オンライン健康相談、gooドクター

最近あるマイノリティーたちのサイトにいて、ふと考えたことがあります。
「被差別者は差別者にはならない」という命題に妥当性はないのではないか?ということです。

たとえば、黒人は黒人を差別しないだろうけれど、他の差別対象を持っているかもしれない。

ところで、「嫌うこと」と「差別」とはどう違うのでしょうか。

黒人(本来アフリカン・アメリカンと書くべきでしょうが)は黒い肌をしたものを肌の色故に差別はしない。それは自己否定になるから。
けれども、黒人Aが、黒人Bや黒人Cを嫌うことは当たり前のようにありうる。
しかしそれはBやCへの「差別」ではない。
好き嫌いの感情は人間である以上誰しもが持つ感情です。

では、「わたしは沖縄人が嫌いだ」「わたしは韓国人が嫌いだ」という場合はどう解釈すべきでしょう?
黒人Aは、黒人BやCは大嫌いでも、一方で、黒人DやE、Fとは大の仲良しかもしれない。
ところが差別者は「沖縄人一般」「韓国人一般」を「無差別」に嫌い、呪う。そこには最早、先の黒人Aのような「区別」は存在しない。

・・・「嫌うこと」と「差別」の違いをどのように考えられますか?

質問者からの補足コメント

  • 内に秘めた嫌悪は排斥ではない。では表出された嫌悪は排斥か?

    「お前なんか嫌いだ!」これは多分排斥ではない。「おれだって嫌いだよ!」で同等だ。

    差別とは「嫌悪」プラス「力」か?

      補足日時:2017/10/08 03:41
  • 体調不良のため一部の回答へのお礼が遅れてしまうことをお詫びします。

    ご意見を聞かせていただきありがとうございます。

      補足日時:2017/10/11 02:34
gooドクター

A 回答 (17件中1~10件)

人が努力して容易に変化し得る事項については、差別としての対象にはなりにくいと思います。

例えば、怠惰な生活などに起因する事柄などです。

差別とは、出自など、個人の努力以前に、すでに決定されてしまっている事柄に基づくものになるのだと思っています。例えば、老若男女という差異に起因する事柄などです。

好き嫌いは、そういった基軸とは別の軸、判断基準になるので、同一レベルで論ずること自体、そもそも困難なのだと思います。
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日本人の「差別と嫌い」の話題には、世界なら常識的にある「人種や民族」という概念が欠落しています。

だからこそ「差別と区別の違いが分からない」ということになるのです。

世界では、もともとも何千年も民族という人々の社会単位が存在し、それに属することで生き延びてきました。民族は基本的に「生活の糧を得る手段」が違うことが元になっていて、その手段によって価値観や宗教感が異なっていきます。

今でも、アマゾンの原住民部族では「こちらは魚を取って食べる部族」だが、隣は「絶対に魚を食べない民族」で、魚を食べるほうは川を「恵みを与えてくれる神からの贈り物」として大切にするが、食べないほうは「ワニが人を食べるこの世の地獄」と考えていたりします。
 民族の価値観とはそういうもので、恵みと思う人と地獄と思う人では根本的に「河川」関する考え方が真逆であり、分かりあうことはないわけです。

このような民族間の価値観の違いが差別の温床になっています。
たとえば魚を食べない民族がマジョリティになり、川をどんどん破壊し汚していくと、マイナー民族である魚を食べる民族は困窮してしまいます。でも、食べないほうは「魚なんか食べなくてもおいしいものはたくさんあるから、それでいいじゃん」という意識でしかありません。元々川は「原罪であり地獄であり、ないほうが良い存在」と言う価値観だからです。
 そして魚を食べられなくなった民族が一斉に蜂起し戦争になると「なんで魚ごときでそんなに向きになるのコワイ」と感じるようになります。

これらが繰り返されることで「自分たちの価値観・宗教観と違う価値観を持つ人たちは人間ではない」という排除の論理を持つようになり、それが奴隷などの差別的な待遇を助長させ、価値観を強化させていきます。
 黒人差別の根源、太平洋戦争時の日系人収容などは、そういう「価値観が根本的に異なるモノへの恐怖」が根底にあるのですが、日本人はそういう「異民族紛争・異民族との戦争」をほとんど経験していないので、根本的な「差別」意識を理解できない民族なのです(理解はできなくても、恐怖すれば差別はあります)

産業革命前後には、思想も「科学的な視点」を取り入れるようになります。啓蒙思想から続く「個人の自由と権利の保障」は科学的に「人類はすべて同じ」であり、人種差別に真っ向から対立する概念をもっています。現代社会は表面上・建前上は「個人の権利を保障するのだから、人種や性別などに関わらず個人はすべて平等」なのです。これが「差別はいけない」という考え方の基本です。

しかし、人類は有史だけでも何千年、人類以前も含めれば何万年も「民族紛争」を行ってきたわけですから、たかだか数百年の「近代自由思想」で心の内が変わるわけがない、のです。

つまり「差別は誰の心の中にもある」わけで、それを押し隠し「理想的な状態」を求める人たちが人種差別反対派、心の声に素直に反応しているのが「人種差別肯定派」といえるかもしれません。

という前提を置いたうえで、差別と嫌いの差は「恐怖」にあると私は考えます。

「ある人種がメジャーになることでこの社会の価値観が変わり、自分たちがマイナーになってしまう恐怖」が差別の温床だと私は考えます。

過去にアメリカで「黒人女学生が初めて大学に登校した時、激しく罵る白人女学生」が話題になったことがあります。
彼女たちはその後和解したのですが、激しく罵った白人側は「自分たちがマイノリティーになる恐怖」を味わったからそれに激しく抵抗したのです。

最近トランプ大統領当選の原動力になった「プア―ホワイト(持たざる白人層)」はアメリカ国内が白人の国ではなくなる恐怖と、自分たちが置かれている貧しい環境に反応して激烈な人種差別運動に発展しています。実際、アメリカでは人口の8割以上いた白人種がここ数年で8割を割り込み、2050年には6割を下回るだろう、と言われているからです。それでもメジャー人種ではありますが、民主的な手続きを重んじる以上、他の価値観や宗教観を持った人々が社会的な要職や議員席につき「自分たちの思い通りの社会にはならなくなる」という恐怖があるわけです。同時に「アメリカをここまで作ってきたのは白人なのに、後から来たお前らはそれにただ乗りするのか」という意識もあります。これは、ヨーロッパの難民問題にも流れている人種差別の底流なのです。

ですから、肌の色がどうこうとか宗教がどうこう、というのは「表面的な違い」でしかありません。それが差別になっていくのは、そこに「自分たちの価値観を壊される恐怖」があるからです。
 「キライ」と言う感情は「自分の価値観を壊される恐怖」は伴いません。デブが嫌いでもそれによって「自分の価値観が脅かされる」ことはまずありません。性的なマイノリティーが嫌いでも、それによって自分の価値観が変化することもまずありません。
嫌い、というのはそういう「自分の価値観からみて受け入れられないもの」でしかないのです。

日本人には諸外国にあるような「根本的な人種差別」はありません。だから黒人などは「日本には人種差別がない」といいますし、逆に白人は特別扱いされないので「日本人は差別主義者だ」と言うこともあるようです。
いずれにしても、彼らが「お客さん」である限りは差別には至らないのです。

日本で人種差別に至るのは「半島に居る人たち」と「大陸からやってきた人たち」です。なぜこれが差別になるのか、それは立地が近く、日本に大挙してやってくれば「彼らによって日本の価値観やヒエラルキーを変えられてしまうのではないか」と危惧するからです。
 右翼と言われる人たちの主張は「外国人参政権反対」「在日特権反対」などです。つまり彼らが「日本の政治や経済においてマジョリティになる可能性は徹底的に排除」ということになります。

これは差別ですが、ある意味当然の反応ではあるわけで、日本がヨーロッパのように「誰にでも開かれた国にすべきかどうか」は議論の余地があるでしょう。
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【排斥】だけでお終いなら、


悪意も感じないし差別だとも思ひません。

【排斥】して放っておいてくれるなら。

そこから【支配】【服従】の関係に発展
することがなければ、差別だとは思ひません。
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この回答へのお礼

たとえば難民の排除。イスラム教徒の排除。これは実質的な「差別」ではありませんか?

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/11 02:28

ご質問に対する回答にはなれませんが、



【障害による健常者叩き】だとか、
【マイノリティによるマジョリティ叩き】


そんな図こそ、わたしは見たくありません。



もちろん、その逆の
【健常者による障害者叩き】だとか、
【マジョリティによるマイノリティ叩き】、
というのも普通に嫌いだけど。
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この回答へのお礼

>【障害による健常者叩き】だとか、
【マイノリティによるマジョリティ叩き】


>そんな図こそ、わたしは見たくありません。

興味深いご指摘ですね。

質問者は、戦国時代の「一揆」であるとか「革命」を肯定する者ですが、

所謂弱者による強い者いじめは何が問題でしょうか?

また「叩く」というのは、例えばガンジーやキング牧師のプロテストとどう違いますか?

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/11 02:25

嫌いなものを簡単に好きにはなれない(心の内の問題)


そのままでも 良い

差別は簡単に解消される(心の外の問題)
そのままでは 悪い

差別は簡単に解消・・とはいえ 
現実には そうはいかないけどね

「違いを受け入れる」哲学が必要ですね

私達の故郷は地球 国籍は世界 人種は人間
であると言う哲学ですね
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この回答へのお礼

>「違いを受け入れる」哲学が必要ですね

>私達の故郷は地球 国籍は世界 人種は人間
であると言う哲学ですね

シンプルな真実ですね。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/11 02:20

嫌うのは心の次元です。

差別は行動の面です。
どんなに人を憎んで殺す妄想をしても 実際に殺さなければ罪にはなりません。
同じく、どんなに嫌っていても それが相手や周りに伝わらなければ、ないも同然です。
嫌い好きの感情はじぶんで抑制しづらいので悪魔のようですが
それでも理性でコントロールできます。
まして、他人の権利や自由を認めることは、偏見や感情とは別の次元で成されなくてはなりません。
にもかかわらず、一人よがりの思想とか 生理的嫌悪のままに 他者に対して接することを差別といいます。
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この回答へのお礼

>同じく、どんなに嫌っていても それが相手や周りに伝わらなければ、ないも同然です。

>まして、他人の権利や自由を認めることは、偏見や感情とは別の次元で成されなくてはなりません。
にもかかわらず、一人よがりの思想とか 生理的嫌悪のままに 他者に対して接することを差別といいます。

とてもよくわかります。共感します。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/11 02:18

卑弥呼以来の封建制度が育てた不公平な制度、2000年の間太平洋戦争で負けて始めて封建制度に気ずかされた、まだ封建制度は崩れてはいな

い、最終的に敵対するのは宗教戦争、宗教観が問われる時代、
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この回答へのお礼

>2000年の間太平洋戦争で負けて始めて封建制度に気ずかされた、まだ封建制度は崩れてはいない

これには同感です。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/11 02:16

お礼ありがとうございます。


「「差別」は、「区別」可能な「集団」へ行使され、個人のみを対象とはしない。」の意味は、もちろん、実際に差別を受けるのは、被差別者ですが、それは、被差別者個人のみに対する行為では無いと言う意味です。
被差別者個人のみに対して、その個人である事を理由に差別する場合は、一般的に、その個人に対する「感情」や、個別の理由があるわけです。
この場合は、それが、犯罪行為で無ければ、社会的には、「差別」とは呼びません。(これは、一般的には、区別する理由があると言う事です)
私の個人的な見解では、「国家」を、その国民レベルまで還元して考えるのは行き過ぎだと思います。
A国が、B国に対して、ある敵対行為を行った場合は、B国の国民が、A国に対して、悪感情を持つ事は、おかしくはありません。
ただし、それをA国の国民が全て、同じ考えだから、A国民全員に対して、悪感情を持つのはおかしくは無いですか?
少なくとも、私はそうは「国家」をその構成員である国民の個人レベルまで還元はしません。
普通は、A国の現政権が、B国に敵対行為を行ったと言う事にしかすぎません。
これは、ある「集団」が引き起こす全ての行為が、その「集団」の構成員の全員の意志により行われていると言う幻想でしかありません。
お礼に書かれた例は、あまりにも具体的すぎるので、「ある行為に反対するA集団に対して、B行為者集団の集団構成員が、A集団の構成員にヘイトスピーチを行った」とします。
これは、一般的には、A集団に対するヘイトスピーチであり、A集団の構成員個人のみに対するものとは考えられません。
もちろん、ヘイトスピーチの内容が、A集団の中の特定の集団のみに与えられる場合も考えられます。
これとても、A集団の中の特定の集団に対するものですから、A集団の中の特定の集団構成員個人のみに対するものでは無いでしょう。
「差別」を実際に受けるのは、被差別者ですが、一般的には、被差別者が、「差別」を受ける理由となる「集団」の構成員は等しく「差別」を受ける可能性があると言う事です。
お礼に書かれた例は、実際に抗議行動を行った「集団」全てに対して、発せられたヘイトスピーチでは無いですか?
直接言われたのを、仮にDさんとしても、Dさん個人のみを対象にしたものでは無いでしょう。(その「集団」の別の構成員である、Eさんでも良かったわけです)
そういう意味では、社会的な「差別」は、被差別集団の構成員全てが「差別」を受ける可能性を持つ平等性を持っています。
第2次世界大戦中に、アメリカは、日本からの移民者を強制収容所に収容しました。
これは、敵性国からの移民は信用できないとの理由により、公益に関する一定の根拠を保持しています。
これ自体は、日本も宣戦布告を行った以上、許容せざるを得ません。
しかし、実態としては、個人的には単なる人種差別だと思います。
それは、この「差別」が、敵性国全てに適用されていないからです。
実態は、ドイツ、イタリア系などの敵性国の移民は、すぐに強制収容所から解放されたからです。
これは、敵性国移民と言う集団に対して、日系移民だけが「差別」を受けたと言う事です。(これは、アメリカの国策で行われた事ですから、日本が何か言う権利はありません)
本来は、アメリカ内部で問題にすべき事ですが、これが大問題とされた事は無いでしょう。
もちろん、ある集団内部で、特定の個人だけが「差別」される場合もあります。
一般的には、合理的な理由が無い場合は、これは「いじめ」と呼ばれます。
しかし、これは問題のレベルが違います。
一般的には、「いじめ」と言う行為は、犯罪レベルの行為が行われています。
単純な、「好き」・「嫌い」のレベルを超えている場合に問題になると言う事だと思います。
もし、「国家」、「企業」、「家族」と言う単位が、抽象的で実体が無いとしても、我々は、それを認識しています。
それを個人に還元しても、それが「国家」、「企業」、「家族」にはなりません。
A国が敵対していても、A国人全てが敵対している可能性は少ないでしょう。
「集団」に対する「差別」は、その「集団」構成員全てが、被差別者となる可能性はありますが、それが、その構成員個人のみに対するものとはならないと言う平等性を持っていると言う事です。
被差別者から見れば、「差別」は受けるわけですから、あくまで「差別者」の考え方であるのは確かです。
なお、「日本国の現政権は嫌いだが、日本国自体は好きである」は、成り立ちますよ。
また、「日本国は嫌いだが、日本人は好きだ」も、比較対象が違いますから、命題としては成り立ちます。
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米国在住です。



現在のアメリカでの差別問題の焦点は、主に、”警察官は黒人の容疑者に過剰な暴力をふるうのをやめさせよう”というものです。どの人種の警官も同じように差別をするらしいです。

けれども、”黒人の容疑者を差別するな”風のニュースが流れた後に、立て続けに三軒、昨夜起こった暴力的な殺人・暴行・窃盗事件の犯人が、(最近は、防犯カメラの映像をニュースで流して、視聴者に、検挙に協力するよう、要請します) ギャング風の黒人の若者であった時など、”そりゃ、警察官は、黒人をまず、疑うわ。無理もない。。。”と、感じることもあります。これは、一つの、生活の知恵のようにも、思えます。

逮捕時に、黒人の容疑者は、必ず、男女ともに、なぜか、むなしい抵抗を試みます。走って逃げると、撃たれるんですが、自分たちを不当に扱う、警察に対する恐怖感があるんでしょう。お互いへの不信感が存在します。

1980年代に、ロス・アンジェルスで、ロドニー・キング事件(タクシーの運転手だった彼が、警察の制止を聞かず、カーチェイスをした後、逮捕時に、観るに堪えない過剰な暴力を受けた)が起きた後、大規模な、黒人の暴動が起きました。これは、普段からの不満が爆発したものだと解釈してよいと思います。

暴動の対象は、警察署や、LAなのですから、ビバリー・ヒルズに住む、お金持ちの邸宅であっても良かったのですが、なぜか、地元の新興勢力で、LA内に着々と勢力を伸ばしていた、韓国系のお店ばかり、狙われました。ショー・ウィンドーのガラスが破られ、商品は根こそぎ略奪されました。これは、単なる偶然ではなく、日ごろから、黒人側に、韓国人たちに対して、面白くない気持ちがあったからでしょう。LAには、巨大なチャイナ・タウンも、リトル・トウキョウもあるのに、狙われたとは、聞いていません。

思うに、自分たちよりも後にやってきたのに、どんどんと勢力を伸ばしてゆき、商売とともに、勢力を拡大してゆく韓国の人たちに、激しく嫉妬していたんでしょうね。

差別は、絶対に、してはならないことです。通常の状態では、理性が、差別をする心を抑えられます。けれども、一旦、追い詰められてしまうと、理性のタガが外れます。その時に、深層心理に根ざす、不信感や、恐怖心、あるいは嫉妬心が、むき出しになります。それが、差別的な行動をとってしまう、原因になると、考察します。
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嫌うは、対象物が曖昧ライオンが嫌い、パンが嫌い、数学が嫌い、排気ガスが嫌い、だれだれさんが傲慢で嫌い、


差別は、特定(人種)「国」等その根幹は、嫌う者の入れ知恵やマインドコントロール
では嫌う人種と長話したか?NO。嫌う国に行き何年も滞在した事は?NO。
肌の色に何の意味があるのか「知らない、わからない」思い込みや偏見だと思うのですが
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この回答へのお礼

>差別は、特定(人種)「国」等その根幹は、嫌う者の入れ知恵やマインドコントロール

そうなんですね。そのマインドコントロールとは言い換えれば学校や地域、家庭での「教育」ということになると思います。

>では嫌う人種と長話したか?NO。嫌う国に行き何年も滞在した事は?NO。
肌の色に何の意味があるのか「知らない、わからない」思い込みや偏見だと思うのですが

その通りだと思います。みんなが嫌っているからではなく、他ならぬわたし個人が「あの国」「あの人たち」を嫌う妥当な理由を探らなくてはなりませんね。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/09 02:09

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