【大喜利】【投稿~10/21(月)】買ったばかりの自転車を分解してひと言

民営の図工クラブでアシスタントをしています。
5~12歳の子が時間帯により5~10人いて、講師は2人体制で見ていますが対応が追いつかず困っています。(レッスン時間は60分です)

内容が内容なだけに、実技で指導するため1人の生徒につきっきりになってしまう瞬間もあるのですが、10人くらいから「せんせい せんせい」と呼ばれまくったりしてしまいます。

生徒たちを見ていると、とにかく自己主張が激しいです。

・「せんせい せんせい」と何度も呼ぶ。
・講師が見ている子の横に割り込み「せんせい、わからないから見て!」という。
・講師が対応するまで席から離れてつきまとう
・「順番に見るからね」というと「何度も呼んでるのに!」とキレたり、「帰る!」と言ったりする
・絵の具ひと塗りしただけで「先生できた、見て!」という
・目標を「ここまでできたら教えてね」と説明したにもかかわらず、目標の段階まで出来ていないのに「ね、これでいい?このまま続けていい?」と逐一聞く。
・課題を説明しても「今日は友達のバースデーカードを作りたい」と課題を無視する(習い事なので「それは家でやろうね」と言っても聞かない)
・となりでバースデーカードを作っている子を見て「私もこれ作りたいから」と取り掛かっている課題を雑に仕上げてしまう。
・家で使いたいからもらっていい?と教室の画材や備品を持って帰ろうとする。
・「1度しか説明しないよ」と行った説明を何度も聞く。
・「わからない!面倒くさい!疲れた」を連呼する
・「疲れたから先生がやってよ」という
・その時作っている作品に向き合わず、「これ終わったら次は何をやるの?」と次の課題が気がかりで仕方ない。

こんな面が多々見受けられて、忍耐力の無さ、思考力の無さ、を感じます。とてもせっかちで、早く終わらせることに意義を見出しているようにも見えます。
そして、とても他人よがりです。
「図工が好き!」と任意で来ている子達がこんな感じなので、小学校の図工の時間はもっと大変なのでは?と思ってしまいました。


講師二人とも女性なので、舐められているのかなというのもありますが、もうひとりの先生曰く「図工なんて、習い事の優先順位が下だから、あまり怒って無理やりやらせるとすぐやめられちゃうんだよね」とのことで、厳しくできない感じです。

でもこのままでは、自由すぎてあまり何も身につかないような・・・・(汗)

こういった現象は、現代の子供たちの特性なんでしょうか?それとも地域性?(新興住宅地で富裕層や帰国子女が多い地域です)

もう少し厳しくするべきでしょうか?それとも今の子供たちの特性として諦めるべきでしょうか?

A 回答 (8件)

大変面白い質問なので、低俗な知見で回答しておきます



児童心理学・臨床心理学的には、自己決定・自己実現(自我)の欲求が満たされていない児童に多く見られる傾向が、如実に見受けられる状況だと思われます。
 つまり、児童にとって、その図工クラブは自己表現できる数少ない場所になっていて、習い事などで相応のストレスに晒されている反動が起きている、という可能性が指摘できそうです
(あくまでも臨床心理学的な話ですが)


 では、本題に

>こんな面が多々見受けられて、忍耐力の無さ、思考力の無さ、を感じます。とてもせっかちで、早く終わらせることに意義を見出しているようにも見えます。
そして、とても他人よがりです。
「図工が好き!」と任意で来ている子達がこんな感じなので、小学校の図工の時間はもっと大変なのでは?と思ってしまいました。

 臨床教育を学問として扱っている話では、
小学校の図工の時間は極めて管理され抑圧されているように見受けられます
自由創作の図工の時間は限られているので、課題図工(つまり、一定の課題をもって工作がある)なので極めて機械的かつ自由度が低くなりがちです。
図工で扱う道具は相応に安全管理が難しいこともあって、管理教育をもっとも必要とする分野とも言えます。未だに彫刻刀の取り扱いなどのトラブルを含めて図工教育は自由度と安全のトレードオフに苦悶しているそうです。
(その強度の制約にある課題図工の適否・是非は論説しませんが、そのような実態のようです)


>講師二人とも女性なので、舐められているのかなというのもありますが、もうひとりの先生曰く「図工なんて、習い事の優先順位が下だから、あまり怒って無理やりやらせるとすぐやめられちゃうんだよね」とのことで、厳しくできない感じです。

商売としては大変だと思います
以前、習字の指導員にも同じような相談を受けたことがありますが、
礼儀作法を導入にする習字でも、なかなか統制できない現実もあるようですから、難しいとは思います

ただし、教育科学的には特効薬になるものが存在しないでもありません

相応に「落ち着いた年長者」が存在することです
模範になるべき年長者児童が存在しないからこそ、統制が効かない環境になってしまうわけです

現実に運良く落ち着いた年長者が入会してくれれば、相応に落ち着くとは思います。
もしくは、落ち着いている児童がいれば、その児童を褒めることが重要でしょう。
(手がかからないというニアンスで褒めるのはNGですよ)


 同時に一定の緊張感を持たせるために『外部の目』も効果があります
例えば、体験見学会を常時実施して、『外部の目』を意識させることで相応に落ち着いた雰囲気にもなるでしょう




さて、具体的な指導法について提案するとすれば、
 極めてドライな対応に終始することをお勧めします
要はその日の最初が肝心で、児童側からの呼びかけに対しては、必要最低限の場合だけ応対するに留めることです
重要なのは、”落ち着きがない状況を全体で共有してしまう状況”でしょう

多少の児童間の騒ぎは大目に見て、指導側を巻き込むような騒ぎにならないように仕向けるのが最初のSTEPでしょう

 もっとも、児童個人の個体差を勘案して対処するのが適切であって、
上記した総論的な対応はBESTとは到底言えません。
 よく児童を知る質問者の視座で解決法を探すのが適切と思われますので、諦めずに色々と挑戦してみてください


さしあたっては、体験見学会の常時化による『外部の目』は指導員も含めてプラスの刺激になると思いますので、簡単だと思います



・・・・付論・・・・

 落ち着きがないという傾向については、”最近の子供”という話では考えない方が良いでしょう
要は、抑圧に対する”解放(開放)の機会”が極端に制約され、その逆に抑圧の度合いが年々強まっている、と考えるべきように思います。”環境がそうさせている”という認識をお薦めします。

開放状況にある児童の無軌道な行動に対する対処作はありませんが、一定の開放状況にあっても、その開放の手段を変更するための知恵が重要になるわけです。(TPO判断でもある)

 さて、付論で少し踏み込んだ話をしますが、
5~12歳の年齢幅の指導は極めて難しいと言わざるを得ません。
12歳児にとっての5歳児は相当に幼いわけですが、5歳児にとっては12歳児は相当に年長者と認識する状況・経験・知覚が存在しません。
この5歳・12歳の相互認識のギャップが特に統制できない教室の雰囲気を助長している可能性があります。
年齢ではなく発達段階の問題でもありますが、兄弟の有無などを調べてみて、グループ分けした方が良いと思います

兄弟がいるグループ・兄弟がいないグループに分岐します。
兄弟がいるグループは相応に模範になる児童が存在すれば、行動に落ち着きが生じますので、時間は掛かるにしてもいずれは落ち着く傾向が指摘できます
しかし、兄弟がいないグループで模範になる児童が存在しない場合は、相当な指導労力が必要になります。
この場合の指導では、兄弟なしグループに対しては、淡白・必要最低限の指導に留め、兄弟ありのグループに対しては、相応に積極的に指導・応対してみましょう
兄弟なしグループは、兄弟ありグループの方が望ましい振る舞いと認識して、落ち着くことが想定されます

このグループ分けは明確に児童に周知させる区分ではなく、指導者の中で分類するものです。
可能ならば、落ち着きの程度次第で細分化して指導・応対するのが良いでしょう。



ところで、指導環境について仔細の言及がないのですが、保護者などは室内などで見ているのでしょうか?
仮に見ていても上記のような状態であれば、指導法が異なるので・・・
 
 保護者にとって教室が単なる『託児所』程度の扱いならば、割り切るのも方法だと思います

利用者当人のため・・という意識が強いならば、諦めるべきではないですが、
商売となれば、割り切りは必要でしょうし、そのような割り切りが出来ないと、指導員が潰れて教室が維持できなくなりますので、指導員の立場として、教室がどうあるべきか?という問題を利用者・保護者踏まえて検討されるのも重要でしょう


さて、最後に一つイカサマを

 学校教育でも行われる現実ですが、児童の中に”プチ指導員”を創ることです
要は、相応に出来る児童を指導員変わりにすることです。(このプチ指導員が味をしめて教師志望になる構造もありますw)

 相応に高等技術ですが、要は、
      「○○ちゃん(プチ指導員候補)に聞いてみたら?」という手法

プチ指導員候補の指導次第では、相当な拡大効果ありますが、人選は難しいこともあります。
年代からして、女児の発達段階が早いので、女児がプチ指導員に適切でしょう。
(なお、このプチ指導員は、指導員と不和の方が良いです)

あくまでも机上論と多少の事例を踏まえて回答したものですし、個別条件が異なるので、やはり、現場を知る質問者の試行錯誤が全て・・というしかありません。

あくまでも参考程度と理解してください
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この回答へのお礼

大変詳しくありがとうございます。
学校での抑圧・・・確かに感じるところはあります。子ども達は、制作しながら、学校の話や家の話をよくしています。地域的に、週5日とか習い事をしている子も多く、息抜きの場になっているような感じもします。

話をしながらの習い事というのは塾やスイミングなどとは違った醍醐味があるのかなとも思っています。他愛もない話から、他校の子同士が仲良くなったり。そう言った、良い部分をなくすほど厳しくしたくはないと思っています。(私語を慎めとは言いたくないです。)

>相応に「落ち着いた年長者」が存在することです
模範になるべき年長者児童が存在しないからこそ、統制が効かない環境になってしまうわけです

これは思い当たる節がありました。ある時間帯はとても落ち着いて制作しているのですが、小6のとても絵が得意な女の子がいて性格的にも面倒見が良く、落ち着いているので生徒のあいだで一目置かれています。憧れの対象という感じです。

そう言った存在を各時間に作るというのもよいかもしれないなと思いました。騒ぐ子の中にも、面倒見がよかったり、リーダーと指名したら張り切りそうな子を見つけて、その子にリーダーとして統率の補助をしてもらうというのもいいなと思えました。
(これは、遠足やイベントのときの班分けでも使えそうですし)

様々なヒントをありがとうございました。

お礼日時:2012/12/04 11:43

> もう少し厳しくするべきでしょうか?それとも今の子供たちの特性として諦めるべきでしょうか?



ご自身のスキルを高めることだと思います。
ご質問を見ているかぎり、学生アルバイトが、塾講師のバイトで、クラスをまとめられなくてぼやいているのを思い出してしまいます。1人に教えること同じスキルで大勢を相手にできると勘違いして、クラスを崩壊させてしまうんです。
生徒のせいにしている時点で、本人は成長できません。生徒をまとめられないのは、講師のスキルのなさに尽きます。そして、そのスキルは、学べるものです。もちろん、実戦を通じての試行錯誤が大事ですが、何を実戦するかも知らない状況だと、それもできませんよね。
大きめの書店に行けば、クラス経営の本は、そのコーナーでは売れ筋のところに置かれていますよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございました。
ボヤキに聞こえちゃいましたね(汗)
どちらかというと、子どものせいにしているわけではなくて、自分に自己嫌悪してる感じです。「子供たちに振り回されるなんて、自分はなんて不甲斐ないんだ!」と。
スキルがないのは痛感してます。なんとか頑張ってスキルアップしたいと思います。
クラス経営の本、読んだことがなかったので探してみます。

お礼日時:2012/12/04 12:10

小学校の教員です。


図工のことであればある程度お答えできるかと思います。

まず、子どものせいにはしないでほしいなと思います。
自分勝手な子ども達が興味を持って図工に取り組めるようにするのが指導者の仕事です。

1、その図工クラブの目的とはなんでしょうか。
・創造的な思考を磨いていくのか、(何に見えるかな~といった見立て遊びや夢の○○を書こうなど)
・名画などを見て自分の感性を磨いていったり(この感じ好きだなとか)
友達と意見を交流したりするのか、
・くぎやのり、のこぎりなど様々な道具の使い方(技能)を学んでいくものなのか、
・造形遊びをして材と触れ合って感覚を磨いていくのか、
・普段の生活で使えるようなものをつくっていくのか、
ただただ好きなことをして遊ぶのか、
はたまた躾をメインにクラブを行っているのか・・・
もちろん今挙げたものをいろいろと兼ねて行っているのかと思いますが
指導者はそのポイントを抑えて、子どもたちに接する必要があるかと思います。
今日はのこぎりの使い方をマスターするのが目的だから、関係ないことはしない!といった具合です。

2、子どもへの指示の出し方について
子どもからの質問のルールは最低限設けたほうがいいでしょうね。
先の回答者様のお話にあったような「何度も言う人はあと」などです。
手を挙げて席で待っていないとお話を聞いてくれないという環境にしないと
集団での指導は難しくなります。
これは、「厳しくする」というより「子どもたちとルールを共有する」程度のものです。

3、はやく終わってしまう児童への対処
早く終わらせたがる子・大人から見ると未完成なまま提出したがる子は、学校にもたくさんいます。
そんなときの対処法としては、
・友達のすごいところを見つけて褒める→「俺もやる~」となる。
・お話をする(これはなぁに?など)→「これはお池なの、あ!お魚も書いてあげよう!」など自分でお話を膨らませることができる。
・そのままの作品で認める。(ただ、周りの子が楽しんで書いているのを見させてまだやりたいと思わせることが重要で、積み重ねることでだんだん時間ギリギリまで作品に取り組むようになってきます)
こんな感じのことを普段は行っています。

4、最後に
ほかにも掲示物を工夫して指導者の負担を軽減したり、言葉かけを工夫したり、
最初の発問を練ったり、材料や机の場所の配置を工夫したり、
そのクラブの時間に使う材料との出会いを大切にしたりと、いろいろです。
学校と繋がりがあり、そこに図工大好きな先生がいるようでしたら、
そういったつてを利用して
都道府県の図工研究部などの公開授業を一度見られるといいと思います。
ただ、頻繁にあるものでもないですし、関東甲信越ブロックだと新潟から神奈川まで
どこでやるかも年によって違いますが^^;
もし、市町村でそういった研究部がある場合だと、より見やすいかと思います。

図工好きな子を一緒に増やしていきたいですね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。さすが、小学校の先生ですね。大人数の指導、尊敬します。

質問の仕方が悪かったのかもしれませんが、子供たちのせいにしているというよりは、自分の不甲斐なさに苛立っっている感じです。「ああ、私はどうしてこうなんだろう」という感じです。
子供たちの地域性なのか、現代の風潮なのかというのを理解した上で、対策を考えたいと思いました。

図工クラブの目的は、もうひとりの先生曰く、図工の大好きな子の表現の場(学校の図工時間じゃ足りない、自己表現できない子の補習塾のような感じ)と、他校の子との交流場といった感じみたいです。
学校ではできないことを体験させたいそうです。

だからといって、学校とは違ってルールが無い場所っていうわけではなく、子供たちの感性を開放する場でありながらも、ルールは守らせるそういう場になったらいいですね。

小学校で実行されていることを参考にさせていただき、取り入れたいと思います。

お礼日時:2012/12/04 12:07

美術教師です。



厳しいことを書きます。

>自由すぎてあまり何も身につかないような

では、その「図工クラブ」の目的は?

自由に創作活動させることではないのでしょうか?

絵を描く技術だけを伝えるのですか?

それとも「しつけ教室」?

もう1度、その「図工クラブ」の目的を主催者と話し合われてはいかがですか?

それと、ちょっと気になった点の対応法など。

講師が二人ならば「Aは机間巡視、Bは大きめの机で生徒を待つ」にして、「先生きて、みて」と呼ぶ子には「B先生の机に持っていきなさい」としては? 
そこでは順番に並ばせて守らせます。

そして「目標の段階まで出来ていないのに「ね、これでいい?このまま続けていい?」と逐一聞く」のは、不安の証拠ですから、机間巡視する先生が適宜、「上手にできてきたね。あと、ここしようね」と声をかけるだけで減ります。

>家で使いたいからもらっていい?と教室の画材や備品を持って帰ろうとする。

材料費が掛かっていることをはっきり言っては、どうでしょう。

「いるのならば、お金を持ってきたら、売ってあげるよ」と。

>「1度しか説明しないよ」と行った説明を何度も聞く。

1度だけの説明で、わからない子が多いのでしたら、説明が長すぎるのです。

子どもは、短期記憶の容量が低いです。

ですから、簡単な見通しを初めに話します。そして、説明を短くしたり、途中までにし、ある程度の生徒が出来てきたら、次の段階を説明します。

また、簡単な見通しを紙に書いて提示します。

>「わからない!面倒くさい!疲れた」を連呼する。「疲れたから先生がやってよ」という

「うん。じゃ終わろう」でいいのでは?

「これは、君に作品だから、先生がやったら先生の作品になっちゃうよ」でも。

>その時作っている作品に向き合わず、「これ終わったら次は何をやるの?」と次の課題が気がかりで仕方ない。

これも、スケジュールなど決まっているものは掲示されてはいかがでしょうか?

学習させるのでしたら、構造化を考えられるべきでしょうね。
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この回答へのお礼

細かいアドバイスありがとうございます。学校の美術教師の方の、現場での声、とても参考になります。

図工クラブのある地域は、中学受験をする子も多く、学校自体が美術教育に力を入れていないようなのです。子どもの会話から「今日も、図工の授業が潰れて、算数になっちゃったんだよー」などが聞かれます。
図工クラブに来ている子達は「これは学校では作れないね」などと喜んでくれていて、学習塾で補習塾というのがありますが、図工授業が足りない子の補習塾といった感じなのかもしれません。

>講師が二人ならば「Aは机間巡視、Bは大きめの机で生徒を待つ」にして、「先生きて、みて」と呼ぶ子には「B先生の机に持っていきなさい」としては? 
そこでは順番に並ばせて守らせます。

この方法は、学校ならではですね。もうひとりの先生と相談して、机の配置を変えて実行してみようかなと思います。


>>「わからない!面倒くさい!疲れた」を連呼する。「疲れたから先生がやってよ」という

「うん。じゃ終わろう」でいいのでは?

「これは、君に作品だから、先生がやったら先生の作品になっちゃうよ」でも。

これは良く言っています。そして「じゃあ、次何やればいいの?」と来ます(汗)


「構造化」ある程度、改革が必要ですね。

お礼日時:2012/12/04 11:59

> こんな面が多々見受けられて、忍耐力の無さ、思考力の無さ、を感じます。



大変失礼ながら、それは質問者さんも「同じ」ではありませんか?

子供を指導するのには、指導者側にも忍耐力が必要であり、また知恵を凝らして、子供に興味を持たせねばなりませんので、指導者側の思考力が重要です。

また、質問者さんがボランティアでなさっているなら、不平を言うべきではないし、不平を言うなら辞めれば良い話しです。
逆にクラブが営利目的で、アシスタントとは言え所得を得ているなら、プロとして責任をまっとうすべきかと思います。

私の経験はスポーツ系で、もう四半世紀前になりますが、学生の頃にアルバイトでジュニアクラスのレッスンをやったことがあり、最近はボランティアで子供の指導をやってます。
まあ時代とか科目などとは無関係に、子供は子供です。

仰る通り、集中力が無く、興味があることしかやりません。
興味もコロコロと変わります。
大人相手でも「この人は恐く無い」などと思えば、言うことなど全く聞きません。
その前提で、指導者側が「どうするか?」であって、子供を自分好みになんて、まず不可能ですよ。

指導者側が教える分野では有能・著名で、保護者に請われて指導し、子供が泣こうがわめこうが、お構いなしに、好き勝手に指導しても良い・・みたいな状態であれば別ですが。

教える子供にも、向き・不向きはありますし、躾が行き届いたお利口ちゃんも居れば、「親の顔が見たい」と思うクソガキもいます。
民営であれば、義務教育の教師などとは違い、他の子供に著しく悪い影響があるとか、レッスンの運営に支障を来すとか、明らかに本人が辛そうな場合などは、保護者と相談の上、スクール側から辞める様に促すことも出来ます。
ただ、そんな子供は何人も居ませんよ。

子供は分別が無いから子供であって、生徒は「出来ないから習いに来ている」のです。
その子供・生徒に対し、「悪い子が多い」などと感じるなら、質問者さんが、子供を対象とする教育に向いていない可能性が高いのでは?と言わざるを得ないです。

私も「コーチ!ねぇコーチってば!」と何度も呼ばれました。
「コーチは一人しかいませ~ん。コーチは耳は良いで~す。一回呼べば聞こえま~す。それなのに何度も呼ぶ子は後回しにしま~す。判りましたか?」と言えば、子供は大笑いして「はーい!」って返事しますヨ。

子供は「ガマン」が大嫌いなので、また言いますけどね・・。
しかし、指導者側が工夫して、少しづつ子供がガマン出来る長さを増やすのが、全ての子供の指導に共通することではないか?と思います。

ガマンを教える指導者が、ガマンが出来なきゃ、教えられることは無いですよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

そうですね、自分の不甲斐なさ、統率力の無さに辟易している感じです。決して、子供たちのせいにしようとは思っていなくて、こういった子供たちは時代性の特性なのか、地域性なのかということを踏まえて、こちら側でスキルアップできたらと思って相談させていただきました。
不平不満に聞こえてしまったのでしたら、残念です。

>「コーチは一人しかいませ~ん。コーチは耳は良いで~す。一回呼べば聞こえま~す。それなのに何度も呼ぶ子は後回しにしま~す。判りましたか?」と言えば、子供は大笑いして「はーい!」って返事しますヨ。

とても和やかですね。スポーツクラブも図工クラブもこういった和やかさが、塾などにない持ち味だと思います。私の行っている図工クラブも、会話をしながらの制作なのでたまに、歯止めが効かなくなるというか・・・。でも「私語を慎め」という感じにはしたくないと思っています。

子供たちはとても可愛いです。私自身、子供たちの状況に我慢できない!っていうふうに考えたことはないので、子供たちの特性として認めながらスキルアップしていきたいと思っています。
指導者というよりも、子供たちの相棒のような立場でいられたらなと思います。

お礼日時:2012/12/04 11:52

最近の子どもは特に躾がなっていないが、ゆとり親世代の未成熟さも大きな一因です。

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この回答へのお礼

子どもの対応だけじゃなくて、確かに、親御さんへの対応も気を使います。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2012/12/04 11:32

相手は「子供」ですから、ある意味諦めるべきでしょうね・・・


「こういった現象は、現代の子供たちの特性なんでしょうか?」という事ですが、「特性」というよりは「図工」という習い事の考え方に問題があるのでしょうね。
それは「図工」を「習い事」、「勉強」とは認識していない、という事でしょう。
どちらかといえば、「遊び」、「趣味」のカテゴリーとしての認識でしょうね。
「みんなと遊ぶ、工作教室」とでも言いますか、「楽しむ所」という考え方で来ている訳です。
「遊び場」と認識しておる以上、「自分の楽しい事を優先する」訳ですから、自分のしたい事を「自己主張」もするでしょうね。
つまり「楽しい場所」でなく「厳しい場所」になったら、来たいと思わなくなる可能性が高い。
それは「あまり怒って無理やりやらせるとすぐやめられちゃうんだよね」という事からも考えられる事ですよね。
貴女の書かれた「子供の行動」はある意味「普通の事」ですね、それは「子供心」に「かまってほしい」という感情の表れです。
改善策として考えられる方法ですが、「やり方」を変える事でしょうか・・・
「図工」において物を作る場合ですが、「バラバラ」に子供達にやらせても「個人差」もありますから、みんな同時には出来ない。(速さですね)
であれば、「まず、みんなここを作りましょう」という風に、一つの部分を全員で作る様にする。
簡単に言えば、例えばですが「折り紙」で「鶴」を作る場合、「みんな、まずここを折って・・・」と「一部分」を全員完成させるという事です。
全員が終わったら「見回って」確認する方法ですね、それを続けて行って最終的には全員が同時に完成させる訳です。
個人個人に対応するより簡単な方法だとは思います。
「絵」の場合は、ちょっと考えなければなりませんが「みんな、同じ物」を描くのであれば対応は可能だと思います。
それでも中には「わがまま」な子もいますから、その点はもう諦めましょう・・・
「親」でさえ「特殊な場合」を除けば、思い通りにはいかないのですからね。
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この回答へのお礼

折り紙の例え、とてもわかりやすかったです。部分部分をまず一斉に説明する。その時「一度しか言わないよ」と注意を向けさせる。こういったことを実行してみようと思います。
確かに、かまって欲しいという子が多いかも(汗)いい意味で取れば、頼られてる?という感じでしょうか?こちらのスキルもアップできるように頑張ります。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2012/12/04 11:31

兄弟の争いのない過保護の一人っ子が集まるとそうなるだろうな~と思うような場面ですね。



児童期に一人の余暇がたっぷりあり、ぼけっとする事で創造性が育つのですが、黙々と作業した事のない子達なんだろうなあと思います。

学校ではなく好きな図工をする場所を提供しているので、学校ほど足並み揃えて同じ早さですることはありませんが、最低線のルールは守らせましょう。

材料の持ち出しはしない。席を立たない。人の邪魔をしない。こういった点はその場で少し離れた場所に連れて行き注意。

別の課題をやりたがる、は構わないと思うのですが。苦手で嫌いな作業を続けるよりは好きな事を邪魔にならない限りしても。それに対しアドバイスは絶対しないという条件で。

近所の水泳教室の子供達の着替え室での行動が目に余った事があります。書面でクラスの最後に着替え室のルール(クレームされた点について)コーチから注意が行くようにお願いしました。

やはり習い事でも大人は子どもの上に立たねばなりません。叱るだけでなく、きちんとできている子の名を出してこの子は静かにやってこんなにできている、と認めてあげるのも必要です。注意を惹かないと無視されていると不安なのかもしれません。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
最低限のルール、確かにそういったことをこちら側でも一度整理してみんなに伝えることも必要と思いました。改善するべく頑張ります。

お礼日時:2012/12/04 11:27

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