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弱者に対する救済措置


この不況で母子家庭やらホームレスやら無職者やらが一層増えています。
そのほかにも各障害者など一般的に社会的弱者と呼ばれる人たち。

いつもニュースで生活保護の問題やら、いまだと口蹄疫による畜産農家への援助など
まあこういった人たちを助けるのはすばらしいことだとは思うんです。

でもなぜ助けなくてはいけない?と思ってしまいます。

私自身も家庭離散、実家の差し押さえ、借金まみれなど人生の底をそれなりに味わいました。
今はある程度の生活水準を保っていますが。。。

日本人はずうずうしいとおもいませんか?
牛が全滅したから国が助けて。
仕事が無いから、仕事できないから保護して。

私がこの先仕事もできなくなりお金もなくなったら自然のなすまま死にたいと思っています。

ちょっとひねくれてるかもしれませんが。

ご意見ください。

A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは


貴方と同様に私も同じ疑問を持っています。
一見分かった風に世の中は福祉とか支援とかが叫ばれますが、その論拠はいかなる考え方に基づくのか...経済活動と貧困と救済等々、昔から分かりませんでした。

 ところがつい最近とても有意な的確でわかりやすい内容でNHKが放送を行っています。
「ハーバード白熱教室」というものです。
世の中の基礎的事柄...「殺人に正義はあるか」「「富」は誰のもの?」「能力主義に正義はない?」など現在第9回までが放送され、6月5日深夜(6日AM1時)と6日PM6時頃に放送されます。

おそらく世の中の基礎的仕組みさえも私同様に多くの方が無知なのではないでしょうか、世の仕組みを少しでも云々するにはせめてこの番組の内容程度(世界トップの講義内容ですが(^_^;)は熟知した上で考えたいものです。ただNHKさんも放送後は有料コンテンツとして金銭のやりとりでしか見られないのはわれわれ選挙民が愚かなためでもありましょう。

内容一覧
http://www.nhk.or.jp/harvard/archive.html
YouTubeでの一部

あとはパンドラテレビなどで見られるようで、代理サーバーなどを利用すれば安定した視聴が可能なようです。
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人間はそう簡単に死ねない。

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 ANo.9(ANo.3(4))


 balanbajp2 さん。揚げ足を取るようですが、どんなものもありがたい状況の弱者や困難な方。
 死んでやるわい、ということがいえるのは、強い人。決心や覚悟ができる人。
 そして決して人に心を閉ざす事もなく、みんなを祝福し、みんなの幸福を喜べる人、自分の事のように。
 
 或いは今は困難でも弱者の状況でもない人。

 そういう人が、死んでやるわ。というひとですね。
 創造の神が人間たちに水をいれた鉢を持たせ、人生を行かせました。
 ある人間は一滴もこぼさないで帰ってきました。
 ブラフマはそれでお前の人生はどうであったか?と聞いたら、目と心を閉じて帰ってきました。
 というので不合格にしました。
 人は弱くて、強い事が大事ですね。みんなが自分の中におり、みんなの中に自分が居る事が大事だと存じますが。
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 ANo.4(ANo.3(3))


 balanbajp2 さん。
 balanbajp2さんが死ななければならないとき、balanbajp2さんの嫌悪したり、アレルギーになったり、或いは抵抗感というようなものがまったくない、報いを求めていない、本当に親身な暖かい手が差し伸べられたらどうですか?
 balanbajp2さんが、小さな家族をかかえていたときなど、その子だけでもなんとかしてあげたいと思いませんか。
 そこらが人間って難しいですね。
 上のはなしのような手が差し伸べられることもなく、現代の都会の孤独の中で、人間なんてこれでいいのさ、こんなものさ、と終わっていくとしたら悲惨ですね。
 そういうことに心を閉じてしまわない、強さと曖昧さを残していくのが大事かなと存じますが。
 無論、なんの手も差し伸べられない事も多いのですが。私の経験ですけど。
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>でもなぜ助けなくてはいけない?と思ってしまいます。


>私がこの先仕事もできなくなりお金もなくなったら自然のなすまま死にたいと思っています.

貴方は相当変っていると思います。
もし、貴方に家族があって、空腹で泣いていたら助けないのですか?
現実には見殺しにしたら犯罪になりますが、貴方が飢えていたらそれを知った知人は貴方がどう拒もうとそれを救う義務があるのです。
日本という国は喩えてみれば大きな家族のようなもので、見知らぬ人どうしといえども困っていたら助け合わねばならないということが憲法でびしっと規定されているのです。
これは貴方のような変った人にも適用されます。
貴方のような人が現れてもうまく社会が対応するようになっているのです。
国というのはそのために、出来る人同士で税金を納め、弱者をそれなりに支え、相互に無理なく助け合えるような組織なのです。
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人間は弱い者でも助けあいで生かし、その他の動物、ライオンや白熊や虎などは、強い者であっても武器で殺す。

そうすることでもって、地上の動物を人間だけにしてしまうようにDNAに組み込まれているのではないかと思います。

もちろん、ライオンや白熊や虎などのDNAにも、「種のエゴ」が記入されており、彼らなりに、キリンを殺したり、シマウマや、アザラシを殺したりするのですが、彼らの能力は拮抗しており他の種を絶滅させるほどの影響が無いのです。

人間だけが武器を使用して他の動物を殺す能力を身に付けましたが、ここらで他の野生動物にも生きる余地を与え、人間の独占的増殖に歯止めをかけた方が良いと思います。
しかし、現実は、今日もインドで「弱い人間」を襲った「強い虎」が武器によって射殺れていることでしょう。

人間の倫理にとっては容認できない事かも知れませんが「自然界の弱肉強食」という神の摂理に反したことを続けると、やがてとんでもないしっぺ返しが来るのだと思います。
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治安維持と経済の保護のためです。


ようは政治家の既得権益保護のためであり、より多くの日本人の安楽な生活のためです。

たとえば働けない貧困層が増えれば社会不安が高まり、犯罪率が増加するほか、国内の産業が被害を受け、税金が払われなくなります。そうすれば国家が立ちいかなくなり、今現在、貧困ではない日本人も困ります。
あなたのように、貧乏になったら素直に餓死しようと考える人たちばかりではないということです。
生きるために犯罪を犯そうと考える人のほうが実際は多いわけです。



牛の口蹄疫については、口蹄疫の性質上、個人業者レベルでは対策できません。国家レベルで対処しないとどうにもならないものだからです。少しは生物や疫病について勉強すればどうですか?そして、どうにかしないと、国内の畜産業が壊滅します。そうすれば、国内産業が大打撃を受け、やっぱり税収が減少し、日本全体が大打撃を受けます。
今現在でも数十億円の被害が出てます。これは国家の税収にもダメージを与えています。

ストイックなあなたであれば、金と欲にまみれた薄汚い考えに思うかもしれませんが、みんな自分と自分の家族を守るために必死なんですよ。
政治家しかり。政治家や官僚が肥え太るには国が健康でなければならない。だから国家は国民を保護しようとするわけです。

まぁ、あなたが本気でそう考えてるのなら、病気になったときは全額医療費も払うし、いざというときに警察にも頼らないし、各種手続きを役所でしたりもしないし、年金も受け取らないのでしょう。応援しています。
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社会の基本は市民の労働です(政治や金融はその補助に過ぎません)。


国民に働く意志と能力があって、労働の機会を与えられない国家は、
欠陥があると言わざるを得ません。
ゆえに、災害や流行病によるダメージに対して補償し、また様々な
社会保障や健康保険が存在するのです。

そうした「活用」とは別に、人道的な福祉があります。
人は誰しも老い、また身体障害を持つ可能性があります。
そうなった時に、「社会に貢献しなくなったのだから死ね」という
のでは、誰も不安で生きていけません。
人の生きる目的が、物質的豊かさではなく、精神的充足であれば、
家庭内でお年寄りを敬愛する、それと同じモチベーション(自律的生
社会生命的自覚=愛)が社会全体を動かして然るべきです。

もちろんその愛に於て、自分について、社会的に貢献できなくなったら
「自然に死のう」と思うのは正しいですが、またその愛ゆえに、役に立た
なくなった他人への扶助をやめて「死ぬべき」というのは否定されます。
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 ANo.3(2)


 大東亜戦争後、いわゆる国際的には、いわゆる文明とか文明国とか、あるいは文化国家とかいうタームが横行しています。
 そして国はその基本法たる憲法(殆どが成文、稀に判例法とか、普通法という法律存在形式(法源)もある)の存立根拠や正当化の理論として、国際社会の文明とか文明国とか、あるいは文化国家というものを標榜しています。
 そういう国家国是ではないような国を国家原理の後進性といわれています。つまり仮にそんな国があったら、国際社会の十全の立場を保持しえない。
 そういうようなworldwideの歴史の状況です。

 (前の投稿の補足)袋のいり口、出口ということは、自分をかたくなに閉じてしまう事は偉い勇気と強さ、忍耐が必要でしょうが、それ以上に自分を外と内にまかせる、付託する、そして開いておくということは自分をかたくなに閉じてしまう事以上に困難と勇気、我慢強さが必要です。
 自分を死ぬさ、とは立派であるがそれは未だ不十分です。自分は自分でいくさ。も大事ですがそれとみんなでやっていく、ということも大事です。
 みんなでしかやれない人もおおぜいいます。たまたまやれる人が、何だあいつは。ということはいけません。生まれながらお世話を頂かなければならない人もいるのです。
 お世話にならない人が、自分でやれる人が、或いは死ねばいい人が、そういう方々の人生もあることを忘れてはいけないと存じます。
 私は海に近い川の近くで育ちました。自己流ですが水泳というより、水が恐ろしくはありません。
 注意は必要ですが。油断は禁物。
 水泳は水に身をまかす、もがかない。
 人生もやはり、水に抵抗もしない、まかせる。そうしかないと存じますが。
 http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5931390.htmlという質問もあり、未だ福祉国家論が出ていませんが、そのうち出るでしょう。ご参考に。
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 balanbajp2さんのご状況に対して、国、自治体、そして社会の諸策が不十分、或いはなかったことに対して心よりお気の毒に存じます。


 私も学童から青年期・成人まで困難を極めた状況の中で、成長してきました。
 聞けば、母方もそして父も父方も昔(明治・大正・昭和の10,20年代前半)は、なかなか、国、自治体、そして社会の手が向けられなかったようです。
 balanbajp2さんのご状況がどのようであったかは文面からは画けませんが、下には下が更に更にあるものです。
 昔は国、自治体、そして社会が手を差し伸べるべきだという、国家観や社会観が薄弱でした。
 それは悲惨を極めたと存じます。そしてそういう状況が人間の社会や文明という事からは、看過しえるものではないということに為ってきているのだと存じます。
 国、自治体、そして社会の側の自己満足やいい子ぶりだととられるかもしれませんが。
 甘えない事は大事ですが、相互の信頼と暖かさは人間として持続する事は強さの一側面でもあり、振り切らないで袋の出口入り口をあけておけることが大事だと思っています。
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