴なんて意味がない」と全否定することは無意味であるどころか乱暴でさえあるでしょう。学力そのものは尺度の一つとして有効であるが、それは尺度の一つであって唯一ではないという意識が、健全な状態ではないかと私は考えます。
 例えば職人の評価や人件費の高いドイツのように、学歴以外の価値が正当に評価されるような多様な価値観の共存が望まれるべきではないでしょうか。

ところで、ゆとり教育論はとかく感情的(あるいは感傷的)に語られがちだと思うのですが、以下の書籍はそうした感情的でイメージ先行がちな教育論に批判を加えるものとして、優れていると思います。ご一読あれ。
 ・苅谷剛彦「教育改革の幻想」、ちくま新書329
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この回答へのお礼

こんばんは。

「実力社会では学歴は意味はない」という言葉は乱暴ではなく、普段よく交わされている言葉です。
その言葉で気分を害される人もいますけど、「そうだよね」と答える人の方が実際に多いと思いますよ。

僕が言いたいのは、学問を身につける評価が実際にその程度でしかない現状を変えたいなという事です。
それで18歳での学力を重視するよりも、25歳や30歳での資格制度を充実整備してはどうかという具体的な提案です。

エリート学生を批判的に評価してますけど、実際に今のエリート大学に行ってこの話を説明すれば、半数くらいの生徒は僕の意見に賛成すると思いますよ。

勿論反対意見も期待して質問している訳ですが、それは具体的になぜ18歳の学力に拘る必要があるのかの説明が欲しいのは、僕も、このスレの訪問者の方も同じでしょう。

お礼日時:2002/05/21 23:28

ゆとり教育だの詰め込み教育だとこだわりすぎるのは良くないと思う。

理想なのは能力を伸ばしたい人は伸ばすことができ、のんびりしたい人はのんびりできること,そしてそれを認めることができることだと思う。もちろん教育を受ける立場の子供には説明したってわからない,納得いかないこともあるだろうけど、なるべくなら自分で選ばせてやりたい。自分の人生だから最後は自分で責任を持つしかないんだから。
そして願わくば、勉強がはじめられるときにはじめられ、失敗してももう一度チャンスを与えられる社会がほしい。
>最後に。理系のスペシャリストに社会的常識なんかは別に必要ない。能力を特化すればどこかは馬鹿になる。そして大発見をしようと思えば、社会的常識なんかに付き合ってられない。またそういう人たちもみとめられなければならないと思う。
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この回答へのお礼

こんばんは。

選択のできる社会。
僕はこの言葉に気分が高揚します。
民主主義や共産主義という言葉には感じるものはありません。

人間は12歳くらいになれば、十分判断力があるように思います。
自分で選択し、自分で責任を取る。生きる楽しさがそこにあるのでしょう。

ゆとり教育によって、日本の社会構造の一角が崩れたのだと思います。
これにより社会は不安定になりましたが、これにより選択できる社会を生むチャンスを得たのではないでしょうか。

お礼日時:2002/05/20 22:46

以下の部分が詳しく知りたいなぁ。

どなたかご存知ないでしょうか。

>5.ただし、最後に申し添えますが、
>  以上の教育環境を整え、目指すところは、エリート育成であります。
>  この部分は長くなりますので、また、次の機会に
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この回答へのお礼

こんばんは。

分かりません。
貴方が新たに「ゆとり教育」のスレを立てて僕と交代して下さい。

お礼日時:2002/05/22 19:03

「ゆとり教育」などというものは、汚職をしたいムネオ族や、


人間の尊厳をも売り渡して金儲けしたい資本家どもの、
愚民教育である。そこにちゃっかりと受験産業が入り込んでいる。
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この回答へのお礼

こんばんは。

そのムネオさんに頭の上がらなかった外務省官僚は優秀な人なのかな。

彼らを優秀だと思う人は、頑張って詰め込み勉強をすれば良いのです。
しかしそうは思わない人は、ただ彼らを批判しても仕方なく、今の社会制度に疑問を持つべきではないですか。

お礼日時:2002/05/18 18:31

こんにちは。


ちゃんとした答えではないかもしれませんが、参考になれば、と思います。

私は公立高校に通う高校生ですが、
ゆとり教育が施行されて約一ヶ月、実際に体験してみて
あまりこのゆとり教育の趣旨が見えてこないのでは?
とあまり賛成とはいえません。
というのもこの方針の一環で土曜日が週休2日制になりました。
私の高校は補修をせずに頑張っていますが、
学校行事の方に支障が出てきているのはたしかです。
今まで土曜日にされていた行事がそのまま土曜日にすることになると
月曜日が代休となり、4校時なくなっていた授業がプラス3校時
なくなってしまうのです。
これがなぜいけないか?生徒の私は喜ぶのではないか?
と思われるでしょう。しかし、今、特に私のような高校2年生は
笑えない立場にいるのです。それは5教科7科目センター試験が
施行されると思われるのが私たちの代からなのです。
久々のことで今はどれをとればその大学を受験できるのかという
大学の資料を集めることも難しい状況です。
私には大人たちが矛盾を押し付けているようにしかみえないのです。
弟に中学の教科書をみせてもらいましたが、まるで小学生の教科書です。
それでも大学、高校受験の内容はあまり変わらないと聞いています。
たしかに総合学習の時間に大学講師の講義が聞けるかもしれないという
話も聞きました。
しかし、この矛盾に子供たちはさらに追い詰められていくだけでは
ないのでしょうか?
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この回答へのお礼

こんにちは。

僕は20年くらい前ですが、浪人して受験勉強していました。
しかし自分の気持ちの中で矛盾を感じていました。

一方では純粋に色んな知識を吸収したい気持ちと、もう一方ではエリートコースに乗って楽したいズルイ気持ちです。

貴方が本当に学問を志すのであれば、18歳の時の学力に拘らず、アルバイトしながら、友人と遊びながら、長く学問と向き合ってはいかがでしょうか。

勿論僕は貴方に対して何の責任も取れません。
しかし18歳までに知識を詰め込んで、少しでもいい大学に入りなさいと言う人も貴方の人生に何の責任も取る事はできないでしょう。

昔は僕の言うような事はただのキレイ事として片づけられていました。
しかしこれからの時代は先が読めない訳で、10年後には学歴はほとんど値打ちのないものになっている可能性もあるのです。
今追い詰められているのは、子供たちだけではなく日本社会全体なのではないでしょうか。

社会がどう変化しようとも、10代から20歳前後に持てる高い志は、必ずや一生ものの財産に成るように思えるのです。

お礼日時:2002/05/05 15:30

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ご意見の他にも、参考になりそうなURL、お勧めの書物、などございましたら、ぜひ教えて下さい。よろしくお願いします!

Aベストアンサー

三年前まで中学で実際にゆとり教育を受けていた世代です。

結論から言ってしまいますと二極化が進みました。
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酷いのになると入試寸前で方程式の基礎ができませんでした。
逆にできるのは授業中も塾の課題を進め、休みも塾に行って勉強しますから
どんどんできるようになっていきます。

高校への最終的な進学成績で見ますと
慶應など一流私立に進学した生徒も
地区の上位公立に進学した生徒も例外無く全員塾通いでした。

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今は金持ちのボンボンだらけだそうです。
要するに学校教育のレベルが下がり過ぎて
私立や塾に行ったり家庭教師をつける余裕の無い人は
良い学歴を付けられなくなってきています。

どちらかというと「ゆとり教育」というよりも「分別教育」なんて言った方が適切かもしれません。

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「劣っている」ことの代名詞に使われるほど、「ゆとり」という言葉だけが独り歩きしているように、私には思われます。
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Aベストアンサー

検証に耐えられる客観的な実証研究データはない。

No2にある各世代のPISAの国際ランキングはあてにならない。自国のレベルが上がっていても、他国のレベルがそれ以上に上がっていれば順位は落ちる。

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息子は、幼稚園の年長から、がっつり、ゆとりになりました。

小学校からは私学なので、あまり、関係ないですが、

「ゆとり世代って感じよねー」 なんて言葉を良く耳にします。

個人の持って生まれた性格もあると思いますが。

ゆとり教育で過ごすことによって、どんな弊害が出るのでしょうか。


ちなみに、息子の塾(個別)の講師(有名大学の薬学部)が先日、授業に来ませんでした。

塾長が電話をすると、「体調が悪くて行けない」 とのこと、結果、無断欠勤ですよね。

勉強は出来るが、世間的常識に欠けていることなどが、本人の認識としてないなども

ゆとり教育の生み出した結果でしょうか。

みなさんの周囲で、ゆとり教育によって、明らかに考え方が違うと感じられた方、経験談を

教えてください。

*私は44歳ですが、高校・大学がバブルで、最近の若い子はって言われていましたが。

Aベストアンサー

 ゆとり教育は、学習意欲がある人にはどんどん新しいことに挑戦できる時間を与えることが狙いでした。
 ゆとり教育で総合的な学習が始まりました。多くの学校でグループを作って,何かの調べ学習をして、それを発表するという教育が行われています。リーダーシップが発揮できる子どもは、どんどん自分で調べ、自分の言葉で学習内容をまとめることが出来ます。そんな子ども達は有名私立や、国公立の大学に進学していると思います。
 でもそうでない多くの子どもは、何もしないのです。することは誰かの書いた文章を丸写しするだけなのです。そうやって自分では何もしないで「グループの発表で頑張りました。」という結果だけが得られたのです。それがゆとり教育と言うよりも総合的な学習の失敗なのです。
 ゆとり教育は勉強が分からない子どもにはじっくりと教えられる時間を作ることを目的に始められましたが、現実は文部科学省のバカがそんな指導を認めなかったのです。

Q団塊の世代が新人類を作り。 新人類がゆとり世代を作るまでは 仕方ないが。 ゆとり世代が悟り世代を教育

団塊の世代が新人類を作り。
新人類がゆとり世代を作るまでは 仕方ないが。
ゆとり世代が悟り世代を教育するのって 無理ないですか??

Aベストアンサー

団塊の世代 1947~1950年
新人類1961~1970
ゆとり世代 1987~2004年
さとり世代 1990年代うまれ

 産むのではなく教育して人格を作るのなら団塊の世代が新人類を作ることは可能ですが(笑)
新人類がゆとり世代を産むことは可能ですね(笑)私が家がそうですし。
ゆとり世代とさとり世代はほぼ同じ世代ですが、ゆとり世代の大卒の新任教師が高校生のさとり世代に教鞭をとることはもちろん可能です。数歳しか変わりませんし。

Q教育大学の2年次です。卒論でゆとり教育について書いていこうと思うのですが、①ゆとり教育が始まった

教育大学の2年次です。
卒論でゆとり教育について書いていこうと思うのですが、
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③社会科の授業においてゆとり教育で削られた物、増やされた物はあるのか

以上の3点について教えてください。

Aベストアンサー

1.いわゆる「詰め込み教育」の弊害からの反省ですね。
詰め込み教育は、「知識をひたすら頭の中に詰め込むこと」に力点を置いた教育で、それによって「学習意欲の減退」「知識の習得がその場限り・一過性になる」「激しい受験戦争に巻き込まれる」ということになって、そういう反省から生まれた教育理念です。

2.学力差については、以下に記述があります。
http://diamond.jp/articles/-/46988?page=2
http://www.jc.u-aizu.ac.jp/11/141/thesis/msy2009/01.pdf#search=%27%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2+%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E5%B7%AE%27

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お仕事の関係でアジア諸国の知識階級の人に対してとても感心します。彼ら達はいろんな意味で優秀でエリートの知識人です、大抵近い将来保証される職を持ちます、場合によって国に戻れば政府レベルの優遇されて、また国の将来の運命に影響を与える立場として珍重されるています。しかしながら日本の方は既に30年~40年前の学歴社会から脱皮され、今はどの大学及び大学院卒業されても必ずしも企業に採用され優遇される事は誰も保証できない、本格的な就職氷河期にたたされてます。また日本の大学と大学院の学歴を持つことによって何か保証され、何か専門とする職を持つ事も無く、色んな面での優遇されるケースは減ってきた。逆に学歴の無い、自らの夢を抱いて職人を目指す若い努力家も少なくない、こういった何かしら家庭の事情で若いうちに自ら独立され手に職を持つ学歴の無い人たちは、まさに社会から厳しい試練を受け、人間の人徳の面から見ても職業的に専門の職人としての完成度は非常に高いです。親の甘え汁を吸っている大学生や大学院生(もちろん親離れして努力されている人も居ります。)と較べると、学歴の無い彼らは意外に孤独で苦労人です、選択した道に対していろんな面で試行錯誤したり悩んだりしてます、やっと苦労を乗り越え職人として認められるんです。最近の中国及び韓国と諸外国の知識階級の方の厳しい学歴競争はまるで日本の30年~40年前の状況に近いっと思います。何故なら歴代各国の創業者や偉人は必ずしも学歴のある人では無かった、むしろ学歴は無くて差別をされながら努力に苦労をかさねて実際現場で実現と経験をして、ある日初めて社会からの認められる人間は沢山います。では、実際お仕事を経験した実績のある人間VS学歴社会で勝ち抜いた知識階級の人間一体どちらを大切にされて珍重されますか?ご意見を頂きたいです。

お仕事の関係でアジア諸国の知識階級の人に対してとても感心します。彼ら達はいろんな意味で優秀でエリートの知識人です、大抵近い将来保証される職を持ちます、場合によって国に戻れば政府レベルの優遇されて、また国の将来の運命に影響を与える立場として珍重されるています。しかしながら日本の方は既に30年~40年前の学歴社会から脱皮され、今はどの大学及び大学院卒業されても必ずしも企業に採用され優遇される事は誰も保証できない、本格的な就職氷河期にたたされてます。また日本の大学と大学院の学歴を持...続きを読む

Aベストアンサー

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会社で学ぶ知識と大学・院で学ぶ知識は目的・方法からして違うのですが、世の中では両方必要です。

過去の偉人がどのような経歴であったかはすでにこれから訪れる未来とは異なった時代背景ですので参考度はますます低くなると思いますが。
学歴だけで使えないひとより、社会で経験をつみ技術を持った人の方が評価されるのは当たり前ですが、学歴もあり、技術もある人が学歴がなく技術もある人より評価されるのもまた当然です。
学歴というのは単に大学を卒業したというだけでなく、それにふさわしい高度な思考能力、知識を身につけ、その結果社会でもさらに知識を習得し結果を残せる人間というのが本来評価されるポイントで、現在の日本はそのようになっているのではないでしょうか?
つまり世の中の評価基準がより厳しく、より洗練されてきた以上、この2つのうち1つがかけているというだけですでに致命傷だと思います。
無論どちらも後から取得することは可能ですので、就職後に大学に戻るというのもありだと思いますし、1度働いたら学生には戻れないという考えの方がおかしいと思います

ほかの方も書かれていますが、学歴で得た知識と社会で得た知識とは同レベルで扱える問題ではないと思います。どちらもベクトルが若干ずれて存在していますのでどちらも大事です。

世の中に知識と呼ばれるものなかでもいろいろあると思います。社会で必要とされる知識、技能もしかりです。外国語というものは具体的にどれだけ使えるかというのが重要であって資格、検定ということは本来意味がないでしょうし、英語圏で見た場合は日本の資格なんぞ全く無意味なものでしょう。
PCのスキルもしかりです。

です...続きを読む

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(2)今後はゆとり教育はどうなるのでしょうか?
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Aベストアンサー

「ゆとり教育」に良いことは何もありません。
もともと、日教組系教員が週休二日を求めたことと、遊具系起業の利益追求目的を、「子供の詰め込み教育廃止」という題目に摩り替えて、「ゆとり教育」という美辞麗句でだましてきたことです。それを朝日,NHKなどの左翼系マスコミが当初持ち上げてきたことです。
「子供のため」とか言いながら、結局遊び時間の増えた不貞教員が今どのようなことをしているか、その一方でまじめに授業をしている教員には時間不足による過剰負担となって疲労困憊している状況をどのように見ますか? さらに「ゆとり教育」を行うべき休日に「子供」はいったい何を学習していますか? 金曜や土曜の夜に近所の娯楽街に出てみればすぐに分かるでしょう。

Q【アメリカの奴隷制度でジャズ文化が生まれ、日本の労働奴隷制度では自殺文化しか生まれなかった】 日本の

【アメリカの奴隷制度でジャズ文化が生まれ、日本の労働奴隷制度では自殺文化しか生まれなかった】


日本の非正規労働は負の文化しか生まなかったのになぜ未だに続けているのでしょう?

企業奴隷に良い文化が生まれた事例はあるのですか?

Aベストアンサー

> なぜ未だに続けているのでしょう?

奴隷からは解放されても、失業者になりますが?

> 企業奴隷に良い文化が生まれた事例はあるのですか?

非正規雇用の問題は、身分が不安定であることと、正規雇用と比べ、生涯賃金が低いこと。

逆に言えば、短期労働の前提であれば、非正規雇用の方が有利な面も多々あり。
上手く賢く、派遣労働などを利用している人も多いです。

非正規雇用とは、労使双方にとっての「選択肢」に過ぎません。
その選択肢を奪い、減らすことは、必ずしもバラ色の結果は生じず・・。
恐らく、悪い結果の方が多いかと。

Q「ゆとり教育」の犠牲・・・

全国的にみて現在高校に在学している生徒は小・中学校時代、国の「ゆとり教育」の真っ只中で過ごしてきています。

高校側もそれを理解していて多くのところでは全力で3年間の間に例年並に大学受験レベルまで追いつけるよう学習・指導している学校が多いようです。

しかし・・・義務教育をゆとり教育で過ごした生徒の多くは、通常の教育を受けた生徒が習う学習内容の約三割程度遅れているらしく、高校に入ってから(極端な話、教師の話では彼らに関しては高校教育が4年間必要という意見もあるらしく)相当大変でそのハードさについていけない生徒もかなり多いと聞きます。
中には小中時代、ゆとり教育を危惧して学校任せにしないで自ら自発的に塾に通い例年レベルをキープしていた賢い連中もいます。ですので一部の出来る生徒は全国的に高い学力を有しているわけなので上位の大学には入れるでしょう。しかし、全体的にはゆとり教育で過ごした今の高校生は過去最もレベルが低いというのは正直、免れないと思います。

そして、将来彼らが社会に出た時にその弊害がもっと現実的になるように思えます。というのは、はっきり言って彼らの下の世代(通常の教育に戻った今の小・中学生たち)が学力が上なので会社組織に入っても上位に立たれる可能性が強いと思えるからです。と言うことは、ゆとり教育で育った今の彼らには全く責任がないのにある意味、国の試行錯誤のモデル=実験台にさせられて一生を送る羽目になってしまった・・・と悲観的に考えてしまいます。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

全国的にみて現在高校に在学している生徒は小・中学校時代、国の「ゆとり教育」の真っ只中で過ごしてきています。

高校側もそれを理解していて多くのところでは全力で3年間の間に例年並に大学受験レベルまで追いつけるよう学習・指導している学校が多いようです。

しかし・・・義務教育をゆとり教育で過ごした生徒の多くは、通常の教育を受けた生徒が習う学習内容の約三割程度遅れているらしく、高校に入ってから(極端な話、教師の話では彼らに関しては高校教育が4年間必要という意見もあるらしく)相当...続きを読む

Aベストアンサー

あくまで、個人的意見ですが。
高卒のまま社会に出れば、その通りだと思います。
ただし、大卒の場合は何とも言えませんね。
大学時代の過ごし方によってはいわゆる「ゆとり」じゃない世代と変わらない場合もあります。「ゆとり」じゃない世代でも、大学に入ったら勉強しなくなることも多いでしょうから、大学時代の過ごし方で大きく変わってくるのではないでしょうか?それと、受験レベルでの学力は社会に出たときにそのまま役立つかどうかは別ですから。
特に技術職で無い限り、ある程度の基礎的学力があればあとはその人個人個人の能力ややる気の差だったりしますから、それほど悲観する必要はないと思います。
ただし、今のままの大学制度を保つなら大学、高校入試に関しては「ゆとり」は弊害があったとは言えます。

Q私はゆとり教育の影響を大きく受けているのでしょうか

閲覧いただきありがとうございます。


ゆとり世代の二十代です。
7月26日に放送された、日本テレビ系列「コレってアリですか?」というのバラエティー番組で、

「ゆとり世代は失敗を恐れるため、マニュアルを必要とする」
「ゆとり世代は怒られ慣れていないため、少しのことでもへこむ」

などと放送され、私は上記の2つが当てはまりました。
マニュアルはあれば、相手に失礼の無い様振舞え、仕事に馴染むのも早いと思いますし、
私はゆとり世代でもありますが、いわゆる完璧主義者でもあるので、小さな失敗でも大きくへこむことが常です。

やはり、私はゆとり教育の影響を大きく受けているのでしょうか。
だとしたら、仕事などで話す相手に不快な思いを与えているのではないかと心配です。
また、ゆとり世代だと甘く思われるのも好ましくありません。
(この失敗を恐れる考えや他人を気にすること自体がゆとり独特の考え方なのかもしれません)

皆さんはどうお考えでしょうか。
よろしければご回答お願いいたします。

Aベストアンサー

>「ゆとり世代は怒られ慣れていないため、少しのことでもへこむ」

これには少し疑問があります。
私の場合、親に虐待に近いスパルタ教育を施されました。
当然、叱られましたし怒られまくりました。
なのに、いざ叱られると物凄くヘコミます。
この事を考えると、叱られ慣れないから、へこむというのは理屈として合いません。

理屈として合うのは強迫観念なのだと感じます。
仮に教育の段階で『能力がないなら生きていけない!』という強い刷り込みを与えられていたとします。
叱られる事が能力が無い自分を自覚するキッカケになるなら、その結果として生きていけないという不安を抱えヘコミます。

もし、ゆとり教育の影響があったとすれば、授業時間が減った事に悲観して、親が子供を塾に通わせる等でプレッシャーを与えて、『能力がないなら生きていけない!』と思わせた事が原因かもしれません。
でも、それはゆとりが教育が無かったとしても同じ事かもしれないです。
社会不安がある限り、プレッシャーを与えるでしょうから・・・

これが40~50歳世代の人だったら、『能力がないなら生きていけない!』という刷り込みは、とても少なかったと思います。
その世代は子供時点では不況は訪れて無いですから、社会不安も今よりも小さいです。
不安が無い世代に育てられれば、その分、プレッシャーそのものも少ないから『能力がないなら生きていけない!』という刷り込みも少ないです。

ゆとり問題は、親が不況を体験した事で、それを教訓として子供に教育してしまった事にあると思います。
そしてその事を殆どの人が気付いていないのが、問題をより一層大げさにさせていると感じます。

いずれにせよ、へこみ体質とは共存するしか道は無いですから、一緒に頑張りましょう。

>「ゆとり世代は怒られ慣れていないため、少しのことでもへこむ」

これには少し疑問があります。
私の場合、親に虐待に近いスパルタ教育を施されました。
当然、叱られましたし怒られまくりました。
なのに、いざ叱られると物凄くヘコミます。
この事を考えると、叱られ慣れないから、へこむというのは理屈として合いません。

理屈として合うのは強迫観念なのだと感じます。
仮に教育の段階で『能力がないなら生きていけない!』という強い刷り込みを与えられていたとします。
叱られる事が能力が無い自分を自...続きを読む


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