ハマっている「お菓子」を教えて!

人間には、無限の可能性があるといいます。
しかし、それは「きれいごと」であって、現実は
そう思っていない人がほとんどだと思います。
なぜなら、人は人にすぐ「レッテル」を張ります。
学歴、肩書で判断します。判断は良しとしても、学
歴、肩書の無い人のことを、「劣った人間」で永久
にそのままであろうと確信しています。

私は無限の可能性を、信じている人間の一人です。
それでも、実績の無い人を評価することはしない、
というかできませんが、決めつけることは絶対にし
ません。
人が人を決めつける、これを「差別」と私は呼びま
すが、これは、特に子供に多大な悪影響を及ぼして
いると思います。
このことについて、どのように思われますでしょう
か?

尚、批判のための批判は、ご遠慮願います。
時間の無駄になりますので。

A 回答 (9件)

「人が人を決めつける、これを「差別」と私は呼びますが、これは、特に子供に多大な悪影響を及ぼしていると思います。

このことについて、どのように思われますでしょうか?」
→その差別を無視すればいいのです。
気にするから問題が起きるのです。
知らん顔しましょう。
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この回答へのお礼

人間の無限の可能性が認められるように
なっても、差別が完全になくなることは
ないのかもしれませんね。

お礼日時:2015/09/17 16:51

>特に子供に多大な悪影響を及ぼしていると思います。



どんな悪影響があるのですか?

あと、無限の可能性はレッテルをなぜ許容できないと思うのでしょうか?
「劣った人間」で永久にそのままであることも無限の可能性の中の一つとして数えられるはずです
未来においては無限の可能性の中の一つが実現します
だとすればある人間の未来を考えたときに無限の可能性の中の一つを採択すること自体は間違っていないと思います
なぜならその採択した可能性が実現するかどうかはわかりませんが、わからない故に貼ったレッテルが間違っているとは
貼った時点においては言うことができないためです

そのためレッテルを貼ったとしてもそれは無限の可能性の否定にはならないと思います
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この回答へのお礼

子供が、「人を差別することが、当たり前だ」と刷り込まれてしまう
ことを、悪影響だと思えないということは、あなたは、人を差別する
ことが悪いことだと思っていないということになりますが、そういう
ことでよろしいですか?

その下の文章は、意味が取れません。つまり、とても詭弁的に思えます。

学歴、肩書などの実績による「評価」はいいのです。しかし、その人に周
りの人間たちが「永久にこいつはこのままだ」とレッテルをはるというこ
とが、「差別」であり、その人の可能性を否定する、間違った行為である
という、誰にでも納得できることを申し上げているはずです。

<劣った人間で永久にそのままであることも無限の可能性の中の一つ???

多少の議論はいいと思います。しかし、観念の遊戯のごとき議論は、そう
判断した時点で、打ち切らせていただきます。
あらかじめ、申し上げておきます。

お礼日時:2015/09/15 22:55

無限の可能性とは


「その道の頂点を極める」絶対的なものではなく、
今ある状況から「どれくらいの伸びしろがあるのか」という相対的なものでしょう。
なので、スタートも違えばゴールも違うから千差万別/無限(の可能性)なのです。

>人が人を決めつける、これを「差別」と私は呼びま
>すが、これは、特に子供に多大な悪影響を及ぼして
>いると思います。
 金持ちが年を取ると欲しがるのが、その差別の象徴「勲章」なんです。
 「勉強頑張ったね~、はい、ご褒美!」なんて
 愚かな育て方をされるとこうなります。
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この回答へのお礼

人それぞれなのは、間違いないでしょうが、なにしろ
無限ですからね。無限ってうれしいですよね。

偉くなりたいのは、傲慢だから。
傲慢なのは、自立していないから、かな?

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/09/15 21:30

人間個々人にではなく、人間という種には無限の可能性がある。


というのが正しいんじゃないですかね。
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この回答へのお礼

更なる進化を待つまでもなく、現時点の人類でも無限の可
能性があるといっていいと思う。

人間の脳の神経細胞(ニューロン)は大脳皮質だけで140億、
脳全体だと1000億~2000億という推定だそうだ。学者の
間でも、まだまだ未知なことばかりらしい。
まして、私はど素人なので全部推測だが、高い知的環境を
整えたら、あるいは、高い教育技術を持った教師に、集約
された情報を教えられたら‥‥そして、技術、情報はいく
らでも発達させることができる。

仮に140億のニューロンが、すべてネットワークを作った
ら、その組み合わせの数は、まさに天文学的数になるとい
う。

それに、人間の生命は今の科学などによって、解明され
るほど単純なものでないと思う。だって、分からないこと
だらけじゃないか。

お礼日時:2015/09/14 23:16

無限の可能性は果たして人に必要なものだろうか?


すでに備わっているもので十分なのではないだろうか?
夢に向かって明るく生きて行くというのが魅力的なのは分かるが、別に夢など見なくても、ちゃんとやっていけるのではないだろうか。
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この回答へのお礼

宇宙の無限がほぼ否定されている現代において
無限を主張することは、困難なことです。
根拠を探すことも、同意を得ることも大変。

繰り返しになりますが、死ぬ時期は分からないか
ら普段は意識しないで、なんかずっと生きるつも
りでいますよね。

夜空を見上げたら、宇宙の果ての壁が見えたらど
うでしょう?

自分の可能性も同様だと思う。

無限を感じて、無限の中で、有限に生きるという
のが、人間の健康的な生き方だと、そう思うんで
す。

お礼日時:2015/09/14 22:11

人間の脳は、生後の経験によってニューロンの配線が伸張し、


大きな可能性があるのは事実だ。
しかし、その「ニューロンの伸張」は生後数ヶ月で止まり、
その先端のスイッチであるシナプス結合の増加も数年で
止まって、その後はスイッチのON-OFFに留まる。
つまり、ある程度成長したら、うわべの知識的なものは
変えられても、精神構造の根幹は変えられなくなると言える。
その部分に対する評価を、「差別」だと言って否定するのは、
実用的に(全ての人への社会的貢献も含む)問題を生じる。
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この回答へのお礼

「人間の体は、時に医学の常識を超える」
by ブラック・ジャック

お礼日時:2015/09/14 21:55

差別と区別がちゃんと使い分けられるのなら、それでいいと思いますよ



女子便所や女子風呂に男子が入っていけないのは差別ではなく区別ですからね(^^)v
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この回答へのお礼

差別と区別も混沌としている気がしますね。
特に女性が女性差別について、過剰反応を起こしている
きらいがある。勢いあまって、男性を差別していること
に気が付いていない部分があると思いますよ。

お礼日時:2015/09/14 21:43

水掛け論にならないように、私の考えと質問者様への感想だけを書きましょう。



揚げ足をとるような言い方にはなりますが、「無限の可能性」はありません。
人間いつか死にますから。
それはおいといて、ここでの「無限の可能性」とは、「多方面に伸び得る才能」としておきます。
基本的に人間は「評価」なしには社会を形成できません。
評価によるランク分けを無くした究極体が社会主義ですが、ことごとく失敗しました。
評価は競争を生み、発展を生みます。
その上で、ある程度の、いわゆる肩書きや学歴といったものが重視されうるのでしょう。
よって、「肩書きや学歴による判断」は仕方のないことだと思います。
ただ、この悪側面として「差別」が生じます。
レッテルを貼ること自体に問題はありません。
ここに軽蔑といった人間の負の感情が混じるから問題になるわけです。

子供であっても、評価の対象になりうるわけですから、成績や学習態度などで差別化はされます。
問題なのはそれが「悪いこと」と決め、周囲の軽蔑を集めることです。
評価される、レッテルを貼られる社会に住んでいるという原理を認めた上で、「肩書きがないこと」を絶対的下位とみなさない、他方面に「肩書き」を見出す、
これが「無限の可能性」というやつではないでしょうか。

煩雑な文章で失礼いたします。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。

人生90年と言われるようになりました。
人生は当然有限ですから、その結果も有限ではあるのですが、
人間は死ぬ時期は分からないようにできていて、だからこそ
精神的に健全に生きられるのだと思います。
同様に、可能性も無限であるから、夢も広がってゆくという
ものではないでしょうか?
「夢」無き時代と言われる原因が、この「無限の可能性」の
否定にあると私は感じています。そのことを、申し上げてお
きたかった。

それから、「評価」と「差別」ということについては、あな
たとほぼ同意見のように思います。
ただ、一般的には学歴、肩書、その他の実績が無い人に対す
る評価と差別が混沌としているのは事実だと思います。
これの解決策が「無限の可能性」という考え方になるのだと
思います。

お礼日時:2015/09/14 00:51

あなた様は一般常識どころか日本語の知識が全くと言って良いほど足りません。

例えば「批判のための批判」これが哲学です哲学には根拠がないのです、根拠を示したら別の学問になってしまいます。「きれいごと」は初めから否定的な言葉ですから「理想論」が中立的です。「人は人にすぐ「レッテル」を張ります」これはあなたの根拠の無い決めつけであって、論拠が足りない、もちろん後ろに論拠が付いてきますが、「判断は良しとしても、学歴、肩書の無い人のことを、「劣った人間」で永久にそのままであろうと確信しています」判断は良しとしてもって、認めちゃうんですか?「劣った人間……確信しています」はどう読んだってあなた自身が確信していると読める。差別に関しても議論で「差別」を叩き潰す武器にしている人の方が他の人より確実に差別を信じており、そんなのもう時代後れだと言われ、差別なしの一線競争の存在を示されると激怒します、差別があった方が嬉しいらしい。あなた様の履歴は知りません、私の履歴はプロフィールにありますので御一見下さい、最高の様に見えますか?社会には階層がありますが、階層は必要だから生き延びているのです。他の人材で置き換えると社会が破綻するから試験で篩います、もし篩われて落ちた方に採用された方の仕事をさせたら社会が破綻しなくても採用された方はうつ病になります。私も地位なりの精神疾患を抱えています、ですがそれしか生きる途がないから仕方がない、アスペルガーも抱えていますが、これも脳の不治の疾患で治ることはありません、だからそれがあっても雇用される場所へ潜り込みます。この社会は差別で出来ているのではなく「仕方がない必要悪」で出来ていると私は思います。研究所の同僚は良い意味でも悪い意味でもキチガイで、他に受け入れてくれる処が無いから居る。学歴は非常に重い、重要の重いではなく負担が大き過ぎて潰れそうと言う意味。アフリカで明日の糧を探す子供と無理やり勉強させられる子供のどちらが幸せでしょう、前者は明日までの命で後者は明日にはうつ病か、統合失調になり一生そこから逃げられない。死刑と終身禁固・重労働のどちらを選びますか?
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この回答へのお礼

あまり学歴の高くない私が、上手な文章が書けていないということは
認めましょう。性格もあると思いますが。
しかし、私の言いたいことの意味は分かると思いますがねえ。
それなのに、私の文章のまずさとか、論理性の未熟さを指摘ばかりす
ることを「批判のための批判」として遠慮してほしかったのです。

それから、差別については社会のシステム云々ではなく、社会の中で
生きている実感です。昔はそうでもなかったのですが、今は人々の心
の中に強烈にあることを、あなたは感じないのだとしたら、そうとう
鈍感だと思います。仕事は何をされているか知りませんがね。
こういうことは、なかなか証明できないでしょ?
だから、証明されたこととか、常識の範囲でしか、思考のできない人
と、話をするのはいいんだけれど、議論はしたくなかったんですよ。
私は議論が下手だし、絶対に結論が出ないと思うから。
私は質問の答えが欲しかったんです。

質問の題名を見てください。「無限の可能性」です。これについて
どうですかということが、質問の趣旨であることは、誰でも分かる
でしょ?
それなのに、本題のことを放っておいて、なんだかんだ言うのは、
何かが気に入らないか、答えが分からないかどちらかであると私は
前々から思っているんですよ。

追伸 七行目の「確信している」のは私ではありません。良く読んで
良く理解してください。あなたの文章読解力も、怪しいもんですね。

お礼日時:2015/09/14 00:09

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